28 * とある伯爵夫人、憂鬱を語る。
今回初登場、そして今後登場するか不明な方の語り。
ジュリの知らないところで起こっている事、という感覚でお読みください。
私がメルセリオ伯爵家に嫁いできて早十九年。
夫であり当主であるゼイン・メルセリオ伯爵は常々言っている。
可もなく不可もなく。それがいいんだよ、と。
若い頃はもっと贅沢に、もっと豪華に、貴族としての見栄に縋りついて日々を過ごしていたからそんな夫に不満を抱えることは多かった。
けれど、子供が生まれ一時期社交界から遠のいてみるとその見栄によって随分余計な疲労を抱えていたのだと気付かされた。領地経営に携わり、子育ても我が子の将来のために良い教育を与えてやりたくて勉強をし直すことにして、そうして今までの環境から新しい環境に踏み込んでみると案外楽しくて。
社交界には周りに顔を合わせる回数が減ったことであらぬ噂が立たない程度に足を運ぶ、それこそ可もなく不可もなく、目立たぬようにして変わりつつある環境を楽しむようになっていた。
昨年から長女が王都の学園に通うようになり、来年には長男も学園に入学することになるだろうと思って、ふと、もうそんな時期なのか、と思うと同時に小さな小さな疑問が浮かんだ。
「あなた」
「どうした?」
「ガリトア伯爵家のユージンさんが、クノーマス伯爵領で講師になりましたでしょ?」
「ああ……画家を目指していた彼に絵画教室の講師をお願いしたそうだね、それがどうした?」
「来年、セルジュの進学は、王都の学園のまま、変更はありませんの?」
夫は、あえて含みのある言い方をした私に視線を向けてきて、手にしていた本を閉じると座っているソファーのサイドテーブルに置いた。
「アメリ……セルジュは私の後継者だ。ガリトア家はユージン君が継がずとも弟がいるし、後継者問題は全くなく良好な家族関係だと聞いている。だからこそ、ユージン君はクノーマス伯爵のところへ行けたし、クノーマス伯爵も受け入れたのではないかな」
「……我が伯爵家の後継者は、リースではだめなのでしょうか」
「おまえ……」
夫は目を丸くして、言葉を詰まらせた。
「ふう」
「なんだ、ため息なんて。その手紙は誰からだ?」
「スティラからです」
「……またか」
夫は呆れた声で、心底嫌そうに呟いた。
「君の友達だから悪く言いたくないんだが……親しくしているのをいいことに、こちらに頼りすぎではないか?」
「ごめんなさい、こちらにも都合があるからそんなに言われても困ると返信しているのだけど……」
「付き合いを見直すことは、出来ないか?」
「そういう時期なのでしょうね……あなたのお名前借りていいかしら? そうすればあちらは引き下がるしかないもの」
「ああ、そういうことなら好きなだけ使ってくれて構わないよ」
私が学園を卒業し、社交界に出入りするようになって間もなく数人のお友達が出来た。当時はまだここまで派閥間の溝がなかった時代で、政治や領地経営に影響を与えにくい貴族の婦女子はわりと派閥を無視した友人を持ち、自由にお付き合いをしていた。
かくいう私も例に漏れず、地位などもあまり気にせず楽しいお茶会を開ける友の一人として後の強権派の子爵家夫人とそれなりに親しくなっていた。
それから時が経って。
現在、その子爵夫人に悩まされている。
執拗にお茶会を開かないのかと、開くならいつになるのかと、手紙が来るようになった。
「ジュリさんは強権派の茶会には基本行かないし、もう行かないんじゃないかな……。先日強引な言い分で招待されて行った時は、付添人にアストハルア元公爵夫人とクノーマス元侯爵夫人が両脇を固めて事実上強権派は一切の手出しが出来なかったそうだから、今後もジュリさんを招待すると言うことはあのお二方が必ず付添ってくるのを承知で誘う必要があるね。あのプレッシャーを跳ね除けられる夫人はベイフェルアにいるかな? まあ、あれで強権派はジュリさんに招待状が送れなくなったんだけど……我が家は穏健派、しかも、クノーマス伯爵とジュリさんの結婚式に招待されたし出席もしている。その後も何か催し物があれば招待状を貰う位には、親しくさせてもらっている。我が家が招待状を出せば、状況によってはクノーマス伯爵夫妻は来てくれるだろう。それを知っているからの君への手紙だが。それにしてもあからさまだね、茶会を開けとあからさまな文章……友達だから許されると思っているのかな。この感じだとどこかから突かれているかな」
「……とにかく、茶会は当面開く予定はありませんと返信しておきます」
