32 * 重ねるだけと侮るなかれ
ユージンを芸術家として世に出すには早すぎる。
まだ彼自身、自信を持って表現し広めたい独自の技法が定まっていない。とても不安定な時期で、カラーサンドに埋もれるように一心不乱に取り組んでいると思えば、全く触らず領民講座館に朝から晩まで居座って他の講師たちのお手伝いをしたり、自分の講義の資料作りをしたりする日が続いたり。
そんな彼に、王族からの依頼なんて無理だ。
無理、というよりは危険すぎる。
プレッシャーと迷走で潰されてしまうかもしれない。
今の不安定さは芸術家としての成長期の証だと私は信じている。
そんな彼を、彼の後ろ盾やそこに見え隠れする繋がりも手に入れられるかもしれないなんて如何にも権力者が考えるような理由まで付け加えられた挙げ句彼が大事に大事に育てているサンドアートまで半端な状態で潰されたくない。
「終始穏やかに終わるかなぁなんて考えが甘かったわね」
私が吐き捨てるように言うとグレイは落ち着いた様子でそうでもないさと呟いた。
「前公爵がわざわざ手紙を寄越したところを見ると……王女とは違う考えがあるのかもな」
「確かに。ユージンを守りたかったら別のを先に出せってことを安易に示してきた感が否めないけど。ユージンは若すぎるし、ユージンが何処を目指しているのか分からない。前公爵様にしてみれば王族の依頼を受けさせるにはリスクが高すぎるって話よね。なら実績もあるし色々作りたい放題してる私にさせたほうが安心と思うのかも。この国の王妃の依頼でカトラリーを作って納めた実績も私にはあるんだし」
「そんなところだろう。あのお二方が別方向に向かって動いても結果は伴うし、こちらの事情にしたってどんなにハルトが漏れないよう動いてくれていても隠せないことはある。なにより抵抗するには少々骨が折れる相手だな」
「あー怖い怖い。結局王女様か前公爵様の思惑通りにはなるってことだもんね」
「王族だからな」
その一言で済むのがなんとも理不尽だけど、それがこの世の理なのよ、残念なことに。
そして私達はとある部屋前に到着すると迷わず入室する。
念のため、万が一手のために侯爵家に保管してもらっていたものは、グレイが両手で抱えても大きく見える箱。それが置かれている棚からグレイは引き出して両手で持ち。
「はぁ」
大きなため息を漏らした。
「なに?」
「少し、勿体ない気もするな」
「うーん、まあね。侯爵家の額縁の候補の一つではあったから」
「私とジュリの額縁として作らせるつもりだったのに」
「え、いらないよ」
「え?」
「普通の額縁でいいけど」
「は?」
「あんな仰々しいの家に置いたら邪魔でしょ」
「……」
なにそのスッゴい微妙そうな顔。
「……まあ、ジュリだからな」
何そのざっくりした結論は。解せぬ。
こうなったら先手必勝といこう、そう二人で結論づける。
「もしかしてオリジナルの額縁欲しいですか? って聞いちゃおう」
「そういう話の流れになるだろうからな。私が箱を持ち込んでる時点で期待はするだろうし」
「うん、正面から売り込んじゃお」
「その時にそれ相応の見返りを要求、もしくはさり気なくハルトとリンファの名前を出すかヒタンリ国のことを仄めかすでもいい」
「そんな高等なこと出来る気がしない……」
「その時は私が誘導する。ただなるべくジュリが話は主導してくれ、あまり私が話すと侯爵家の意向が絡んでいると疑われる可能性もあるしな」
「うーん、ま、頑張る」
そして遅れて『侯爵家の額縁』がある広間に入った私達。
グレイが両手で持つ箱に全員が一度目を向けたのを私達は見逃さなかった。
こういう時は腹を括っちゃうと楽よ、これでもかとその視線を無視して笑顔で『遅くなりました』と謝罪だけしておく。
そして。
その時は程なくしてやってきた。
「実は、ダルジー王の即位三十年を祝う式典が二年後にあるのです」
ガビシス前公爵様は王女様よりも先に私にそう声をかけてきた。王女様はその行動が予想外だったらしく手で制するような仕草をみせたけれど、それを前公爵様は笑顔で優しく拒んだ。
「職人や画家の培ってきた技術を基に作られる額縁、それは勿論素晴らしいものになる。……けれど私は是非とも貴女のお力を借りたいと思っています。駆け引きはしません、本心を言います。『新しさ』『成長』といった先の未来の訪れを予感させ期待させるものを王女と私は国王への贈り物にしたいのです。それには若き未来ある画家もいいですが……私としてはそこに『力強さ』を見いだせない気がします」
ド直球だった。そして前公爵様は『侯爵家の額縁』を眩しい物でも見るように目を細めた。
「これを見たとき、思いました。なんて圧倒的だろう、と。他の名だたる権力者の額縁より小さいにも関わらず、私は圧倒された。……これを提案し職人たちをまとめ作り上げたあなたを掛け値無しで讃えます」
「……ありがとうございます」
一礼すれば、前公爵様は嬉しそうに笑った。
「ハルト様から」
「ん?」
出てきた名前に堪らず反応してしまった。
「決して無理強いするなと圧力を掛けられています」
何してんのあいつは……。あ、でもだからこそハルトがそんなにこの人たちの訪問を気にしてなかったともいえるのかな?
