◇三周年記念◇ とある二人の馴れ初め
お陰様で本日で三周年を迎えることとなりました。
今まで読んで下さった読者の皆様、心から感謝申し上げます。これからも是非ともよろしくお願い致します。
三周年記念一話目、若い二人のお話です。二人がそれぞれの視点で語るため文字多めになりました。
―――ロディム・アストハルア、恋をする―――
出会いは。
私が十三歳、彼女が十一歳。六歳になられた王太子殿下初主催の狩猟会だった。狩猟会と言っても形だけで謂わば公的な場に今後出てくる王太子殿下と主だった貴族子女の顔合わせが目的で、狩猟も腕の立つ者による獲物ではなく動くことのない的に騎乗したまま矢を射ったり、左右に騎士を配置して乗馬を習ったり、令嬢たちは多少のマナーの悪さやど忘れが許される茶会をしたり。
我が子の将来の婿や嫁を探したり見定めたりするギラついた視線と、優良物件を確保するためライバルと際どい駆け引きをする大人たちがいる社交場は言い様のないひりついた空気が漂っていた。
そんな大人たちの様子も気持ちも知らぬ子どもたちがそれなりにいる中、彼女もその一人ではあったが彼女が大人たちなど眼中にない理由は実の兄グレイセル・クノーマスが子供たちの視線を独り占めしていたからだ。
愛馬に跨り的当ての場に現れた彼女の兄は年頃の令嬢はもちろん年端も行かぬ幼い令嬢たちや騎士に憧れていたり嗜みとして狩を始めた頃合いの令息たちも瞳を輝かせ、かくいう私もその姿に尊敬と憧れを抱いた。
貴族としての爪先まで洗練された所作と史上最年少で騎士の資格を得ただけのことはある圧倒的存在感と卓越した的当て技術。
全ての的のど真ん中をたやすく射抜いた彼に対し純真無垢な喝采と歓声が起こる中、彼女だけは違っていた。
大層機嫌が悪い顔だった。
どうみても、侯爵令嬢のする表情ではなかった。
この日のために用意されたであろうドレスも侍女が気合を入れたであろう髪型も台無しな、それはそれは不愉快極まりないといいたげな、表情。
周囲とのあまりの格差に、私は凝視してしまった。
「なんだその顔」
「嘘つき」
「何が?」
「兄様弓は苦手って言ってました!」
「苦手だよ、剣や槍に比べたら。普段は扱わないし」
「私も、私ももっと練習してっ、兄様より絶対上手になってみせます!」
うん?
「……だから出たくなかった、茶会の見世物なんて。シイがそう言い出すことは分かりきっていたんだから。お前と私では根本的に体の作りや能力に違いがあるんだから私を基準にした習い事はいい加減やめなさい」
……うん?
「レディとしての嗜みに力を入れてくれ」
「マナーや教養は毎日ちゃんと習っていますし予習復習もしています、これ以上ないくらいしっかり日々学んでます。なんでも全力で挑んで手抜きなんてしていませんので同じ年頃のご令嬢に負けることはありません」
「それはそれで怖いものがあるがな。そして嗜みを勝ち負けで見るのはやめなさい。とにかく、弓は駄目だ」
「どうして?!」
「剣も槍もそれなりに使えるようになった上にさらに弓まで……流石に嫁の貰い手がいなくなる」
「兄様たちと比べたら私は基本しか」
「普通の令嬢はどれも基本すら身についていないからな?」
「でも、エッジ兄様は覚えて損はないと言っていました」
「あの人か、お前をやたらと強くしたのは」
「強くありません、兄様には絶対勝てないしエッジ兄様にだって魔力量も魔力操作も全然追いつけないもの」
「お前の基準が狂ってることに私は今泣きそうだ」
……ううん?
