24 * 母は強し
色々不便なわけですよ、この世界。
例えば。
日本なら、子供が生まれます、おむつや身の回り品、玩具など必要なものは沢山あります、車で買いに行くからまとめ買いしちゃえます、ネットで注文するから天気はもちろん体調も気にせず買えちゃいます、スマホでパパに『帰りにこれ買ってきてー』と文字打っておけば買ってきてくれる家庭もあります。
この世界。
そんなこと出来ませんから!
解決策を色々考えたのよね私なりに。
お値段がお手頃なのは勿論、買ったら持ち帰りやすいようにコンパクトで軽量にするのはどうだろうとか、大きいものならレンタルにしたらどうだろうとか。でも一番の問題がそれじゃあ解決しないの。
赤ちゃん抱えてお母さんが買い物来ること自体が大変じゃん。赤ちゃんいるお家の人がお世話でてんてこ舞いして大変じゃん。
つまり、買い物そのものが大変なのよ。
これをどう解決する? と悩んで。
「あるじゃん、良いものが」
移動販売。
田舎で近くにスーパーがない所に定期的に来てくれるトラックやマイクロバスに食品や日用品をどっさり詰め込んだ移動販売。あれ。
「そういやうち、移動販売馬車持ってた」
私の独り言にグレイはポカンとして、ローツさんとセティアさんは固まった。ごめん、独り言だから全く意味が分からないよね、うん。
セティアさんが私の代わりに貴族の女性方への季節の挨拶や高額商品を購入してくれたお礼の手紙を書きながら、ローツさんは小難しい書類に目を通しながら、グレイは現在進行形で改良が続けられている会計士になるために必要な事が書かれた分厚い教本と参考書を添削しながら、そんな彼らに囲まれながら男性物のベルトのバックルのデザインを考えていたんだけど飽きちゃってウダウダしかけた所で不意に思いついたのが移動販売馬車のフル活用。
ちなみにバックルのデザインを投げ出した私にグレイとローツさんがちょっと悲しそうな視線を送ってたことは見なかったことにした。
で、侯爵家で行われた交渉に至る。
移動販売馬車は現在二台。シルフィ様たちに提案したのはクノーマス侯爵領で子供とお母さんのお店を開店するトミレア地区を除いた他の主要地区四箇所同時移動販売だから、各地区に一台としてもあと最低二台は必要になる。私としては店舗式と屋台式どちらも確実に地区で展開したいので六台、新しく馬車を作る事になる。
そして十分に活かすためには、品数は多ければ多いほうがいい。そのためにおもちゃの一覧の七割は欲しい。もちろん安全基準を満たしたものだけで。
トミレアまでは来れなくても、主要地区へなら行けるという人は多いはず。その周辺の村を回れば尚の事。
そしてその人たちが余り物から選ぶなんてことが無いように、全てのものが決して売りきれないだけの在庫を用意する。
これを実現するには多額のお金がかかる。既に私の強い拘り故に安全基準にうるさい故に、開発に時間がかかりお金が湯水の如く使われていて今この開発費は侯爵家と折半になっているけれど。
それすら全て、今後侯爵家が担うのが条件。
デザインや安全基準への介入はするけれど、それ以外は全てを侯爵家に。
何れは完全に私の手を離れる事を前提にする。
子供用品の移動販売。
全てを私が背負う事は不可能で既に持て余しているというのが現状。
私が最優先するのは 《ハンドメイド・ジュリ》と 《レースのフィン》。侯爵家のものまで深く関わり責を負うのはあまりにも重い。
だからといって投げ出して後々トラブルが起きても気分のいいものではない。
ならばいっそのこと、できる限りの協力をしたら手放してしまおう、と。こちらの言い分を無理矢理に飲ませる代わりに利益の出る版権を全て譲ろう、と。
全ての書類に目を通したシルフィ様はもう一度今度は気になる点に絞り読み込んだ。いつ何を言うのか予測不能な奇妙な沈黙が室内を数分支配したあと、ふと視線を書類から外して私とグレイにそれぞれしっかり視線を合わせてきた。
「……いいでしょう、この条件、全て受け入れるわ」
ルリアナ様が目を丸くしてシルフィ様を見つめる。
グレイもまさかその場で返事が聞けるとは思わなかったのかちょっとだけ瞬きが多くて驚いてるらしいことが伺えた。
赤ちゃんの名前はウェルガルトくんに決まった。
クノーマス家は他の貴族と被るのを避けるために変わった名前が多く、しかもご先祖様のを使い回すと聞いていたけれど、今回もその例に漏れずご先祖様から頂いている。
そんな赤ちゃんを取り合い牽制しあうじいじとお父さん。
シルフィ様からグレイと私からの提案を聞かされてしかもそれを了承したことを事後報告され固まった。固まってるのをいいことにシルフィ様はウェルガルト君をサッと奪うと乳母さんに預けてルリアナ様の所へ返してしまった。手慣れてる感じが何とも言えない。
