27 * ゆりかご
ついに侯爵家が満を持して迎えた開店。
《ゆりかご》。
主に女性の嗜み品を扱う 《タファン》の開店よりも早くこの日を迎えたのは子供や母親、そして家族のためのお店 《ゆりかご》。
乳幼児向けの身の回り品が七割、産前産後の母親のための身の回り品が二割、そしてそんな母子の助けをする家族も使える、便利な物が一割。価格としては積み木の単品売りなど含めて一リクルから高いもので千リクル、とかなり幅広くなっている。ただ、一般的に高額と見なされる百リクル以上のものは一割にも満たない品揃えとなっていて、感覚として庶民向けとして開店前から周知させることに成功している。
「広いな」
グレイが興味深げな目で店内を見渡した。
「うちの店と比べたらね。天井も高いからなおさらそう感じるのよ」
《ゆりかご》はトミレア地区の古くなって取り壊しを待つだけの倉庫が立ち並ぶ、港の古くからの土地に新築された。立地としてはトミレアの中心から少し離れるので良いとは言えないけれど、広く大きな建物を建てられる場所だったために早期に決まった経緯がある
《ハンドメイド・ジュリ》も改装後は広くなったなぁ、としみじみ感じたけれど、この広さは圧巻よ。
なにせこの世界では一階建てでここまで広い店舗というのは極めて珍しいから。
建築技術もまだまだなこの世界では、王宮や貴族の屋敷、迎賓館など、遮るものが少ない広い空間を有する建物を建築するには莫大な費用を必要とするため、滅多にお目にかかれるものではない。特にお店としてここまで広く、柱以外に視界を遮るものがない、というのはベイフェルア国内にとどまらず大陸でも珍しい、という話。
ついでに言えば、建築物を目立たせることで所有者の威厳を示すこともできるため、遠くから見える、つまり高さがある建物の方が好まれるという理由もあって平屋が少ない中で 《ゆりかご》は平屋建築。これも珍しいとのこと。
でも新しいことに挑戦したがりな侯爵家の皆様。
……有名な玩具を取り扱う広いお店の話をしちゃってたなぁ、とこの店の設計図を見せられた時に思い出したよ。ケイティとマイケルは『確実に取り入れたよね』と笑うほど。
安心安全の基準を徹底した商品開発を推し進めて貰っているため、玩具の類いはまだ数は少ない。それでも移動販売馬車で売る条件として基準を満たした完成品が七割、とした私の我儘に沿ってこの店で先行して販売に漕ぎ着けた玩具は五割に達していたことにはそれに真摯に向き合ってくれた職人さんたちに対して感謝しかない。
それでも広い店舗を埋めるにはたりないけれど、それを補うように乳幼児の身につける服などはかなり豊富でお店がガランとしてしまうということはなく無事に開店を迎えられた。
何より、母親、そして家族のため『子育てを楽にする』『子育てを楽しむ』物も取り扱い、今後もそういうものを増やしてもらう予定なのでそちらに注目してもらえればと考えている。
「何度見ても不思議な形だ」
「安全にはもちろん、沐浴そのものを楽にする形だからね。今迄のタライと違ってお湯の量も少なくて済むから値は張るけど有用性を理解してもらえれば売れると思うよ」
今迄は丸や楕円の単なるタライだったものを、親族や知人にプレゼントの経験があるケイティたちの意見を取り入れて完成した沐浴専用タライことベビーバスは、背もたれになるように片面が斜めになっていたり、滑って水没してしまうのを防止するため赤ちゃんのおしりを緩やかに支える湾曲した底面になっている。この加工に手間がかかるため三百リクルになってしまった。新生児の時を含めても数ヶ月しか使わないものにそんなにお金は出せないという人が圧倒的に多いので、販売を断念しようかとも思ったけれど、これについてはルリアナ様が『絶対売り出す』とガンとして譲らず商品化に至った。
「まず各地区の神殿や孤児院などに寄贈しましょう。一つではなく、複数よ。そうすればその地区内で子供が生まれたら誰でも借りられるわ。それを真似て領単位で買ってくれる貴族も出てくるはずよ」
凄い事を思いつくと感心。
なのでクノーマス領とククマット領では全ての神殿、修道院と孤児院にベビーバスが置かれる事に繋がった。それに富裕層なら間違いなくこういうものは買うから売れるわよ、というお墨付きもあり、ベビーバスを作る工房は今うれしい悲鳴を上げている。
そんな感じでちょっと高いけど安全安心な物もある《ゆりかご》で全面に押し出されるように、いや、主張激しく並べられているのがロンパース。
「こんなに開発されていたのか」
「……私もびっくりよ。何だろう、執念のようなものを感じる」
これもルリアナ様。
着ぐるみ感が強いこの数多のロンパース、ルリアナ様が妊娠中アイデアを出しまくっていた。
