36 * 事の起こり
新章です。
朝早くクノーマス侯爵家から使いが来た。
グレイはその使いから渡された手紙に目を通して間もなく、非常に不愉快そうに顔を歪めた。その歪め方は今まで見た中でもトップクラスの、嫌悪が確実に含まれる怒りがむき出しのものだった。
(グレイ絡みのことか、それとも私のことか……)
「ジュリ」
「うん?」
さて、どっちのことかな、なんて落ち着いて考えていたら名前を呼ばれた。
「今日、本家に行ってくる」
「何かあったの?」
「そうだな、その事で話し合いをしてくる」
「私のこと?」
「いや、私だな」
「てことは……私は首を突っ込―――」
「絶対に駄目だ」
まないほうがいいよね? と続ける言葉を強い口調で遮られてポカンとしてしまう。グレイはその反応にバツの悪そうな笑顔を向けてきた。
(いや、その反応、どう考えても私も絡んでるでしょう)
「後で説明する。今ここで説明のしようがないから」
こういう時のグレイは絶対に私が絡んでる時。
ありがたいようで、少し鬱陶しい。
私を守ろうとする時、この人は私に見えないよう、聞こえないよう、そして知られないよう処理しようとする。何度も何度もその事で私はこの男に注意してきた。
『私の事を勝手に私の意思を無視して処理するな、解決しようとするな』と。
この男の場合、必ず『殺生』が絡んでくるから。
私のために人の命を奪うことを厭わない。それで解決できるのが一番手っ取り早く後腐れ無いと本気で思っている。
何度も伝えてきた。
死刑執行がニュースで報じられる程刑罰としての死がとても稀な国で育ったこと。
戦争で奪われる命がある度にその悲惨さと非生産的現状も幾度となく間違った事だと学校で教わり、報道で知る環境で生きてきたこと。
そして戦争をしない国の国民として、危うく際どいながらもその法と過去の過ちを背負って平和を望むという矜持に守られ生きてきた一人ということ。
つまり、償いや復讐の形で『命を奪う』ことが極めて珍しく、抵抗があり、そして間違った倫理であると教育だけでなく自然と刷り込まれて生まれ育ったからこの世界の在り方を全て受け入れることは不可能だということ。
ハルトたちのように【彼方からの使い】がこの世界にやって来る時に神様から与えられる力に見合った『価値観と感覚』が私には与えられなかったこと。
何度も、伝えている。
それは二人の時だけでなく、誰かがいる時にも。
それをわかっているからか。
グレイは隠す。
笑顔で、何でもないと平然と。
私では決してその事実に到達できないよう徹底的に全ての証拠を消し去り、その事実すら無かったことにするかのように。
これだけ共に生きていればどんなに隠してもわずかに見えることがある。
それでも、『気にするな』『知らなくていい』『忘れてくれ』と笑顔で私を遠ざける。
それがグレイの愛の形であること、私のためだと心から迷いなく思っていること、十分に理解している。
それでも言って欲しい。
私のことならば。
知らないというとこは、怖いことだから。
その日グレイはお店に戻って来なかった。
夜も戻らず、日付が変わるまで寝ないで待ったけれど戻らなかった。
諦めて眠って、いつもの時間より少し早く、眠りが浅くて意識が浮上しかけていた時に寝室の扉が開く音がした。まっすぐベッドに向かってくる迷いのない足音は静かで、私の眠りに配慮しているのが分かる。そしてキシっとかすかな音を立てて軋んだベッド。私の横たわるすぐ横に腰掛けたグレイは薄っすらと目を開けた私の頬を撫でる。
「起きていたのか?」
「……今、起きた感じ」
「すまない、起こしてしまったか」
「大丈夫。……おかえり」
「ただいま」
ふわっと綻ぶ笑顔を浮かべ、グレイは私の隣に横たわる。
「丸一日掛かりって、相当な厄介事?」
「ジュリが心配する必要はない、気にしなくていい」
「本当に?」
「ああ」
「私のことじゃないのね?」
「何も問題ない、大丈夫」
グレイが嘘をついている。
それでもその笑顔は全く崩れない。
問題解決に自信があるのか、それとももう解決してきたのか。
「そう……」
この時。
私の中に生まれたもの。
諦めと、不信。
元々私とグレイの間にあった相容れない部分。
それの輪郭がはっきりした感覚に陥った。
私のことなのに。
蚊帳の外。
知らない所で私の何かが独り歩きをしている。
それを幸せだと言う人もいる。
でも私は怖い。
だから教えてと言っている。少しでいいからと、いつも言っている。あんまり切実に真剣に語れば瞳を揺らし不安そうするから強くは言えず、笑って『しょうがないなぁ』なんて言葉で誤魔化しながらだけれど。
