23 * ひっそりと……は、ならない!
その日、ククマット領民が一人増えた。
そんなのよくあること、という反応をした人はいない。
ある意味皆が待っていた人だった。
「ようこそ、ククマットへ」
伯爵夫人としてグレイと並んで出迎えた。
夕暮れを迎えてようやく日中の暑さが和らいだ時間。
市場は酒場が最盛期、どの店も今の時期は外にもテーブルを出していてその席は軒並み埋まり、賑やか。
その喧騒から離れたククマット領主館に馬車から降りてきたその人は私の顔を見てふわりと微笑んだ。
……砂糖を吐く、とはこういうことなんだなぁと思いながら私はニコニコしている。私とグレイも誰かにこんな気持ちで見られてるんだろうなととても恥ずかしくなる。
なんだよもう! そのラブラブ全開モードは!! 分かるよ、分かってるよ数年ぶりだもんね、顔見るのも声聞くのも本当に本当に今まで耐えて我慢してたもんね!! でもさ、年齢的にちょっと照れる歳じゃないか?!
ローツさん!
セティアさん!!
そう。
待ちに待ったこの日、セティアさんが修道院でのお務めを終えてついに世俗に戻ってきた。
ローツさんが怪我で騎士団を去ることになったら彼女の親が勝手に一方的に婚約破棄をしてすぐに別の男をあてがおうとして、それから逃れるためにセティアさんが修道院に逃げ込んで七年。
元婚約者とはいうけれど、二人の関係は壊れることなくずっと続いていたので私達の間では二人は婚約者という位置づけだった。たとえ彼女が実家の伯爵家から勘当と絶縁を言い渡され、貴族籍からも除籍され、平民となってもローツさんは彼女が戻って来るのを望んでいたし待っていた。グレイもそんな二人を見守り続け伯爵になったことで正式な後見人になった。クノーマス侯爵家もローツさんの男爵の叙爵を後押しし、セティアさんとの結婚を歓迎している。ローツさんの実家フォルテ子爵家もこの時をずっと待ち望んでいた。
つまり、皆の想いも込められた七年間分の幸せが一気に二人に降り注いでいる状態だからこの光景は仕方ないのかもしれないんだけど……。
「話にならん」
グレイが珍しくローツさんに呆れた声でそう言えばようやく二人はハッとして顔を真っ赤にして俯く。
いや、もっと早くその反応をして欲しかった。
だってさぁ、馬車を降りるときにローツさんがセティアさんをエスコートした時からずっと手を繋ぎっぱなしなんだよね。そして私とグレイが話しかける度に互いに互いの返答を『合ってる?』『これでいい?』みたいな確認のためにアイコンタクトして嬉しそうに頷き合ってね。グレイじゃないけど話が進まねーのなんのって。
「二日、いや、三日やるからその空気を少し緩めてから出勤するように」
ローツさんは突然の休暇にびっくりした顔をしたけれどね、ローツさんよ。
「少し落ち着いてから出勤した方がいいよ、おばちゃんたちのいいオモチャとネタにされるよ」
私の助言にやっと真顔になったローツさん。セティアさんはキョトンとしている。
おっかないよ、うちのおばちゃんたちは。お茶の時間のネタ探しのプロだからね、特におばちゃんトリオはシャレにならないレベルで話を吹聴する。先日私とグレイがブルさんの肉の焼き加減でマジな喧嘩をしたんだけど、その話がククマット市場にいる大半の人に広まるまでおよそ半日。『あの夫婦はくだらないことで大喧嘩する』と周知された。
そんなことすらネタにする奴ら。今のローツさんなんていいネタにしかならない。
気をつけてね。
「本当にジュリ様にはお世話になりました」
「あー、もうっ、その『ジュリ様』はやめよ!」
「えっ」
「ジュリでいいよ、ローツさんはもちろんおばちゃんたちも市場の人も誰もそんなふうに私を呼ばないからね。セティアさんもこれからはもっと気安く接してくれると嬉しいから。これは伯爵夫人としての命令です」
セティアさんが困った顔をするけれどそこは譲れない。
「……では、ジュリさん、これからよろしくお願いしますね」
「よし、許す」
そんな私達のやり取りをみてグレイとローツさんが笑った。
しかしこの人。
色気が凄い。
修道院に逃げ込んで正解だったんじゃなかろうか? 実家から逃げ出してどこかに身を潜めるにもこれでは目立ったろうし男たちの獲物にされていた気がする。ということは、やっぱりこの二人が間もなく結婚するのは非常に良い決断だったってことよね。
ローツさんとセティアさんの結婚式は二週間後。
既に準備は計画通り予定通りに進んでる。
そう、万全の体制ですよ、私とグレイのように『覇王』騒ぎでアレが足りない、間に合わない、なんて騒ぎは一切起こらずここまで進めた私達のこと褒めて!
