30 * そいつはイカなのかタコなのか?
ヒタンリ国から帰国して数日。
ちょうど結婚から一年と時期的にも良いということで珍しく連休を貰っている私とグレイ。結婚記念日を大々的に祝う習慣があるこの世界の貴族のようなことはせず、ゆっくりのんびりする目的でグレイと使用人さんたちと共にトミレア地区の海岸線にあるクノーマス家の別荘に滞在。
「今日も賑わってるねぇ」
「いいことだ」
トミレア地区は活気に溢れ、沢山の人々が行き交う。
「どこか見たいところはあるか?」
「見たいというか、食べ歩き」
「ああ、そっちか」
手を繋ぎ気の向くままに歩いていれば知り合いから声をかけられたり挨拶したりとちょっと忙しいね、なんて笑いながらどこの屋台で食べようか吟味していると。
グレイが立ち止り港の方に視線を向ける。
「ん? どしたの?」
「……騒がしいな、と」
「そうなの?」
「ああ、何かあったかな」
「行ってみる?」
「そうだな……ジュリは別荘に戻るか?」
「うん、グレイの邪魔になるもの嫌だし」
港がある方角で急に人が騒いでいるのを察知したらしい。何が起きているか分からないところに私が行っても危ないし本当に邪魔にしかならないので素直にグレイに別荘に転移で送ってもらい、私は屋敷から連れてきた使用人さんたちと共に料理人さんの主導の元でお昼から贅沢な海鮮バーベキューをすることにして、いつ帰るのか分からないグレイを待つことにした。
「「「……」」」
私と共に出迎えた使用人さんたちが、固まった。
「グレイ……え、それ、なに」
「……すまない」
「謝罪の前に、それはなに」
「クラーケンの甲」
クラーケン。
はい、魔物です、海に発生するヤツです。美味しいやつ。生食不可だけど、干したのが美味しいの。さきイカよりも不思議と癖がなくて、でも旨味が素晴らしいさきクラーケン、なんだけど……。
「それ、身じゃないよね?」
「だから、甲だ」
「え、いらない」
バッサリと言ったらグレイが遠い目になった。
それは、俗に言う軟甲と呼ばれる骨のようなアレ。イカだと半透明だよね。
正直に言う。グレイがそれを担いでいる姿を見た時に『乳白色のトタン板』にしか見えなかったの。この人、こんなものどこで拾ってきた、そして何故持ってきたと勢いで説教したくなったほど、それにしか見えなかったの。
だって均一に波打った表面で、凡そ三十センチの均一な幅で、しかも長さ四メートル超え。
「市場組合に、捕まってな……」
「あー……」
トミレア地区の組合長は、ククマット自警団幹部ルビンさんの幼馴染。最近、ことある毎にグレイに『これ何か使い途ありませんかね!!』と持ってくるようになって。廃棄にしかならない魔物素材を、顔を見るたび押し付けられそうになるグレイは上手く躱していたはずなんだけど今日は躱せなかったらしい。
グレイ曰く、廃棄にしかならない内臓とか皮を強引に見せられたらしい。私に一つでも見てもらいたいと泣きつかれたらしい。久しぶりに討伐されたクラーケン見たさに押し寄せるように集まった人達の前で。
「……苦肉の選択で、これになったんだ?」
「これ以外は、見た目がアレな内臓だぞ」
「……いらないね」
クラーケンは姿形はほぼイカなんだけど、色は赤で足は八本。イカでもなくタコでもなく。君はどっちなんだ? とはじめで図鑑でその姿を見たときに首を傾げた記憶が蘇ったわ。
「クラーケンはクラーケンだ」
「最もなお言葉ありがとう」
そう、クラーケンはクラーケン。海洋生物ではなく魔物。
「どうせならあの干したら最高の身と、魔石が欲しかった」
「ああ、廃棄素材を持ち帰る代わりに勿論身の一部は干したあとにもらうことにしてあるし、魔石も買い取りの手続きをギルドにしてきた」
「流石ー! 大好きグレイ!!」
そう、身もそうだけど私はクラーケンの魔石も欲しいの。
クラーケンの魔石は暗い所に置くとぼんやりと光を放つ自然発光魔石。これが光の下ではとてもきれいなアメジスト色で、最大二十五メートルサイズになるその巨体にふさわしく魔石も大きい。その魔石はカットしても自然発光する性質は変わらないので、小さくカットしたものを嵌め込む事で夜や暗い場所の位置確認に非常に役に立つ。
うちのお店ではお値段高めのランタンやランプシェードに嵌め込んで手元が見やすくなるオプション付として売るために欠かせない魔石。
クラーケンは他にも大型化した個体の吸盤は硬質ながらも衝撃吸収もあるため盾や兜になったり、眼球の内側のゼラチン質な部分はポーションの材料にもなる。他にも一部の内臓が薬として珍重されていたりとなかなかに有用な魔物だったりする。
しかし……。
「トタン板はいらないわぁ」
「それがなんだか分からないが、とりあえず見てくれ。綺麗に洗浄はしてもらっているから匂いなどはない」
「うーん、まあ、見ては見るけど……その前に」
バーベキューしよう!!
