34 * 次期公爵は少年のように夢を見る
『黄昏』が扱えた。
私とキリアと同じように。
間違いなくロディム・アストハルアにはものつくりの恩恵が与えられていた。
今までそのことに気づかなかったのでは無く後天的なものであることは、一緒に作業した時のあの子の反応を見れば間違いないことだった。自分が『黄昏』を扱えることに困惑した目をしていたから。
「ロディムは恩恵を授かってるよ」
ロディムにもう少し黙っていよう、そう頭を過ったのも事実、でも真摯に取り組み心からものつくりを楽しむロディムを知っているからか、黙っている方がちょっと辛いなという気持ちと知ったらどんな反応をしてくれるだろうという期待が拭えなくてグレイと話し合って伝えることにしたの。
そして。
頭が真っ白になった。
そんな顔をしていた。
私とグレイはそんなロディムを苦笑して見つめるしか出来なかった。
ロディムは、悩んでいる。
ここに、ククマットに来てからずっと。
それは傍にいる人間なら皆知っている。 《ハンドメイド・ジュリ》で働く人たちなら皆。
これについて口出しすることはない。公爵様とロディムが次期公爵の教育の一環として公爵家のために話し合い決めたことだからね。
そもそも、ここにロディムが来た理由は 《ハンドメイド・ジュリ》で取り入れているシステムや、私の活動から派生したネイリスト専門学院、領民講座、簡易休憩施設、託児所など、ククマットにある全ての『新しい事業』を学ぶためにいる。
次期公爵として、今目覚ましい発展を続けるクノーマス侯爵領とこのククマット領で『新しい帝王学』を学んでいる。
でも、ロディムが一番目を輝かせるのは、これら『新しい帝王学』からすこしはずれているもの。
それが、《ハンドメイド・ジュリ》の作品作り。
もちろん、《ハンドメイド・ジュリ》でうちの従業員として雇っているからそれは当然やってもらうことだし、ロディムは公爵様の魔物素材や魔法付与の研究についても幼い頃から携わることを許されてきた。『物を扱う』ことに抵抗が全くないことは私も教えるに当たってとても楽だった。
でも、『アストハルア公爵』になるなら今一番興味を持っていることは、一番後回しにすべきこと。
公爵領の発展のために、一番必要なことは『経営』を学ぶこと。アクセサリーを完璧に作ることではない。
「ふー……何度聞いても、『株主制度』は画期的ですね」
ロディムが今回、正式に株主の一人になって、その契約書にサインをするためグレイから事細かに説明を受け、そしてサイン後にそう感心した声で言ったので私は笑ってしまった。
「あんた今までの給金全額株にするとかさすがに私もビックリしたからね?」
そう、金持ちの息子のやることは豪快だ。どうせ生活費は実家が出すからと基本給を全部つぎ込むっていうんだもん。グレイも笑い、サインされた契約書を丁寧に箱にしまって、その箱を叩く。
「株購入ありがとうございます」
わざとらしい笑顔で言ったグレイにロディムも笑顔を返した。
今は三人だけ。
グレイと私の屋敷の応接間。使用人さんはとっくに家に帰って、ロディムの専属執事バルアさんは扉の向こうで控えている。いてもらっても良かったんだけど大事な話があったから、グレイが株主の契約は本人のみの立ち会いにさせてほしいと上手くバルアさんを離席させてくれている。
「ねえ、ロディム」
「はい?」
「少し、この前の話しようか」
「え?」
「恩恵の話」
「あ、はい……」
ロディムの顔がたちまちこわばった。
顔がこわばる理由はロディムに恩恵があると教えた前日届いた公爵様の手紙にある。
侯爵様との協議で、シイちゃんことシャーメイン侯爵令嬢との結婚はあくまでロディムがここで『本人が納得いくまで学んでから』という話で纏まった、という内容だった。シイちゃんは学園卒業後、公爵夫人として学ぶためロディムや家族と離れ単身公爵家預かりの身となって現在花嫁修業に勤しんでいる。
そんな中届いた手紙。
この内容、グレイから先に聞かされてたのよ。
しかも結構前に。
侯爵様がロディムの吸収の速さや聡さから期間を決めずに数年間とことん勉強させた方がもっと色んな事を身につけるんじゃないかって公爵様に伝えたらしいって。
それには私もおおいに賛成したのよ。
だって期間限定で全部をしっかり学べるほど簡単な内容じゃないよの、全部。半端に学ぶくらいならいっそのことどこかの経営に直接関わらせてもいいんじゃないかって私から提案したくらいだし。
でもねぇ、その話を蹴ったのよ。
ロディム本人が。
だからグレイやローツさんの下につく形、つまりは側近や補佐の立場でずっと動いている。
あれ、今考えれば、《ハンドメイド・ジュリ》から離れる経営は避けたかったんじゃないかと。《ハンドメイド・ジュリ》の経営は事実上グレイが握っている。私の知識を最も理解、使いこなせる人物だから、私が丸投げしてる。グレイも 《ハンドメイド・ジュリ》から動くことは有り得ない。
だとすると、ロディムは自分が確実に他のところに行くことになることは分かっていたはず。だって私もロディムを教育に直結する領民講座の学長代理か補佐にするつもりだったから。
それを、回避したんじゃないかな? ってね。
今、ロディムは各所をローテーションを組んで回って手伝いや勉強をしていて、そしてそれ以外の時間は『全て』 《ハンドメイド・ジュリ》で過ごしている。
普通に店に立って接客もするからね!!
