29 * 懐が広く深くそして腕が長い男が考える事
最近イベントだ、婚約式だと通常のお店の営業以外でもバタバタしたことが続いたせいか、打ち合わせや面会などの予定が入っていないだけでなんだか非常に穏やかな日だなと感じてみたりする。
その穏やかさならゆっくり相談出来るタイミングと踏んだのかグレイが一人心の中で温めてきたことを話してくれた。
「領民に対して特別なこと?」
「ああ、貧困層の生活改善の活動に積極的に参加してくれた個人に対して何か出来ないかと考えていた。そこから色々と考えているうちに……個人でも団体でも領の発展や領民のためになった慈善活動含む、領に対して貢献した者に、何か与えられないかと思ってな」
「……それはいいかも」
最近、ククマット領は貧困地区が縮小となった。
強制的に立ち退きを命じたわけでも、気づいたら減っていたというわけでもない。
貧困地区に住む人たちの一部が生活再建に成功して一般の賃貸住宅に住むことになったから。
兼ねてから私も力を入れていた貧困地区の人たちの自立。
仕事をただ与えるのではなく規則正しい生活を送ることから始め、そこに身だしなみを整える習慣を身に付けさせ、読み書き、計算、そして一般常識の課題を与えて最低限の知識を身に付けさせる。
こうして、最低限の生活が保証されている反面それ以上のことは認められていない貧困層の人たちの自立のために日々ククマット領内で話し合いや活動をしている人が何人かいる。
貧困地区というのはどの領でも無くそうと思っても簡単には無くせない問題。あのアストハルア公爵領にさえ、貧困地区はいくつか存在しているのだから。
ククマット領が狭く目の届きやすい広さであろうと、物作りによって好景気になり全体的に所得が上がり豊かになってきたと言っても、それでも貧困は無くならない。
ククマット領の場合、グレイが領主になった時点で大幅に貧困層への保護内容が変更となった。
まず、路上生活は一切認めず必ず所定の施設に入所することになった。これを拒否する場合は領内から強制退去となる。こうすることで近隣の住人との無用なトラブルをまず起こさせないようにした。
そして徹底して健康状態と生活環境の把握をし領で管理をすることになった。
これは、病気や怪我でやむを得ず無職となり保護が必要な人、片親で子供が小さく思うように常勤の勤めが出来ない人など働くことが困難な人を優先して保護・支援するため。
健常かつ成人している人たちはまず生活基盤の改善と社会復帰をさせ働かせようという領令を定めた。
領民の税収によって成り立つ領の運営。当たり前の事だけど全員がそれを理解し受け入れて生活しているわけではない、これもどの領でも同じように解決できずにいる問題。
それを何とかしようと領主だけでなく領民が率先して考え日々活動してくれるのは、この狭い領地ならではなのかもしれない。目が届くということは、それだけ嫌な部分も目につくということ。それを無視できない人というは世の中に結構いるのよ。
「栄誉賞……褒賞? そういうことだよね? 領の発展・維持に貢献した人への領主からの褒美。何がいいかなぁ」
「何かいい案はないだろうか? 年に一度、大きな祭りの際にその授賞式などの場を設けるのもありかと思ったのだが」
「そうだね、それはやりたいかも……ちょっと考えてみようよ」
こうして私とグレイで意見を出し合うこととなった。
褒賞として何が相応しいのか、と考え出すとキリがない。
相応しいよりも、貰って嬉しいものが手っ取り早いという考えは、これは夫婦だからなのか全く同じだったため案外簡単に決まってしまった。
盾、トロフィーという見てはっきりとわかりやすい物が良いのかもしれないけれど、私そういう場所を取るものいらないんだよなぁと呟けば旦那もいらない、というので他のものにしようとなって。
「いっちばん、分かりやすく貰って嬉しいものってお金だよね。でもちょっと生々しいよねぇ……」
一枚百リクルの金貨を指で摘んで眺める。こうして改めてまじまじと観察をしていたら地球では記念硬貨を限定販売することが度々あって、それはケースに入ったものだったことを思い出す……。
「……ケース、ありかも」
「うん?」
「ねぇ、金貨の上、大金貨って一般にはあまり出回ってないよね?」
「そうだな、武具や宝飾品、高価な物を扱う店ならまだしも大金貨を出されても釣りを出せる店自体が極めて少ないからな」
大金貨は金貨十枚分で凡そ日本円だと十万円くらいのもの。この大金貨は仕入れや一点物の売買で大きな金額が動く時以外はうちの店でもほぼ扱わない。基本、普通に生活しているとお目にかかる機会は滅多にないお金。
「大金貨を専用のケースに入れるのってどう?」
「専用のケース?」