今、生まれた諦め。
それがいつもの説教地味た私の訴えを留めさせた。
諦めと共に生まれた不信。
それが『しょうがないなぁ』という言葉を、確実に消し去った。
私がそれ以降何も問い詰めず目を閉じたことでグレイが安堵の息を静かに吐き出したのを耳が聞き取った。
奇妙なほど、今日は耳に残った。
問い詰めなければ話してくれない。
私のことなのに。
なんでいつも……。
諦めと不信を取り込んでモヤッとした重くて鈍くて鬱陶しいものが心の隅で形になっていく。
そして私達の間に起こった、互いに目を背けた僅かな時間が、私達の関係を揺るがす問題を引き起こす。
(ああ、なるほど、このことかぁ)
自分でもびっくりするほど納得し冷静に心の中で呟くことになった。
クノーマス侯爵家にとある人がやってきた。
それは前触れもなく、本当に突然、クノーマス家は勿論私達の事情など無視で勝手に『賓客』としてやってきた。
そんなこと許されるわけねぇだろ! と叫びたいところだけどこれが許されない相手だった。
カッセル国外商大臣の娘であり、数年前カッセル王家に養子に迎えられた女性とその一行。
南方小国群帯で一番に国家樹立を果たし、南方で発言権の強い国。その国の政治経済を支えるのが王家に次ぐ権限を持つ十三の部門の大臣たち。うち外商部門は外国との物流や取引、それにともなう関税関連を担う重要なポジションだ。
その大臣の妻は前カッセル国王の異母妹の一人で嫁ぐ前は第十一王女の地位にいたらしい。王女といってもそもそも一夫多妻で後宮は女でひしめくような国。男児、つまり王位継承が許される兄弟が二十人もいる上に王女でも十一番目と言う事で、最早父親である国王とも殆ど接点がなかったような人物だった、と。そのため早くに力ある国内の家に嫁がされた。その相手が外商大臣。
この大臣は数多いる王女は勿論順位の低い王子たちよりも大事にされている。まあ、シビアな話、国を支える大臣とこの先どうなるか分からない国にとって役に立つのかさえ分からない王子王女どっちが王家にとって有益かってことになるのよ。事実カッセル国は順位の低い王子王女は若いうちに嫁がせたり養子にさせて外貨獲得のための手段の一つにされているというのがこの世界の声を大にして言えない現実。世知辛いというか何と言うか、少なからずの同情をしてしまうカッセル国の内情。
そんな国で大臣の娘が王家の養子に迎えられ『王女』と呼ばれるようになった。
その経緯もまたカッセル国らしい理由だな、と妙な納得をしている自分がいる。
前王の異母妹を母に持つ。一応は王家の血を引く。それがたとえ酷く曖昧で弱い地位だったとしても、カッセル国王家の血は引き継いでいる。
そしてその容姿。とてもキレイな人で健康的な肌色でエキゾチックな雰囲気のある蠱惑的なその見た目と父親が大臣であるという国にとって信頼置ける人物であることが、彼女の立場を作り上げた。
現王が大臣に彼女を養子に迎えたいと打診、両家が合意し王家の養子として迎えられた彼女は『王女』を名乗ることを許され、王家の一員と認められた。
綺麗な表現ならばそうだけど、『使い途がある』と判断されたから王女になった、いや、させられたと言っても良いかもしれないけれど。
彼女は間違いなくカッセル国の王女。
たとえ継承権が一切認められない、単に国の為に他所に売り飛ばすように嫁がされる可能性があるとしても。
「ああっ会いたかったわ! 久しぶりだわ!」
呼ばれた私達が侯爵家の貴賓室に入った瞬間、その人は座っていた椅子から立ち上がり大きな声でグレイにそう声をかけた。
「お久しぶりです」
えっ?! と声を出さなかった私を誰か褒めて欲しい。
グレイさんよ……なんだその素っ気ない、というか完全に礼儀も何もない態度は。
いやいやいやそれはないでしょ、とチラと見上げれば。
無。
完全なる無。
表情というものをどこかにぶん投げたらしい。
その事にも驚いたけれど、もっと驚いたのが。その王女。グレイのその態度と無の表情などお構いなしにニコニコと笑顔でまっすぐ私達に歩み寄ってきた。
慌てて私がカーテシーをする。するとグレイがグイッと私の腕を引き上げた。
「ふおっ?!」
その勢いに驚いて素っ頓狂な声を上げると目の前で王女がピタリと立ち止まって。
「ジュリ、必要ない」
「へっ?」
「以前カッセルで顔合わせした際カッセル王家から堅苦しい挨拶は必要ないと言われている。だから妻であるジュリも謙る必要はない。それにお前は【彼方からの使い】だ」
……えーっと。
そうなの?
