27 * 予兆
アストハルア公爵様とその息子ロディムとは事業提携含めて良いお付き合いをさせて貰っている。
一方で、私が初めてホストとなって開催したカットワーク刺繍お披露目を兼ねたお茶会以降、アストハルア公爵夫人とは一度会う機会はあったけれど社交辞令な会話しかしなかった。
アストハルア公爵とロディムからは謝罪はない。これについては暗黙の了解がある。目に見えた損害や迷惑を被っていなければ謝罪を要求することはできないし、格上の爵位であるためその程度のことで公爵家も謝罪しない、それがお茶会などで起きたちょっとしたトラブルの対処となっている。
私としてもそれで問題なく、むしろ謝られてプライベートの距離が望まない形で縮まる切っ掛けになるのも怖いな、という気持ちが先行してしまい、知らぬ存ぜぬとはいかないまでもスルーしている状況だ。
シルフィ様があれ以降ピリピリしている話は聞いている。私の前ではそんな素振りをみせないけれど、私やグレイに届く茶会への招待の手紙はその場で全て破り捨てそうな勢いがあるとルリアナ様が教えてくれた。
そんな中、届いた招待状がシルフィ様だけでなく侯爵家の皆さんの怒りに触れることになる。
久しぶりに訊ねてきたご夫婦に礼を尽くした挨拶をすれば、にこやかに笑って堅苦しい挨拶なんていらないとハグによって強制終了させられた。
「例の手紙を見せろ、燃やす」
高圧的な言葉にシレッとした顔をしたのは旦那。
「頼むから燃やさないで下さい」
「燃やすなだと? ならビリビリに破く」
「それも駄目です」
「あらそう、ならどうやってその不愉快な手紙を処分するの?」
「処分前提に話さないで下さい。まずは読んでください」
「まあ、妃殿下からの手紙は読む前に処分はだめよね」
「基本手紙は読む前に処分するものでもないです」
突然、全く面識のない強権派伯爵位のトロアス家という家から親睦を深める名目でお茶会への招待状が届いた。
それと同時にトロアス家の茶会に参加してあげてほしいというベイフェルア王妃からの手紙も。
これを今読みもせず処分しようとしているのはグレイの祖父母、つまり前侯爵夫妻。
タイロニス・クノーマスとユイア・クノーマス。
普段この人達が出しゃばることは一切ない。
クノーマス領の中央にある屋敷にて使用人達と悠々自適に暮らす。私達の結婚式でも表立つことはなく、迎賓館の二階で静かにほとんどの時間を過ごし見守ったし、ルリアナ様がウェルガルト君を出産したときも決して騒がず領主館にある離れに滞在していた。
爵位を譲り引退したのだから若い者たちの邪魔になるようなことはしたくないとそれはそれは普段は謙虚なので、正直なところ私も時折存在を忘れそうになるほど。
そんなお二人がこうして出てくる時は決まってロクなことにならない、というのがグレイ。
今まさにロクでもないことをしそうな顔を夫婦揃ってしている。
グレイ曰く、クノーマスの男たちは『イカれたジジイ』と『冷たいババア』と呼んでいるらしい。
「【スキル:一刀両断】とやらを打ち込んでみよ」
「お祖父様が真っ二つになりますので出来かねます」
「いいからやってみろ」
「お断りします」
「ええい、融通のきかん孫だな!! 真っ二つになってもマイケル殿がいる! くっつけて貰えば良い話だ!!」
「……お祖母様、止めて下さい」
「老い先短いお祖父様の願いも聞けないの?」
「そういう問題ではありません」
「どういう問題? 本人が良いと言ってるのだからおやりなさいな」
「身内相手に使う【スキル】ではありません。それにお祖母様が止めて下さらないと誰が止めるんです」
「……そんな面倒なこと、あなたでしょ?」
という、常識外れな言動がこの人たちの本来の姿。ちなみにこの時は私とマイケルが止めた。息子と孫の話を聞かないこの夫婦の名言は。
「『イカれたジジイ』と『冷たいババア』どちらの血も引くお前たちこそ酷い生き物」
だそう。酷い生き物なんてそうそう使う言葉じゃないな、と聞かされた時は遠い目になりかけつつ笑って誤魔化すしかなかったわ。
そんな人たちが出てくる程の手紙が二通。
波乱の予感しかしない。
「やはり先日の件がよほど気に入らないらしいな」
タイロニス様は手紙をテーブルに広げてその上を指でトントンと叩きながら忌々しげに睨んでいる。
「本当に、ねぇ」
「あの、そんなに大変なことになっていたのですか?」
私の問にユイア様が頬に手を充てがい、呆れたため息をついてから頷いた。
