26 * 大枢機卿アベル、語る
パンダ耳さんの語りです。
私が大枢機卿になることでロビエラム国とあらゆる面で繋がりが強化されることはバミス法国にとって悪いことではない、それが反枢機卿勢力も黙認する状況で決定事項として水面下で調整がなされ進んだ経緯がある。
国内の有力者たちの殆どがそんな国と枢機卿会の方針に従った背景にはベイフェルア国との問題が表面化する気配がここ数年で見られるようになってきたからだ。
その問題とは。
獣人の拉致と奴隷化だ。
ベイフェルア国では今の国王即位後王宮の腐敗が加速度的に進み、最早穏健派と中立派がどれだけ舵取りのために介入しようとも抑えられる所が限られている。
王宮、つまり王家の腐敗の原因は強権派が中心になっているが、穏健派、中立派も一枚岩ではない。数年前のクノーマス家のみ科せられた国境線防衛への兵と資金提供命令、あれが確実に何とか保たれていたベイフェルア国内のバランスを崩すことになった。あれにより中立派全体が揺らいだのだ。静観を決め込んだ穏健派アストハルア公爵家も当時はまさかここまで強権派の勢力拡大に繋がるとは思ってもいなかっただろう。中立派の筆頭クノーマス家が混乱するその時に代わって中立派をまとめ上げたツィーダム侯爵家も少なからずの被害を被った。それが引き起こしたのはベリアス家による引き抜きだ。
穏健派、中立派から強権派へと鞍替えさせたのだ。
特にあの時、動かなかった中立派からは男爵家から伯爵家合わせて十以上もの家がベリアス家の甘言に惑わされ移ってしまった。
『アストハルア家はこういうときに助けてくれない』という不安を煽り、『ベリアス家は手を差し伸べる』と。そんなことで? と呆れることになった私にアストハルア公爵が放った言葉にあ然としたことを今でも思い出す。
「その程度、ということだろう」
一体何のことを言っているのか未だにその答えを公爵は語らない。
公爵家の求心力のことを言ったのか、離れていった家の浅はかさを言ったのか、それともベリアス家の何の捻りもないやり方を卑下するために言ったのか、未だ。
ジュリさんから打診があった。
クノーマス家が移動販売馬車を使ったこども用品の新事業を立ち上げると。そしてその事業拡大にはいずれ必ず獣人の優れた転移能力が必要になるため、然るべき時に『合意職務者』を、獣人を、クノーマス領へ迎えるように計画していると。
それをきっかけに水面下ではあるがバミス法国はついにクノーマス家と正式な外交ルート構築の下準備が整えられることになった。これには法王もお喜びになられた。
ところが。
沈黙した人物がいる。
バミス法国の富豪。
ジャミール・ウィルハード公爵。
公爵家となってまだ歴史は浅い。数代前の法王の妹君が嫁下したこと、すでに莫大な財を築いていたこと、法王への忠誠が厚かったことなどが重なり公爵になった家だ。
「私が? 何故?」
その返答に私だけではなく同席した他の枢機卿も困惑した。
「クノーマス家との正式な外交開始……確かに魅力的ではありますがそこに我が家が加わる必要はないでしょう。そもそも大枢機卿、御身がその中心となられるならば、ベイフェルアではアストハルア家が動いて下さる。アストハルア家の嫡子がクノーマス家の令嬢と婚約することが正式に公にされたのだから尚の事、私の出る幕ではありません」
「しかし、公爵貴方にとってもクノーマス家との繋がりは」
「勿論欲しいです。喉から手が出るほどに」
「ならば」
「大枢機卿、私はね」
穏やかな、内心の読めない笑顔で公爵は私に手を向けて制して来た。
「それよりも問題を先に解決したいのですよ」
言いたいことは分かる。
この公爵は、獣人の拉致と奴隷化でバミスからベイフェルアへ同士が売られているという問題の早期解決を望んでいるから。
