28 * ガラスはガラスでも
28章開始です
かつて当たり前に目にして、使用していた物がまだまだあると思いながら、ある時ふとそういえばまだ挑戦してもらっていなかったな、と知り合いの複数の職人さんに説明しそして開発をお願いしていた。
「結果は上々だな」
ガラス職人でシュイジン・ガラスの制作を唯一任せている私が最も信頼するアンデルさんは目の前にあるものを手にしてあらゆる角度から眺め口角を上げた。
「うん、かなり頑張って貰ったわね。シュイジン・ガラス、あれは秘匿すると決めているからアンデルさん以外には任せられないし、生産そのものが量産に向かないでしょ。でもこれなら……今後トミレア含めてこの一帯のガラス製品として使えるものだから」
こちらの世界のガラスはククマット領とクノーマス領トミレア地区から一気に広がり価格が徐々に下がり形も色も多様化し始め、他の地域にも広く強く影響を与えている。
ただ、他では未だ開発速度は芳しくない。
気泡の少ない透明度の高いガラス。薄く厚みの均一なガラス。多彩な色ガラス。
大陸全体でみると生産力は未だ地球の先進国の二割にも満たない、とそのあたりを調べるのが趣味なマイケルが教えてくれた。先日リンファがククマット産のガラス窓を持ち帰りセイレックさんの実家である伯爵家のガラスを職人総出で総取っ替えさせるという太っ腹というか、豪胆なことをしたときに、建築関連の職人さんたちがその透明さと均一な厚みに感動し話に花が咲いてなかなか作業が捗らずそれを見てブチ切れ数人がぶっ飛ばされていた、という情報をセイレックさんが教えてくれたくらいには、開発が遅れている。
そう、技術というより開発。
透明であること、丈夫であることに必要な原料やその配合、加工工程の改善改良が恐ろしく進捗が遅い。
日常生活を助ける便利なものが安定的に供給されているから今以上の開発が物凄く重要なことかと問われるとちょっと私も強く言えないんだけど、それでも新しいものを開発するって大事なことだと思うわけ。
そんな中で色ガラス、そして透明ガラスの品質向上及び種類の多様化が進むククマット領とトミレア地区のガラス職人さんたちは開発に強い興味を抱いてくれている。
「せっかくならもっと良いもの、便利なものにしたいな」
「そうだな、例えば……割れにくいガラスとか」
「ああ、それは俺も考えた」
「でもガラスは割れるものだしなぁ」
「それにガラス表面にギジレジンを塗ると割れにくくなるからその研究をジュリの所でやってるんだろ?」
「そうだな。けどよ、それって叩いたり落としたりしたときの耐性のことだろ?……でも熱は?」
「そうそう、熱な」
「割れるもんな。不思議だよな、同じ食器でも陶器は割れねぇのにガラスは熱湯入れるとすぐ割れる」
「そういや、あれ、何でなんだ?」
「……なんでだろうな?」
ガラス工房の親方達が集まる定例会議 (酒場で飲み会)でそんな話になったことをアンデルさんが教えてくれてたの。
その時アンデルさんはシレッと『不思議だよなぁ』と相づちを打つだけに留めたそうで。
理由は簡単。私はアンデルさんには教えていた。
耐熱ガラスを。
そう、耐熱ガラス。
「シュイジン・ガラスと工房で手一杯だからな」
とキッパリバッサリ私の無茶振りをお断りしてきたアンデルさんなんだけど? 一番最初に『お湯を注げるガラスってジュリの世界になかったのか?』と聞いてきた人は。で、グレイとローツさんを交え四人で極秘会談を行ったのに。
耐熱容器ガラスの開発はどう進めるか、と。
アンデルさんはあえてそのことを言葉にしなかったらしい。『あいつらなら同じ疑問を遠からず抱く気がする』って。
で、その予想通り『こういうときはジュリに相談してみる』という意見で一致したガラス職人を代表し、スノードームやダンジョンドーム、そして最近人気の動物のいる森を表現したフォレストドームのガラス制作を一手に引き受けてくれているテリーさんがやって来たタイミングで。
「はいこれ」
「え?」
「熱に強いガラス。『耐熱ガラス』に必要な素材と配合」
「え?」
「がんばれ!!」
「はい?!」
「私はガラス職人じゃないから作れません! 開発できません! でも職人さんなら何とか出来るっ!!」
「本気で言ってる?!」
「はい、あとこれは魔法紙の誓約書。当分秘匿技術にするつもりだからそれにサイン出来る工房のみ、その配合見ていいよってことで」
「……僕、今、見てるけど」
「うん、そうだね。テリーさんはこの場でサインしてってね」
「……」
『ジュリに頼み事をするってことはそれ相応にリスクがあるんだよ』と、後ろからのアンデルさんの呟きにテリーさんが黄昏ちゃったという小話は置いといて、秘匿することに関しては各工房の親方たちは特に異論なしでサラッとサインをしてくれている。
色彩が豊かになり、透明度が上がるなか、それでも意図的に気泡を残した風合い豊かな琉球ガラスこと虹ガラスは一般家庭で使われガラスの普及に役立つ事から価格としてはそれなりの利益、つまり工房の経営を圧迫しない利益を出せるようにはなっているけれど、今後普及することで価格は今より下がることを念頭にいれておかなければならない。
その時、せっかくガラス製品の生産地として名前が広まりつつあるこの一帯が衰退するのは避けたい。
