36 * 休息と停滞
グレイが来なくなって五日。約束は守ってくれてるみたいであの人は訪ねてこないし、侯爵家からも誰も来なくなった。一度ルリアナ様から謝罪の手紙が届いた。その中には現状についての説明もあった。
カッセル王家から、押しかけたのはサリエ王女個人の意思なので気遣い不要ですよ、のような内容の手紙が届いたらしい。けれど帰ってくるよう促す内容はおろか謝罪はなく、結局のところ好きにさせる旨しか書かれていなかった、と。その上で王家は王女の言動を放任し、いざという時知らぬ存ぜぬを貫いて責任を取らないつもりだろう、というルリアナ様の意見も書かれていた。
これじゃあ、グレイは何も出来ないよね。グレイどころか、クノーマス家自体がこれ以上何も言い返せない。少なくとも押しかけて来た時点で歓迎してしまっている。カッセル王家という国相手に騒ぎを起こすのは良くないと判断したから。
それに、カッセル国は私の事に一切触れていない。上手く考えられていると思う。
ここで私の名前を出せば私はヒタンリ国に相談する。後ろ盾の国が出てこないギリギリの所を攻めてきている気がしないわけでもない。ついでに言えばククマット内の問題はグレイが領主として対応と処理することは当然、その相手の立場が高ければ高いほどグレイとクノーマス侯爵家でなければ手に余ることは誰でも思いつくし知っている。
こちら、ククマット領と 《ハンドメイド・ジュリ》関連事業の繋がり方について良く知っている、もしくは調べ尽くしたやり方と言っていい。
カッセル国の王女の暴走の裏には、もしかすると第三者の関与があるのかもしれない。だからグレイも私を王女になるべく関わらせないように動いている可能性もある。
そんなことを考えながらルリアナ様に返信はした。一応。
『分かりました、大丈夫です』
としか書けなかった。他には書き込めなかった。どうしても。
何を書いても言い訳がましく、なにより恨みがましい言葉になりそうだから。
そして、あれからグレイは一度も家に帰ってこない。毎日手紙と私の好物を侯爵家から届けさせるだけ。
無理するなよ、なにかあればすぐに呼んでくれ、愛してる。
繰り返し、そう書かれているだけ。
夕べ、手紙を見たあと、自分の顔が歪んでいることに気づいた。
愛してるなら、夜帰って来てよ。目一杯抱き締めてよ。
手紙を握りつぶして、そう、呟いてた。
心が不安定で、それが日々態度に出てしまうのか、通いで来てくれている使用人さんや料理人さんがいつも以上に私を気にかけているのが伝わってくるしそこには仲間意識のようなものさえ感じる。この人たちもあの人のことで嫌な思いをしているのは見なくてもわかっているし。
「グレイセル様が本宅に行ってくれてるからここにあの王女が来ないんだね」
「ああ、そこは感謝だな。さっさと国に帰ればいいのに」
屋敷の休憩室から、そんな小声でのやり取りが聞こえたりもした。
最近なんだか嫌なことばかりで、色々と影響している。
(いつもの日常が戻るの、まだ先かな)
そんなことを考えながら食事をするので、味もよく分からず食べきってたりして、苦笑する始末。
「すみません、受け取れません」
「えっ? ジュリ様?!」
「ごめんなさい、今日はもうキリアの家で食事を済ませて来たんです」
「そうでしたか、しかしこちらはジュリ様のお気に入り、お夜食にでもどうぞ召し上がって下さい」
「持って帰ってもらうことは、出来ますか?」
「……え?」
「ごめんなさい、まるで、施しを受けてるみたいて、いたたまれなくなります」
「そ、そのようなことは決してありません! グレイセル様は毎日ジュリ様のことを―――」
「あの」
クノーマス侯爵家のお使いの人の言葉を強めに遮る。
「は、はい?」
「お願いします、持って帰ってください」