お忍びでくる貴族様たちの可哀想なこと。ロディムに気づいて、ガチガチになって買い物するんだから (笑)。
《ハンドメイド・ジュリ》のこと、好きなんだよね。ありがたいことに。
作品作りだけじゃなく、その作品を売るための全ての状況を、ロディムは楽しんで学んでいて。
でもそれも長くは続かない、続けられない。
必ず終わりの日が来る。
そして今回の両家の当主の決定は、とてもロディムを悩ませているはず。
だって、ロディム次第だから。いつ、『次期当主』として公爵家に戻るか、いつシイちゃんと結婚するのか、全部ロディムの判断に委ねられることになったから。たぶん、そういった判断を下すのも、公爵様は経験しろってことなんだろうけど。
恩恵があると私から直接言われたことで、気持ちはぐっと傾いてしまったんだから。
傾いて、それが叶わないって、同時に悟ったんだから。
だから頭が真っ白になった、そんな顔をした。
希望と絶望が、ロディムを同時に襲ったから。
「どうする?」
「え?」
「ロディムは、どうしたいの? 恩恵について率直に今後どうしていきたいのか、どういう選択肢があると考えてるのか教えてくれると嬉しい」
「……私は、私が選択する権利はないと思っているので、その問いはとても辛いです、ね」
あまり人には見せない年相応の困惑したぎこちない笑顔が印象的に見える。
「そうだよね、分かってた。でも聞かないといけなかったことは理解してね」
「はい、分かってます。ジュリさんが私の事を考えてくれていることは十分理解しています」
「じゃあ、本題」
「本題、ですか?」
「ロディムは、私の持ち込んだ経営とか教育とかを徹底して学ぶ気持ちは揺るがない? 次期公爵として、繁栄のために、自分がいつか治めることになる領地に私の知識を持ち込む事を学びたい気持ちは変わらない?」
「変わりません、それは絶対に」
急にぎこちない笑みが消え、ゆるぎない真っ直ぐな返事と視線が返ってきた。うーん、インテリイケメン、いい顔だわ。
「それなら、一つ」
私は、自分の前に置いていた、テーブルの上で伏せていた数枚の紙をひっくり返しロディムにそれを差し出した。
「提案。引き受けるかどうか、それは一人で決めてもいいし、シイちゃんと決めてもいい。当然公爵様との話し合いもしてもらう。……そのうえでちゃんと自分と向き合って熟慮して、気持ちを決めてごらん、ロディムが決めたことなら、私は賛成して応援する」
「……え?」
今一度ロディムに向けて紙を押し出す。その紙をゆっくりとした動きで手にしてから、一枚目、一番上に大きく書かれた文字を見た瞬間ロディムは素早く目を走らせて、大きく一度息を吐き出すと口許を手で覆った。
「ロディム、あくまで私はジュリの味方だ」
徐に、グレイが語りかける。
「ジュリは以前から計画を立てていたが、その候補地の選定に難航していた。私は無理に推し進めることはないと思っていたし出来ることならば自分の手の届く範囲でと考えていた。ただ、ロディム。お前にジュリの恩恵が強く出て、ジュリがお前に期待を寄せることになって、その恩恵を無駄にせず使ってほしいと望んでいる……。それらを踏まえ、ジュリが自らそれを渡した意味は、わかってくれるな?」
ロディムの目が潤んで、黙って頷いて。少し、手が震えている。
「 《ハンドメイド・ジュリ二号店》のアストハルア公爵領への出店希望計画書。それをお前に渡すことを私は副商長として了承した。私もロディム・アストハルアに期待している証として、受け取ってくれ」