どう見ても王女はそう思ってなさそうだけど。
「紹介します。妻であり【彼方からの使い】のジュリ・クノーマスです」
あれ、こういう時って王族から話しかけるのを待たなきゃならないのでは? ん? それともグレイが言う通り堅苦しいあいさつ等無しでいいと言われたからマナー違反ではない?
若干パニックになる私がグレイに腕を掴まれたまま不格好な姿勢で突っ立っていると。
「そう、その人が」
口元笑ってるけど、目が笑ってない。
あー。
あー、あー、あー。
王女、グレイ狙いですかぁ?
グレイと王女の温度差に非常に居た堪れない空気になったのを何とか収めてくれたのがシルフィ様。侯爵様は何を考えているのか分からない表情で無言。その隣に立つエイジェリン様は笑顔ではあるけれど、目が笑っていない。そしてルリアナ様とウェルガルト君はいない。
(なるほど、シルフィ様がこの場を仕切るのか。女性客は女主人がもてなすっていうのを全面に押し出すのかな)
後でこっそり執事長さんから教えられた事で私のその考えが正解だったと知ることになるけれど。
「皆揃いましたのでささやかではございますがお茶の席をご用意致しました」
シルフィ様のこの宣言につい心の中でツッコミ入れた。
この空気のままお茶会突入は厳しすぎます、必須アイテムが胃薬もしくはリンファのポーション案件です、と。
その後約一時間続いたお茶会は、結論から言うと酷いものだった。
まず私。
完全無視されたわ。目が合わないどころか顔すら背けられ、扱いは空気。
そしてシルフィ様。
侍女さんたちが用意するお茶やお菓子の説明含めてその場が冷めた雰囲気にならないように気を遣い色んな話題を出しつつ丁重なおもてなしをするのに対して王女は素っ気ない返事をするだけ。しかもカトラリーが気に入らないセンスを疑うと鼻で笑い取り替えさせたり、なぜカッセル国のお茶を出さないのかと言ってみたり。たとえ大国の王族だとしても、侯爵夫人にこんな態度を取るなんて有り得ない、そんな無礼の連発。
ついでに言えば私達が到着した時から姿が見えなかったルリアナ様とウェルガルト君だけど、この王女が不愉快だからと下がらせた事が会話から発覚したのよね。王女に挨拶するために並ぶ中、ウェルガルト君がぐずってしまったらしい。するとその瞬間王女は子供の鳴き声は煩わしい、泣くかもしれないと分かっていてどうして連れてきたのか、ということを言ったと。それをお茶の席で王族に対するマナーがなっていない的な言葉と共にツラツラと語ったのよ。
声を大にして言いたい。
面倒くさいのが襲来した!!
「サリエ・カージュ」
ロディムが教えてくれた。
「今はサリエ・カージュ・カッセロンですね」
「カッセロン? カッセリスじゃないんだ?」
「カッセリスは王と王族直系の王位継承権を持つ王太子含めた男子か生んだ母親しか名乗れないんです。王女達は皆カッセロンとなりますね。特に王女の一人として名を連ねることになったサリエ嬢は名乗る時必ず実家のカージュ姓を入れなければなりません。直系ではないこと、継承権がないこと、そして養子であることを周知させる義務みたいなものです」
「義務なんだ」
「ええ、それを守らないと地位を簡単に剥奪されるんですよ。位の低い王子王女も同じです、やたらと子孫が多いですからそうやって篩に掛けるのがカッセルです」
「でもあの王女は父親の地位も高いし気に入られて王女になれたんだよね?」
「顔だけじゃないですか? 役に立たなければ例外なく切り捨てられます」
バッサリ切り捨てたな、とちょっと苦笑する。
「伯爵とエイジェリン様目当てですよね?」
「だね、私なんてあからさまに無視されたもん」
「だから伯爵は今日は本家に?」
「うん、捕まったというか、何と言うか……」
ロディムは微かに項垂れ溜め息をついた。
そして。
「夜遅くなるかもしれないが帰るよ」
そう言っていたグレイ。
結局、帰って来なかった。
この日以降、カッセルの王女サリエ・カージュ・カッセロンが帰るその日まで、彼は愛着ある私達の屋敷に帰って来て寝る事がほとんどなくなるなんて、このときの私は知る由もなかった。
えー、ネタバレといいますか、何といいますか。
一応この先の展開を忌避される方もいると思いあえて申し上げます、暫く鬱エピソードです。ベタな展開とざまぁがセットにはなっています。
ですが、執筆してる人間がこういう事を言ってはならないのかもしれませんが、読むのが辛いと感じる人も出てくるだろう展開もあり、この辺りから大丈夫かな? というお話に戻る時は前書きに記載しますので、それまではご理解頂きながら、流し読みでも構いませんので読んでくださると有り難いです。
ジュリの苦悩、葛藤、そして欠点、失敗、後悔、そして罪、大なり小なりごちゃまぜになった状態が続きますので応援よろしくお願い致します。