グレイは急遽ローツさんに休暇を上げることにしたので引き継ぎが必要な事を聞いたりと二人で少し席を外すと書斎に向かったので私はセティアさんとお話することに。
「式場もドレスも準備は済んでるからローツさんの休暇が終わったら一緒に見に行こうよ」
「はい、是非お願いします。凄く楽しみにしていたんです。……それと、院長を招待して頂けると思わなくて。院長がとても喜んでいました」
「それはローツさんね。セティアさんが健やかに過ごせるようにとずっと気遣って支えて下さったからって凄く感謝してたから。そのお礼を直接したいし幸せにするところを見てもらいたいって気持ちの表れなのかもよ」
「そうですか……私は、あの人にもっと感謝しなくては」
「うーん、感謝より、愛情欲しいと思うよ」
「えっ」
「いや、ほら、健全なアラフォーだからね。一応ローツさんの名誉のために暴露すると娼館も行ってる素振りもなければ女の気配もなかったから」
あ、余計な事を行ってしまったかな? 真っ赤になって固まってしまった。
「……見たまま、体力も精力もあると思うから夜頑張って。何なら異世界仕込の知識を教えよっか?」
「……そ、そういうものがあるんですか?」
「ある、あのね」
ガチャリ、扉が開いた。
「ジュリ、言い忘れたがセティアに変なことを吹き込むなよ」
グレイが笑顔でそんなことをわざわざ言いに来た。
「んなことしません」
「ならいいが」
変なことなんて吹き込まないよ、大丈夫。
夫婦仲が良くなる事教えるだけだよ。
二人が戻ってきたらセティアさんがローツさんと目があった途端真っ赤になってしまい、グレイが片眉をつり上げ私を疑惑の目で見てきたけど無視しておく。
「ローツさんの休暇が終わったらセティアさんは結婚式まで大変だけど頑張ろーね」
「はい、こちらこそよろしくお願いします、頑張りますね」
今回、ローツさんが男爵になる発表を兼ねた結婚式になる。と言っても男爵なので大々的に何かをするわけでなく、結婚式の日に主だった知り合いと同派閥の貴族にその旨をしたためた手紙が届くようにしてあるだけなんだけどね。
後ろ盾となる本家のフォルテ子爵家と後見人のグレイと、さらにその上であるクノーマス侯爵家、そしてフォルテ家の親分であるツィーダム侯爵家が今回ローツさんの叙爵を推し進めたんたけどその際ちょっとした面倒事が起きている。
強権派の複数の家がセティアさんを養女にするから一旦ククマット領へは行かせず然るべき家に迎えさせろと言ってきたの。
セティアさんの実家は伯爵家なんだけど、その伯爵家は強権派。でもそもそも既に除籍され平民になった彼女は貴族に関わることはないはずだった。
しかし、彼女の結婚相手がローツさん。
うちの重役であり、資産運用も一人で熟し財を成す経験豊富な投資家で知識人、引退したとはいえ騎士団参謀長という軍のトップ候補とも言われていた人物で、ついでに爵位は低いとしても男爵になることが正式に許可された。そんな人の妻になるのがセティアさん。
既に除籍されたため実家の伯爵家は一切セティアさんに関与出来ない。これはこの国の法律で厳しく定められている。何かある度に除籍だ復籍だとされちゃ困るという国の都合と、除籍はそれだけ重い決断だと覚悟させる意味があるから。
だからセティアさんは二度と実家の家名を名乗れない。それは何を意味するか?
伯爵家や強権派の顔色を伺う必要がない。誰でも自由に、彼女ごとローツさんを取り込める可能性があるということ。まあ、それはグレイが絶対に許さないけれど。
そしてローツさんは主だった【彼方からの使い】と懇意にしている。
これが大きい。
彼はハルト、マイケル、ケイティ、そしてリンファ、それぞれと個人的なやり取りをするほど仲良くなっている。
実はこれ、グレイ以外ではベイフェルア国内では多分ローツさんだけ。私もそれを聞かされて知ってる人の交友関係を頭の中で整理してみたら、いないんだよね。
これってね、とんでもない強みなんだよ。
特にね、リンファが。
彼女は大国バールスレイド皇国の皇族同等の地位にいる。そんなのと友達なのよ。
僅かな期間とはいえ、今の柵がない状態のセティアさんを囲い込みたい人は無数にいる。だって彼女を味方に付けられたらもれなくローツさんが付いてくる。私達含む周囲の力やコネクションすら、享受できるかもしれない。
現に、生々しいことに、あのアストハルア公爵様までセティアさんを養女にと言い出したんだから!! それだけじゃないよ、バミス法国のアベルさんも相応しい家格の人を紹介出来ますとか言い出した始末。それに輪をかけて酷かったのが国内の強権派ね。元は強権派だったというだけでうちの娘にする権利があるとか彼女の結婚の許可は強権派がするものだとか、強引を通り越し理解不能なことを言う人までいた。とにかくローツさんの叙爵と正式な結婚発表について公にした途端のあの騒ぎはドン引きするくらいだった。