とりあえずトタン板的な物体は置いておく。
海鮮をたらふく食べたあと、ちょっと眠くなっちゃったのでお昼寝でもしようかなぁという私の視線を掠めたのがあのトタン板ならぬクラーケンの甲。
ドーンと、侯爵家の別荘の広い部屋の端に床に置かれている。
「せっかくグレイが持って帰って来たんだしね、まあ、見てみましょうか」
使用人さんたちも興味津々な顔をして甲を取り囲む。何でもこれは今まで廃棄素材だったためにこうして間近で見るのは初めてなんだそう。料理人だけはトミレア港のお店で一時修行していたときに見たことがあるけれど、あくまで捨てるものなのでこんなふうに綺麗に水洗いされた状態は今回が初めてとのこと。
「不思議な質感だね、これ。ちょっと撫でた感じはゴムに近いかも」
「繊維の塊なんだよ、ほら」
「え? あ、ホントだ」
よくみると、甲は細い繊維質のものが纏まっているのが分かる。おそらくこれ一本一本が透明か半透明のもので、それが纏まっているから乳白色なんだろうなということが分かる。グレイは綺麗に切り落とされた先端をナイフで少し力を込めて削ぐように撫でる。すると断面が次第に解れて細い繊維質であることがよりはっきりと分かるようになった。そして、ある程度解れるとナイフと指で挟んでグレイは一気に引きはがす。
「うわっ!」
ビーッと、ガムテープを引き伸ばす時のような強力に密集して束になっていたことを伺わせる音を立てながらその繊維が約二センチほどの幅で長さ四メートルのまま、綺麗に剥がれた。
「えっ、想像してたのと違う! もっとイカの甲に似て途中で折れたりするのかと思った!」
「あの巨体と運動能力を支えるには強度だけでなく柔軟性も必要性だろうな、だからこういう伸縮性のある繊維が束になっているんだろうと考えられている」
「……今、何て言った?」
「ん?」
グレイが聞き捨てならない事を言った。
伸縮性?
「これ、伸縮性があるの?」
「ああ。これでもまだ硬すぎてジュリでは引っ張ることは無理だが……ほら」
薄く削いだそれをグレイはさらにナイフで断面部分を擦り繊維を細かくすると、それをやっぱりナイフで一気に剥がした。
「ほら、これくらいならジュリも伸ばせる」
「……」
渡されて、両手でしっかり握りそれを引っ張った。
「!!」
「ジュリ?」
「これ、一番細い状態まで解せる?」
「ああ……やってみよう」
何かを察したらしいグレイは、今度は丁寧に、慎重に繊維の断面をナイフで解す。
「隨分細いね……」
「そうだな」
「千切れない?」
「どうだろうか? ここまで細くしたことはないからな……これでどうだ」
音はならず、その繊維はグレイに引っ張られるまま伸びて引き剥がされると、最後にビヨン! と勢いよくはねながらくるくる丸まり最終的には直径三十センチの円になるような感じで落ち着いた。
その繊維の端を持ち、再び引っ張る。
「伸びる」
「ゴム程は伸びないぞ」
「うん……でも、そこそこ伸びるよ」
「ん?」
「これ」
「ジュリ?」
「『伸びるテグス』にならないかな……うへ、へへへ、テグス……」
何故廃棄されてきたか。
理由は明確。
そもそ伸びる糸というもの自体が需要がなかったから。私が伸びるテグスを欲していた理由は、透明な天然石やガラスのビーズで作るブレスレットやアンクレットを作りたかったからなんだけど、最近までその透明なビーズ自体が珍しかった。だから透明なテグス自体が必要とされてこなかった。そして、このクラーケンの極めて細い繊維、伸びる故に需要がなかった、という意外な事が判明。
「伸びるから釣り糸や網には出来ないんだよ」
「あ、そっか……それこそ伸びない丈夫なテグスが開発されたならかなり需要はあるだろうけど、伸びる事が欠点なわけね」
「ああ、しかも劣化が早いはずだ」
マジか!! それはショックだ!! と私が打ちひしがれるとグレイに頭を撫でられた。現在伸縮性のあるものといえば主流はゴム。日本で売られていた一般的な輪ゴムサイズの細くて均一なものは手には入らないけれど、それでもそれよりも太いものなら入手できるし、何より地球のものに比べて耐久性がいいように思う。若干硬さはあるけれど、それでも服に使ったりするのに不便はないため、そういうことも他の伸縮性のある別物の開発や発見に至らなかった要因のように思える。
