36 * 距離
アストハルア公爵様から手紙が来た。
『あの娘は放っておきなさい、対応はクノーマス家にやらせればいい。継承権に全く関与せず、公職も与えられず民間人と変わらない。王家だけでなくあの娘の一族が文句を言ってきたら私にすぐに連絡を寄越しなさい、綺麗に処理する。先日の件も納得いかなければ私が介入することも出来る』
と。
……なるほど。
グレイや侯爵家も注意や抗議は出来るのか。それが効いてるかどうかは別としてもあの王女は王位継承権がないだけでなく、王家に有利な結婚をさせる『道具』でしかないから良くも悪くも放任されているってことかな。
それにしても、公爵様が『綺麗に処理する』って書くと恐いわ、どうするつもりなんだろう? それよりも、王女の事で公爵様に借りを作るのは何となく怖いのでお断りしておいた。
あの王女は例え僅かであっても王族の血をひいていることにすがり付いているのかな。
もしかすると失うものが多いのかもしれない。王女は今年二十歳になるそうで、あの年齢になれば普段の言動や価値観を抜きにしてもそれなりに分別もつく、はず。今さらだけど、自分の置かれている状況を理解し焦っているのかもしれない。カッセル国では才ある人や能力持ちを見つけ早くに婚約なり結婚なりして横槍が入らないよう横取りされないよう囲い込むらしい。貴族とそう変わりないじゃん? と思ったけど、貴族の場合は家のためという面が大きい。反対にカッセルの場合は血。能力の高い血を取り込んで子孫を増やす、そちらに重きを置いているんだそう。そうやってカッセル王家は他国からいい血を取り込んで能力持ちを増やそうとしているとか、なんとか。それで【称号】や【スキル】持ちが単純に増えるのかは疑問。
とにかく。そのためには手段を選ばない、らしい。だから王女もそれをしないとならない、くらいの焦りはあるのかも。
だとしても王女一行が起こした問題は無かったことにならないし私も許したくない。
あれは単なるワガママと八つ当たりで無駄に権力を振りかざしたただけの悪質極まりないことだった。
ロディムが淡々とした口調で吐く。
「あの自称王女は品がない。あんな女に腹を立てる必要なんてないですよ、ジュリさんはどんと構えていればいいんです」
と、サラッとした感じで言ったのがやけに面白くて笑ってしまった。
「ロディムでもそういうこというの」
「言いますよ? 私は公爵家を継ぐ立場ですからむしろ厳しく女性を見定める癖がついてしまっているんですよ、常々気を張ってきました」
「あー、なるほど。それはそれで大変よねぇ。シイちゃん取っ捕まえられて良かったわね、本当に」
「ええ、本当に」
そんな会話をする隣、キリアの怒りがまだ治まらず、鼻をフガフガさせながら作業してる。凄いわ、この状況で完璧に仕上げるんだから。
「なんであんな王女を優先するの?!」
「形だけとはいえ王族ですから。侯爵家としてもそう無下には出来ないですよ、最初に歓迎する姿勢を見せてしまっているのでなおさら。いつまで居着くつもりか分かりませんがこちらが不利になる言動は避けたいところじゃないですか? それに長くとも数週間で見切りを付けて帰るはずです」
「そうなの?」
「いつまでも靡かない男相手に奮闘した所で次の相手が寄ってきてくれるわけじゃないですから。ましてや名ばかりの王女です、いくら美人だと周りが褒めそやすとしてもそう長くは続きませんよ、早いうちに将来楽して生きていける嫁ぎ先か能力持ちを見つけなければ王家は見捨てます、養うために養子にしたのではなく、お金なり良血なりをカッセルに入れるためですから」
「……なるほど」
ロディムの公爵令息という立場からの説明を聞くと納得。
あの人がグレイやエイジェリン様に拘るのはそこだよね、クノーマス家は能力の高い子供が生まれやすいし、お金は存分にあるし。
「だから、放っておけばいいんですよ。余計なことをジュリさんに仕掛けてくるとしたらそれはただのバカという証明位に思っていればいいんです。今回のこともそうですよ、本当に国のためを思う地位の高い高貴な血筋のお方であれば駆け引きや裏工作で繋がりを強化してから相手が逃げられないように引き込むものです、そんなことが出来ないどころか知らないような王女が一人王家から見捨てられても誰も損しません。王家は『迷惑をかけた』と謝罪の書簡を送ってきただけ、本当に大事な王子王女なら水面下での交渉で今回の件をなかったことにするなり直ぐ様賠償金を払い連れ戻すなりします、手紙だけの謝罪は上から目線にしか感じない不快なものですが、その反面カッセルの場合はその程度の扱いでいい王女という意味も含んでいるはずです。いざという時は簡単に切り捨てられますよ、父もそれが分かっているからジュリさんにあのような手紙を寄越したんです。養子に出した大臣がどういう心情かまでは分かりませんけれどね」
