33 * シルフィ様は男前
「ジュリ、相談があるの。お茶をしながらでも構わない話だから今度時間のある時に来てくれる?」
侯爵家にグレイと二人でたまに夕飯をご馳走になりウェルガルト君を構い倒して泊まる時がある。その時にそう言われたの。『今日じゃないんだ?』という顔をしたらシルフィ様がウィンクして『急ぎじゃないから』と微笑って。
で、それから数日後。侯爵家のパティシエさんが私が来ると言うことで大量に用意してくれたお菓子に囲まれ幸せな私の前に、シルフィ様がとあるものを差し出してきて、促されるようにそれを手に取る。
「……ん? これ、万華鏡の占有権証明書ですね?」
「ええ、これをね……譲渡しようと考えているの」
「え?」
「これはあなたから貰ったものだから、その意向と、相談に乗ってもらえたらと」
万華鏡の特別販売占有権。
これは開発から公開後、占有権をシルフィ様に私からプレゼントしたもの。
レシピの版権の売買で得られる利益は万華鏡の性質から低めに設定されていて、売れても利益追求や資産形成には繋がらない慈善事業に近い物になっている。しかも万華鏡そのものも価格はピンキリ、誰でも買える設定になっていてククマットとクノーマス内では気軽に買える玩具としてお土産品として定着したほど。これによってシルフィ様の慈善事業への前向きな姿勢が評価され、社交界でますます盤石な地位を築く要因となっていたんだけど……。
「どうしたんですか? 何か問題でも?」
「ああ、違うのよ!!」
私の頭によぎった『トラブル起きたかな?』という思いがそのまま顔に出てしまったようで、慌ててシルフィ様が手を振って否定する。
「違うのよ、そうじゃなくて」
「じゃあ、一体……ルリアナ様に譲渡するなら別に私に相談なんてしないですよね?」
「ルリアナには既に話してあるわ。その上で彼女からは了解を得られているから」
「……誰にですか?」
「オリビアに」
オリビアさん。
シルフィ様のお友達の未亡人。子供が成人し手が離れた事と、シルフィ様から声を掛けられて思い切って息子の治める領を出てクノーマス領に来た人。そして 嗜み品専門店 《タファン》の店長であり、 最近正式に 《ゆりかご》の店長にもなった御婦人。ちなみに、一回りは歳下の彼氏が二人ほどいらっしゃる。公私ともに実に充実していると私の目から見て思う人。
「オリビアさん、ですか。その理由を聞いても?」
「ジュリは 《ハンドメイド・ジュリ》をはじめとした全ての事業をクノーマス家やグレイセルからの一切の援助を無くしてさらに全額返済後に完全独立をするのよね?」
「そうですね、そのつもりです」
「私もそうしようかと」
「……ん?」
「《タファン》を完全独立させたいの」
「はい?」
物凄く、間抜けな『はい?』だったわよ。それを見てシルフィ様が愉快そうに笑う。
「え、ちょっと待って下さい、 《タファン》は侯爵家の事業ですよ、わざわざ独立させる意味はないはずです。新商品の開発や素材探しにそれなりの資金が必要です、特に嗜み品に絞っているので品質にはこだわり続けると仰ってましたよね?」
「ええ、それは譲れないわ。低価格でも高額でも品質は妥協しない、嗜み品ですもの、当たり前のことだわ」
「だからこそ、資金力のある侯爵家直轄の事業です。そこから外してしまうと開発時に苦労しますよ、資金力は開発から絶対に切り離せません」
「それでも、挑戦してみたいじゃない?」
お茶目な笑顔で迷いなくシルフィ様がそう言った。
「で、あんたはなんて答えたの?」
「答えっていうか、もうシルフィ様の中では決定事項だったわけよ。その上で相談があるって言われてはいたから」
「あ、そっか。でも資金的に侯爵家の事業であるべきなんだよね?」
「そうなんだけど、よく考えたなぁ、と思って」
「え?」
「何か、良い案を思いついていたんですか?」
ククマットに戻って工房でキリアとセティアさん相手に私はシルフィ様の考えを、計画を話して聞かせる。
「盲点だった。シルフィ様は、自分がオーナーというポジションは変えないけれど、 《タファン》の店長であるオリビアさんに今以上の地位と財力を付けさせて、筆頭株主にさせたいって。彼女を筆頭株主にさせた上で 《タファン》の権限を与えて、今までは開発で都度必要としていた侯爵家の許可を彼女に一任してしまうって。そうすることで彼女のタイミングでいつでも開発に着手できる。資金の動きと許可が出るまでのタイムラグを無くして、今以上に潤滑な開発環境を構築するには確かに凄く理にかなってる」
「……あら? それって、キリアさんと似た立場ですね?」
セティアさんはそこまで聞いて一番重要な部分に即座に気づいて驚きから目を丸くした。
「え、どういうこと?」
キリアは少し首を傾げる。セティアさんは彼女に向き直り説明をしてくれる。
「ジュリさんはそもそもオーナーなので所有株数など関係なく開発を進められる権限を持っています、誰の許可も必要としません、強いて言うならグレイセル様と主人の許可があるといいこともあるという程度です。それだって、かなり大きなお金が動く時のみで基本的にはジュリさんの意向が撤回されることはまずないはずです。一方で、キリアさんは株を所有はしていますが筆頭株主というわけではありません、なので本来はお金が動く開発などは勝手に出来ず、それなりの額が動く時はジュリさん達経営陣の許可と、内容によっては筆頭株主たちからの承認が必要になるんですが……キリアさんはジュリさんの右腕、物作りで最も恩恵を授かっていることから開発・生産に必要な素材の使用と資金に制限がありません、開発・生産に限りますがオーナークラスの権限を持っています」
