27 * 土と砂ときたので次は
毎度、思う。
廃棄魔物素材ってホントに多いなぁ……と。
先日常連さんであるとあるご夫人の侍女さんがプライベートでお店に来てくれて、ちょうどその時私の手が空いた時間で少しだけ話をしたの。数分の短い雑談でまた来てくださいねと挨拶するまでホントに短い時間だった。
短い時間だったのに、こんなことになっている。
その侍女さんに確かに私は『なかなかいい素材に出会えないんですよぉ』なんて言った気がするんだけど、それを真に受けた侍女さんがご夫人にその話をしたらしい。『ジュリ様が素材が見つからず困っているようです』と。そしてご夫人が旦那様である爵位のある旦那様に『ジュリさんが素材探しに難航されているそうよ、お力になれないかしら?』と話したらしい。そしてその旦那様が、ご自身のお知り合いや親類縁者諸々に『色んな素材を集めている、何でもいいから持ってきてくれ』と声をかけたらしい。
『なんでもいいから』がちょっと困るんだけどな、という呟きは手紙が聞いていただけなので、届くはずもなく……。
そんな手紙が先行して届いた数日後、侯爵家では魔物素材が山となった。
申し訳……ない。
手紙もそうだけど、大半が侯爵家に届いてしまうこの現状、本当に申し訳ない。
ということで、明らかに廃棄と分かる素材で埋め尽くされた侯爵家の一室に私とグレイはそれぞれ仁王立ち。
「音が出るのを送り付けてきたら二度と取り引きしない、ってことにしたらマズイかな」
もうぅぅぅっ!! 奇っ怪な音が出るのだけは本当に嫌だ!!
チッ、チッ、チッ……って、時計の時を刻むような……怖い。
「え、これ時限爆弾じゃないよね?」
「『じげんばくだん』とは何だ」
「その説明する余裕ないから」
「気になるではないか」
「ハルトかマイケルに後で確認して!!」
ウォォ、オォォォ、と地を這うような低い不気味な唸り声のような音もする。
「素材だよね? 魔物そのものが入ってる訳じゃないよね?」
「開けてみるか?」
「私がいないときにやって」
「素材だろ、たぶん」
「たぶんとか言うな!!」
そんなやり取りを何度か繰り返し、今回は申し訳ないけど全滅かなぁ、とため息が漏れた直後。
「何これ」
それは非常にインパクトのある見た目をしていた。
大きさは一辺が二十センチくらいで綺麗にカットされている立方体、色は黒。四角い黒い物体。
「……石?」
「真っ黒な石か、これは私も知らないな」
マットな質感で、よく見ると層になっているのか僅かに色味が違う部分も見受けられる。
「石なら面白いね、こういう黒って珍しいから」
石のほとんどは研磨をすると光沢ある表面に仕上がる。目の前にあるこの真っ黒に近い四角い物体は、真四角に切られた後、表面を削って整えた形跡があるにも関わらずこのマットな質感だというのなら、素材としては面白いと思ったので大量の素材の説明文が書かれた紙の中からこれについて記載されているのを見つけ出しグレイと二人で読んでみると。
「え、泥?」
石じゃなかった、泥だった。
説明にあったのは今回この素材を集めてくれたお方の弟さんが住んでいるベイフェルア国の西、テルムス公国に接する貴族領の沼に堆積する泥だということ。
この泥は国境線付近にある温泉の湧き出る一帯の泥の一種で、その付近のお湯は灰色をしておりその成分が堆積しているんだとか。ところが、弟さんの住むその温泉水が流れ込む沼だけ、どうやらその沼の水の成分の関係で真っ黒に変色するらしい。
「もしかして炭沼のことか?」
「知ってるの?」
「ああ、私は行ったことがないが騎士団団長をしていた頃、団員が休暇で西にある炭沼に行ったと言っていた。その沼自体も限られた範囲だが温泉が湧いているらしい。泥パックも有名だったな、確か。そして流れ込む源泉もあるからそれなりに全体が温かいらしくてな、冬は無理だが黒いお湯は珍しいからと訪れる者は多いそうだ。その見た目から炭沼と呼ばれていると話していたから、多分そこのことだ」