「そうしてくれ。それと私はアストハルア公爵様に念のため報告しておくよ、我が家だけでなくこういう話で困っている家があるかもしれないから」
「そうですね、それがいいです。お願いしますわ」
「我が家はまだしも……子爵、男爵となると、手紙で断るのも大変な場合があるから……」
国が認めていないため、ジュリさんは【彼方からの使い】ではない、という人がいる。反面、国が認めていないだけで【彼方からの使い】であると認めている人は圧倒的に多い。
そのジュリさんがクノーマス伯爵と結婚したことでクノーマス伯爵夫人となったことは、少なからずベイフェルア国内の貴族の間で波紋を呼んだ。
まず、中立派の殆どは堂々と彼女の生み出す物や技術を容易く享受できる状態だったうえに彼女を同じ派閥の夫人として歓迎し、派閥同士助け合いましょうと彼女を守り囲うことが出来るようになった。とくに彼女が伯爵夫人になる前から彼女を擁護してきた家、夫人にはクノーマス侯爵家、伯爵家それぞれから催事があるたびに招待状が届く。
穏健派は、爪染液が取れる樹木の栽培をきっかけにまずはナグレイズ子爵、そして移動販売馬車のことでアストハルア公爵家が接点を持ち、そこから徐々に繋がっていった。クノーマス侯爵家による厳しい基準が設けられ、ジュリさんとの接触は店のみだったところへ、『覇王』のことがあり一気に交流の手段が広がった。ただし、このときアストハルア公爵家から出来る範囲でいいので資金、物資、人材の無償提供が出来る家に協力を求める、という呼びかけに応じた家のみが、後日アストハルア公爵様から御礼、そして労いの言葉と『ジュリに取り次いでやっても良い』という手紙が返ってきた。公爵家という強力な紹介にも制限があったことに夫と二人で驚いた反面納得もしたけれど。
そこに運良く入ったのが我が伯爵家。結婚式にも招待していただき、更にビンゴゲームなる非常にヤキモキさせられるゲームでは夫が 《レースのフィン》主催であるフィンさんの編むレースのフルオーダーの権利を引き当てた。それに伴って自然と接する機会が増え、私はジュリさんが伯爵夫人となって初めてのお茶会にも招待される幸運にも恵まれた。更には、その場で私が思いつきで口にしたことが採用され、この世で一つ、私だけのオリジナルの日傘を手に入れるという事にも繋がって。
フルオーダーのレースの品々、そしてオリジナルの日傘。
ある日のお茶会でアストハルア公爵夫人がそれらを称賛したことが多大な影響となったものの、影で私の悪口を言い笑い合っていたご婦人方がそれ以降一切私の悪口を言えなくなる程に、ジュリさんとその周囲が生み出すものは社交界に影響を与え始めている。
日増しに私へのお茶会と夜会の招待状が増えている。
そして、それと同時に『もしお茶会をするときは是非呼んでください』という手紙も増えた。
その中にはほぼ顔を合わせていない、社交界でも挨拶しかしない学園時代の同級生や、こんな人いたか? と夫が首を傾げる自称親戚も含まれている。
その中で群を抜いて手紙を送ってくるのが、子爵夫人。
始めのころは仕方ない、と思っていたけれど。
最近は不愉快な表現も含まれるようになった。
『クノーマス伯爵夫人を招いたお茶会を開いたらきっと皆が行きたがる』という内容は、最近では『早く招待状を送ったらいいのに。モタモタしていたら流行に乗り遅れて笑われることになるのはあなたよ』のような内容に変わって。
そして今回届いた手紙。
『本当は親しくないんじゃないの? 本当のことを言って頂戴、今なら怒らないわ』
と。
そして最後は必ず『彼女が来るあなたのお茶会には私も出席するわね』と書かれている。
強権派は完全に出遅れている。
この差はもう埋められない、と夫は断言している。
強権派のとある二家が螺鈿もどき細工の共同開発・生産でクノーマス家との繋がりを得たものの、筆頭家であるベリアス家のその二家への対応が決して褒められるものではなかったため、その二家は中立派に鞍替えしてしまった。裏切り行為だと責められ、だいぶ横槍を入れられ一時期領地経営も事業も妨害を受けて苦しい時期があったらしいけれど、それを支えたのが中立派筆頭のクノーマス家とツィーダム家と言われている。
その二家が派閥から離脱していなければ繋がれたであろうジュリさんとの縁を、強権派は完全に絶たれたも同然になってしまった。
そして、我が伯爵家も属する穏健派の筆頭家、アストハルア公爵家がジュリさんの結婚式に夫婦揃って出席、そして次期公爵となられるご嫡男ロディム様がジュリ様の許で経営について学ぶためククマット領にいることが、強権派全体をさらに抑え込む要因となった。