「あの子のためにも、継承しようと思いましたの」
毅然とした態度でシルフィ様が告げればハッとしたお二人は姿勢を正す。手元がちょっと寂しそうにしているのは無視。
「シルフィ、継承とは?」
「旦那様、私面白いと思いましたの。子供やその母、家族のためにお店が来てくれるんですよ、それだけで子を持つ親は、家族はどれだけ助かるか。そして、考えて見てくださいませ。……きっと移動して販売するとなると、採算はあまり見込めないでしょう、けれどそれを上回る領民からの信頼を得られるのではないでしょうか? 信頼を得るということは、それだけ人が定着します。人の定着は人口の増加の一助となります。子が生まれその子が育ち、大人になり親になる。その親となった者たちが、今度は自分の子の為に移動販売馬車を待つんです。そして、その運営を私達からエイジェリンたち、そして次はウェルガルトがするんです。子から子へ、引き継がれる所を見たいと思いませんか?」
「シルフィ……」
「面白いですわ、繫がるんですよ、どんどん繫がるんです。世代を超えて、クノーマス家がしっかりと運営すればずっと繫がるんですよ。工芸品を残していくのとも、家宝を大事に受け継ぐのとも違うんです。こんな繋がり、残せるのか、出来るのか、挑戦してみたいと思いませんか」
「ああなると父上でも止められない」
グレイは面白そうに笑う。
「シルフィ様って商売人気質なところがあるよね」
「そう、子供の頃実家の予貸商を継ぎたいと思っていた程にはな」
「あ、そうなの?!」
「叔父上と跡目争いをさせても良いと父親、つまり母方の祖父が本気で考えたらしい。まあ、それも父上に見初められて叶わなかったがな」
ほほう、そういう過去がありましたか。
「元々母上は個人資産がある。バニア家を出てくるときに嫁入り道具代わりに平均的な伯爵家十年分の税収に匹敵する額の金を持たされているそうだ。私の騎士団団長任期延長で荒れた時も最後の手段とするためにルリアナが手を付けては駄目だと止めたからそのまま残っているはずだ」
シルフィ様は侯爵様が何一つ不自由させていないので、そういう面でも自身のお金は殆ど使っていないだろうとも。そして侯爵様から個人資産として土地などもプレゼントされてるから貴族の女性個人ならもしかすると今はトップかもしれないって。スゲーな、さすが豪商の娘! 侯爵夫人!
「あそこまで父上に言ったんだ。おそらくその金をつぎ込んで来るだろう」
「侯爵家……としてじゃなくて?」
「ん? あの母上がさせるわけがないだろう。ようやく自分が深く関われる、自分が商長として経営出来る店を持つんだぞ、現時点で父上と兄上を良いように使っているあの人が今更『お任せします』と言うと思うか? 侯爵家の管財人がブラック気味で増員の真っ最中なのもあの人のせいだ、あのやる気を止められるなら誰がどうやって止めるのか見てみたいと思うくらいには厄介だな。あの様子ならジュリのように侯爵家から 《タファン》と子供用品の店を完全独立させる計画があるかもしれない。どこまでやれるか、大きく出来るか、挑戦する気満々だ。侯爵夫人としての努めを放棄しかねないな」
母親を微妙にディスってる気がするけど……。息子だからいいのか? 良いことにしておく。
ルリアナ様がその話を聞いてなんだかやる気になったらしい。乳母さんがもう少しお体を労って下さいというのも聞かず、リンファ印のポーションを呷っている、と。
腰に手をあてがって飲んでるルリアナ様、あんまり想像したくない。
「ネイリスト育成専門学校だってフォルテ男爵に任せきりだもの、体調が戻り次第復帰するつもりよ」
やる気が漲るルリアナ様がちょっと怖い。
そんなこんなで早速侯爵家、いや、シルフィ様は移動販売馬車での販売方法の版権を購入してくれた。それと同時に店舗式と屋台式馬車を六台どころか各四台、計八台の製造依頼をしてきたので、馬車の製造をしてくれる工房がビビってた。そんなにいつどこで使うんだ、ってね。
そして。
「『合意職務者』の話し合いにですか」
「ええ、もちろんバミス法国の許可が必要でしょう。その許可を得るために何か条件があるならばなるべく受け入れるわ、だからその話し合いにエッジ様と私も加われるよう執り成して欲しいの」
「それは構いませんよ、そもそも移動販売馬車が絡みますから最も馬車を所有するのと玩具の移動販売をすることになるクノーマス家が加わることはあちらにとっても色んな形態について知れることになるので都合が良いと思いますし。私からアベルさんに話を通せばそれで済みますよ。それにしても、合意職務者をクノーマス家も雇いたいってことですか?」
