35 * とある金物職人、語る
文字数多めで後半グレイセルが補足として語ります。
領内の雰囲気が暗くなり始めたな、と気付いたのは十年前だ。
領主の息子が女絡みの問題を起こして後始末に筆頭家のベリアス公爵家に助けを求めたっていう噂話が流れてきてから間もなくだったからよく覚えている。商売人は例外なく領に納める税率が上げられた。市場の大通りから一本奥に入った狭い路地で小さな工房をやっていた俺も当然それに当てはまった。それでも何とかやっていけるくらいには稼いでいたし、見習いを二人抱えて回さなきゃならねぇくらいには仕事があった。
そんな中で。
何を血迷ったのか領主がいくつかの宿屋を娼館に変えた。いつの間にか宿屋の店主を挿げ替えられていて、見知らぬ愛想のない奴らが市場で顔を利かせ始めた。物を作っていた知り合いや仲間は工房や店を閉めれば大金をやると言われ、事実かなりの金を貰って店を閉めた後は次々増えていく娼館やそれに関係する店に雇われていった。
羽振りの良くなった仲間たちからお前ももう職人なんて辞めちまえよと笑って言われる日々が続いて、それでも俺はうるせぇと笑って返せる位の余裕はあった。苦楽を共にした仕事仲間じゃなくなったが、それでも時々飲んだりする仲間として変わらない付き合いをしていたある日。その一人が娼館の掟を破って娼婦に手を出したからという理由で、館主と守衛に斬首されたという衝撃的な話が飛び込んで来た。
「こんにちは」
「……ああ、いらっしゃい」
「沢山の金具ありますね、見てもいいですか?」
「好きにしてくれ」
「じゃあ遠慮なく」
冗談だろ、と顔を引きつらせながらも何とか冷静さを保って仲間とその娼館に駆け付けた。
娼館周りは騒がしいのに、館主や守衛たちは気味悪い程に淡々とした顔をしていた。そして目に飛び込んできたのは、守衛が今まさに牽くために体重を掛けて僅かに傾いた荷駄だ。
もう捨てるだけのボロボロで薄汚れた馬車の幌と思われるデカくて厚ぼったい布で包まれた『何か』は赤黒い染みをいくつも作り、荷駄すらところどころがその赤黒い色で擦れた後がベッタリとあった。
そして娼館の中から女の絶叫。『ごめんなさい』『助けて』と、喧騒の中でも響くその声は俺や仲間の耳に入ってきた。
荷駄は迷いもなく何処かへ牽かれていって、その後どうなったかわからない。しばらくして戻ってきた守衛たちは何事もなかったように娼館の警備で周囲を彷徨いていた。
斬首されたと言われた知人の姿は、その時から見ていない。
あのピクリとも動かない幌の中に、いたんだろう。
あの赤黒い染みは、血だったんだろう。
だろう、と思うしか、なかった。互いに断言するのが怖かった、できなかった。臆病な平民の俺達には現実逃避をするくらいしか、できなかった。
「あのー、聞いてもいいですか?」
「なんだ?」
「この蝶番より、小さなのを作れますか?」
「……作れるが、作れない」
「作れるが、作れない。……え、どっちですか?」
その日から市場は奇妙な緊張感に包まれた。
領主には娼館のやり方があまりにも惨すぎると俺だけじゃなくたくさんの奴らが区長を通して訴えたが、改善するという話はおろか返事すらないままで、嘆願書まで出したのに領主からは何も返ってはこなかった。
娼館関連の館主、商長と元からいる俺達の間に一気に埋めがたい溝が出来て、互いに挨拶をすることすらなくなって。
異様な雰囲気の中で元の仲間たちが職人に戻ろうと悩み始めていた。けれど、そう簡単な話ではなくなった。また税率が上がって、俺も少しキツくなるかもしれねぇな、と眉間にシワが寄るほどだったし、何より元職人達は金と引き換えに工房すら売り払っていたからそれをまた一から準備することと、上がった税率でも何とかやっていけるだけの売上を最初から出さなきゃならない厳しい現実にぶち当たり、誰一人職人に戻れる奴はいなかった。