……ルリアナ様はね、この手の物が好きなのよ。知ってるか、着ぐるみ風パジャマを着て寝てるんだぞ。最近のお気に入りはリスの、尻尾が邪魔でエイジェリン様がちょっと寝にくそうにするという代物だぞ。その影響強すぎなロンパースの半数は動物と魔物の可愛い着ぐるみ系。売れるのかな、見ようによっては奇抜な類に入るよね、これ。普通の白やピンクや黄色もあるけど……。
「地球のロンパースがこれが定番と勘違いされる未来しかみえない」
この 《ゆりかご》の商長はシルフィ様。いずれはその権限をシルフィ様はルリアナ様に譲ると既に決めていて、《タファン》と《ゆりかご》は侯爵家の事業でありながら、その権限を持つのは夫人というちょっと特殊な条件下にある。これは私の 《ハンドメイド・ジュリ》 と《レースのフィン》と同じ。
この世界では重婚はもちろん側室、妾など男も女も割りとそういうのが認められている国が多い。その関係で資産のある女性はその資産を守るためにあえて結婚せず『副妻』と呼ばれる立場になることが多い。正妻ではないのでもし万が一死んだとしても、それまでに有していた資産が自動的に夫や家の物になることはない。『副妻』とは自分の死後まで自分はどうしたいかを全て契約書に認めた上で事実婚の状態でいるので大半がお店を所有していても契約でもってそれを誰に引き継がせるか、譲るかを決めている。まあ、殆どはパートナーに譲るとする場合が多いらしいけどね。悠々自適に生きたいという人向けの結婚の形ともいえる。
そういうちょっと特殊な関係性である『副妻』と同じ状態なのが『正妻』である私やシルフィ様。
極めて珍しいらしい。
まあねぇ、侯爵家、伯爵家の事業なのに旦那さんに全権が委ねられていないってちょっと考えるとおかしい状況だよ。
これについては、私が独立したい理由と同じ。爵位を持つ家は必ず国や王家が関わってしまう。寄越せ、止めろと言われれば従わざるを得ないことが圧倒的に多く、逆らえば罪に問われる可能性が高い。それが貴族というもので、いざというとき逃れるためにも爵位を持つ当主や嫡子ではない人が権利を有しておくのが安全ともいえる。ただし、単なる独立では済まず本当に圧力を受けるだけのことをされればその時はまず離婚して爵位から切り離される事が逃げるための最低条件になるのでなるべくそうならないでほしいと願うわ。
こういう複雑な事情が意図せず含まれてしまった開店。
神経質な反応をしたのがアストハルア公爵様だった。
「いつかは出ていくつもりか?」
「ここはシルフィ様の店ですよ」
「いずれ、ここは君が傘下にすると私は踏んでいるが」
「それはありえませんね」
「そうなのか?」
「むしろ、数年内に私から完全に切り離します。そういう契約も済んでますよ」
「何故だ?」
「ちょっと大きくなりすぎました 《ハンドメイド・ジュリ》と 《レースのフィン》が。事業内容がとても濃くなっているんですよ、これ以上侯爵家の事業にまで深く関与するのは危険なくらい。私としては……ネイリスト専門学校を取り戻すつもりです。領民講座といずれは統合して新しい事業にしたいので。勿論侯爵家への協力は惜しみませんよ、それは今後も変わりません。けれど、全てを永続的にということはないです。あくまで私は 《ハンドメイド・ジュリ》、《レースのフィン》、そしてククマット内の事業を守る、成長させる為にいますから。これ以上、半端な関与はどちらにとっても足枷になります。だから線引はしっかりするつもりです」
「……出ていくつもりはないと?」
「ククマットの幸せのために、それが私の原動力のひとつです。随分気にしますね? 公爵様は私がどこにいても気にしないと思ってました。むしろ、グレイやクノーマス家の手が届きにくい所に行ったら喜びそうだとも」
黙り込む公爵様。グレイは私がそんなことをサラリと言うとは思わなかったらしくて、眉間にシワを寄せてしまった公爵様と私を困った顔で見比べた。
「伯爵は今の状況をすべて承知、了承しているのか?」
わぁ、グレイがとばっちり。咄嗟に笑顔で頷いて返したけど、明らかにグレイ、『私に振るな』って思ってるよね (笑)。
「だからこそ、副商長を任せています。この人は私がククマットを出て行く気がないことをちゃんと理解して、信じています。私の事業展開で反対はしません、グレイに聞いてもあまり意味はありませんよ?」
「……それなら、いいが」
「随分気にしますね?」
「……バミスの公爵夫人、将爵夫人と何度か茶会をしているそうだな」
「出処、アベルさんですね?」
「ああ、そうだ」
「グレイ」
「分かっている、殺す」
「殺さんでいいわ!! 話し合いだよ!!」
はあ、と存外に大きなため息が出ちゃったよ。
「あの人は……気にするような事じゃないって言ったのに」
「本気だぞ」
ナニがですか? と問いかけるよりも前に公爵様から告げられた。
「あの国は君と伯爵、そしてククマットにいる住人丸ごと、バミスに呼ぶとこも視野に入れて君を勧誘していくつもりだ。あちらの公爵家と将爵家は枢機卿会とは距離を置いているようだがきっかけさえあれば手を組むことは間違いない」