少し前に爵位を子供や親族に譲った人たちの集まる夜会があった。
そこは現役を退いていれば誰でも参加できるように派閥は問わないという社交界のお付き合いの中でもあらゆる面で緩く肩肘張らない定期的に行われている夜会で主催者はアストハルア家。定期的に行われているその夜会は好評で、晩年の楽しみにしている人も多いらしい。タイロニス様たちも過去何度か参加しており最近の夜会にも行っている。
特に今回はシイちゃんとロディムの婚約が正式に発表されたこともあり、現役は退いたもののお互いに示し合わせて前公爵夫妻と前侯爵夫妻は揃って登場し、周囲に関係改善の印象付けにも利用している。
その夜会前、ユイア様から相談されていたことがある。
それは互いの関係改善を周知させるためにさり気なく前公爵夫人とお揃いのものが持てないか、と。
あからさまにお揃いのものは持てない。
派閥や家格が物を言う完全なる縦社会故に偶然でもなければ全く同じのものを持つことは社交界ではタブーとされているから。
けれど一方で女性たちの間ではオシャレの一環として意図して部分的に色を合わせる、形を合わせるなどは『母娘』『姉妹』『親友』では行われている。
それができれば良いが今回の場合どう合わせるべきか悩んでいる、という相談を前公爵夫人がしてきたそうで、それならばとユイア様が私に話を持って来た経緯がある。
そういうことならと私も快諾し用意したのがハンドバッグのチャームとヘアピンと、ハンカチだ。
ハンドバッグのチャームとヘアピンは、色も基本のつまみも変えた、でも手法は同じであるつまみ細工。ハンカチは色は違えどカットワーク刺繍の模様が同じもの。
この話、個人的に興味があった。
『どこまで許容範囲だろう』という、ね。
気になるじゃない? 部分的にあわせるってどの程度までが許されるのか。
それでいくつか用意してみたら、選ばれたのが扇子の先に揺れるチャームとヘアピン、そしてハンカチ。
つまみ細工は立体的なのでどうしてもボリュームが出て目立つので、ヘアピンに使ったものよりも大きくなったブローチや三つ連なったものはダメだけど色も形も違うものならいいのでチャームもヘアピンのつまみ細工もサイズは全く一緒。つまみ細工は独特の見た目と立体感から布の折り方が違っても同系のものであると分かりやすい。
ハンカチは飲食のエチケットとして持ち歩くものなので人前にあまり出ないことから色が違っても柄とサイズが全く一緒のものが選ばれた。
なるほどねぇ、そんな細かいところにまで気を配るって面倒だな? と思いつつもすごく勉強になったし、この手の販売もありかな、なんて商売魂が疼いたりしたんだけど。
前公爵夫妻も前侯爵夫妻も、いや、派閥関係なく夜会に出席した全員が驚く出来事がそれによって引き起こされるなんて、誰が予想できるか。
「大袈裟に騒ぐんだもの、話がおかしな方へ流れて頭を抱えたくなったわ」
再び呆れたため息をこぼし、ユイア様は手紙から視線を外した。
「何だか申し訳ないです、私ももう少し考えて別のものを提案するべきでした」
「ああもうっ、やめてちょうだい、あなたが謝る理由なんてどこにもないわ」
「そうだぞジュリ、元はと言えばいつまでも敵対心むき出しで接してくる強権派が悪いのだ。そんなに目新しいものが欲しいなら客として穏健派のように融和的態度で 《ハンドメイド・ジュリ》と 《レースのフィン》に行けば良い!」
何が起きたかというと。
さり気なくお揃いアピールをする前公爵夫人と前侯爵夫人の身につけていたそれが生産がまだ安定しないし特別に誂えたオリジナルのつまみ細工と、カットワーク刺繍でも未発売の刺繍部門渾身の超細かい繊細なデザイン。
流行に敏い人たち、もしくはククマットにスパイを派遣? している家の人ならそれこそ目敏く気づくもの。
それを私ももう十分、嫌というほど理解しているので、決まった時点で作り手たちにつまみ細工は十個、ハンカチは三十枚の追加を御願いしていた。
前公爵夫人にはつまみ細工を、ハンカチはユイア様。それぞれ侍女に持たせ、『褒めてくれてありがとう、実はね……』と、言う具合で親しい人などに渡せるようにしてあった。
これもよくあることで『今後ともどうぞよしなに』というガチガチの、でもカワイイ賄賂。
私もグレイと結婚するよりも前からルリアナ様のお友達だけを招いたお茶会に招待される時はやってたことだから。これで色々面白い情報が貰えたりするのよ。そして私の場合は常連さんになってくれたりするので。ビバ、カワイイ賄賂、法がガバガバなこの世界の商人の特権。