凄いことサラッと言ったな、こいつ。
そんなサバサバしたロディムに感心しつつ、まあそんなものかと納得し、この時はイライラが収まった。
そうこの時は。
「……なに、これ」
私は呆然と工房の一点を見つめる。キリアなんてプルプル震えて顔を赤らめ、怒りを爆発させる寸前。
手垢だらけの作品。
それは理路整然と並べられて、台座が付けられるのを待つだけになっていた色つきスライム様で作ったパーツたちで、以前仕上げておいたもの。
専用のネックレスの台座が出来上がって、今日その納品がされたと連絡が来て、研修棟からキリアと共にお店に到着して飛び込んてきた光景に二人でその場に立ち尽くす。
何故か店前のいつもの行列が崩れ単なる人だかりになっている。
見慣れぬ制服を来た男達が入店は出来ない、帰れと勝手に命令し、それに自警団が憤り何か言い返し、列んでいたはずのお客様たちと共に言い争いのような殺伐とした空気を放っている。
嫌な予感がした。
足早に裏口に向かい扉を開けて中に入るとグレイの姿と同時に、王女の姿も一緒に目に飛び込んで来た。咄嗟に声を掛けようと口を開きグレイと目が合うと、グレイの顔が強張っていることに違和感を覚えて私の視線は自然とグレイから工房内を見渡すことに切り替わる。
切り替わって、体が強張った。
なんで?
透明スライム様を配合する量を変えて、色付きスライム様だから出来るグラデーションの濃淡ごとに並べられたパーツたち。ケースに入れていたのにテーブルに乱雑に置かれている。そっと手を伸ばして一粒指で掴めば、手垢だらけ。
「なんで? グレイ、どういうこと?」
パーツから視線が外せない。声が抑えられず大きくなった。
「……本当に、悪かった、すまない」
グレイに視線を向けられなかった。深々と私と後から入ってきたキリアに頭を下げているのだけはわかる。
「店頭の騒ぎに気を取られて外に出たら……」
何とも情けない弱々しい彼の声に驚いたのと、王女の態度に苛立ちがこみ上げる。王女は私のことなど気にする様子もなくグレイの腕に自分の腕を回し、扇子で口元を隠しながら工房をさして興味もなさ気な目で見渡している。
さらに、お付きらしい男が王女の後ろにいて罪悪感一つない表情で近くの道具に勝手に触ったりしている。
目を離した隙に触っていたとか、突然ここに向かっていると聞いて追いかけて来たという言い訳とか、王女のお付きらしき人に触らないでくれと注意したり、グレイが色々言っている。
でも、頭がそれを理解しようとしない。
込み上げる怒りと苛立ちが、グレイの言葉を拒絶する。
「グレイ、当分来ないで」
「え?」
「こういうことされると私の仕事に支障を来すから。完成品じゃないからこんな扱いでいいと思ってる? 私が仕方ない許すと思ってる?」
「まさかっ、そんなこと微塵も―――」
言い訳をしようとしたグレイを私は掌を向けて遮る。その行動にグレイは驚いて見事に言葉がつかえた。
「来ないで、暫く立ち入り制限するから。侯爵家の人たちにもくれぐれも来ないように言って」
「ジュリ、しかし事務などは私が」
「グレイ、来なくていい」
「……ジュリ?」
「来ないで。ここは私の店だから。私が納得いく形で使う。これはお願いじゃないからね? グレイ、ここは私の店だから私が仕切るの、その意味分かるよね? 《ハンドメイド・ジュリ》は、物を作り出してそれを売ってお客さんに喜んで貰う場所なの。家とか立場とか、何か思惑とか、物を作るに必要ないことを持ち込む気ならグレイでも許さない」
「ジュリ……。すまない、本当にすまなかった」
謝ってでも、庇うものは何?
貴族のしきたり、慣例、それがそうさせるの?
それともやっぱり何かを企んでいるからその下準備のため?
イライラするから、早くその人の腕を振り払って。
いつまで触らせてるの。なんで何も言わないでいるの。ねえ、いつまで?
私はそれを黙って見てろってこと?
グレイの思惑のためなら些細なことってこと?
ああ。
イライラする。
なんで私が『私のこと』で我慢させられるの?
