31 * とんでもないもの貰いました
「伯爵にはウィルハード家を代表しこの場を借りて御礼申し上げます。本来であれば公爵より直接御礼すべきことではありますが―――」
「止めて下さい、お礼をされるようなことをしたつもりはありません!」
グレイは珍しく焦り狼狽えた様子で目の前で深く頭を下げた極めて美しい所作のアティス様に声を荒げ、自分のその声で我に返って息を呑んでから深呼吸をした。
「どうか、おやめ下さい。……ウィルハード公爵夫人が私に頭を下げるなど、誰かに見られでもしたら……」
ゆっくりと頭を上げたアティス様は困り果てた顔をするグレイにおっとりとした優しい笑みを向けた。
「ここには伯爵と私、ジュリ様と妹しかおりませんもの。そのためにそちらの使用人も下げさせましたし、私の連れて来た者たちも下がらせました」
―――話は少し遡る。―――
「は? いま、なんて言った?」
「だから、銀色のスライムを探していたら獣人に遭遇して、今バミスで問題になっている拉致による強制奴隷化された者たちだと判明したから隷属の首輪を引きちぎってそのままロビエラム国に逃がした」
「……ん? サラッと言うことでもないような? え? なにしてんの?」
「サラッと言うことでもないような事になりそうだったからハルトの名前を使って関所に逃げ込んで事情説明をするように言ったから問題ない」
「……どこに問題ない要素があんのよ!!」
朝方帰ってきて、『見つけられなかった』と物凄く落ち込んでた旦那の頭をヨシヨシしてあげたら、ついでに、何となくといった感じで、かる~く告げられた内容にヨシヨシしてた手が思いっきりその頭をひっぱたくに変更を余儀なくされたことを誰にも責められたくないと思った私。
―――ということがあった。―――
「本当に感謝しております。伯爵に救われた者の中には行方知れずとなってから公爵がずっとその身を心配し探しておりました者も……。かの者の証言から、末端となるかもしれませんがそれでも拉致による奴隷化に関わる者達に繋がる有力な情報を得られることにもなったのです。全員は無理でも今後救い出せる者は増えるだろうと希望が持てました」
シルフィ様たちが帰った後、せっかく遠路はるばる来てくれたのだからとお茶に誘ったら是非にと残ってくれたアティス様とリアンヌ様。
テーブルにお茶や軽食が並び、グレイがそこにやって来て四人でバスソルトやバスボールの話で盛り上がろうと私がウキウキし始めたら、アティス様がグレイに人払いを申し出てきた。
私達四人以外、全員をお茶の席から外した。それは、お二人のために付けられた転移魔法が使え更に腕の立つ護衛さんも含まれていた。護衛さんたちが予定外のその命令に困惑して『それは出来ません』と言い募ろうとしたのをピシャリとアティス様は絶って、半ば強引に応接室から追い出していた。
そして行われたグレイへの一連の感謝。
グレイじゃないけど……。
そこまでされると困る。
だってね。
「おお、別にいーぜぇ! ロビエラム内なら俺の名前の方が都合いいしな!! つーか、スライム見つからなかったのかよ、デマじゃなさそうなんだけどなぁ」
名前を使われたハルトがそんな調子でね。
「目撃情報に共通点が多いからな、その辺りを絞り込むといいのかもしれない」
グレイはグレイで、私の為に頑張ってくれるのはうれしいけど、何か違う!! って感じの反応で。
こっちがハラハラドキドキしてるのに。
「手を打ってないわけじゃない、ロビエラム国内もその問題で面倒事に巻き込まれて迷惑してるって有力者が結構いてさ。バミス法王とも話はしてる、ジュリはそのことで気を揉んだりしなくていいからな」
ってハルトに躱されたというか、シャットアウトされたというか。
グレイもハルトと同じ考えらしくて、私がそのことでちょっとでも悩むような素振りを見せると気にするなと話題を変えられる。
なんかね、色々あるらしいんですよ。法国国内も一枚岩とはいかないようで、拉致による奴隷化問題は法王、枢機卿会、そして貴族とで対策の方向性が違い意見が合わず度々話し合いの席は荒れるらしいんです。なので私が心配する素振りを見せてそこに少しでも関わるとアベルさんあたりが思わぬ形で関わって来るんじゃなかろうかとグレイとハルトが警戒してるっぽいんです。
……なんて面倒な。