この公爵の屋敷で働く者がある日突然失踪し公爵家が調べた結果、その獣人は騙され奴隷として他国に売られていたのだ。しかも強権派ベリアス公爵家が裏で糸を操っていると。
これにより身近な所にまでベリアス公爵家の魔の手が伸びていたことが発覚し少なからずの国内の有力者たちは顔を青くした。
「正式な抗議をしようとも『我が国を愚弄するのか』とあの国はまともに取り合わないんですよ。王家がその状態です、証拠も証言も突きつけてなお、あの王家は取り合わない。つまり、王家そのものが関わっている可能性があるわけで。そして今なおこの瞬間も卑劣なやり口でこの国の国民が奴隷として売られている。今ではベイフェルアどころか他の国すらその奴隷となってしまった我が国の国民を買っているそうじゃありませんか。平均的に見ても優れた獣人が奴隷となっているんですよ、情報が漏れるだけではない、いずれ有事となった場合彼らが我らに牙を向くことだって想定しなければ。隷属の呪いをかけられればその時点で人権はなくなる、何処にも属さない物になり果てる。武器にも盾にもなる奴隷を欲するところは無数にあるのです、私はそれを止めたい、そして取り戻したい」
そこまで一気に語った公爵は改めて笑顔を向けてきた。
「ああ、勿論クノーマス家との外交開始のための下準備には協力しますよ、資金提供は惜しみません、早速準備させましょう」
「公爵」
「なんですか?」
「クノーマス家との繋がりは、ジュリさんとの繋がりを意味します」
「知っています」
「望んでいますよね?」
「ええ、でも、無理には望みません」
「無理にではありません」
「そうですか?」
「何が仰りたい」
「……強いて言えば、ジュリ殿は自ら縁を紡ぐ方です。私が動いてどうこうするようなお方ではない。だからその件でジュリ殿との交流を持つつもりはないということです。そして、一致団結しようとするその心意気は素晴らしい、そして事実反枢機卿勢力さえも上手く誘導し先の展示即売会とオークションを成功させたことは称賛に値します。あれによってジュリ殿の価値はこの国ではますます上がった。この国の有力者であの方を無能な【彼方からの使い】と見下す者はまずいないでしょう。それに繋がる行いをしたのは間違いなく大枢機卿、貴方です。……だからこそ、私が表立ってそこに入る必要はありません。私の財と発言は多くの者を動かします、少しでもあなたと私の間に不協和音が見て取れたその時必ず互いの足枷となってしまうでしょう。それを防ぐためにも私は、そこに入るべきではありません。そしてそのように敵対せず少しだけ違う方向を向いている人間がいることは、ゆとりとなります。私よりも貴方の力になりたいと思う者を私の入らないそのゆとりのあるところに入れてあげて欲しいと思います」
言いたい事だけ言った公爵が去った部屋の中、枢機卿の誰かが舌打ちしたのが聞こえた。
ついに始まったクノーマス家との移動販売馬車の活用方法と『合意職務者』についての今後の方向性を互いに確認する初の協議が無事に終わった。
その報告を兼ねてグレイセルの屋敷を訪ねた。
今日はちょうど 《ハンドメイド・ジュリ》の定休日、事前に寄りたい旨を伝えたら快い返事を貰えたので協議後直ぐに何処にも寄り道せずに向かったら、先に客がいた。予定よりも早く着いてしまったことをグレイセルに謝罪したが彼は特に気にした様子もなく笑う。
「いつものことだろう」
「そう言われると、辛い……」
「それにアベルも初対面ではない相手だから出くわしても問題無いはずだ。それに今日はジュリの客として来ているから気にしなくていい」
「ああ、ジュリさんの。グレイセルはその席にいなくていいのかい?」
「女だけの所に私に入れと?」
苦笑し肩を竦める彼を見て、きっとジュリさんから『女子会に首を突っ込むな』何てことを言われたのだろうなと予測が出来て私は笑った。