最悪なのは一気に娼館が増えたことで話題になって、それ目当ての客が集まる場所になっちまったことだろう。そのせいで、物を作っても売れない、そういう場所になり始めていた。
「作れる技術も自信もある。が……物が入ってこねぇんだ、ある頃からこの辺は他所の商家や工房から敬遠されるようになってな」
「……これと同じ金属では駄目なんですか?」
「駄目ってことはねぇ。ただな、小さくなったからって、強度を落としていいってわけじゃねぇんだ」
「……へえ、理由を聞いてもいいですか?」
「……蝶番ってのは、扉や蓋の開け閉めに使われるだろ? 必ず擦れ合うし扉や蓋の重さ自体が負荷になる」
「そうですね」
「だから硬くて丈夫じゃなきゃいけねぇ。そして小さくなればなるほど、扉や蓋に重なる板は薄くなる」
「そうですね」
「あんたが手にしてる蝶番、中に針金が入ってるだろ? それも同じく細くする必要がある。小さくなればなるほど、使う金属は硬くて耐久性の高いものを使うべきだ。柔らかい金属なんて使ってみろ、直ぐに歪んで使い物にならねぇ」
「そうですね」
「……なんだ?」
「はい?」
「あんた、さっきから、分かってて俺に質問してるのか?」
「ええ、そうですね。この手の物を使う仕事をしてるので多少の知識はあるつもりです」
「ひやかしか?」
「あ、そう見えましたか? それでしたらすみません」
一度話題になれば、俺達庶民にゃ止める術なんてあるわけがない。
下品な男達が昼夜問わず娼婦と腕を組んで歩くようになったせいで、住民は次々と市場を捨てて近くの村や別の地区に移り住んでいった。元の住人が減った分、訳アリの女たちが集まって住むようになって、朝から晩まで大声で笑い合う声や争う声が至るところで聞こえるようになった。
それでも我慢して俺は続けた。
けど、女房が子供を連れて出ていった。こんなところもう嫌だ、こんなところで子供を育てたくない、売上も落ちてきていていつ貧民区に移るか分からない生活はもう無理だと出ていった。
弟子二人も、もっと環境の良いところで腕を振るい磨きたいからと辞めていった。
住み慣れた土地が変化して二年。
俺は二年で工房しか持たない、孤独な男になっていた。
売上は下がる一方で、作ったって売れない。しかも、それでも税率は変わらない。自分一人飯を食うので精一杯、正直女房と子供が出ていってくれてホッとした。引き留めていたらきっと貧民地区に移り住んでいたはずだ。寂しくないと言ったら嘘になるがそんな思いをさせるくらいなら捨ててもらって良かったと心底思う。
「チッ……先週といい、変な客が来やがる」
「変な客が、ですか」
「明らかに金持ちのガキさ。一般人に化けたつもりだろうが、どう見たって上物の布だった。履物なんて傷一つなかったな」
「まあ、所謂お忍びってやつですね」
「あれのどこがお忍びだ」
「ん?」
「同じ年頃の友だちだかなんだか知らねえが二人して『全部買って帰ろうか』とか『追加の馬車を手配しようか』とか丸聞こえでな」
「……」
「挙げ句の果てには間違って大金貨の袋持ってきたって騒いでたな。大金貨持ち歩くガキなんざお貴族様だけだろ」
「……アホですね」
「アホではねぇ、ただ、抜けてるってやつだな」
「確かに!」
「まあ、悪い気はしなかった」
「え、なんで?!」
「あんたが持ってる蝶番も、他の部品も、何から何まで見たうえで丁寧な仕事をしてるって言ってくれてな」
「……そうですか」
一人になって、八年。
