27 * 予兆の齎した『何か』
大物感が半端ない人が今目の前におり、一緒に馬車でガタゴト揺られている。
隣にも大差ない存在感の人が座っていて、感想を心の中で述べると。
『迫力あるぅ』
先日、ユイア様から例の伯爵家のお茶会に参加しなさいと言われて従うことにした。
「ドレスは何でもいいわ、あなたの物ならどれでも社交界で通用するから。アクセサリーはそのドレスに似合うもので一番高いものよ。無ければグレイセル、あなたがすぐに用意して。そして付添人はフォルテ男爵夫人は駄目、彼女の生まれに近い方がいるとその対応に追われる事になるわ。付添人も考えがあるから任せて頂戴、不慣れでも不安になる必要はないわよ、付添い人が完全にサポートするから。そして返事の手紙にこう書きなさい『喜んで伺います』とだけ。新作を持っていきますなんてことは一切書かなくていいわ、仄めかす必要もない、とにかく行くことだけを書いて返信をしてね」
という指示を受け、言われるがまま準備を進めて本日を迎えた。
なるほど、私の社交界のルールやマナーについてその場で即座に教えながら補助してくれるにはこれほどの先生はいない。
なるほど、セティアさんでは敵地でかつての実家のことでトラブルに遭遇する可能性もあるから確かにこれほど頼れる付添人はいない。
私のマナー補助兼先生兼付添人。
前アストハルア公爵夫人とユイア様。
わかる? レベル一桁で隣町まで辿りついたらいきなり終盤でしか手に入らないラスボス戦で使う剣と盾を手に入れちゃったような……なんとも言えない戸惑い。レベルと装備が全く合っていなくて装備に振り回されそうな不安感。
正面に座る前アストハルア公爵夫人の笑顔とユイア様の笑顔は、お茶会に行く淑女の笑みではない。いつか魔王を倒すために前向きにひたむきに、そして爽やかに頑張る勇者の笑顔でもない。
敵地に乗り込む猛者……いや、これ魔王……?
剣と盾なのか、魔王なのか、ちょっと分からなくなってきた。
今日が初対面の元アストハルア公爵夫人、オルガ様。初対面でいきなり、挨拶もそこそこに緊張していた私にぶっ込んできた言葉には笑っていいのかツッコミ入れていいのか、スルーしていいのか分からず固まってしまい、ユイア様に苦笑されたわ。
「敵地ですが何も心配ありません、私からすれば羽虫、煩い場合ははたき落とせば良いだけです」
怖いよね?! 怖いと思った私おかしくないよね?! ユイア様も苦笑しただけで『そうですわね』って言ってた!!
そんなお二人と共に今、向かってる訳です。
敵地、いや強権派伯爵家に。
この過剰戦力、私使いこなす自信全くありませんけども、大丈夫でしょうか。
結果から言いましょう。
はい、もう、私はただ椅子に座ってニコニコしているだけでした。
美味しいお菓子と紅茶をいつもよりずっとお淑やかにおちょぼ口で食べなくてはならないという苦行以外、何もしておりません。
「背筋を伸ばし笑顔を維持、そして食べすぎない、飲みすぎない、それらに注意しつつ笑顔が崩れそうになったら扇子で口元を隠す、それだけでいいわ」
元気よく返事をして素直に指導されたことに従ったらそれでお茶会は無事に終了してしまった。
無事にだよ? 一切問題なく、恙無く終了。途中からは出されたお菓子を味わう余裕すらあった。
馬車に乗り込んでフウ、と一息ついて思った。
「あれ、私今日強権派のお茶会に行ったんですよね?」
一応、一応ね、ユイア様に確認したらユイア様は軽やかに笑う。
「そうよ。でも分かったかしら? 駆け引きさえしなければお茶会なんてあんなものなのよ」
あんなもの、と言い切れるのはユイア様たち経験豊かで爵位が高いからこそだと思う、それが顔に出ていたのか今度はオルガ様が笑い出した。
「ほほほほ、確かに私達が付添人として来るとは知らなかったから予定が狂ってあちらとしては大混乱のまま終わったでしょうね」
姿勢を崩し、扇子でレースカーテンをそっとずらすと小窓から遠ざかる伯爵家をチラと目にしてオルガ様は直ぐに視線を馬車内に戻してカーテンから扇子を離した。
「覚えておきなさい、駆け引きで己の立場を強くも危うくも出来ます。それは経験で培っていくべき貴族に生まれた、嫁いだ女たちにとって必要な生き残り戦略の一つです。しかし、貴方のように自ら事業を起こし、そして成功を手にしたならばその時点であのような女たちなど相手にする必要はありません」
「えっ」
空気が変わる。
「クノーマス家は勿論ツィーダム家もあなたが伯爵夫人としての地位を確立させるために手を尽くしているようですが、そして私の息子もそのように手を貸しているようですが……熾烈なあの世界から一歩外に出て過去の経験とこの老いた目で外側から見ていると、貴方には爵位による力が必要とは思えません」