「私は挨拶しなくていいかな? 貴族夫人であれば無視も良く無いだろうし」
「どうだろうか。バミスからの客だし、アベルの方が地位は高いからむしろあちらから挨拶しないとと思うかもしれないな」
「え?」
「アベルが来ることは話していないんだ、クノーマス家が関係しているだろ? 事業のことだから下手なことはできないし。ああ、でも、相手はもしかするとアベルがクノーマス家に今日行ったことは把握しているかな」
「……だれ、と聞いても?」
「ウィルハード公爵夫人の妹君、ラパト将爵夫人だ」
ラパト将爵。
バミス法国軍のトップ、『竜騎兵軍』の軍長には一代限りの爵位が与えられる。その爵位が『将爵』だが、ラパト家に限りこの爵位は継承が許されている。この家門は歴代の軍長および軍事のトップクラスの人物を数多輩出する極めて身体能力の優れた血筋だ。そのためあの家に限り法皇への絶対忠誠を条件に永代継承が認められている。
国で唯一無二の特異な家だ。
その家の現当主の夫人が、何故。
「モフモフ要員 (治療薬)」
「……は?」
「猫属性、素晴らしい。あの毛量、弾力、艶、全てにおいて完璧」
「あの、ジュリさん?」
「展示即売会のときから目をつけていた。並んで談笑している姿を見たとき、似てるから姉妹だろうなと思ってた。そうしたらお姉さんがあのウィルハード公爵夫人っていうじゃない、ライアスの作ったバッグフックを馬鹿みたいな金額で競り落とした富豪の奥さんっていうじゃない。高額で競り落としてくれたお礼のお手紙送ったらその奥様が非常にバッグフックをお気に召していて満足だっていう公爵からの返信、そして今度お店に買いに行くと、奥様が妹を連れて初来店すると。私は我慢できなかった。そう、手が、手が、モフモフを求めてた! 猫撫でたい! その欲求が! これちょっとした病気!!」
「……で、その場でジュリがその醜態を晒しかけてな、私が事情を説明したら高貴な身分でありながら快く了承してくださった」
「長毛種の猫の毛、好き過ぎる。吸いたい、猫吸いしたい」
「頼むからそれだけはやめてくれ……。ジュリがこういう状態なので一時間ほど、お二方の尻尾を離さず……気づいたら『モフモフ要員 (治療薬)』と『猫不足症候群 (病気)』という謎の関係になっていた。そして今日は将爵夫人が……―――」
やられた!
そう思った。
「アベルが思うような関係ではないから安心してくれ」
「え?」
「あちらからは勿論、こちらからも事業の話などはしていない。今のところ完全にジュリと夫人たちの謎の関係……友達といえばいいのかな? その付き合いしかしていない」
私の顔に怒りに似た感情か滲んだのを見てグレイセルは笑って、そして次に肩透かしをくらいあ然としたのを見て面白そうに笑った。
「私も警戒したよ、正直あの富豪が動いたら手に負えないから。こちらとしてはクノーマス家だけでなくアストハルア公爵家すら巻き込んで対処しなければならない、それだけの家だが……公爵直々に『それどころではないので安心して欲しい』と言ってもらえた。獣人の拉致問題、奴隷問題に尽力しているそうだな」
「……実際、被害にあっている家だからね」
「そうらしいな」
「公爵と、いつそんな話を?」
「ん? 夫人を『モフモフ要員 (治療薬)』にジュリが認定してしまった際に謝罪で訪問したその時に。妻の事だから関与しない、好きにさせているとあっさりと言われてな、警戒した態度を見せたらその話をされた」
「そう、か……」
「この先のことは分からないが、概ねジュリはウィルハード家の態度に好意的だ」
「だろうね」
「……良好な関係とは言い難いのか?」
探るという訳ではないだろう、なんとなく気になった、そんな目を向けられた。
「どうだろうね、こちらとしては関係は良いに越したことはないと思ってるんだけど」