「黒い温泉ねぇ、確かに珍しいよね。で、そこの堆積物が、これ」
ゴーレム様の白土、サンドワーム様のカラーサンド。そして堆積物。
まさかの堆積物。非魔物素材。泥。
インパクトのある見た目に釣られた私。
こうなったら色々試してみるしかないよね。
削った物をまずは水に入れてみる。
「あ、確かに泥だね」
かき混ぜているうちにどんどん崩れて水が黒くなっていく。見た感じかなり粒子が細かい。この細かさがあの独特なマットな質感を生みだしているらしい。少し放置してみると、僅かに見えていた層の部分であったと思われる他の成分が先に沈殿し、徐々に降り積もるようにして黒い泥だけが層を重ねていく。軽いゴミなどはさらにその上に薄っすらと白っぽく沈殿していった。
完全に沈殿しきってから白っぽい上澄みを取り除き、黒い泥だけをそっとスプーンで掬い皿に落すと、トロリと広がった。
「削ってみたらどうだろう」
今度は固形のままで確かめてみる。泥だけあって削るのはとても楽で道具などなくても少し込めれば爪で引っ掻いても削れる。削ると欠けることもなく綺麗に削れるのもこのきめ細かさ故かもしれない。所々引っかかるのはおそらく砂などなのでこれは水に溶かして分離すればこのひっかかりもなくなるしさらにきめ細かいマットな黒い物体になる。
そして、皿に落とした泥をグレイに風魔法で乾かして貰うと。
「……なんだろ、この感じ。見覚えある」
「これが?」
「うん、なんだっけ、これ……」
不純物が限りなく取り除かれた状態で乾かされた泥は更に均一なマットな質感になり、黒さも際立ったように見えた。皿の上固まった周辺を爪で引っ掻けば薄いこともあり簡単に削れる。
爪を横に引けば爪幅のまま細い線が描けた。
「たーのもー!!」
私の大きな声にビクッと体を強張らせたのはユージン君。
彼の絵画教室の講義の時間を確認してちょうど空いている頃を見計らって領民講座の講師控室に突入。
そこには冒険者を目指す人や冒険者のための講義を担当しているゲイルさん、薬草学の基礎講座などを担当しているジャミルさんという初老の薬草博士が一緒に休憩していたのか同じテーブルを囲んでいた。
「何だこれ」
私の声に驚いてまだドキドキして落ち着かないユージン君など放置のゲイルさんが私がテーブルに置いたものを訝しげに眺める一方、薬草博士のジャミルさんは『触っても?』と確認をしてきて指でなぞった。
「これは……土? いや、粒子の細かさから、泥を固めたものですか?」
「さすがジャミルさん。そう、これ泥なの」
「へぇ! こんな真っ黒な泥があるんだな!!」
ゲイルさんは感嘆しながらそれを手にして持ち上げた。
「それにしても何で板に塗ったのですか?」
質感が気になるのか私に疑問を投げかけながらもジャミルさんはまだ黒いその表面を撫でている。
固形の泥を一度水に溶かして撹拌後、不純物を取り除いた黒い泥を、私は更に少しだけ時間を置いてから水分が少しだけ抜けたかなりドロドロのそれを刷毛で板になるべく均一に塗ってグレイに風魔法で乾かして貰っている。
ケイルさんが手にしているのはその泥を塗った板。
ドキドキからようやく落ち着いたユージン君が、恐る恐る近づいてきてその板を見たけれど、彼もかなり不思議そうに首を傾げる。
「新しい黒板ですか?」
「まさか! それだったらユージン君に見せに来たりしないでしょ」
「え、僕?!」
「そう。はい」
「へ?」
私が差し出した物を見てユージン君の目が点。即席で作った、木の棒。
鉛筆よりちょっと太めのそれの先端は細く尖っている。
「なんかさ、いい感じの絵を描いてみてよ」
「……いい感じの絵……そして、これ、筆じゃないですね、木の棒ですよね?」
これほど抽象的な表現はない、という自覚がある(笑)。 でも頑張って! 芸術家の感性を大事にしたゆえの発言と許して!