「うん、重厚な作りのケースで、そこに受賞者の名前と授与式の年月日の入ったプレートを付けるのどうかな、と思ったの」
「なるほど……」
「可能なら未使用の、新品の大金貨。あれって模様も凝ってるし綺麗だから。私のいた世界にあったのよ、大きな式典に合わせて記念硬貨っていうのが販売されて、それは大体専用のケースに入っていてそれをコレクションする収集家もいたくらい。こちらの世界で記念に貰うもの、そういうのってないの?」
天を仰いで暫く考えたグレイはふと視線を合わせてくる。
「……勲章になるのかな。私だと騎士団に入団したとき、団長に就任したときとそれぞれに専用の勲章を授かっている。あれは一生物で色や形でどの年代のどの団員だったのかもわかるようになっていた。あれも専用の箱がある」
「勲章。それもいいね? 記念硬貨代わりに大金貨と、クノーマス領主からの勲章、ありじゃない?」
さて。
大金貨については滅多に出回らないものなのでそもそも使い古して傷だらけ、というものが少ないらしい。さらに民事ギルドに行けば両替が可能で日数を貰えば確実に未使用の大金貨にしてもらえることも分かったのでプレートとケースを作れば解決。
そして勲章。
どうしようかなぁ、と急ぎの案件ではないのでのらりくらりと考えていたら。
「ジュリさん、チェックお願いします」
「ん? なんだっけ?」
「新しい自警団の腕章です」
「ああ……」
自警団で取り入れたククマット編みのワンポイントが付いた腕章は今や他の領でも取り入れられており、色は勿論様々な模様の入った物が見られるらしい。腕章については専門の作り手がいるほどで、均一で丁寧な作りから多方面から注文が入る。
今回ククマットでは擦り切れた、汚れたなどで交換の回数が増えてきたのでどうせ作るなら新しくしてしまおうとなったのよ。
「うん、いいんじゃない? 相変わらず丁寧な仕事をしてくれてるわ、このまま進めてくれていいよ」
《レースのフィン》の従業員にそう伝え、去っていくのを見送ってふと思いつく。
「勲章って、グレイでも普段付けないよね?」
「そうだな、あれは正装をする時に着けるものだから」
「名誉だから基本しまい込んでても構わないけど……」
「けど、なんだ?」
「イベントに参加することもあるじゃない? 慈善活動だけをしてるわけじゃないでしょその人たちも。そのときに、領主から褒賞を授けられた人って分かるように特別誂えの腕章をしてもらうのもいいかな、と」
普段からこの人は領のために活動をしてくれているよ、と分かるようにする。
強要はしないけれどその人たちが腕章をつけてくれることで『特別感』を感じて貰えればと思う。
つける側はそのことに優越感を感じてもらっていい、それくらいのことをしてくれているから褒賞を授けられるんだから。見る側はその『特別感』と優越感に少しでも触発されてくれるのを狙いたい。
栄誉賞が欲しいから慈善活動をする、と聞くと偽善だなんだと非難する声は出てくるはず。そんなのは仕方ないことで寧ろ全くないとなればそれこそ意図的に隠蔽していると疑いたくなる。
非難なんて何をしたって大なり小なり起こるもの、それよりも理由が何にせよ自発的に慈善活動をしてくれる人を増やしたいし、そういうことがしやすい環境を作りたい。
狭い領だからこそ、ボランティアは必須。領の税収だけでなくグレイ、私の私財も有限なのだから。全てをお金で解決出来ない、無料、無償で領の発展に貢献しようという人は今後さらに必要になってくる。
「年間、最大で二組かな」
「え?」
「必ず選出するのではなく、最大で二組、年により該当者なし、ということもあるのはどうだ? 領の発展や維持に貢献したとなるとそれなりの活動が目に見えている人物となる、厳しい線引が必要だろう」
「そうだね、それでいいと思うわよ。その人たちには腕章、勲章、そして記念硬貨。……可能なら一年間大きな催事で貴賓席に最優先で座れる、というのも加えられる? うちの場合侯爵家の他に知り合いの貴族や地位の高い人が必然的に出席するでしょ、そこに並んで座れたら名誉じゃない?」
するとグレイはクツクツと笑う。
「大丈夫か? 緊張して何をしているのか分からないとなりそうだ。その日の疲労が目に見える」
「そこは何事も経験よ、というかククマットは貴族が普通に闊歩してて皆慣れてると思うけど?」
「ああ、それもそうだな」
二人で笑う。
「……グレイセル様が領主で良かったと常々思ってはいますが、これはまた……あなたの下で働けることに感謝です」
ローツさんはグレイが纏めた『ククマット栄誉賞』の書類に一通り目を通してからそう言葉を漏らした。グレイは苦笑しつつほんの少し照れくさそうにする。