「……お待ち下さい、そもそも私はこの国の貴族です、しかも伯爵となりました。私ごと、ですか? それは不可能な事です」
「あの国は、そうは思っていない」
「どういうことでしょうか?」
「国が、この国の王家が未だジュリを【彼方からの使い】と認めていないからだ。伯爵、もし万が一……国がありもしない罪をジュリに擦り付け、国外追放を、最悪……死罪を言い渡したら君はどうする」
ドクリ。心臓が跳ねた気がした。
「最近の強権派の動きは不気味だ、王家を傀儡にするつもりで強引に動いていたはずなのに、今は全くだ、国王陛下が採決を下す事をそのまま受け入れるだけで、強引に誘導して都合よく政を動かそうという事がなくなった。お陰で国王陛下は考えを尊重してくれるという理由でベリアス家を宰相よりも側に置くことが多くなっていてな。……ベリアス家が何らかの思惑があって今の状況に持ち込んでいるのは明らかだ。そのことに、ジュリ、君が無関係とは私は思えない」
返答に困ることを言ってくれる、と声に出しそうになった。
事実、私は未だにこの国に【彼方からの使い】として認められていない。
現在伯爵夫人のジュリ・クノーマスだけどその前の肩書は? と国に確認したらこう返ってくる。
『ジュリ』である、と。
『【彼方からの使い】のジュリ・シマダ』ではなく、『ジュリ』。
この国の国民という扱いではなかったのよね。分かりやすくキリア、そしてハルトで言うと、キリアは『ベイフェルア国ククマット伯爵領領民のキリア』となる。ハルトの場合は『ロビエラム国所属【彼方からの使い】ハルト・オカザキ』。そして私は『ベイフェルア国ククマット伯爵領に住むジュリ』。
私が国民という扱いになったのはグレイと結婚してから。伯爵夫人になって人権が認められたと言っても過言ではない。
これについては侯爵様が再三認めてくれと国に掛け合っていると聞いている。そこまでしなくても、と思うけれど、一方でなんで頑なに私を認めないのか、それは気になっている。
『覇王』のとき、魔法付与できるものを大量生産したことは国は既に把握している。国からの強引な取り込みや最悪拘束も覚悟した時期もあった。グレイやローツさんがそれで殺気立つくらいには警戒していた。けれど全くそんな気配がなく肩透かしを食らってその状況が今でも続いている。
強権派がおとなしい理由に私がどれだけ関係しているのか定かではない。そもそも私だけではなくもっと別の大きな要因がある気もするし。
とにかく、召還から現在までの立場が国内では前代未聞でアストハルア公爵様からみると非常に不安で危険に感じているってことだよね。
「……今はその心配、最低限にしませんか」
「なに?」
「折角新しいお店が開店したんです、そのお祝いに水を差すような顔をしたくありません」
問題の先延ばしでしかないけどね!!
「そうだな、すまない」
「謝る必要はありませんよ、ご心配ありがとうございます」
何度でも言い聞かせる。
出来ることをする。
自分が出来ることを。
そうやって私は立っている。
この国の汚い面には私も『正義』を掲げられるギリギリで立ち向かうと決めている。
だから今は、その覚悟の緩まぬ今は、こういうお祝い事は全力で祝って一緒に喜んで笑うと決めている。
だから今は笑う時。
心配事は、横に置いておく。
「あ、そうだ。前もって言っておきますね」
「なんだ」
「シイちゃんとロディムが結婚して子供が出来た時、《ゆりかご》で買い占め禁止です」
「……」
「主だった方々に侯爵様からも言ってもらったんですが、公爵様みたいにだんまりを決め込んだらしいですよ」
「……」
「駄目ですからね。どうせ祝い品沢山貰うんですからそれを存分に使ってください、安いものの買い占め禁止です。庶民に嫌われますよ」
「……」
返事を断固として拒否る公爵様を見て、グレイが笑いを堪えて肩を微かに震わせた。
先日『ハルトは何歳?』というご質問がありましたので、ざっくりと主な登場人物の現在の年齢お知らせします。
シャーメイン 18歳
ロディム 19歳
ルリアナ・セティア 27歳
キリア 28歳
ジュリ 29歳
ハルト・グレイセル 31歳
リンファ・エイジェリン 33歳
ローツ 37歳
ケイティ・アベル 38歳
マイケル 40歳
こんな感じでしょうか?
意図的に誕生日などは設定しておりません(後で修正しやすいので)。ジュリとグレイセルの誕生日が近くクリスマス前という設定になっているので、今後はサブタイトル「あの人への贈り物」を目安にすると分かりやすいかな、と。
こうして並べてみると平均年齢高い!!
ここにフィン&ライアス、侯爵、おばちゃんトリオとか入れたらもっと……。どう考えても五十、六十代が異様に元気で出しゃばってる物語(笑)。