困った顔をしつつ、ゲイルさんから板を受け取ったユージン君は取り敢えず先端の尖ったその棒を持つと黒い板の隅っこを微かになぞった。
「!!」
音もなく簡単にスッと剥がれ落ちた泥の下、見えるのは木の自然な明るいベージュ色。僅か一本の短い線を引いただけでユージン君はこの木の棒で『描く』意味が理解出来たようで、直ぐ様握り直すと板を前に少しだけ物思いに耽るような自分の世界に入り込んだような顔になった。
「出来ればすぐに完成するものにしてもらえる?」
「はい、わかりました。……でも、せっかくなら、繊細な物に仕上げたい気もします」
「どれくらいで描けそう?」
「……そうですね、三十分程でなんとか」
「オッケー、任せるよ。ここで見ててもいい?」
「はい」
椅子に座り、姿勢を整え、板を膝に立てかけるようにして片手で傾けて固定すると、ユージン君は迷うことなく木の棒を黒い面に当てた。
ス、ス……と迷いなく曲線を引き始め、それによって黒い泥が先端の細さの分だけ剥がれて落ちる。時々フッと息を吹きかけ削れた泥を飛ばす。下から現れる明るいベージュ色が際立った線がどんどん増えていく。
「これは……」
グレイが感心した様子で呟いた。ゲイルさんとジャミルさんはみるみるうちに形が現れるその絵に魅入られたように無言でただ見つめる。
スクラッチアート。
幼稚園などでその基本とも言える事をしたことがある人も多いかもしれない。
画用紙にまずは好きにカラフルに色を塗り、その上に黒いクレヨンを重ね塗りしたあと、爪楊枝や竹串でなぞると黒いクレヨンと下に塗った色が剥がれる。でも紙に塗りつけた色は色素が残るので色落ちは免れないものの、それでも淡く色が残っているので、花火を描くとそれなりにきれいな花火の絵が描ける。
それが完全に商品化され販売されていたものだと、表面は完全に均一な真っ黒で、下のカラーが鮮やかなだけでなく、少し価格が上がるとホログラムのものもあった。誰でも簡単にスクラッチアートを楽しめるように黒い表面には薄く模様が入れられてそこをニードルペンと呼ばれる先端の尖った専用のペンで削るだけで細やかで美しいスクラッチアートを描けるセットもあった。しかも小さなものなら百均でも売ってたはずで、その種類はスクラッチアートというアートの一部分でありちょっと変わったものとしては豊富だったように感じる。
「これはこれは……見事なものです、素晴らしい!」
ジャミルさんが感心したように、完成したその絵を見て明るい声でユージン君を称賛した。
「あ、ありがとうございます。初めてにしては上出来だと自分でも思います。それにしてもこれ面白いですね!」
褒められて照れつつも、目を輝かせたユージン君が私の方に振り向いた。
「面白いでしょ、私のいた世界ではスクラッチアートと呼ばれるものでね、そうやって削って絵を描くものだったの。今回は即席だったから板の色そのままだったけど、本来は下にカラフルに色を入れてあって、細い線の下から見えるその色も楽しめるようになってたのよね」
「下に色かぁ」
ゲイルさんが面白そうに頷いた。
「面白いな、これは」
グレイが手を伸ばすと、ニコニコ笑顔のユージン君が完成したそれをグレイに手渡した。
黒い下から覗く明るいベージュ色。たった二色であるにも関わらず、実に表情豊かで繊細なのはまるで鉛筆で描くデッサンのようだから。
そこに描かれていたのは一羽の鳥。姿形からこの辺りにも生息しているアンバーイーグルという琥珀色の美しい大型の鳥だ。
「描き直しが出来ない一発勝負というのがちょっと怖いかもしれないけど、楽しみ方さえ提案出来れば面白い芸術になると思うのよ」
表面の保護の問題などはあるけれど、なかなか面白い素材が見つかった。