「女性がそう簡単に既婚者の男性の腕を取るのはいかがなものかと」
ハッとして振り返ると、研修棟から道具を持ってきてくれたロディムが笑顔を張り付けてあの人にはっきりもの申す。
「なに? あなた。私を誰だと思ってるの?」
「少なくとも私は妻になる人の兄君やその奥様の足手まといや邪魔になるようなことは決してしません」
ロディムの言葉で、その人とそのお付きは誰か理解したのだろう。急に態度を改めて優雅にロディムに向かって礼をした。その前に、王女はロディムのことが分からなかった? 怒りが収まらないままでもベイフェルア国最強と言っていいアストハルア公爵家の嫡子を仮にも王族を名乗る人が知らないもしくは覚えていないことに唖然としてしまう。
「失礼しました、普段はこのような事はありませんのよ? ただ興味を惹かれたのでつい」
「今は普段ではないと? 仮にも目の前に妻がいる男性の腕にしがみついていることに疑問を持たないあなたが、普段は、なんておっしゃるのですか? 少し礼儀というものを習い直したらどうでしょう? 王家に名を連ねる方がそのような態度が常ならばいささか不安になります。これからはクノーマス侯爵家と我が公爵家は血縁関係になり、周囲の目も厳しくなる。あまり素行がよろしくない方とはたとえ王族の血筋といえども付き合いを考えなくてはならないのですよ、サリエ嬢。公爵家の者として申しますと、現在の当家は、これ以上の爵位や地位など無くても満足です、半端な血などいらないです。あなたのような方が多い国であるならば、我が公爵家はカッセル王家とのお付き合いを考え直さなければならないですね」
「な、なんですって?」
サラッと否定され王女はカッとなったけれど、其れでもロディムは落ち着いていた。
「私の言葉に不満がおありならどうぞ当家にその旨を伝えてください。私は私でこの件を報告します。ただ当主は物事を整然と優先順位をつけて処理します。先ほども申し上げましたが、今以上の地位は欲していませんし半端なものや足手まといになりそうなものはいらないと思っている当主です。それだけはお忘れなきよう」
ロディムの、次期公爵として『あなたは不要』と仄めかす言葉に、王女たちは顔をこわばらせて青ざめて、再び一礼していた。こんな時に改めて公爵家の巨大な権力と地位に驚かされ、目が覚める羽目になった。
そしてグレイは、とても悔しそうな顔をしているのに何も語らず。
「伯爵、私が口出しできるのは、これくらいですよ。侯爵家の屋敷の中に入ってしまったら、出来ませんからあとはお願いします」
肩を竦めて、苦笑したロディムにグレイはとても申し訳なさそうな顔をして。
「あれでも、ジュリに謝らないのね。なんなのあの女、本当にジュリをバカにしてる! ロディムに諌められてビビるなら最初から大人しくしてればいい。グレイセル様もなんでっ」
「いいよもう」
「え?」
「もう、いいから」
「ジュリ」
「来ないでくれるならそれでいい。今さらだけどね」
先日のルビンさんとマリ石鹸店のこと、そして今回のこれ。立て続けのこの状況は堪える。
あからさまな敵意と悪意は心を蝕む。
どんなときでも、グレイが全てを守ってくれると思ってたのがいけない。これは、私の責任だ。
貴族とか地位とか、他国の価値観とか。色んなことを甘く見ていた。
「ありがとね、ロディム。さっきはちょっとスカッとしたから」
「……私は、伯爵にも頭にきています。正式な手続きで王家とあの女の実家に抗議すればあちらは国として何らかの対応をせざるを得ない、なのに何故か大した抗議もせず。何か思惑があるにしてもそれすらこちらに情報を回してこない、我々は被害者ですよ、知る権利くらいは―――」
「ロディム、いいよ、もう」
「でもジュリさん、はっきりさせないと。伯爵はわざと『王族だから仕方ない』って好きにさせて、そしてジュリさんに迷惑をかけて、それについて伯爵が謝ってる。おかしいんですよ。これは侯爵家にも責任が―――」
「話、大きくしないでね?」
「え?」
「ごめんね、気持ちだけありがたく貰うから。……グレイと侯爵家には何か考えがあるだろうから」
笑えているかな?
私。
今、ちゃんと笑えてる?
グレイも侯爵家も、『貴族』というものから出ることはできない。彼と結婚した私も、今では逃げられない。
でも。
元々一人で自立して生きていく覚悟をしていた、それが今鮮明に思い出される。
ここは守る。私の手で守る。
この先苦悩しても、苦労しても。
《ハンドメイド・ジュリ》は、私そのもの。
だから。
守る。
この手で、何を失っても、傷つけても。
ここだけは。
色々と、ご意見あるかと思いますがご理解ください……。