―――クセの強い令嬢らしい―――
それが、シャーメイン・クノーマス令嬢の第一印象だった。
それから数年、彼女を見かける機会はなかった。
記憶の彼方に追いやられ、婚約者候補の中にもその名前が出ることもなく。
私がバミス法国への留学で暫く休学したあと、コネクション作りと社会勉強を兼ねて期間限定で王太子殿下が学園に入ってくることになり、それに合わせて復学するよう父から言われて殿下の付き人、将来の側近候補として側に仕え久方ぶりに学園に足を踏み入れた日。
(ああ、綺麗になったな……)
美しいカーテシーで殿下を迎えた数多の令嬢たち。
彼女もその中にいた。
頭を下げているにも関わらず、凛として優雅なのは彼女が己の所作に自信があるからだ。そして整った顔立ち、他の令嬢達よりも高い身長、艶やかな赤みの強い艶やかな髪。それらがさらに彼女の存在をいい意味で際立たせていた。
兄の強さに嫉妬して不貞腐れていた可愛らしい令嬢は、目を瞠る美しい女性に成長していた。
それから時折彼女とは会話をする機会に恵まれて。
誰もが憧れる淑女として完璧な所作と社交性はもちろん、時として政治を熱く語り合うこともできる知識の豊富さに驚かされることもしばしば。
そして不意に見せる年相応の無邪気な笑顔と、それに気づいてハッとして頬を赤らめ恥じらう困り顔に、私もそれに釣られるように笑顔や困った顔を彼女の前で見せるようになっていた。
なにより、隠している豊富な魔力と『じゃじゃ馬』加減が極稀に出る時がある。
その時というのが自惚れでもなんでもなく私といる時で。
それに遭遇するたび私は喜びを感じやはり表情が崩れてしまって、それを隠そうと口元を押さえたり咳払いをすると彼女が仄かに頬を染める、そんなやり取りがもどかしくもあり心地よくもありこれからも続けばいいと互いに思っていることもなんとなく察してしまっていた。
そして。
程なくして殿下が彼女に興味を抱いていることに側仕え故に気づいてしまった。
チクリ。
胸に痛み。
悲しいことにそれが何なのか気づかぬほど鈍感でも幼くもなかった私は、殿下を応援する立場に徹するしかなかった。
何故なら、彼女は中立派筆頭家の令嬢。
ここ数年でアストハルア家率いる穏健派とは深い溝が出来ている。
彼女と将来を……そんなことは口が裂けても父には相談出来なかった。
「ロディム様!! お待ち下さいロディム様!!」
だからあのとき。
「シャーメイン嬢?!」
嬉しかった。
「行くって! フォンロン国に行くって聞いて!!」
ただ、嬉しかった。
「どうしてですか! どうしてロディム様が、危険だと分かっているところへ!」
到底令嬢とは思えぬ勢いで私のもとへ駆けてきた彼女は置いてけぼりをくらった幼い子供のように今にも泣きそうに歪められた顔を真っ直ぐ私に向けてきた。
「行かないでっ」
振り絞るようにして発せられた言葉。丁寧で淑やかな言葉遣いが剥がれ落ちた、彼女そのままの言葉だった。
「お願っ……いかなっ、で」
涙を堪える、悲壮感で塗り固められた表情。
もう、それだけで、十分だった。
訳の分からない制御不能な感情が溢れ出た。
「そんなことを言われたら」
両腕で、きつく抱きしめた。
「好きだと伝えずにはいられないじゃないかっ」
―――シャーメイン・クノーマス、恋をする―――
初めてロディム様にお目にかかったとき、『ちょっと怖い』と思いました。
だって無表情だったんです。つまらなそうとか、機嫌悪そうとか、そんなことではなくてとにかく何を考えているのか分からなくて。沢山の令息令嬢が集まっているのに、あの方だけ、無表情で誰に話しかけられても人形のように全く表情を変えなくて。
兄様に負けていると思い知らされて悔しくて不貞腐れていた私はそんなロディム様と偶然目があった瞬間がありました。
怖さが吹き飛ぶ程の綺麗な目をしていました。
「ああ、アストハルア家の特徴だな。お父上の公爵も同じあの青紫色をしている。あの家系は魔力が極めて豊富な血だとあの青紫になると言われているから彼もそうなのだろう」
光の強弱と差し方でとても鮮やかな青紫色になるそうです。私と目があったその時は特に綺麗に見える瞬間でした。
(笑ったらもっと素敵だわ)
けれどあの方はその日一度も表情を崩すことはありませんでした。
そして再会したとき。
兄様たちやお父様とも違う、美丈夫というのでしょうか。非常に真面目で聡明、しかも策士だろうと思わせる見逃してはならない、敵にしてはならない危険さを孕んでいるその雰囲気を和らげついその見目に拐かされてしまいそうなお顔。この方の登場に沢山の令嬢が浮足立つ程でした。