「無理強いはしません、けれど、交渉は可能かと思ってここまで来ました。猶予は二年、交渉から始める時間くらいは貰えるのではと期待しています」
王女様が困ったような顔をした。
二人の反応の違いから、恐らくハルトが強く圧力をかけたのは王女様。私の周囲をよく知るハルトが王女様の独壇場になるのを防ぐために前公爵様に圧力と『助言』をしたのかもしれない。
私がユージンを絶対に出す気がないこと、私ならなんだかんだ言いつつ二人に提案くらいはしてくれること、事前に対策して言い包められるようなことにはならないこと。
ハルトならそれくらいは考えてるかもね。
「全く、まどろっこしい」
ここにいない友人相手に小さく愚痴をこぼし、そして笑った。
「グレイ」
「ああ」
彼は迷わず入室後広間の隅にあるチェストの上に置いた箱を取りに向かう。
「今回、こちらも事前に対策していました。『侯爵家の額縁』を見に来るという時点で額縁に関連する依頼が入るだろうと。ただ誤解のないように先に申し上げます。提案できることがあったから対策を講じることが出来た、ということだけは心に留めて頂けると助かります。いつでもこうして提案できるなんてことはまずありえません、あくまで何かを作る過程で浮かんだり派生したりするものを私が試作できる物で保管して置ける場合のみなんです。こんなことは滅多にありません、これが当たり前の事だとは、思われたくありません。なので今回限りです。今一度無礼を承知で申し上げます、今回のように曖昧で裏がありそうなことは今後二度と受けることはありません。無理なものは無理、私には限界が必ずある、私は【彼方からの使い】であって神ではないし神の使いでもありません。過剰な期待に応えることは不可能だということを、どうかご理解下さい」
ハッとした顔をした王女様と前公爵様。謝罪をしようと口を開くのを見て取って私はすかさずグレイが持つ箱の蓋を大げさなくらい勢いよく開ける。
謝罪は受け付けない。
この人たちに謝罪をさせてはならない。立場的に。
だから。
力ずくで、黙らす!!!!
「『侯爵家の額縁』の候補だった、時間さえあればこちらだったかもしれない、第二候補として私が考えていたものです」
シャドー・アート。
全く同じ絵、もしくは写真がプリントされた紙。それをカッターやハサミを駆使して切り出して、立体的になるように重ねて出来上がるのがシャドー・アート。
枚数が多い場合、紙に軽く絵に見合った凹凸を付けて遠近を出してから重ねて接着することで絵や写真に忠実で自然な3Dアートになる。
枚数が少ない、五枚程度のときは重ねる時にグルーガンを使って強制的に高さを出して奥行きを表現することが可能なので、グルーガンを持っていて手軽に楽しみたい、試したいという人はこちらがいいかもしれない。
どちらがいいのか、というのは作る人の好みでいいという選択肢がある所もいい。
見本となる紙に描かれたのは海に島や船が浮かぶもの。
私が職人さん達に説明をするために作ったものだから重なりは最大で六枚、浮かせて立体感を出すのは擬似レジン。侯爵家の額縁と同じ技法で流し込んでは固め、を繰り返して作ってある。
でも本来どう作りたかったのかは、構想と共にデザイン画が記載された紙を見ればわかる。
紙ではなく、金属板。立体的にするために、一段毎に擬似レジンを流し込み固めて隙間を作って重ねていく。
立体の薔薇を量産するか、それとも同じ柄の金属板を量産するか。
その手間と難しさ、そして期間を考慮して採用されたのが薔薇。今この広間の主役となっている額縁。
「シャドー・アートというものです。これならば、いまこの場で提案出来、そして採用された場合の手続き等速やかに行えるものとなります」
王女様と前公爵様が引き寄せられるように私の手元のシャドー・アートに向かって近づいてきた。
その目と表情は、不思議さと好奇心が綯い交ぜになった子供のような無邪気さを感じさせるもので、私は笑いたくなったのを我慢するのに苦労したわ。
「侯爵家の額縁と違って2年の猶予があるなら作れると思います」
『作れる』と断言しなかったことに王女様がすかさず反応した。
「作れない可能性がある、と?」
「あ、いえ、作れることは作れるんです。ただ構想を練っているうちに色々問題が浮上しまして」