「あ、いや、その……かしこまりました。では、せめて手紙を」
「それも、もういいとグレイに伝えて下さい」
「ジュリ様、それは!」
「はっきりいいます、伝えてください」
「はいっ?」
「『こんな機嫌取りみたいなこと今すぐやめて。施しをされてるみたいで惨めになるし腹が立つから』と。伝えてください。これ以上も以下も、言葉は他にありません。必ず伝えてください」
手紙と差し入れを届けに来たその人の困った顔をみて、私は笑顔を返した。
ごめんなさい、こんな言い方しかできなくて。
でもこうして突っぱねないと、あまりにも惨めで。
「夜会?」
「ああ、出席してくれるか?」
あれからさらに数日。久しぶりに屋敷に帰ってきたグレイは少しやつれて見えた。どうした、グレイ。
あの日から手紙も差し入れも来なくなった。そしてその事についてそんなつもりじゃなかった、すまなかったと謝罪され、少し気が楽になったんだけど、ちょっとよそよそしくなってしまってるのは仕方ないかな……。
「うん、出るわよもちろん。そのためにドレスを用意しているんだから」
ホッとした顔をして、グレイが私の頬を撫でてきた。
「なに?」
「……不足だ」
「うん?」
「ジュリ不足だ」
「そう?」
「夜会が終われば……ようやく、ここに、家に帰れるよ」
コテン、と私の肩に頭を乗せてくる彼はゆっくりと深呼吸し私の首に顔を擦り付けて来て。くすぐったくて、心地よくて、久しぶりのグレイの体温が嬉しくて、つい笑ってしまった。
「あはは、帰ってきたらいっぱいする?」
「ああ、そのつもりだ、本気出す」
「グレイの本気はちょっと大変だから手抜きしてね」
「……それは無理だと思うが」
こんな会話も、久しぶりだな。やっぱり、この男なのよねぇ、一緒にいたいと思うのは。どんなに面倒な男だと分かっていても、ね。
触れ合いで気持ちが浮上して、笑って穏やかに夜会の準備の話をして。
そして翌日。
「よかったね?」
「うん、ちょっとね。もう少しで王女も帰るそうだから」
「あー、よかったぁ」
「キリアまで?」
「そりゃそうでしょ。この工房を荒らしたのよ、一生好きにはなれない。会ったら二度と来るなと言ってやりたいくらい」
確かに。
正直、私も好きにはなれない。だって、歓迎の印に用意したうちのお店の商品を受け取らなかったらしいから。気に入らないとか好きじゃないとか、そういう理由じゃなく、『庶民の作ったものはちょっと……』って、触りもしなかったらしい。工房にきた時はベタベタ触ったくせに? てか、伯爵家と侯爵家がお土産にって用意したものをそうやって断るものなの? ってロディムに確認したら、
「ああ、たまにいますよ。地位自慢のつもりなんでしょうね。本人たちがそれでいいならいいんじゃないですか? うちだとそういう人はその時点で父に敬遠されますしセンスが悪くて笑われるのは私ではないのでいちいちアドバイスなんてしませんが。それに仮にも王女がそんなことをしていたと知られたら困るのは本人と国ですがね。ククマットにはスパイが山といる事も知らないんでしょうか? 来週には大陸中の笑い者になりますね」
スゴいこというわ、次期公爵。
そういえばお土産を断られて怒った話は聞いてないから、グレイも侯爵様達もそういう価値観なのかも。
……となると、大丈夫なの? あの王女。
国の利益になる結婚を期待されて養子になったんだよね。しかも王女は大臣の娘で下手すれば大臣の名前にも傷をつけることになる。マリ石鹸店のこともきっとスパイたちがそれぞれの主に既に伝えているだろうし、それについて触れないカッセル国内のことも遅かれ早かれ知られる。ロディムのこの感じだとアストハルア公爵家は完全にカッセル国とは距離を置いてる。小国の国家予算レベルのお金を動かすという公爵家に牽制されるって、キツイよね?