そして襟足がスッキリとした髪型は漆黒の髪色にとても良く似合っていましたし、流行に流されない確固たる意思を感じるシンプルな物を好んで身につけている所は兄様達に通ずるものがあってそれだけでも私は親近感を抱きました。
好きになってしまうまで時間はかかりませんでした。
「《ハンドメイド・ジュリ》についてはいつか訪ねてみたいと思っている」
「その時は是非ご案内させてくださいませ」
社交辞令な会話でも、ほんの一瞬、いつも無表情のこの方が見せる柔らかな笑顔がとても好きです。
『女が政治の話など……』と、貴族の女子が政治を語るのを嫌う令息が多い中、この方は私の話に耳を傾け、時には私がきっと興味を持つだろうと貴重な本を貸してくださったりするのです。
ある時。
「ああ、やっぱり直ぐにわかる」
「え?」
「あ、すまない。その……いつも身につけている色違いのペンダントがあるだろう?」
それはジュリが作ってマイケルさんが魔法付与したブルースライムとグリーンスライムにそれぞれ螺鈿もどきラメでグラデーションをかけたものをグレイ兄様が台座を用意しペンダントにしたものです。
「魔法付与が特別なものだから、気配でわかるんだ」
「えっ」
「他の学生は気づくものではないから心配ない。私も残念ながら気づいたのは最近で。防御系のものが二つ、かな? 僅かに周囲にも影響を与えてくれていて、心地いい」
「心地いい、ですか……?」
「時々いるだろう? 自分は強い、魔力が多いと自慢気に気配や魔力を垂れ流しにしている者が。私はあれが煩わしく感じるんだ、肌を触られているような感覚になるときがあって。遮蔽術を常時かけ続けるのも面倒だしだからと言ってかけずにいるとタイミング悪くその垂れ流している者が近くに来たりして。けれど、シャーメイン嬢の側にいるとそのペンダントが周囲の余計な気配や魔力を遮ってくれる」
「そう、だったんですね。私、全く気づきませんてした」
「毎日どちらかを必ず身につけているようだし、夜休む時外していても側においているから自然と慣れたのだろう。大切にするといいとても良いものだから。鑑定出来るわけではないけれど、それは間違いなく貴方にとって良いものだ」
それは二人の、私達だけの秘密となりました。
静かな放課後のサロン、読書をする私の隣に腰掛けて無言で本を開き共に静かに読み耽る時があります。その時は必ずロディム様が他の方の気配や魔力を嫌というほど浴びたとき。
「友人とはいえ、授業の模擬戦で興奮してからずっと魔力を抑えずに過ごしているのを見ると後ろから殴り倒して気絶させたくなる」
「……ふふふ、ロディム様に殴り倒されたら殆どの方が大怪我しますよ?」
「一度本気で痛い目に合わせるべきかと思うよ。あれで将来王太子殿下の護衛騎士になるんだと豪語しているんだ、私だって側近としてお仕えする可能性があるのにこれからもずっとあの魔力垂れ流しをされるのかと思うと……せめて今は殴っても許されるはずだ」
「武器お貸ししましょうか? 殴打に適したものもありますので」
「そのうち借りるかもしれない」
クスクスと、周りには決して聞こえない小さな笑い声で、視線を合わせることなく互いに手にある本に視線を落としたまま。
冗談まじりに交わされるそんな時間がとても好きです。
私は毎日ペンダントを制服の下に忍ばせ、ロディム様の御学友の何方かが魔力や気配を垂れ流しにしてくれないか、なんてことを思うようになっていました。
ささやかなそんな幸せな日々が突然終わりを告げたのです。
「お、お嬢様どちらへ!?」
侍女の制止を振り切ってペンダントを握りしめて寮を飛び出しました。
あるご令嬢が耳にしたという話。
『ロディム様がフォンロン国へ行かれるそうよ。今王宮はベリアス公爵様が殆ど姿をお見せにならないとかでとても纏まりが無いとお父様が嘆いていたの。だからアストハルア公爵様が今回王宮で国王陛下のお側に付くことになるだろうって話だったわ。それで身動きとれない公爵様の名代として支援のためフォンロンにはロディム様が行くことになるだろうって』
だめ、だめです。
行ってはダメです。
国を一日で消し去ったという逸話の残る『覇王』です。
ハルトさんと、兄様。
神に愛されしお二人ですら、現状何もできずにいると手紙にありました。
行かないで、お願い、行かないで!!
