32 * とある理解者達、語る
今回は獣人さんに語って頂きます。
クノーマス伯爵家の門前に塩が山盛り積まれた荷車がズラーっと並んだ直後のことになります。
―――バミス法国:ラパト将爵の語り―――
時は少し前に遡る。
眼の前の人は実に愉快そうに口を大きく開けて笑う。
「隨分大胆なことをしたねぇ、将軍は」
この国の軍事のトップに立って以降、私を『将爵』ではなく『将軍』と呼ぶようになったこの人は、妻の姉の夫であり私が尊敬する数少ない崇高なウィルハード公爵。
「ジュリ様の所に塩を大量に持ち込むなんて。あれじゃあ置き場所に困って大騒ぎになっているよ?」
「ええ、お二人共笑顔でしたが引き攣っていましたので困ってましたね」
「あはははっ」
「でもあの伯爵なら何とかしますよ。それこそクノーマス侯爵家から倉庫の一つでも借りられるでしょう」
「確かにね」
「それに、あれくらいしないと」
公爵がそれはそれは楽しげに笑っている。
「大枢機卿やその周辺が今や搾取するだけの存在になりかけていることに気づきもしないでしょうしね」
「くくっ、気づくかなぁ? どうだろう、彼、あの立場故に妙な自信があるらしくて」
「妙な自信、ですか」
「自分はジュリ様や伯爵に今以上近づく事ができなくても今以上距離を置かれることもないって思ってる節があるよね」
『それはまた……』と、つい小さな声だが呟いてしまった。それを聞いてやっぱり公爵は笑う。
「クノーマス侯爵家と大分親しい間柄になれた油断もあるのかな。ジュリ様が嫁がれた家でもあるし、何より召喚されてから苦楽を共にしている信頼する家だ、クノーマス侯爵家に認められたら最高の『保証』を得たと思ってしまっても仕方ないし」
「……その件ですが」
「うん」
「公爵は、クノーマス侯爵家は万が一のとき、伯爵を切り離すと先日仰ってましたよね? その理由を、聞いていませんが……」
「ああっ、そうだったね」
公爵は座る椅子に深く体を任せ、目を閉じる。
「切り離すよ、間違いなく。そうすればあの極めて危険な彼を堂々と野に放てるから」
穏やかに、楽しげに。
公爵は他愛もない世間話でもするように語る。
「それがジュリ様を守るために最も有効的だ。彼が本家から切り離されるとね、何が起きると思う? 気づいていない人の多さに僕はびっくりしていたりするんだけど……」
「申し訳ありません、私も見当が付きません」
「君を責めているつもりはないよ、大体あの伯爵と接点がまだ少ないだろ? ……そのうち嫌でも知るようになるよ」
「しかし、気づいていない者が多い、と」
「うん、これは僕の【スキル】もあって知ることが出来たことだから周りが知ったらズルいと言われてしまうかもしれないけれどね。グレイセル・クノーマス……彼、神に『赦されてる』」
「え?」
「全ての行いを、赦されてる。何をしても、それがジュリ様のためになるならば、神がそれをお赦しになる。最高神あたりから加護を貰ってるんじゃないかな?」
「ま、まさか……」
神が気まぐれで与えるとされる、人への加護。
それには内容の違いもあれば強さの差もある。
しかしその加護は、あくまでその人が生を終えるまでに平和に穏やかに生きやすくするためのものであることが多いとされる。
「僕が、神から与えられた『枷』や『業』を可視化出来ることは、君も良く知ってるだろう? ……ないんだよね、あの伯爵には。全くない。あれは神の強烈な意思を感じる」
「そ、そんな人間、いるんですか」
「いるもなにも、彼がそうだからね」
目を閉じたまま、やはり愉快そうに公爵はフフッと息を漏らすように笑った。
「初めて見たし、後にも先にも彼だけじゃないかな? 【彼方からの使い】以外で赦されてる人間は。それを彼自身が知っている、知っているからこそのあの達観した覚悟だ」
目をゆっくりと開けて、公爵は自分が話している内容にはそぐわぬ呑気で怠惰に見える背伸びをした。
「神が己に『枷』も『業』も与えず全てを赦すなら、自らそれを作り出し背負う、そんな感じかな。伯爵は無自覚、だから怖い。自分で際限なく背負うんだ、死ぬその瞬間まで。怒らせたら、怖いよ、あのハルト様よりも遥かに怖い。本気で思ってる……『ジュリのためなら神でも殺めよう』って。出来そうだからなぁ、今の彼を見ていると。あの潔さは凶器だ、振りかざした瞬間、屍の山が出来る」