私には野望がある。
ククマット含む一帯を、《職人の都》、そう呼ばれる土地にしたい。
そのためにも、多様なガラス製品の生産地として盤石な土地にしておきたい。ククマット編み、フィン編み、そして螺鈿もどき細工同様ここが中心として根付いて欲しい。
「ほう、よく出来てる」
アンデルさんはそれを手にとり曲線を指でなぞる。
「んなこと言って自分だって作れるくせに」
「そりゃお前、目の前に材料と配合置かれたら作ってみたくなるのが職人ってもんよ」
「ちゃんと私の頼んだもの、作ってるよね?」
「作ってるよ。あれはあれ、これはこれだろ」
この人もなんだかんだ言いつつブラック体質だからなぁ、放って置くと工房から出てこないらしくて弟子たちが引きずり出すとか言ってたし。
「すまない、待たせたな」
私とアンデルさんがどっちがブラック体質か、というどうでもいい事で盛り上がりかけた所にグレイが事務仕事を終えてやって来た。
テーブルの上の物を見て、一瞬立ち止まり、そして再び歩きだして私の隣に来ると立ったまま口角を上げてそれを手にする。
「……耐熱ガラス、か。遂に完成したんだな」
皆さん、花茶ってご存知? 別名工芸茶ともいうお茶。お湯を注ぐとお湯の中で花や葉が開いて、その見た目も楽しめるお茶。
あれを最大限に楽しむ方法は、ガラスのポット。
花茶はその特性から多めのお湯の中でないとその美しい全貌が見れず魅力が半減する。広がると結構大きいのよ。
たっぷりのお湯の中、ふわりと広がるその様はお茶の作法とは趣きの異なるエンターテインメント性がある。
実はこの花茶。
この世界にもある。
しかし、その花の開く様子を見るためにどうしているのかというと。
大きなボウルや器にお湯を入れて開かせる。
それをどうやってカップに移すのかって? 侍女さんたちがティーポットにお玉で移してからカップに注ぐの、これを見たときの衝撃。
(……花茶をお玉で……)
何度心の中でそうリピートしたか。
そして告白する。
私、花茶そんなに好きじゃない(笑)。ごめんなさい、味がイマイチ私の口には馴染まない。なのに、お玉で掬うの? それを飲むの? 気持ちが、気持ちが下降するの、うん。
せめてあの見た目を存分に楽しめたら味も違ってくる!! という人には言えない不満をついに解消するときが来たわけよ。
耐熱ガラス製ティーセット。
素敵、ガラスのティーセット、素敵よ!!
普通の紅茶だってその色を楽しめる!ハーブティーならもっと多彩な色を楽しめる!
ホホホホホホ!!
うはははははははっ!!
そんな目でも楽しめる耐熱ガラスのティーセットを作るためには、通常のガラスの原料である硅砂等の他に、ホウ素の化合物が必要となる。そもそもなんでガラスは熱で割れるのかというと、熱伝導率の悪さのせい。熱いものを入れたとき、その熱伝導率の悪さから直接温められた面は一気に膨張しようとする反面、熱が伝わっていない部分はそのまま。なのでその膨張率の違いによって生まれる差、とでもいうのかな? その差で生まれる力に耐えきれず割れてしまう。その膨張を抑える働きをする性質がホウ素にあるため、耐熱ガラスにはホウ素の化合物は必須となっている。ちなみに、シュイジン・ガラスことクリスタルガラスは鉛の化合物が入ることで極めて透明度の高い、そして重いガラスになる。化合物の違いでガラスは性質が驚くほど変化するので非常に面白い素材、と個人的には思っている。
で、勿論、ハルトにご協力頂きました。今回は耐熱ガラスのティーセットを作りたいと先に伝えたこともあって耐熱ガラスに必要な化合物を全て教えて貰い (素で頭がいいので)普通のガラスよりも融点がさらに高いなんて事も教えてもらい、ついでにその素材を【全解析】で探してもらった。その見返りにルフィナ専用耐熱ガラスティーセット一式、それに似合うカトラリー一式、ランチョンマットやテーブルクロスなど布製品一式、ついでにグラタン皿やボウルなど試作中のものを出来次第都度最優先でプレゼントすることになっている。ハルト様々ですよ。
ちなみに、グレイも【解析】という【鑑定】よりも上の【スキル】をハルトから植え付けられているけれど。
「……今日は全て文字化けする日らしい」
ということが多いので基本的にハルトにお任せしている。完全に宝の持ち腐れ状態。
ぽってりとした丸みあるティーポットらしい形のティーポットは最近の加工技術の向上もあって分厚くて重いなんてこともない。私が持ってた物に比べたらまだまだ厚みも重さもあるけど、つい最近まで透明度の高いガラスを作ることすら難しかったことを考えればこれは技術革新と言っていいレベル。
カップもソーサーも同様に厚みと重さが気になるなんてことはなく、非常に満足いくクオリティー。
「これに、擬似レジンのカトラリーを合わせるわけか。シュガーポットやグラスなど、ガラス製品はあったが、殆どのものを『透明』なものでテーブルの上を飾れることになるんだな」
「そう。もっと言えばテーブルの天板も椅子の背もたれもガラスや擬似レジンで作ってしまえば、凄いよね?」
「……凄いな」
想像してみてどう感じたのかわからないけど、グレイが面白そうに笑みを浮かべる。
どう凄いのか、と問われると正直わからん!! うん、何となく凄いと思うだけ、ごめん!