あれ、このままいくと王女もカッセル国も大変なとこにならない? だって、ここまで放置してるってことは、侯爵様、エイジェリン様、グレイは確実に何らかのタイミングを見計らっている。
……ヤバイかな、何となく。だから私を関わらせたくないのかも。私がどうこうできることではないだろうし。
でも知らないってのは、やっぱり不安だし不満。『それとこれとは別』。
ドレスに合わせてこれを着けるようにってグレイから贈られた宝飾品が、ヤバかった。
ぜーんぶ、ルビーをメインにしたセットもの。ネックレス、ピアス、ブレスレット全部。ルビーをメインにオニキスがちりばめられた、シックだけど『……いくらしたんだろ』とボヤくほどの代物でして。
凄いわ。さすがグレイ、私の好みを把握したシンプルなデザインに仕上げてくれている、その前にいつの間に用意していたのかな。赤と黒の組み合わせは大好きよ。
「これ売ったら、レア素材なら何が買えるんだろう?」
「身につける前から売る話をしないでくれないか? 切ない」
「売らないけど、うん、売らないよ……何が買えるかなぁ?」
「売りそうだな!」
なんて会話はいつものこと。グレイが吹き出すように笑って。
「欲しいものは何でも買ってあげるから、ジュリのために私が選んだ宝石は売らないで欲しいところだな」
だって。
うーん、さすがグレイ。私に無駄に執着しているだけのことはある台詞。
「それは褒めているのか?」
「褒めてるよ」
ドレスは自分でデザインしたもの。
黒地のシンプルなサテン風の生地で、その質感を大事にするために、装飾も形もシンプルにしたの。当然ロングドレスになるんだけど、こちらではまだまだ珍しいマーメイドラインのもの。すそに向かうにつれて、刺繍による大輪の銀や赤の薔薇が咲き誇るものに。これをみたルリアナ様は、『必ず体型戻して着てみせるわ』って意気込んでたけど、既に元の体型に戻ってると思うんだけどな……。
シルフィ様なんて今回の夜会に同じ形のドレス着てくるらしいわ、その報告が来たとき笑ったよ。だって『ジュリの色を反転させたものよ』って伝言だったから。シルフィ様は、銀の生地に、黒と赤で薔薇を刺繍したもので、完全に私とおそろいなのよ。社交界では仲良しとか、親子で色違い、形違い、柄違いを着たりすることも多くて、まあ王女を牽制することにも繋がるってことだよね。
シルフィ様が『シワが増えた……』とここ数日ボヤいているらしいので絶賛開発中のバスボールの試供品でもお届けしよう。
グレイがルビーのアクセサリーを寄越したってことは、あのドレスに合わせてくるってこと。それが貴族の夫婦のセオリーでありルール。
たぶん黒の礼服に、似たような刺繍をシンプルに入れたの作ったはずだからそれかな。そしてブローチとかも私と合わせてルビーだね。仮縫いのときにみただけだから、はっきりと全貌はわからないけどきっとカッコよく着こなすでしょう、私の旦那は。
数日ぶりに、グレイの寝顔を見る。
(少し、痩せたよね?)
間違いない、グレイは王女の襲来以降痩せた。
その事を、自覚できないような男ではない。一体、何が? そう思う。
思うけど。
問えない。
私に何も言わないこの人に、問う意味があるのかと疑問を持ってしまった。
思ってハッとする。
いつからそんなことを思うようになっていただろう。もっと強く問えない私にだって非はあるのに、気づくと心は勝手に迷路に迷い込んだように複雑に考えてしまっている。
眠れない。
この男の側にいて、眠れないなんて、初めてかもしれない。
ザワザワとする。
不快感。
自分の中にあるものにまた驚いて、体を起こしてしまった。
お店に王女を連れてきて、私が不快な思いをすることを予測しないわけがない。
あの人の態度で私だけじゃなく不快な思いをする人が沢山出るだろうって、初めから分かっていたはず。
それでも、連れてきた。思惑があって、連れてきた。グレイと侯爵家にとって、トラブルが起こることが予測できていて、連れてきている。
利用されてる?
何かに、私が利用されてる。
それは権力とか政治とか、そこまで重いものではない。そもそもあの王女は王女でありながら非常に足元が不安定な立場にいる。国が無視できない問題を起こせば必ず見捨てられる王女であることは私でもわかる。
だから何かにつけて問題を起こすあの王女を何かのタイミングで、徹底して叩くつもりなんだろう。
そして。
そのために、私が。
利用されていると、気づいた。
グレイの妻だから?
伯爵夫人だから?
それくらい、当たり前?
駆け引きとか、衝突とか、当然?
ザワザワ。
募るのは、疑問と不快感。余計なことを考えてしまうのは夜だから? それとも……。
「……はぁ」
甘い濃密な時間も過ぎてしまえば冷静になる。
抱き合って愛を囁いても、その余韻にいつまでもどっぷり浸るほど若くない。
「……ジュリ、どうした?」
「ごめん、起こしちゃった?」
グレイの隣に体を横たえて、ぴったり寄り添い目を閉じる。
グレイも再び目を閉じた。
「眠れないか?」
「大丈夫、もう寝るよ」
「明日も忙しいんだから、寝ないと」
「うん」
この不快感は、寝たら消えるのかな。