あまりにも軽い口調で言われて、その内容が如何に異質な事で、何より危険な事かを忘れそうになるが、私は頭を振り、額を指でなぞる。
「本家のクノーマスがそれを知っている可能性は低い、でも彼をよく知る家族だからこそ、いざという時、止めるよりも野に放ったほうがいいだろうと判断が出来るくらいには彼の凡人には理解できない覚悟を感じ取っているはずだ。……柵から開放されたグレイセル・クノーマス」
後天的に【スキル】と【称号】を与えられた。
それ自体極めて稀なことであり、そして、その特殊な能力もジュリ様に起因するという。
「あれほどジュリ様をお守りするに適した人はいない」
「……そういう問題ですか?」
「そういう問題だよ、彼はそれしか考えてないから。全く……どうなればあそこまで人を愛せるのか理解できないくらいにね、彼はジュリ様ありきの存在になっている。よくよく彼を見ればその異常な執着は気持ち悪いほど目につくから、ジュリ様のためになら何でもするって事は誰でも直ぐに判るよね、わかるはずなのに」
ふと、公爵から笑顔が抜け落ちた。書斎机の天板をコツ、コツ、とゆっくりと静かに指で叩き始めた。
「なんでだろうね……人は過信しすぎる。信頼を得られたら、それが揺るがないという過信。彼のような男は、些細なことでその信頼を平気で踏みにじることが出来るのに」
そして話は戻ることになる。
「将軍、凄くいい仕事をしたよね。勿論今のところタダ同然のラパト岩塩だから注目もされないけれど、あれで枢機卿会あたりがそのうち焦ってくれるよきっと」
「そうですね、それを期待して私も妻と共にわざわざ出向いたのですし」
「法王の決定を覆すことが出来ることは確かに巨大な権力と言って良い。しかし、あくまで枢機卿会であって、国家権力ではない。彼を筆頭に……今の枢機卿会はそのあたりを履き違えている。クノーマス家とジュリさんが融和的な態度だからいいけれど、少しすれ違うだけでも危険だね。爵位や領地を与えて取り込もうとした時……あの時一度距離を取るべきだった、もっと反省している姿勢を見せるべきだった」
「それをしなかったから……伯爵が最近大枢機卿との距離を取っているんですか?」
『多分ね』と、公爵はフッと息を漏らすように笑って頷いた。
「『白き請願』。……あれを伯爵が受取ったことをまだ大枢機卿は知らない。伯爵とジュリさんがあれについて口外するとは思えないから……僕から仄めかそうかな」
「そういえば……」
この際なので疑問をぶつけてみることにする。
「伯爵は『白き請願』を使うと思いますか?」
「なぜだい?」
「彼は、あれがなくともなんでもどうにかしてしまうのでは、と」
「ははっ、それ僕も思ってる。彼は必要ないかもね」
「では、何故ですか?」
「あれの存在をジュリ様が、知っている。伯爵が持っていることを知っているという事に意味があるんだ」
「どういうことでしょうか?」
「ねえ将軍」
「はい」
「ジュリ様は、非力だ。あの方は、【技術と知識】、【変革する力】で世の中を渡り歩いているように見えるけれど、実際はグレイセル・クノーマスが全身全霊で彼女を守って支えているから出来ていることで、彼女が彼から引き離されたら、暴力、権力、あらゆるものにあっという間に襲われ潰される。そのことを、誰よりも知っているのが、グレイセル・クノーマス。……知っているから、ジュリ様以外は敵対するかしないかだけで人を選別する。平気でそれをする。それを、ジュリ様は認め受け入れてはいるけれど、耐えられるかどうかは別だと思わないかい?」
公爵の問いかけ。
それにハッとさせられた。
「無力故に人を殺めることが出来ず、人を殺めるということに恐怖と忌避感をもつ。そんな人が果たして己の為に人を殺め続ける夫を受け入れ続けられるだろうか?」
「……難しい気が、します」
「うん、僕もそう思ってる。だから伯爵に渡した。あれが、彼の抑止力になれば、と。重大な決断を余儀なくされたとき、その時にこのバミス法国一の地位と財力、そしてコネクションを持つウィルハードを頼るという選択肢があるだけで、心持ちは変わるだろうし、何よりジュリ様の心の傷となる決断を彼が回避する可能性も高まる」