と、本気で思ったので以降私はその事に口出ししないでいる。
いるのに、ウィルハード公爵夫人からのこの感謝。
いやぁ、困っちゃうよ、ホントに。
何とも言えない空気が流れる中、リアンヌ様が場の空気を和らげるような軽やかな声で笑い出す。
「お姉様、お二人がお困りの様子ですから、もうよろしいのでは?」
妹の、見ようによっては呑気に笑ってるようにしか感じられないその様子にアティス様がムッとした表情をして睨みつける。
「これについてはあなただって大層感謝していたでしょう、それをそんな風に軽々しく」
「お姉様、困ってるんですよ、お二人が。……些末な事なんです、きっと。感謝も押し付けがましいと些か迷惑なものだと思いますわよ。お姉様のお立場では難しいことは承知してます、表立って先の件にお礼が出来ないお義兄様に代わり伝えるのは妻であるお姉様のお役目ですものね。ここでその意を受け取ったと明確な意思表示を貰わなければ手ぶらで帰ることになり、お義兄様を安心させられないもの。……伯爵の本気の困ったお顔。それが受け取ったという事でよろしいのでは?」
不安げに揺れる瞳でアティス様がグレイに視線を向けた。グレイはフッと穏やかに息を漏らして無言で頷く。
「……では、そういうことで、よろしいのですね?」
「ええ、もちろん」
「分かりました」
グレイがホッとした笑みではっきり答えたらアティス様が呆れたような声で呟いた。
「かと言って、それで済ますつもりはありません」
えっ、まだ引っ張る?! とギョッとした顔をしたら、アティス様にめっちゃ笑われた。
「ジュリ様、公爵たるものが妻を送り込んでいるのに手ぶらということはありえませんわよ」
「ええ……」
そして美しい所作でアティス様がクラッチバッグから取り出したものは、それはそれは重厚な作りで深緑色に金色の花々が咲き誇る実に雅な封筒だった。
それをスッとグレイに差し出す。
「お受け取り下さい。公爵から必ず渡すようにと言われ託されました。受け取って頂けないと私帰れませんの」
グレイと二人でつい顔を見合わせた。
いや、怖いでしょ、こういうの……。
「なにも怖いことはありませんわよ?」
心読まれた。
逡巡したのち、グレイは両手でそれを受け取る。
「……確認させていただきます」
「ええ、是非に」
手にした封筒。グレイは裏返してすぐにピクッと眉を上げた。
封がされていない。
普通、こういう明らかに重要そうな手紙は封蝋がされているのに。
これには私もつい首を傾げる。
そして中身。
折りたたむタイプのメッセージカードが一枚入っていた。
ゆっくりと取り出したグレイは封筒をテーブルに置いてから、一拍間を挟んでそのメッセージカードを開く。
グレイはパッと目を見開いて、その目をすぐ様アティス様に向けた。
「これはっ、私が頂けるようなものでは……」
本日二度目、グレイが素で狼狽えた。
覗き込んで、その状態に私は固まった。
白紙だった。
「公爵は、拉致奴隷化問題に本当に心を痛めていますの。……獣人としての矜持とでも申しますのかしら、あの方は、弱き者を助ける事が当たり前、そのような心を持っていらっしゃる。公爵として、奴隷にさせられた全ての獣人を救えるものなら救いたいと、本気で。それを偽善だ売名だと言う者も少なくありません、それでも、あの方は生涯を掛けてでも解決したいと今藻掻いております。私はそんなあの方の妻であることを誇りに思っております、私もこの問題に本気で取り組むようになったほどです。……ですから、それは今のウィルハード家が出来る最大の御礼だと思って下さい」
白紙の意味が私には分からなかった。
けれど、ゴクリ、グレイが喉を鳴らした。
それほどのものだということは、それで察した。
「期限は設けません、今すぐにでも、百年先でも、ウィルハード家が存続している限り有効です。そして、そこに望み、願うことをお書きになり、その時当家の公爵たる者へお渡し下さい。……なんでも願いを叶えましょう、たとえ極めて困難なことであろうとも」
「そこまでしていただくようなことをしたつもりはありません!!」
誰かに対して声を荒げることが滅多にないグレイが、本気で声を荒らげる。それでもアティス様もリアンヌ様も全く動じることはなかった。
「伯爵がそう思っても、公爵は違います。あなたが救った一人が、先の公爵の庶子……つまり、現在の公爵、私の夫の弟です」