予想だにしない言葉に、私もユイア様も固まった。
「今日の貴方を見てそう思いました。貴方はマナーやルールに確かに疎い。けれど、それは『出来ない』のではなく、そもそも覚えるための時間も無ければ必要に迫られる環境から遠いのだと思いました。日々事業に追われている反面、その事業で数多の貴族との接点がありますね? 貴方はそこで自然と必要な情報を得て最低限のことを身につけていたのでしょう。そして私達からの事前の指示や指導を素直に受け止め、実行できるその柔軟性は間違い無く武器です、貴方特有の、強力な武器となります。あれだけのことが出来るなら社交界に染まる必要はありません」
そしてオルガ様は私から目を逸らし、ユイア様にその視線を向けた。
「クノーマス家としては、ジュリさんを囲い込んでおきたい気持ちがあるのでしょう。だからこそ今回のように社交界に出る話があればジュリさんのために後ろ盾として必死に支えるのは分かります。けれど、やり過ぎてはなりません。私の聞いた話では、グレイセル殿が爵位を得たのも数年間新興家としてあらゆることが免除されること、いざというときのためクノーマス本家からグレイセル殿を一部財産ごと分離しておくこと、それがジュリさんのためになるからと。ならばクノーマス家は、今以上踏み込むベきではありません。クノーマス家だけでなく、ツィーダム家も、我がアストハルア家もです。雁字搦めにしてはなりません、いざという時、伯爵もジュリさんもその繋がりを断ち切ることに躊躇い逃げ遅れることになりかねません」
「オルガ様、クノーマス家は」
「言いたいことはあるでしょう、私はジュリさんにとって今日会ったばかりのただの老婆、何を知っているのだとユイア様が思って当然です。しかし……」
真っ直ぐとユイア様を見るオルガ様の目は、人を黙らせる強者の揺るぎない絶対的な力を感じた。
「ジュリさんを伯爵夫人として無理に教育するのはお止めなさい、今日の茶会とてユイア様が一言私からもお断りの手紙を出すよう言って下されば良かったことです。わざわざ敵陣に乗り込み我々の立場を見せ付ける必要はなかったはずです。今の王家は財政難でベリアス家が支配しているといってもアストハルア家の資金ありきで成り立っていることも多い。たとえ一線を退いているとしても私の主人から王妃に手紙一通出せばたかが伯爵家のお茶会など簡単に断れます」
そこまで話し、一息ついてオルガ様は再び話を続ける。
「……私の調べではヒタンリ国をジュリさんの正式な後ろ盾となるよう動いてくださっている高貴なお方もいらっしゃるとか。【彼方からの使い】ジュリさんとして割り切った後ろ盾になってくれそうな国だそうですね。我々が住まう祖国に期待が出来ない分、たとえ小国だろうと国は国、内で派閥や地位で関係が変わりやすい我々貴族よりもずっといい。なにより、彼女にそうして協力しようとする【彼方からの使い】の皆様がジュリさんの今の立ち位置をどのように考えておられるのか分からないのに、ジュリさんの為という言葉を理由にジュリさんの時間を潰してまで社交界に出入りさせるなど御不興を買いかねません、私はそれがとても怖い。そして……私も少し息子に忠告しますからユイア様もどうか一度ご家族の皆様と話し合って頂けませんか。ジュリさんはご自身で進む道を決めるべきです、選択することを奪ってはなりません」
最後の言葉にユイア様がハッとした顔をしてオルガ様に深々と頭を下げた。
「仰せの通りに。一度話し合ってみます」
「ええ、お願いします」
口を挟む間もなく、オルガ様によって話は完結してしまった。
『見せろというので見せに来た』というスタンスを決して崩さず終始お茶会のその場を支配したオルガ様とユイア様。なので本当に『王妃殿下への話の一つとして大変参考になりました』としか伯爵夫人が言えなかったため、ハンカチ一枚も誰にも譲らず帰って来ることになった。
持っていったつまみ細工とカットワーク刺繍はオルガ様に全部渡した。ユイア様と半分ずつ、と思ったけれどそれをユイア様が今日のことを反省しなければ、と全部オルガ様に譲るとなったから。
「あらまあ、そんなつもりであんな話をしたわけではないけれど。でも断る理由もないから有り難く頂戴しますね」
王妃に渡る予定だった一点物など、それはもう素敵な笑顔でごっそり持って帰った。うん、まあ、そもそも献上品でもなんでもないし、伯爵夫人からは寄越せといわれなかったし、いいんだけど。前とはいえ流石はベイフェルアに二家だけの公爵夫人として君臨しただけのことはある、その堂々たるお姿は後光が射していたほど威厳と迫力があった。あの後光は私の錯覚?