公爵がそこまで考えて『白き請願』を渡していたことに驚愕し尊敬する。
「流石です、公爵……」
「全てジュリ様の思し召しだよ」
「え?」
「あの方と接点をもち、あの方の望む距離感を保ち、そして敬うことで、どうだい? ウィルハード家とラパト家は今驚くほど上手くいっている」
「あっ……」
長きに渡り殆んど買い叩かれ、価値を見いだせずにいた岩塩。今当家はジュリ様から提案いただいたバスソルトの開発に乗り出し、そして『フラワータブレット』、『ギフトセット』などの制作や販売ノウハウを直接指導頂ける機会に恵まれ、新たな産業の足掛かりとして一気に活気付いた。
「あの方の望むままに。それでいいんだ、僕たちはそれに従うだけでいい。それだけで、恩恵を授かる。欲など出さなくていいんだよ、そんな気力や体力を必要とするような無駄なことをしなくてもあの方はちゃんと【彼方からの使い】として、僕たちに恩恵を授けて下さる」
そしてまた公爵は軽やかに愉快そうに笑い出した。
「僕としてはジュリ様にも『白の請願』を渡すのは吝かではなかったんだけど、アティスに止められたよ。なんて言ったと思う? 『ジュリ様はモフモフ天国を作ると書きますわよ、それをあの伯爵が許す訳ありませんわ』だって。伯爵はたとえ女であってもジュリ様がハーレムのようなものを作るのは断固拒否、絶対に力ずくで阻止してくるっていうんだ。だからそのうち何か欲しいものがあればお譲りする程度に留めておくことにしたんだ」
「ああ……私の尾羽根も目を輝かせて受け取ろうとしたのを伯爵に阻止されていましたね。正直あの時の伯爵の目が怖かったです」
「男は年齢問わず許せないらしいから」
見かけによらぬ伯爵の心の狭小さに、プッと吹き出して笑ってしまった。
つられて公爵も笑う。
「そういえば、リアンヌがあのバスボールで足湯をするのが癖になる、と言い出してほぼ毎日やっているんですが、義姉上はバスボールはされてますか?」
「姉妹だねぇ」
「……まさか」
「アティスも足湯で楽しんでるよ。人には見せられない大笑いでストレス発散になると言ってよくやってる。最近は侍女にも足湯でやるのが良いと勧めていてちょっと心配になってきた……」
「本当は、お風呂に入れて楽しむものですがね」
「うん、でもアティスは完全に足湯専用として楽しんでるね。ちなみに僕は足湯体験させられて五秒で足を上げた。将軍は?」
「はあ、私は足裏の皮が分厚いのかシュワシュワするのを感じはしますが、くすぐったいとは思いませんので普通に楽しめています」
「なんだ、つまらない」
「……妻と同じこと言わないでくれますか」
公爵がまた笑った。
「僕は一個人としてジュリ様のお力になれればそれでいい。その時に権力が、財力が必要ならば勿論使う。……時々思うんだ、公爵なんて立場にいなかったらもっとあの方となんでも話せてあの方の理想とする形で力になれたんじゃないか、って。贅沢な悩みだけどね、わかってる、自分でも分かってるよ。だけどどうしても、妻を見ていると、ジュリ様と会った日に帰ってくる彼女を見ると……同性で歳も近いからかもしれないけれど、羨ましいと思うんだ。楽しかった、面白かった、そう屈託なく笑いながら話してくれるその姿が、そうなれることが、羨ましい」
「公爵……」
「だからせめて僕は伯爵のご機嫌を損ねず程よい距離を保つことにする。そうすれば、アティスを通して、僕の知らない楽しくて明るくて自由な世界を感じ取れるから」
窓の外を見つめ、公爵はフッと笑った。
「将軍、僕たちはとても幸運だ。あの方と知り合い、同じ時代を生きる。……きっと、これからこの大陸はジュリ様の生み出すものがあらゆるところで見られるようになる。楽しみだね、世界が色付くんだ、無限に」
「楽しみですね」
頷いた公爵は、やっぱり笑った。
リスと鷹の語り……。
自然界なら天敵のはず、でも獣人なので、嫁が姉妹なので。
それがなくてもこの二人仲良し設定なのでもっちり尻尾とフワッフワ羽根が仲良く並んでる姿をバミス法国では見られます。
リスと鷹が仲良し、そこに猫が二匹、普通ならカオスですよね……。想像したら怖かったです。
そんなこと考えながら書きました。