侯爵家の額縁のメインと言える銅製の薔薇の最大の利点は銅という金属が柔らかく加工し易いことと、蕾み、半開き、満開の薔薇の精密な配置が決まっていたものの、自然に存在する植物ということで微調整が可能であり予備の微妙な違いがある銅製薔薇が用意出来たことで花そのものの入れ替えが可能だったこと。
「それはなぜ?」
「これはあくまで私の意見として聞いてくださるとありがたいのですが、よろしいですか?」
「もちろん是非聞かせてほしいわ」
それならば、と私は見本のシャドーアートのまだ一切のカットもされていない全く同じ絵柄の紙を、用意してもらったテーブルの上で王女たちの前で意図的に重ならないように並べた。
「これは、線のみ印刷された後に色を乗せています。とても単純な工程なので、色を乗せる印刷技術次第ではそれなりに量産も可能です。ですが、現在ある程度の絵柄で複数の色が使われた印刷物は値が張ります。紙、しかもこのサイズですら、印刷技術から見直しが必要なことはご理解頂けるかと」
「そうね……我が国の印刷技術は飛躍的に向上し今も開発が進んではいるけれど、国全体に低価格で紙だけを普及させるにも、まだまだ。早くとも数年先となるはずだわ」
「はい、紙でその状態です。では、金属は? 金属に寸分違わぬ印刷、そして変色、色落ちのしないインクの開発技術は、どうですか?」
私の問いかけに王女と前公爵様がわずかに息を飲んでから、ほぼ同時にため息を漏らす。
「……ないわね」
「何が問題か、すぐにお分かりいただけますよね?」
「緻密かつ正確な模写が出来る者か、同じ画家による下書き、もしくは……金属に転写する技術が必須となるわけね」
「はい。まずそれが外せない条件となります。それと、国王陛下即位記念の祝品としての額縁であれば、侯爵家の額縁どころの大きさではないはずです。一回り、二回りは大きな額縁になります。そしてより立体感を出すために、少なくとも重ねるには十枚必要になるかと。大きなものなら貧相にならないよう厚みが必要になりますから、もしかすると十二、三枚あってもいいかと思います」
ふー、と王女が息を吐き出した。思った以上に手のかかる物だとようやく認識し始めてくれたらしい。
でもね、申し訳ないけれど、金属とスライム様を使ったシャドー・アートの額縁作成にはまだ壁がある。
「全く同じ絵を入れられるとします。それだけでは終わりません。金属ですから色はいれられませんよね? であればどうするか。……叩いて凹凸を付け、線や点の彫刻をします。これが例えば誰か知人や親族の誕生日祝いに贈るものならば5枚程度で見えにくい間に挟まる部分は全く同じに型抜きしただけのまっさらな板を入れるのでいいと思います。でも、即位記念のお祝いとなれば、その手抜きはすべきではありません。どんなに細かな、小さな物でも一番下になる基本の絵と全く同じ物であるべきです。そこまで拘ってこそ、価値があるものになります」
「ええ、そうね……そうでしょうね」
噛みしめるように王女が同意した。
「ですから、どんなに著名な画家や彫刻師であっても、不特定多数を関わらせるのはリスクが高すぎます。私一人で作業したこと、小さく紙製であることで最小限に抑えられましたがそれでも誤差はでます……複数の職人が係わると誤差の少ないものに仕上げることは難しいのではないでしょうか? 重なる時の統一感、極めてそれが求められるのがシャドー・アート、私はそう思っています。だから制作期間が短かった侯爵家の額縁としてシャドー・アートが候補から早い段階で外れた経緯があるんです」
王女が黙り込み、心配そうに見つめる前公爵様が彼女の手をそっと握る。
「サイズ、図案決めから始まり、試作し、図案の調整・修整から金属への絵入れである叩いて点や線を入れる作業でもって同じ絵を十枚以上仕上げ。前例がないので……二年、スケジュール的には難しい気がします」
シャドー・アートは印刷技術の向上により現在は本当にいろんな絵で楽しめるようになっています。
一昔前は、風景画が圧倒的多数を占めて、しかもクラフトキットとして購入し作るのが当たり前だったため選択肢はそこまで多くなかったのに、今では個人で好きなキャラやオリジナルデザインでも楽しめる。便利な世の中になったものです。