「『合意職務者』やクノーマス家との外交に難色を示しているわけでもない?」
「むしろ資金提供は惜しまない、と言ってるよ。なのに首を突っ込んで来る気はないらしい。何がしたいんだって話だよ」
「ああ、なるほど」
「何が?」
「ジュリを最優先してくださっているんだな」
グレイセルは納得した顔をした。
私には、それが分からなかった。
「我々だって」
「責めるつもりはない、ただな……優先の仕方が違う」
「彼の何処がジュリさんを優先していると?!」
「そうカッカするな」
嗜めるその言い方が癪に障ってしまい、それが顔に出てしまった。その、瞬間。
「では無視できるか? 他の枢機卿の意見や懇意にしている貴族や有力者、なによりお前は法王の意見や希望を無視できるか?」
向けられたのは敵意。
「無理だろう?」
「それ、は……」
「ウィルハード公爵はな、無視できない勢力が自分の周りに多いこと、そして今の不安定な立場のジュリに、そんな自分が自ら近づいた場合のリスクを理解している。だから、自ら近づいてくることはなかった。こちらから近づくのを待っていた。ある意味策士ではある、が。……ジュリの気持ちと立場を最優先に考えてくれていることには間違いない。私の【スキル】も全く反応しないしな、それもあって下手に警戒するのを止めたんだ」
ジュリさんに近づく最短の、最も効率的な方法を私よりもウィルハードが理解していたなんて。
今僅かに私に向けられているグレイセルの敵意と牽制。
これを回避する方法はたった一つ。
『グレイセルの価値観で定められたジュリさんに対する距離感』を守ること。
グレイセルの信頼を勝ち取るのでない。
グレイセルのジュリさんに関わる警戒心を解くために、距離を保つ。
今更、それを思い知らされた。
分かっていたはずなのに。
必ず立ちはだかる男。
この男を攻略しなければ、決してジュリさんに辿り着けない。
それをあの若き公爵がやってのけた、というのか。
「なにをそんなに悩んでいるのか分からないが」
グレイセルの敵意と牽制が霧散した。
「こちらとしては、バミスと対立するつもりはないから安心して欲しいし、内情にもいちいち口を出すなんてことは一切ない。とにかく……ジュリと夫人たちの交流に水を差すことさえしなければ何も言うことはない」
「……わかったよ」
グレイセルとは親しくなった。
最近は名を呼び合うようになったし、酒を酌み交わしたこともある。
なのに、このザマだ。
結局私はまだ、この男の懐に入れてもらえず。
ジュリさんにとって安全な者と認められず。
悔しさと、情けなさ。
どちらも喉を迫り上がる不快な吐き気のように私の中で膨れ上がった。
とある高貴な方々の報告会。
「お姉様、お義兄様、本日クノーマス伯爵邸に大枢機卿がお見えになりましたわ」
「ああ、そうらしいね」
「そういえば今日だったわね侯爵家との話し合い」
「大枢機卿が、私を無視をするわけにはいかないと挨拶に来てくださったのですね。その時いつものごとくジュリ様は私の尻尾を掴んで撫で回しておられたのですけど」
「なにかあったかい?」
「目聡く、私とお姉様のためにジュリ様が作って下さったブラシを見つけまして。大枢機卿がそのことに酷く嘆きましたら『ホントマジで面倒くせえ男だわ!!』とジュリ様が叫びましたわ」
「確かに面倒なお方ではあるわ」
「そうでないと大枢機卿なんて地位には就けないよ」
「あら、では適任なんですのね」
「もちろんさ」
「ちなみにその後伯爵に襟を掴まれ引きずられ強制退出させられておりましたの。そのときにジュリ様が大笑いしながら『ドナドナ~!』と仰っておりまして」
「なんだいそれ」
「異世界用語かしら?」
「ええ、気になりましたのでお聞きしましたら……」
一切、世の中の役に立たない報告会。