そうなんだよね。
セティアさんの言う通り、シルフィ様はオリビアさんをキリアのようなポジションにしたいと考えている。
キリアの場合、何かを開発したりデザインしたり、生産する時にそれにかかるお金に制限がない。完全に自由にさせているの。彼女がそういう事ですることといえば、後から何をどれだけ使ったか、どこに何をいくら分発注したかなど。全て事後報告でいいことになっている。これについてフィンやおばちゃんトリオだって同じじゃないか、と思われがちだけど実は大きな隔たりがあって、『全てが事後報告でオッケー』なのは、実はキリアだけなのよ。
フィンとおばちゃんトリオもかなり好き勝手、自由に素材を仕入れてはいるけれど、彼女たちの場合、原則クノーマス侯爵家とクノーマス伯爵家が取引している商家・工房・職人に限定して自由に仕入れられる。もしそれ以外からの仕入れをしたい時は、自腹で支払い、後から本当に必要なものだったのかを精査されてそして会計部門からお金が戻されるようになっている。
それとは違い、キリアにはその制限がない。そしてもっと言えばその場での思いつきだろうと勢いだろうと、必要だと判断したものならば予算に上限はないのよ。これは私が不在の場合に素材を見極めなければならないこととその期限が差し迫っている、決まっているという事が重なってしまった時に買い逃しを防ぐため。キリアの審美眼は恩恵で強化されているので、まず素材選びで失敗はしない。その保証があるので彼女には開発に関わる事は自由にさせているんだよね。
私からの直接の指示で物を作る事が圧倒的に多いこと、富裕層からの依頼による一点物、お店の高額商品など、彼女に制限が掛かっていると何かと滞り不便なことが起こるものを手掛けるキリアならではの特別なポジションといえる。
「……あたしが言うのもなんだけど、シルフィ様は思いきったことをしようとしてるね?」
キリアはセティアさんの説明を聞き少し考えて自分とオリビアさんを重ねてみたらしい。
「あたしの場合、素材選びとかジュリの言いたいことを汲む能力とか、手放しで信用されてるもんね? それはなんでかっていうと、恩恵で強化されてるだけじゃなく、あたしはだいたいあんたの側で物作りしてるからこうしたいああしたいっていうのを経験から先読み出来るし、あたし達って作りたい物の好みが似てるからってのもあるし。でも……シルフィ様とオリビアさんて、たしかに友達で仲良くて、信頼関係はあるだろうけどあたしとジュリの関係とはまるで違うよ、それで開発の全権を一任ってもの凄く勇気の必要な決断な気がする」
「うん、私もそれを指摘したよ。私とキリアのようにはいかないですよ、失敗のリスクが高まりますよって。でもねぇ、意志は強かった」
「そうなんですか?」
「そうなの?」
「うん、女性の社会進出の足がかりにしたいって。オリビアさんに安定的な収入と社交界での評判を上げて盤石な基盤を与えることで、まずは足場堅めをしてやりたいみたい」
―――自分とルリアナが進めても意味はない。
《タファン》を単にお店として大きくし利益を上げ、侯爵家の主軸事業としたいなら私達が何もかもを支配するのでいい。
でも、私達ではなく、他人で女性がほんの少しの私達の手伝いで何かを成し遂げられるなら。
社交界という狭い舞台だけでなく、女性が輝ける舞台が、世界が広がるなら。
面白そうじゃない、ジュリのように男性に臆することなく堂々と前を向いて信じる道を確かな足取りで歩く女が増えたら。爽快じゃない、今まで女だからと下に見ていた男たちが俯いて目を合わせられなくなるほど確固たる地位と自信を手に入れたら。
もう若くはないけれど、それでもどこまで出来るのか、挑戦してみたくなったのよ。―――
「ああ言われちゃうとねぇ」
私は思い出し笑ってしまった。
「応援したくなっちゃうわよ、なんか上手く丸め込まれちゃった感がある」
そう言うと二人も軽やかに笑う。
「それで、相談ってなんだったんですか?」
「まずは万華鏡の版権の譲渡のことね。一応私が開発したものだから話を通しておきたかったってことみたい。利益は少ないと言いつつそれでも未だにそれなりの手数料は入ってくるし。相談の要は…… 《ゆりかご》について。子供用品ということもあって私がかなり拘りを見せたでしょ」
「ああ、安心・安全第一の商品開発だったからね」
「うん、それは今でも譲れない。それを踏まえて…… 《ゆりかご》を独立させることは可能かどうか、出来るとしたらどうしたらいいかってね」
「ジュリさんは、何と答えたんですか?」
「はっきりとノーと言ったの。侯爵家の資金があるからこそ、安心・安全第一で作れてるから。この資金源が無くなった時、開発のクオリティを下げずに維持するのは現状無理ってね。まあ、シルフィ様はそう言われるのが分かってて言ってきたかな」
「……独立させることは、ジュリなら可能?」
探るようなキリアの目。私は臆することなく頷いて見せた。
「開発にかかる時間もお金も、侯爵家が今掛けてる五分の一に抑える自信はあるよ」
迷いなくサラッと答えればセティアさんが何故か目をキラキラさせた。
「素敵です、ジュリさんっ。言い切れる自信があるなんて、かっこよすぎます!」
えへへへへ、ちょいエロ人妻から褒められたぁ!