でも、面白いよね?
テーブル含めて手元のものが限りなく透明って。
そのユニークさは話題性があると思うよの。
「話題性、か」
「なによ?」
「耐熱ガラスの開発がいかに凄いことかよりも面白さという話題性のほうがジュリの中では重要なんだなと」
「そんなの!」
ズイッと顔を近づけたらグレイは目を丸くする。
「当たり前でしょ! 技術の進歩や開発で褒められてそれで胡座かいてたらそれきりなのよ?! そこまでやったならその先見なきゃ!! 綺麗、かわいい、面白い、それを追求するの大事でしょ!! てか作るのプロに丸投げして私はそういうことを追求したいのよ!!!」
「わかった、わかった」
「グレイ」
「なんだ」
「ということで紅茶淹れて」
「何がということでだ」
「私より上手に淹れるじゃない。折角だから耐熱ガラスティーセット使用第一号になろうよ、私はお菓子を用意するから」
「……花茶じゃなくていいのか」
「あんまり好きじゃない。それにお菓子を食べるなら紅茶でしょ、あ、濃いめで淹れてね?」
「はいはい」
愉快げに笑いながらグレイが紅茶の準備をしてくれる。その側で私はパウンドケーキとフルーツタルトとクッキーを切ったり皿に並べたり。
「この、下から小さな蝋燭で温めるのはいいな」
「いいでしょ? それのお陰でお湯も対流して色も綺麗に出るし、温度も下がりにくい。温めず蒸らすのが本来の作法なんだろうけど、せっかくこうして熱に強いガラスが出来たなら、こうして横からどんなふうに茶葉が対流してどんなふうに色が出るのか見て面白いと思う人もいるかもしれないし、私みたいに熱め濃いめの紅茶が好きな人もいるかもしれないじゃない? これをお茶会には使えなくても、個人で好きに楽しむティーセットとして親しまれたらいいなぁってね」
ついでに作ってもらった耐熱ガラスのポットウォーマー。金属の板に空気穴が開けられ、それを安定感あるガラスの本体の上にのせ、さらにその上にポットを乗せる。ウォーマー中央にはこれ専用に型取りして作った平たい円柱型の蝋燭が、銀色の器に入れられ置かれ、小さく緩く炎を上げている。
「当面は技術を秘匿するつもり。でも長くて五年かな、その後は他で同じ技術が開発されなければ占有権に登録して、原料、製法を公開するわね」
「シュイジン・ガラスのように選ばれた職人のみに技法を伝授するでもいいと思うがな」
「耐熱ガラスはね、便利だよ」
「ああそうだな」
「便利なものを、普及させないのは勿体ないでしょ」
「そうだな」
「もちろん、利益は出すわよ。その利益は税収となってククマットを支えるんだから。そのために数年は秘匿。でも『武器』にはしない、使ってもらいたいもん、皆に」
グレイはそこまで聞いて、ふわりと優しく微笑んだ。
「ジュリの望むままに」
「うん」
湯の中でゆっくりと対流するお湯と茶葉。
赤く染まったそのお湯の向こう、グレイの手がカップに触れるのが透けて見えた。
ガラスの進化。
きっとこれからもっと食卓を豊かなものにしてくれるはず。
「ジュリ」
「うん?」
「三日分のおやつだぞ」
「知ってる」
「全部食べる気か」
「グレイの淹れてくれる紅茶美味しいからおやつもより美味しくなるのよ」
「騙されないぞ」
とか言いつつ、お皿に山盛りにしてくれるグレイは優しい、寛容、そして微妙にチョロい (笑)。
耐熱ガラスの詳細についてはネットでも簡単に調べられます。こちらでは化合物及び製造工程には焦点を当ててはいませんので簡単な説明にさせていただきました。