少し違う、そう返された。
エイジェリン様とルリアナ様はいずれ然るべき時期に獣人をクノーマス領に受け入れていきたいと。
現状、ベイフェルア国内では獣人への差別が根強く無理なことは分かっている。アストハルア家が獣人を側近として長らく雇っていられるのはずっと昔からアストハルア家はバミス法国との繋がりがあり、ベイフェルア国を代表してバミス法国と交渉をしたり外交の要を担っているからこそ。
今クノーマス家が獣人を受け入れる姿勢を見せるとクノーマス家がアストハルア家を無視した外交ルートを持つと周囲に思われる。派閥が違うというだけで、それが国やアストハルア家への対抗勢力を得るための活動と思われる可能性があるほどに。社交界では黙認されているのにシイちゃんとロディムの婚約がまだ出来ないのも派閥の違いと互いに筆頭家であること、そして派閥内、特に穏健派に二人の結婚を良しとしない勢力があるため。正直、二人が無事結婚するまでクノーマス家も穏健派や強権派を刺激する動きは出来ない現状。
その刺激する動きというのに、バミス法国との独自のコネクションを得ることが含まれる。
だから、あえて私達の話し合いに参加する、という姿勢で接点を持ちたいのだと。
少しずつ、少しずつ。
周囲を警戒しながら、余計な刺激を与えないよう。
話し合いに参加するだけ、ただ、それだけでも細心の注意を払う必要があることに、私は少しだけ同情せざるをえない。
私なんてそんなの後回しだしね。
「分かりました、それもアベルさんに伝えます。アベルさんたちもクノーマス家と正式に独自のコネクションを望んでいますから、いい機会かもしれませんね。アストハルア家のこともあるので、バミスもそう大っぴらにクノーマス家と親交を深めることは現状難しいでしょうけど、案外その提案はあちらにしても渡りに船かもしれません」
「ありがとう。お義母様を支えたいの、ジュリの提案してくれたことは必ず転移を得意とする人がいるといいはず。移動販売馬車を活用するのに手の届く範囲だけなら必要ないけれど、クノーマス領隅々までとなると話は変わってくるわ。そしていずれ軌道に乗るその時、転移を得意とする『合意職務者』が、数多必要になるはず。そのためにも獣人が当たり前にこの領で生きていける基盤がなければならないわ」
「そうですね、それは私も考えました」
同意を込めて頷けば、ルリアナ様も頷き返してくれた。
「その必要な人を、ただ口先だけで雇うというのは難しいわ。クノーマス家はバミスとコネクションを持っていないから。だから今から、エッジ様と共に私達も関わって行こうと。勿論、あなたの意見が最優先で私達は貴方に従うわ。そして必ず大変なことがあれば私達が味方になる。……このことで、あなたを煩わせることがないよう努めるからよろしくね」
「はい、ルリアナ様を信じます。一緒に、頑張りましょう」
「ええ、頑張りましょうね」
こうして、移動販売馬車を活用した玩具を主とした子供用品の移動販売の事業がシルフィ様主導のもと 《タファン》と店名がまだ未定の子供とお母さんのお店の開店準備に組み込まれることになり、ルリアナ様とエイジェリン様が水面下でそんなシルフィ様を支える活動を静かにはじめることになる。
本来移動販売馬車はうちの商品を適正に取り扱い販売出来るようになってから他の物の販売が出来るようになるという条件があるけれど、クノーマス家にとってそれは既に私との関係から慣れ親しんでいることなので免除した。
その事もあって、移動販売馬車の活用は驚くほどスムーズに事が進むことになる。
後に、この玩具の移動販売はクノーマス侯爵家にとって利益の殆ど出ない事業にも関わらず侯爵家始まって以来の繁栄を齎し、『陞爵』への足がかりとなる礎の一つになる。
シルフィ様からルリアナ様へ、そしてウェルガルト君の妻となる女性へと、この事業はクノーマス家の女主人たちに引き継がれる。
女性の商長が少ないこの時代、シルフィ様とルリアナ様が生涯をかけて、心血注いで行うこの事業は女性の社会進出にも大きな影響を与えることになり、一人娘や女系でもない限り責任の重さから女性がなることが難しいとされる爵位の継承も男児優先ではなく、実力による継承という転換期そのものを引き寄せる。女伯爵、女侯爵、そして女公爵として女性が継承権争いを制することが当たり前に許される、出来る時代が来るその時。
ウェルガルト・クノーマスの娘、『マリアティス・クノーマス』が最大の繁栄と共にその意志を継承することになる。