「凄いことですよ、領民は領主のために働く、それが当たり前のこの環境で、そのことを領主自らが感謝して褒美を与える……領民の生活の維持のための公共事業ではなく、こういう還元をする領主なんて、今までいませんでしたよ。褒賞なんて国がするものでしたから」
「まあ、売名行為だと批判される覚悟が必要だがな」
「そんなの言わせておけばいいんです」
きっぱりとローツさんが言い切った。グレイはちょっと面食らったらしく目を見開いて、瞬きをした。
「直ぐには出来ないからね、その書類にも書いてあるけど、どういう基準・条件にするか、選出は誰がするか、まずその草案からになるの。自警団とククマットの市場組合にも話を通して意見を募っていく必要もあるから早くても一、二年後かな、と。領内では大きな批判は出ないと踏んでるけど、外は違うはず、その批判を最小限にするためにもいつもの勢いでは進められない、あくまで領民も納得した栄誉賞だという礎が必要だし、欲しいところ」
ちなみに、こんなことを考えて実行しようと動けるのは元々グレイが資産家であること、基盤はクノーマス領から引き継いでいたものなので大改革などによる出費が最小限であったこと、そして税収が多いことが要因。この三つが揃っていたからこそグレイも私に相談出来たことでそして実現に向けて計画出来ることを忘れてはいけない。
ローツさんもそれを理解は、している。
しているけれど。
グレイの視野の広さ、そして腕の長さにただただ感服しているらしかった。
視野の広さ柔軟さは私も出会ったころから知っている。
そしてグレイの強みは自分の懐に入れた人たちを守れるその強さだ。
しかも、その腕の長さたるや私もちょっとどうなってんの? と疑問を抱えてしまうほど。
この男の守ろうとするものの多さ、重さを苦にせず抱えていられるその姿には素直に尊敬の念を抱く。
グレイが自警団のルビンさんやバールスさんたちと打ち合わせに行ってくると席を外すとローツさんが語りだした。
「自分のところの団員はとにかく厳しく育てたし独自の規律を設けて強制させた。けれどその代わりにグレイセル様は公私共に団員の家族ごと大事にしたんだよ、姉が結婚すると言えばその式の費用を出してやったり、親が怪我をした、病気をしたと聞けば治癒魔法の得意な魔導師をその家まで行かせたり、勿論治療費はグレイセル様持ちだ。遠征後の休暇には店を貸し切って団員に好きなだけ飲み食いさせたりもしてたな」
「それ聞いたことある。相当大事にしてたみたいだよね?」
「ああ、俺もその一人だ。隊は違ったが気に入られて親しくなってからはとにかく良くしてもらったよ。……セティアの家から婚約破棄を言い渡された時も、俺を擁護し味方になってくれた。あれがなかったら今の俺はいないだろうな」
懐かしい思い出と共にローツさんはグレイへの感謝と尊敬を語る。
「仕事を淡々と熟す姿や裏切った人間に容赦ないから、それがインパクト強すぎてグレイセル様は王都で恐れられたが懐に入れた人間があの人を裏切らないのは、あの人がいつでも最大限出来ることをしてくれていたからだろう。騎士団を辞める時、団員がグレイセル様以外の団長の下に入る気がないからと全員が退団を申し出た時は王宮は相当パニックになったと聞いている」
「半数は何とか残せたんだっけ?」
「半数もいないよ、女団員だけだ。女の騎士は貴重だ、女しか入れない場所での王族の警護には欠かせない。グレイセル様仕込みとなれば例外なく優秀だから、給金を倍にさせること、さらなる優遇をすることを王宮に約束させてグレイセル様が残してやったんだ」
それも凄い話だよね。
「男の団員たちはまぁ……あのグレイセル様に鍛えられて平気だったから一癖ある奴らばかりで、全員が引き止められたにも関わらずグレイセル様が退団すると同時に辞めていったよ。今何してるんだろうなぁ、あいつら。野放しにしておくのがちょっと怖いやつばっかりなんだけど」
それは怖い! ローツさん、笑い事じゃないと思うけど?!
「グレイセル様に迷惑をかけるようなことはないから安心してくれ」
笑ってローツさんはそれでも、と続ける。
「ジュリと結婚して、グレイセル様はさらに懐が広くなって腕が長くなったと思っている。それが良いことなのかどうか俺には判断ができないが……この領にとって、領民にとって悪いということはないだろう」
私の【知識と技術】が影響している、とも付け加えた。
前を見続ける、視野を広げる好奇心がグレイセル様を動かしているんだろう、と。
好奇心。
それが良くも悪くも人を動かす。
グレイの場合は良い方向に動いてくれているらしい。
ローツさんと二人、そんな領主の思いつきのせいでまた忙しくなるねと笑ったとある午後。
たまにはグレイセルの領主としてまともな所を書いてあげようと思いついた話でした。