四十後半に差し掛かって、本当ならもっと、もっと、工房で金属叩いたり削ってたはずだ。
今じゃ、静かな時間が殆どだ。
売り物が錆びつないよう、磨く日々。
いらっしゃい、の言葉もそのうち忘れてしまうんじゃねえかと不安になるくらい、言う回数が減った。
「ちなみに」
「ん?」
「お察しの通りどちらも貴族です」
「……なに?」
「たまには視野を広げるために色んなところを見てこいと言っているんですよ。丁寧な仕事をしてるって言ったのは、黒髪ですか?」
「あ、ああ……って、あんた知り合いか」
「ですね。そして一緒にいたのは金髪」
「たしか、うん、そうだ」
「金髪はいずれ芸術家として大成する予定なんですがね、如何せん落ち着きなくて初めて行くところだと緊張してぶつかりまくり転びまくりで。こちらで何か壊したりしてません?」
「いや、壊されてはねぇが、確かになんでオメェそんなところですっ転ぶんだってところですっ転んでたな」
「やっぱり。ちなみに大金貨持ってきたとか言ってたのは黒髪だと思うんですが、そっちはこういった物の目利きは確かです、私が保証します。なので素晴しい物を作っているのだと自信を持って下さい」
「あんた、何なんだ? あんたも、そっち側の人間だろうなとは気付いてたが……」
「気付いてたんですか?」
「その重ね付けしてる指輪、上の指輪はダイヤモンドでそれだけでも金持ちって分かるが、下のシンプルなのはヒヒイロカネだろ。そんなの指輪にするなんて富豪くらいだ」
「富豪ではないです、旦那が頭おかしいだけです」
「頭がおかしかろうが金がなきゃ出来ねぇだろ」
「ですよね……」
その時だった。扉が開く。
「ジュリ、工房主と話は終わったのか」
「全然」
「……」
「ロディムとユージンがお忍びになってなかったって話を聞いてた。大金貨持って来ちゃったってこの人の前で喋ってたらしい。てゆーかね、随分二人でキャッキャしてたみたいよ、やっぱりロディムの執事さん、バルアさんも同行させないとあの二人じゃ無理だわ」
こちらは明らかに身なりが良かった。
「あ、旦那です。グレイセル・クノーマス、ククマット伯爵領領主です。知ってます? まだ新しい領で元はクノーマス侯爵領の一部だった、ベイフェルアで久しぶりに叙爵を許された男が領主になった所です」
「は?」
「そして今更ですが。私こういうものです」
差し出されたのは掌に乗る小さな紙だった。
こんなに上質で滑らかな紙は初めて触る。
その滑らかさを活かした上に乗る細やかな字は全てはっきりと鮮明で読み取れた。
「改めまして、私ククマット伯爵領で 《ハンドメイド・ジュリ》を経営しているジュリ・クノーマス」
「!!」
後にその紙は名刺というものだと教わることになる。
「金物職人、ウォーグさん。ククマットに来ない? 貴方の技術、埋もれさせるのはあまりにも惜しい」
―――クノーマス伯爵家:グレイセルの書斎にて―――
「お前達のお忍びは聞いていてこっちが恥ずかしくなるからもう止めること」
「「……はい」」
悄気げる二人とは対象的にジュリは腹を抱えて笑っている。
「二人共その目は確かだから良いものを見つけてくれるのはありがたい、今後も外で気になるものがあれば遠慮なく買ってきてくれて構わない」
途端ぱあっと笑顔になるが。
「ただし、必ずバルアか常識が身に付いている者を同行させること。お前達二人ではどう足掻いても浮くだけだ」
また二人が悄気げる。そしてジュリは引き笑いで呼吸困難。
「ククマットに来てくれると思う?」
一頻り笑い倒したジュリは落ち着い様子で向かい側に座るロディムとユージンに問いかけた。
「来ます、絶対に」
迷いなくロディムが答える。
「なんで?」