ところが。
強権派のとある夫人がつまみ細工を知らなかった。
聞き耳を立てたらどうやら 《ハンドメイド・ジュリ》の商品だと知って、しかもそれが前公爵夫人が配っている、と。さらに前侯爵夫人に至っては最近話題となったとある伯爵夫人が持つこの世にたった一つのオリジナルの傘と同じ手法の刺繍が施されたハンカチをお近づきの印に配っている、と。
そこで起きた。
たとえすでに爵位を譲った身の集まりだとしても、そこは譲った子供や孫が身を置く社交界に根深く根強く影響を与えかねない社交場だというのに。
そのとある夫人は自分より地位の高い強権派の元侯爵夫人にその話を耳打ちした。
『手に入れられるかもしれません』と。
現状中立派と穏健派が独占している 《ハンドメイド・ジュリ》の最新の品が手に入ると。
いやね、物申す。
欲しいなら買いに来い。イチャモンつけたり仕入先に圧力をかけるようなことせず、普通に買いに来い。
それが嫌なら商品偵察専用スパイを穏健派や中立派の家みたいに送り込んでこい。そして『割増しでいいから、ぼったくりでもいいからください』と手紙を寄越せ。
散々私を馬鹿にしてきてそして貴族だから従え、タダで貰ってやるという悪態をついて、店で騒いで自警団やグレイとローツさんにつまみ出される使いを送り込んで来るような人に前公爵夫人とユイア様がプレゼントするわけねぇだろ、と私でも分かる。
なのにね、その耳打ちした夫人と元侯爵夫人は最早暴挙ともとれる行動に出たそう。
「私が貰って差し上げます、きっと王妃殿下も興味があるでしょうから。今度王妃殿下に拝謁するんですの、その時のお話の一つになりますもの、光栄でしょ?」
もうね、その場の紳士と淑女が全員静まり返るほどの酷い言い訳で、ユイア様は居た堪れない気持ちになったんだとか。
そもそもの話、王族の名前をだすのは慎重に慎重を重ねなくてはならないこと。
その元侯爵夫人は確かに王妃と会う約束があり、しかも一応遠縁であるらしい。でもそれでも本当にそうなるかどうかわからないことに公の場ではっきりと王妃を出してくる事自体がタブーだ。もしそれが違うとなれば虚偽罪や酷ければ不敬罪に問われる可能性もある。
困ったことにその人はその場では前公爵夫人に次ぐ立場でもあったので誰も非難や注意が出来ない状態。前公爵夫人はその爆弾発言に対してあえて無言を貫いた。相手にしたくないわ、そう呟いたって。
それで起きたのが、凍りついた空気に気がついて私やらかした? とようやく気づいたその人が自分に話を持って来た夫人が悪いのだと責任転嫁。
責任押しつけてその場を何事もなかったように去ったその人に代わり元伯爵夫人がお二人に謝罪したため、その場の空気が微妙なまま夜会が終わったそうで。
「あれは凄かったな。あんなことは一線を退いた者たちの集まりでは滅多に起こるものではない。不愉快でたまらなかったな」
その時の事を思い出してタイロニス様はこめかみを押さえて唸る。
「しかも、それをいい口実としてジュリを茶会に招待など、その図々しさと卑しさに腸煮えくり返るわ」
いやなんでそれがこっちに飛び火するんだよ、という疑問は手紙の内容からわかる。
要約すると、『私の母が大変失礼しました。そのお詫びにお茶会しますのでご招待します、是非おもてなしさせてください。そして差し支えなければ王妃殿下が興味を持ってるので商品を持ってきて見せてください』という元侯爵夫人の娘で強権派の伯爵家に嫁いだ娘から手紙が来たのと、『先日の夜会の話を聞きました、謝罪を受けてやってください。そのときに話に花が咲きますので是非新しい商品を持って行ってあげてください』という王妃からの手紙が来た。
改めて思う。
「買いに来たらいいのに。何が何でも私から貰ったことにしたいんですかね?」
声に出してしまった。
グレイが隣でフッと鼻で笑った。
「それが理解出来ているならあんな騒ぎにはならなかっただろうな」
「ああ、まあね…」
王妃もなぁ、一応新作出るたびに送ってるんだからこういう時放って置けばいいのになんでわざわざ首を突っ込んでくるのか。
親族だから? そんな理由で騒ぎを起こす遠縁の人を擁護するってのは理由として弱い気がするけれど。それとも私を強権派に近づけたい? 強権派が王族の周りを固めてるから? でもそれは危険だって知ってるはずだけど。
イマイチ王妃の対応も私には理解できず、首を傾げる事になった。