「ただ……この甲は昔から廃棄されるものとして誰もその詳細を調べたことはない。だから劣化が早い、とは言われるがそれが数週間なのか、一年なのかもはっきりと分かっていないし、その劣化も物理的に弱くなるのか、それとも変色だけなのかもまずは図鑑で確認してみるのがいいかもしれないな」
「……クラーケン、可能性を秘めているといいなぁ」
伸びるテグスが欲しい私は適度に伸びるその透明なクラーケンの甲の繊維を引っ張りながらこの手のことに詳しいフォンロンギルド職員のレフォアさんたちに帰ったら相談することにして、残りの休暇を満喫することにした。
ビヨーン、ビヨーン、びよ~ん……。
ただひたすらにクラーケンの極細繊維を引っ張っては戻し、引っ張っては戻しを繰り返すキリア。
休暇明け、出勤して直ぐにキリアに『面白いものを見つけた』と渡したら、以降ずっと無言でこの状態が続いている。
続々と出勤してくる女性陣がそんなキリアに奇っ怪なものを見る目を向けながらもいつも通り挨拶すると、キリアは何とも素っ気ない挨拶を返すだけ。
「ちょっとキリア、挨拶はちゃんとして」
「あとちょっと!」
「は? 何が?」
「……はい、これで千!!」
「え」
「耐久テストしてみた」
「……あ、そう……」
朝礼に集まったメンバーが無言で『それ今まですることかな』と言いたげな顔をしたのも無視で彼女はまたビヨーン、を繰り返す。
「はい、制作主任は二千を目指して耐久テストを勝手に始めてしまったので本日午前中はいないものとして皆さんよろしくお願いします。では今日の各ポジションですが……―――」
ローツさんに『止めないのか?』という視線を強めに向けられたけどね、こうなったキリアは止められないし、止める労力が無駄なだけなのでね。私は粛々と朝礼を進めるだけよ、うん。
「クラーケンの甲が繊維の塊であることは知っていましたが、それをゴムの代わりにならないかと考えるジュリさんは凄いですね」
婚約式後、インテリイケメンっぷりに磨きがかかった気がするロディム。
流石公爵家が魔導具の研究などをしているだけあって、ロディムは廃棄されるだけのクラーケンの甲の伸縮性についても知識があった。
「透明なテグスがずっと欲しいと思ってたの。でもなかなか見つからなくてね、開発するにも莫大な費用がかかるから半ば諦めてはいたんだけど代用品として使えるだけでも価値はあるかな、と」
代用品、という言葉に反応したのはロディムだけではない。同じくクラーケンの甲について資料を集めて持ってきてくれたレフォアさんたちフォンロンギルドのいつもの三人も。
「これをそのまま、活用していくのではないんですか?」
レフォアさんはちょっと驚いた顔で質問してきた。
「活用出来るなら活用していくよ。でもねぇ……グレイの話だと劣化が早そうなんだよね。そういう研究はされてこなかったから実際にどれくらいで未使用の状態で劣化が始まるのか、何とも言えないけど」
そう言うとロディムがなるほど、と小さく呟き頷いた。
「ジュリさんがよく言ってますよね、そのまま放置した状態でどれくらいで変色するのか、硬化するのか、そういうことですよね?」
「そうそう」
「言われて見れば、クラーケンの甲の未使用での経年劣化についての研究はされていないはずです。おそらく、早い段階で素材として諦めざるを得ない速さでの経年劣化が起こるんでしょうね」
「そういうこと。だから一言で済まされて来たわけよ、『使えない』って。ただまあ、それは武具や日用品として酷使する条件下での話し。私の場合それは考慮する必要はないから、クラーケンのこの繊維は伸びるテグスの代用品になればと思ってる。そのうち余裕が出来たら透明なテグス、そして伸びるテグスの開発に着手して、テグスの代用品としてクラーケンの繊維を格安で売れる環境を作れたらな、と理想があるのよ」
テグスの開発はねぇ、簡単ではないと思ってる。
なのでせめて開発されるまで繋ぎになってくれればありがたいクラーケンの甲。
そんなわけで研究大好きメンバーには、しばらくクラーケンと向き合って貰うことにした。
クラーケンの見た目、オリジナル感出したくて作者が勝手に作ったものなので『ちがう!』というご意見苦情はご遠慮下さるとありがたいです。