「!!」
息が止まりそうになった。グレイも、何か言おうとして開けた口を、そのまま止めてしまった。
「諸事情によりずっとその存在が隠されて来ました。しかし、それは本人がそう望んでのことで、決して兄弟間に溝があるなどということはありません。……信頼のおける、心許せる弟が帰ってきた、救われた、どうかそんな公爵の計り知れぬ喜びを少しでもご理解頂きたい。そして『それ』で貸し借りはなし、今まで通りの関係性を維持したい意図も汲んで下さることを願います」
「ねえ、塩の話、どこいった?」
「私に聞くな……」
「とんでもないもの、貰ったねグレイ」
「……」
「銀のスライム様より貴重」
「スライムと比べるジュリを尊敬するよ……」
ソファに体を投げ出して目を閉じているグレイ。
「バスボールでひっくり返る位笑わせてしまったこちらとしては罪悪感が相殺出来ない代物だよね」
「……なに?」
「ん?」
「ひっくり返るって、なんだ、なんの話だ」
「バスボールで足湯体験会してもらったんだけど……」
私は足湯体験会で起こった貴婦人達の、決して人様には見せられない姿について事細かに説明した。
したら、グレイがビシッ! っと、固まった。
「ジュリ……これから体験会は、事前に必ず、絶対に、何が何でも従業員で試してから、多数決で体験会をしていいかどうか話し合ってからにしてくれ」
すっっっごい、念押された。
「黄昏の加工済み鱗か、シュイジン・ガラスのキャンドルホルダーか、渡しておく? それで私の罪悪感ととんでもないもの貰った旦那の気持ちが軽くなるような気がするけども」
「可能なら……」
余りにも旦那がお疲れの様子なので、アティス様とリアンヌ様にはそれ相応の物を渡すことにして貸し借りのバランスをとることにした。
「しかし、世の中どこでどう繋がってるのか分からないっていういい例に当たったよね?」
しみじみと呟けば、グレイは片目だけ開けて恨めしげに私をちょっと睨んでまた目を閉じる。
でもね、私としてはこの男、実は……。
「グレイとしては……心の隅っこで悪くないって思ってそうだけど?」
その問いかけに無言。
まあ、そういうことだよね。
「バミス法国の枢機卿会といい、テルムス公国にある 《ギルド・タワー》といい、最近私抜きでグレイに近づきたいって動きもあるしね。テルムス公国に関してはマイケルたちが防波堤になってるけど、バミスにはそれがないし、何よりアベルさんのことは個人的なお付き合いの部分で見る限り悪い人じゃないからシャットアウトできないし。……ウィルハード家とラパト家がグレイの味方につくのは悪いことじゃないよ」
「……それでいいのか?」
「いいんじゃない? 今更でしょ」
私は肩を竦めつつ軽く笑い飛ばす。
そもそもの話、グレイが最近注目を浴びているのは、魔力とは違う力、『神力』があるせい。
これね、私が本来持っていた【スキル】【称号】の素となるはずの【核】が私に合わなくて放ったらかしになってたのがグレイに適合してグレイの【スキル】【称号】になって、そこからなんやかんやあって『神力』を得るに至った。
私が作ったものかどうかを判別するときに溢れる『神力』。
……世の中の役に立たない力。なんだそれ、って力なのに『神力』なのよ。
それを、今探られている。
ハルトも持っているその力と同じ、力とは違う特別な力がどういうものなのか探られている。
グレイにはクノーマス侯爵家以外にも万が一のときに相談出来るところがあったほうがいい。
邪魔なもの、煩わしいものを簡単にこの世から葬り去るという選択になるべく手を出さないで済む抑止力が。
「グレイがあの何でも叶えてくれるメッセージカードを使わないならちょうだい」
「?」
「モフモフ天国作りたいって書く」
「止めてくれ」
フッとグレイが笑った。
この程度で少しでも彼の心の負担が減るならいくらでも冗談を言ってあげるつもり。
……いや、モフモフ天国は……。
ちょっと、うん、あったらいいな。
とりあえず、バスボールの大惨事は無かったことになったのでよしとする。
「なかったことにはなってない!! 謝罪にいくぞ!!」
「ええ……」
たまにとんでもないものを貰う夫婦。
適当にとんでもないものを人にあげてる(特にジュリ)夫婦だからそれが巡り巡って返ってきているだけなのかもしれませんが……。