「ロディム様!! お待ち下さいロディム様!!」
驚いたその瞳は、とても綺麗な、青紫色をしていました。
自分で何を言っていいのか、どう思いを伝えたらいいのか混乱しながら言葉を噤めば。
ドン。
強く、体を引き寄せられて。
気づけば私はロディム様の背中に手を回してきつくきつく、制服を掴んでいました。
耳元に落とされた、とびきり甘やかな言葉。
「私も、好き、大好きですっ」
どれくらい抱き合ったでしょう。
悲鳴に似た甲高い興奮のにじむ声が聞こえて来たときもありましたがそれでも私達は互いに、どうしても、手が離せなくて。互いにそのことが嫌というほど伝わって。誰かに見られていても構わない、このことが両家を悩ませることになっても構わない、そんな覚悟ができるほど冷静になり始めてようやくロディム様の手が僅かに緩みました。それに合わせて私はゆっくりと顔を上げました。
コツン、と当たった互いの額。瞳を閉じたロディム様の顔が目の前に。
睫毛、長くて多いですね。
そして、温かい、ですね。
「……とても言い難いんだが」
「はい?」
「領地に帰るだけで、私はフォンロンに行く予定は、ないんだ」
「え」
「心配してくれて嬉しいけれど、今のところ父の補佐をするために帰るだけで。皆混乱しているから色んな話が混じってしまったんだろう」
「……良かった」
「シャーメイン嬢……」
「良かったぁ……」
私の声を聞いてパッと見開かれたロディム様の目が私を真っ直ぐ見つめました。
安堵の涙でしょうか。
勝手に溢れてしまいました。
少し困ったような表情をさせてしまい、慌てて謝罪しようとしたら。親指で優しく、優しく、涙を拭われました。
「怒らないで欲しい」
「え?」
「その……私のために、泣いてくれたのかと、喜んでいる自分がいる。不謹慎だな、すまない」
スッと細められたその目はとても優しく、甘く、真っ直ぐ私の瞳を覗き込んできました。
ああ、やっぱり、綺麗な瞳。
「フッ」
「?」
「あははは、額が」
「え?」
「赤くなってる」
何となく恥ずかしさがこみ上げて額を手でおさえましたが、ロディム様だって。
「ロディム様も赤いです」
「ああ、うん、そうだろうな」
何がそんなに面白いんでしょう、珍しくとても愉快そうに笑っています。
なんだかつられて、笑ってしまいました。
「必ず学園に戻るから。時期が時期だ、卒業式はこのまま領に帰ったら出ないつもりだった。でも……卒業式後の夜会の舞踏会、あなたと一緒に会場に入りたい」
「それは……」
「私のパートナーとして、共に行こう」
「……はい!」
「きっと、私達のことは両家にとってとても難しい問題になるかもしれない」
「分かっています」
「それでも、後戻りはしたくない。なかったことに、したくない」
「はい」
また、互いに目を閉じ額を寄せ合いました。
そして。
「あ、ロディム様、これ」
「ん?」
「これ、どうか、お持ちになって」
「これ、は。いやダメだこれは」
「お願いです、御守として、私だと思って」
グリーンスライムのペンダント。無理矢理ロディム様の手に握らせました。どうしても、持っていてほしかったんです。
「私がアクセサリーを差し上げる相手は、ロディム様だけです。お願いです、どうか」
「分かった。では、私からもこれを」
それはアストハルア公爵家の紋章にも使われている花の紋様のあるブレスレットでした。
互いに身に着けるものを交換して、また、額を。
「お嬢様!! これ以上は!!」
「ロディム様!! いい加減にしましょうか!!」
……互いの侍女と執事に止められてしまいました。
後日。
ジュリと兄様とアストハルア公爵様が水面下で事業提携を進めているという話を聞かされました。
クノーマス家とアストハルア家の和解が進んでいることも教えられました。
問題がないわけではありません。
王太子妃候補の一人に私の名前が挙がっていたことも教えられました。ロディム様はそんな私との婚姻を望むのだから王太子殿下から奪うことになってしまうのです。それが例え正式な申込みもなく単にそういう話をしていた人がいた、という程度であっても最優先されるのは王家なのですから。
現状の政局から判断するに、穏健派から後の宰相を出すのがいいだろうという暗黙の了解が穏健派と中立派にあったそうです。
それがロディム様でした。
「いいんだ」
「ロディム様……」
「貴方が手に入った、諦めていたのに。シャーメイン嬢がいてくれるならそれだけで強くなれる。宰相に必ずならなければ、というわけではない。他の道もあるし、私は公爵になる。言わせて見せるよ、王家には君が必要だと。アストハルア公爵がいなければ困ると言わせてみせる。その時、貴方が隣にいてくれたら嬉しい」
そう言ったロディム様の瞳はやっぱりとても綺麗でした。
「はい、お側にいさせて下さい」
―――そして暫くして―――
「青春してる! 若いって素敵だわぁぁぁぁ! 聞いてるだけで若返るぅ!!」
「ジュリ、シイとロディムが引いている。落ち着け、ちょっと落ち着け」
「あはははぁ!! 額コツンの先は?! どこまで進んだの?!」
「ブラックシフトが続いておかしくなったな、ジュリ、そういうデリケートな話は止めろ」
「ひゃはははっ、で? お互いどこが好きなの? はい、お互い好きな所十個言って! 具体的に!」
「ジュリ、ちょっと寝てこい」
「シスコンお兄は黙っとれ! 今の私は心の潤いが必須! そうだ! お姉さんが初夜が悲惨な思い出にならないように色々と教えてあげよう!!」
「ジュリ!」
「大事なことよ! 体位はもちろん―――むぐぐっ!!」
「黙ってくれ、頼むっ!!」
3周年記念最初はどうしようかなと、悩んだ結果。
ロディムとシャーメインがいきなりお付き合い宣言に至った経緯、になりました。
そして兄嫁、恋バナわりと好きなので暴走しました。
明日は記念2話目。