グレイのはっきりと、強い口調の言葉に、ロディムは無言で口元を手で押さえたままだったけれど頷いていた。その頷きは気迫のこもったとても力強いものだった。
「ねえロディム、ここからが正念場。長い長い正念場だよ」
ちゃんと最初に言っておかないとね。
「まず、恩恵の話を自分の口で公爵様に話すこと。そして、その恩恵を無駄にしたくないことも伝えて欲しい。その後に計画書を見せて、自分がどうしたいのか話して。グレイはね、十中八九公爵様に反対されると言ったのよ、私もそう思う。ただの経営ならいい、趣味ならいい。でも、ロディムがしたいことはそれじゃないよね? 私のように、経営で頭を悩ませながらも作品をデザインして、作って、世に送り出したいんだよね、今の私を見ていれば分かると思う、経営も作品作りも完璧にこなすことは一人では不可能だって」
「……はい」
「あんたはさ、次期公爵。《ハンドメイド・ジュリ》だけをやってれば良い訳じゃない。いつか然るべき時にこの国で最大の領地と権力を引き継いで、アストハルアの領地と領民そして財産を守っていかなきゃいけないの」
「はいっ」
「それを蔑ろにするような人に、《ハンドメイド・ジュリ》は任せられない。いい? ロディム、まず、すぐには出店出来ないからね。あんたが公爵様を説得して、認められて、領も領民も財産も守れる男だと証明して、そして 《ハンドメイド・ジュリ》の二号店を出すに必要な、このククマットにある私が持ち込んだもの全ての責任を負えるような知識と判断力を付けたときようやく出店のスタートラインに立てると思って」
「はい」
「今まで、ルリアナ様のご実家の伯爵領での穀潰し様を主体とした姉妹店と移動販売馬車以外の出店計画をしてこなかった最大の理由はね、環境が無かったってこと、その一点。内職や副業の定着、素材の入手と運搬、信頼できる長期的友好関係が望める人材。それが整えられる環境が派閥とか利権とかの兼ね合いがどうしても無視できなくてだからハシェッド伯爵領だけだった。でも、シイちゃんとあんたが婚約成立した時から、私の中ではあったの。アストハルア公爵領ならば、いけるんじゃないかって。……そして、恩恵を強く授かったロディムを見て私も欲が出たの。本気で二号店出したいって。ロディムを私の代理として、店を出したいって。グレイが言ったわよ、ロディムにはそこに到達するまで大変な道のりになるって。でも、そのグレイも、あんたならって、推したの。……やれる?」
ロディムが眼を閉じた。ぽろりと涙が落ちていた。
少し子供じみた顔にシワを寄せた泣き顔で。
「公爵様を説得して、次期公爵と 《ハンドメイド・ジュリ》の二号店オーナー兼作り手の、どちらもやれる? やると言うなら、応援する。全身全霊で、【彼方からの使い】としてあんたの味方するよ、必ず」
「……はい、はい、大丈夫です。必ず。やらせて下さい」
震える声で、でもはっきりと、ロディムが答を出した。
沢山のものを既に背負っているロディム。
公爵様によく似た神経質そうなインテリイケメンは重圧など感じていないかのようにいつもは飄々としていて、可愛げがないなぁって思わされることもしばしば。
でも、私達を前に泣くその姿は少しだけ幼く見える。
夢を叶えるために必死に藻掻く青春真っ只中の少年のように。
「頑張りますっ、絶対に、この夢は、叶えます」
―――神界にて―――
「……ふふ」
セラスーンは、真顔で涙が止まらずどうしていいのか分からないと言い出してジュリとグレイセルを困らせるロディムのその姿を目を美しく細めて眺める。
「やっぱり、ジュリは素晴らしいわ」