「あの領はもう駄目です、ベリアス家の策略に嵌ってから衰退の一途を辿っていますから」
「……地区一つが丸ごと娼館みたいになっちゃってたもんね、あれは流石に衝撃的だった」
「真っ当に生きてる人間があれほど住みにくい場所はそうありませんよ、ベイフェルアでもあそこは特に酷い。貧民地区でも娼婦や娼館関係者が平然と闊歩して住まうもの達が下を向いて息を殺して生活しているんです、余所者があの辺りを支配してしまっていて、下手に抵抗でもすれば身ぐるみ剥がされ地区を追い出される。似たような場所がここ数年であの領内で増えています。あと数年もすればベリアス家の息のかかった者たちが領ごと支配するでしょう、そうなったらまた税率を上げたり荒稼ぎのため無謀なことをするはずですから」
「……賢い人なら、逃げる、ってことね」
ジュリは静かに呟いた。しかしすぐに大げさに肩を竦めた。
「ま、そのへんは私達は関係ないから。こっちはこっちで困っている有能な職人さんたちをスカウト出来ればいいもんね」
金物職人ウォーグ。
数ヶ月の後、ひっそりと工房を閉め、親しい者たちにのみ新天地でやり直すと告げ住み慣れた生まれ故郷を出る。
慢性的な人手不足に陥りつつあったクノーマス侯爵領。兼ねてからその事で相談を受けており時折こうして人伝いや実際に探して見つけた人材を領で迎え入れている。ウォーグも金物職人の一人としてそう迎えるつもりで勧誘するはずだったが、ジュリはその場でウォーグにククマットに来ないかと声を掛けた。
ジュリは不安を抱えながらも真っ直ぐ顔を上げてククマットにやってきたウォーグをライアスの補佐として直ぐ様採用する。
そして更に後、ネルビア首長国に存在する、限られた職人のみが与えられる名誉称号『工匠』を参考に考案されるクノーマス・ククマット領独自の称号『創匠』を授与されることになる。この創匠は二領合わせて一時代に僅か五名、ものつくりで異常とも言える速さで成長する二領には無くてはならない存在となっていく。
その卓越した技術故に、厳しく強い誓約が交わされ制限のある生活を余儀なくされることになる創匠達だが、不思議とそんな生活に不満を伺わせる者は現れる事がなく、寧ろ己の技術を極めることを許された環境に満たされた日々を送ることとなる。
そしてこのウォーグ、『称号無しの神の手』と呼ばれる事になるライアスの補佐としての立場から頑として動かず、ライアスの没後も『自分は補佐だ』と言い張り続け、『補佐する人間死んでるわ!』と数多の者からツッコまれても一切気にせず裏方に徹した生涯を送ることになるのだが……。
『測量器』と『望遠鏡』。
未だ規格の統一はおろか古い時代の各地に残る独自の設計図が使い回されている事実。
しかし、この時より数年後。
ククマット領で公開されることになるその二つ。
正確な距離と形を把握する、【スキル:遠視】という希少な能力を遥かに上回る、そんな二つの道具が公開される。
耐久性の優れた硬質な金属を精密かつ精巧、そして複雑な形状にするだけでなく、それらを寸分違わず設計図通りに作れる技術はライアス無くして完成は不可能で、ジュリの齎す【技術と知識】の中でもシュイジン・ガラスに次ぐ画期的な物として大陸を席巻することになる。
そしてその裏で、ただただひたむきに、物作りに没入し、己の技術を目の前の物に落とし込む無名の創匠が無数の部品の制作を一手に引き受けるライアスの補佐として活躍するのだが、その事実は本人が望んだ通り歴史に埋もれ決して表に出ることはないだろう。
ちなみに、自主ブラック体質トップテンに常に名を連ねる事でククマット内では有名になるのだが、私はその点で人のことを笑ったり出来ないので多くを語るのは止めておく。