「ジュリ、顔、不気味」
キリア失礼な!!
「そもそも、今 《ゆりかご》に出てる商品のほぼ全て、あんたのアイデアと設計だもんね。この先、新商品の開発に力を入れても実際に安心・安全だと保証されて商品化出来るものがどれだけあるんだろ?」
『商品』に対する法律、領令といったものがほぼ存在しないこの世界。売れて便利だと言われればそれでいい。基準となるものがなかった状況に私が持ち込む形でいきなり発生した『安全基準』という価値観は、あのアストハルア公爵家は勿論、ヒタンリ国ですらまだ整備に着手できずにいる。ククマット領の 《ハンドメイド・ジュリ》と 《レースのフィン》を皮切りに各工房で安全基準についてゆっくりでも整備が進んでいるのは単純に小回りの効く小さな領であること、安全基準という概念を持ち込んだ私がいて主導していること、領主であるグレイセル・クノーマスが全面的にものつくりに対する改革を推し進める人物であること、この三つがあってこそ。
「当面は私が渡した玩具や用品のアイデアと基準を元にある程度は作れると思うのよ、でもそれに頼り切りになったらすぐに頭打ちになる。だから並行して自分たちで独自の商品を完成させて売り出さなきゃならないよね、安全基準を満たしたまま、ね。そうなると……侯爵家の潤沢な資金がなければ、かなりキツイはず。移動販売で子供用品を売り始めてるでしょ、それが大反響で色んなところからウチにも来てくれって言われてて、それなら尚更、独自の商品開発と安全基準の維持は外せないと思うのよね」
「では、シルフィ様は 《ゆりかご》の独立は諦めたんですか?」
「今はね」
「今は、ですか」
「自分が駄目ならルリアナ様に、それでも駄目ならヴェルガルト君に託すって」
「わぉ、壮大な話になったね?!」
キリアがちょっと大げさに反応したのとは対象的に、セティアさんはとても穏やかに優しく微笑んだ。
「今日私が話した事をせっせとメモしててね。それを纏めて、これからは相談する度気になったことを書き留めて纏めて、それをルリアナ様やウェルガルト君に順序立ててわかりやすく説明出来るような説明書にするんだって。何年かかってもいいからやるって」
「凄いですね」
「うん、あの人は凄いよ。問題点を書き出して、それから自分なりに解決法を考えるからそれにアドバイスしてほしいって言われて。……あの立場の人が『教えて』って簡単に人に言えるって、すごいなぁって本気で思った」
「素敵ですね、尊敬します」
セティアさんは眩しそうな、そんな目をして微笑んだ。
「そして強いよね、色んな意味で」
キリアの余計なその言葉に、私とセティアさんは吹き出して笑う羽目になった。
女性の社会進出。
シルフィ様が本気で考えてくれていることに心から尊敬し、そして感心させられ、『男前じゃん』と思った冬のとある日。
裏話を少々。
ルリアナの妊娠からウェルガルトが幼少期に入るまでどうしてもルリアナは表に出しにくい存在になることを想定し、じゃあ誰に女の社会進出の要となるポジになってもらおうと考えた時に色んな人を当てはめてみたんですよ、今までの登場人物含め新キャラもありか? と。そもそも既にルリアナはネイリスト育成専門学校の学長だし、ハンドメイド・ジュリの相談役で、これ以上背負わせるとチートになってキャラ変わりそうでヤダな、と……。
ただ、これには女性の社会進出を推し進める強さが必要で。地位もなければジュリのような特殊な立場でもない一般女性が簡単に出来るのか?と考えて、うーん……となったわけです。
そしてシルフィとオリビアになったわけですが、実のところツィーダム侯爵夫人のエリスも候補でした。もしも彼女だったらこの話の内容は変わっていたのですよ!
でも彼女の場合……引っ掻き回して終わる!! という結末しか思い浮かばす。そしてもたもたする男達を剣をチラつかせ脅迫する姿しか想像できずwww
そんな作者の人選で少々悩んだという裏話でした。