で、それを黙らせたのは当然中立派のツートップ。大体ね、ローツさんが叙爵するに当たって国にお金を納める必要がない男爵にも関わらずかなりの額を納めることにしたんだけど、その時にそのお金を負担したのがクノーマス家とツィーダム家と、グレイ。ローツさん個人でも出せたんだけどこれから家庭を持つんだからと結婚祝いの意味を込めて彼の懐が傷まないようにしてくれたうえに、セティアさんがいた修道院の改築費もその祝いついでだと出したのよ。そういうことをしてあげてこその親密さとか、信頼とか、そして後ろ盾と、見返りとして 《ハンドメイド・ジュリ》の重役である彼の知識や技術を……ってことよ。そういうことをしてこなかったくせに、しかもセティアさんのいた修道院に未だ一リクルの寄付すらしていない奴らがしゃしゃり出る場面じゃねえよ!! という話。
「まあ、あまりにもうるさい時は……」
グレイ、笑顔でクノーマス家の宝剣出すな。ということもありつつ、とにかく、そんな事情がありつつ裏ではごちゃごちゃしたの。
そういうことで今セティアさんは時の人。
否応なしに社交界から注目されている。
付け加えると私とグレイが夫婦になってから初めてプロデュースする結婚式ということもあって、中立派だけでなく最近割と関係がなぁなぁな感じの穏健派も注目しているんですよ、大変なんですよ、本当に。
花嫁のウェディングドレスはどういうものか、ブーケはどういうものか、室内の装飾は、などなど……。
そういった話は別としても、外に出たらいつ誰が接触してくるか分からないのでセティアさんはこのあとローツさんの屋敷に直行したらしばらくは護衛付きで休息を理由に屋敷に籠もりきりになる。結婚式さえ済めば男爵夫人、ローツさんごと中立派の庇護下になるので誰も手出しは出来ないけれど、それまでは何が起きるかも分からないのでその不安解消の意味もある。
「籠もりきりになっても問題ないでしょ、七年分イチャイチャすればいいしね」
深い意味はなくそう声を掛けたらセティアさんが再び顔を真っ赤にして硬直してしまい、ローツさんは何事かとちょっと狼狽え、そしてグレイは……。
「変なことを教えただろう」
「失礼な! そんなことを教える訳ないでしょう?!」
「……じゃああのセティアの反応はなんだ」
「ウブだから」
「そういう反応をさせるようなことを教えたということだな」
「変なことじゃないでしょ? 変だというならグレイも今後無しだから」
「……」
黙るなら最初から言うんじゃない。
ローツさんも早くセティアさんを自分の屋敷に連れて行きたくてソワソワしてるのでさっさと送り出そうと私達と使用人さんたち揃って屋敷の外に出たら。
「……なんじゃい、こりゃ」
妙な言葉になったことはご愛嬌。
門の前にうちの従業員やら職人さんやら近所の人たちが集まってて、セティアさんを見つけて大騒ぎ。
「ようこそククマットへー!」
「いらっしゃーい!!」
「よっ! 別嬪さん!!」
何の出待ちだ? な状態で、セティアさんがパニック。ローツさんも流石に恥ずかしいらしく、目元を手で覆い天を仰ぐ。
「グレイ、こういう時こそ、あれだわ」
「そうだな」
クノーマス家の宝剣を笑顔で腰から抜いて見せた。門の前で大騒ぎしていた人たちは今度は悲鳴を上げ一目散に逃げていく。
「便利だな」
しみじみ言うことでもないんだけど、とりあえず。
「さ、この隙に帰った帰った」
二人の背中を押して。
「いっぱいイチャイチャするんだよー!!」
私がそう声を掛けたらグレイのヤバいあの剣に全く恐れることのないおばちゃんトリオが門の向こうひょっこり顔を出して。
「腰痛に効くいい塗り薬持っていってやるよ」
「寝不足で遅刻なんてかっこ悪いからね!」
「精の付く食材届けようか?」
いらん事をいうんじゃない!!
フィンとライアスとウェラがトリオを引きずって帰って行ったわ。
こうして、セティアさんのククマット入りは騒がしく落ち着きのないものとなった。
「……想像とは違ったお見送りになっちゃった…」
「ククマットだからな」
「そういうことかなぁ?」
「そういうことにしておけ」
「了解」
余談。
「おばちゃんトリオって、グレイの【スキル】も剣も全く怖がらないよね、なんでだろう? あれも恩恵かな?」
「あれは恩恵ではないと思う」
「なんで?」
「先日市場を見て回っていたら肉屋の前で遭遇してな。そうしたら『良い肉を見分けて欲しい』と言ってきたんだが」
「私のための【スキル】だから私が食べないものは選定出来ないのに?」
「そう言ったら『役立たず』と言いたげな目をされた。しかも舌打ちされた。そもそも普段からあの三人は私に対してあまり気遣いをしないし、畏怖の念なども全く抱いていないように思う。あれは素だ」
「……グレイ、領主だよね? 威厳はどこに置いてきたの」
グレイセルが押し黙ったのは見なかったことにしたジュリ。