ククマットには中立派は勿論、穏健派の家々の誰かしらが常にいるため、強権派はジュリさんのお店に買い物に行くことは出来ても、それ以外のことは出来ない。
ジュリさんがそうさせているわけではなく、派閥、というものが自然とそういう環境を作ってしまっている。
だから子爵夫人は私に何度も手紙を送ってくる。
何が何でも、どんな手段を取っても、ジュリさんとの繋がりを得たいから。
おそらく、強権派の爵位の高い家からなんとかしろ、と言われていているのだろう。
「ベリアス公爵夫人が随分ご機嫌斜めな話は有名だからね」
「ええ、あの方には困ったものです。あなたの前だから言えますけど、同じ強権派の伯爵夫人が人伝に手に入れたジュリさんのお店の商品を半ば強引に奪ったのに、それが一点物ではなかったと知って壊して捨てた挙げ句、一点物を手に入れて来いと命令なさったという話、あれには本当に呆れましたわ」
「まったくねぇ……ジュリさんに会うなりその場で厄介払いをしてクノーマス侯爵に押し付けた自分の夫の責任についてはどう思ってるのかわからないけれど、関わりたくない人だ」
「アメリ」
「はい?」
「セルジュのことなんだが」
「……はい」
「やはり学園には予定通り行かせるよ」
「はい、分かりました」
「本人に確認した。学園で交友関係を広げて将来に繋げたいし、学園でしか学べないことがあるから学園に行きたいと言っていた」
「そう、ですか」
「ただ……もし、可能なら、まだ婚約者も決まっていないから、卒業までに婚約者が決まらなければ、一年でいいからククマットで生活してみたいと言われたよ」
「え、セルジュが?」
「うん、あの子なりに考えたんだろうね。姉のリースは溌剌としていて人付き合いも得意だ、女伯爵として我が家を継げる素質があることは、あの子はよく分かっているようだ。でも、だからと言って無責任にリースには押し付けたくないようだね。ちゃんと、家の将来のことを考えてくれている」
「そうだったんですね……」
「……あの子は馬が好きだろう? クノーマス伯爵の所有する軍馬の繁殖・育成事業は余程衝撃だったらしい。見学に行って以降、この領でもいつか必ずクノーマス伯爵のような軍馬事業を自分の手で起こし大きくしたいという夢が出来た。少し気弱な所があるけれど、あれからは随分たくましくなったと思っている。……すぐにククマットに行かせてもいいかもしれない、しかし、学園で生涯の友を見つけ、時にはその友と悪さして、しっかり学びつつ良い思い出を作ってからでも遅くないと思うんだ。結婚だって、無理に早くに婚約者を見つける必要はない、やりたいことをやって、将来の為になることを身に付けて成長した方がきっとその努力や身についたものを認めて尊重してくれる人と出会える気がするから」
大らかな人柄として知られている夫にそう言われて、少し焦っていたのだと気付かされた。
何に焦っていたのかと問われると答えに困ってしまうのは、それはきっと本来なら悩んで結果を出さずとも大した影響もないどうでもいいことだからかもしれない。
貴族の無くても困らない見栄が未だ残っている自分に呆れため息が出てしまった。
「ええ、そうですわね」
「……」
かつては学びも苦楽も共にした子爵夫人の手紙を、私は思い切って破って捨てた。
「……ごめんなさいね」
『いつになったらあなたはお茶会を開くの? いつまで友を待たせるの?』
最早私への気遣いすら感じられない手紙だった。
そうせざるを得ない事情があるにせよ、これはあんまりだと声に出してしまった。
―――女の友情は壊れやすいのよ。そもそも壊れやすいそれは友情だったのか怪しいけれど―――
誰だったか、学園時代に面白おかしくそう説いてみせたご令嬢がいた。
そんなことを不意に思い出した。
だからまた、ため息。
裏事情を書くとどうしてもモブの存在が必要になります。そのときにより名前を付けたり付けなかったりしているのですが、付けないと名前を呼ばれるシーンが入れられずちょっと文章に悩むし、名前を付けると後日別人に同じ名前を付けてしまい修正になる、というどちらがいいのか毎度悩むことの一つになってます。
そしてこの先のゴールデンウィーク期間の更新についてのお知らせ。
5月2日(火)の通常更新の流れに乗りまして3日(水)〜5日(金)まで本編をゴールデンウィークスペシャルとして連続更新致します。
その後、6日(土)と9日(火)は作者お休み頂き更新再開は5月13日を予定しています。
ご了承下さい。