「ごめんなさいね、浅慮だったわ」
「謝らないでください!! とても貴重な経験させてもらったと本心から思っていますから!!」
「そう? ありがとう」
ユイア様はほんの少し困った顔に笑顔を滲ませた。
「……駄目ね」
「え?」
「私達はあなたのその気遣いに慣れてしまっているからこういうことを起こしてしまうのだわ。息子たちが一度大きな失敗をしているというのに私は一体何を見ていたのかしら」
「違います、ユイア様。気遣いなんてそんないいものじゃありません、私は納得して今日の茶会に行きました、それは私が必要だと思ったからです」
「ありがとう。そう言ってもらえるだけで、少し楽になれるわ」
「楽になるなんて、そんなんじゃ」
言葉がそこで途切れでしまった。
こういう時どう声を掛けてあげるべきなのか、何が正解なのか分からなくて、私はただ、絞るように何とか思いついた違います、大丈夫ですを繰り返すしかなかった。
お茶会は何事もなく済んだよ、とグレイに伝えたけれど、私の些細な変化を見逃す男ではない。あまり話す気にはなれなかったけれどそれでも必要なことだけ話せば直ぐにユイア様の所へ行ってくる、と屋敷を出て行ってしまった。
その日、グレイは一度戻ってくると領主館にも行ってくると私が止めるのも聞かず行ってしまい結局朝まで帰って来なかった。
そして起こったのは侯爵様やシルフィ様からの謝罪。
こんなに気分の悪いものはない。
納得してお茶会に行ったのは私だ。
結婚してグレイの奥さんとして伯爵夫人として最低限のことはこなすと約束したのは私だ。
「勝手に話を進めないで」
笑って何とかその場を収めて二人きりになった途端、私の口から思いの外低い声が出たせいかグレイが面食らった。
「ユイア様からはもう謝罪されてるし、そもそも納得して参加したお茶会だし。侯爵様たちに謝られる理由なんてない」
「しかし」
「グレイ」
知らず、握り拳になっていた。力んで食い込んだ爪のせいで掌が痛くて気づいた。
「オルガ様の仰ったことに確かに私は『そうかも』って納得した、でもだからって、私のためを理由にグレイが一人で話をしに行く理由にはならない、私のことだよ、そこに私がいないのはおかしいよね、私の意見や意志がなくていい? 全部グレイが、侯爵家が決めるの? 確かにユイア様は先走ったかもしれない、それに私も流されたかもしれない。それでも少なくとも私には拒否する時間はあって、考える時間はあって、それを、しなかったのは私の責任でしょ。なのになんなの、結果侯爵様たちが頭を下げるって。グレイは何がしたいの」
「私はこれ以上ジュリの負担が増えるのは良くないと」
「負担なんて最初から分かって結婚してるよね、だって私の夢はこのククマットを 《職人の都》にすることだから。その道に必要な事だから自分に合わないと分かってて社交界に足を突っ込んだ。それを……こんな……ごめん、言いたいことが、まとまらない。ごめん、とにかく、こういう時、いつも私の言葉を聞く前に皆が動いて勝手に私のことで結果を出すのが、気に入らない。言い方悪くて、ほんとに、ごめん」
社交界に足を突っ込んだ私は、伯爵夫人というわりと恵まれた立場ではあるけどヒヨコだ。場合によってはオルガ様の言う『羽虫』の一人にだってなりうる。
これでも時間を見つけては勉強している、『つもり』じゃなく、グレイの隣にいたいから、侯爵家の足を引っ張りたくないから、できる範囲で勉強している。それをたった数時間一緒にいただけのオルガ様が見て評価してくれたことは嬉しい。嬉しいのに、その後に続いた言葉にハッとしてそのことを一瞬で忘れたうえに、ユイア様がそれを簡単に受け入れて謝罪に繋がった。
地位のある人の一言で何もかもが動いてしまう環境に覚悟して飛び込んだけれど、今回のことで気づいた。
私は蚊帳の外。
守られているという感じにはどうしても思えなくなってしまった。
思い知らされた。
「すまない、そんなことを言わせたくて動いたわけじゃないんだ」
「分かってる、分かってるよ。いつもありがとう、グレイは私のために出来ることをなんでもしてくれるの、ちゃんとわかってる」
グレイの瞳が揺れる。不安げに、私を見つめる瞳に動揺が見て取れた。手を伸ばし、彼の頬を包めばほんの少し、その揺らぎが治まった。
「これからはちゃんと私の話を聞いて」
「ああ、もちろん」
額を寄せ合って、ようやく顔の強張りが互いに取れた。
でも。
私の心の片隅に、いつもある『未練』と共に、得体の知れぬ『何か』が居座った。
それがこれからどうなるのか分からない。
ただ、確かに、『未練』と共に仲良く並んで居座るくらいには、決していいものではないことだけは、理解できた。
この矛盾だらけの考えと感情を整理できるようになるのはいつなんだろう。
ジュリの仄暗い部分といいますか、持て余している部分といいますか。
彼女の中にあるかつての世界への『未練』は消えません。それ含めてのジュリでありジュリを形成している大事な記憶と経験です。そこにするりと入り込んだ『何か』も多分ジュリが本来抱えるものなのだと思います。
それとどう向き合っていくのか、見守って頂ければと思います。




