22 * 老舗を守れ!
この世界の石鹸、わりと使い心地良いものが多い。
シャンプーやリンス、トリートメントがないので最初ショックを受けたんだけど、いざ使って見ると泡立ちいいし汚れもしっかり落ちる。リンスやトリートメントの代わりに薬草のエキスを配合した植物オイルがあってそれもオイルだからとベタベタするわけでもなく適切な量さえ守ればちゃんと髪を保湿、保護、そしていい感じにしてくれる。
特に不満を感じず今まで使ってきたから気にも留めず過ごしていたら。
「え、休業?! なんで?!」
ちょっと本気で叫んでしまった。
私のその反応にキリアたち女性陣も困り顔で頷いて返してくる。
「ほら、あそこの跡取り息子が『石鹸なんてつまらねぇ』って出ていっただろ?」
デリアが非常に残念そうに、そしてどこか不服そうにも見える表情をしながらそんな言葉を溢した。このククマットにも石鹸を売る店はいくつかあるんだけど、中でも『マリ石鹸店』は石鹸工房として自ら作り出しているしそれに関連する日用品も取り扱っていた。石鹸の種類は多くないけどそれらが全て揃う店だったから近隣の村の人たちも皆が買いに来ていた昔から地元民に愛されそして地元に密着していた老舗。
でも、デリアが言ったように、息子が出ていっちゃったんだよね。発展しつづけるこのククマットのこととか、それに釣られるようにマリ石鹸店だってじわじわと売り上げを伸ばしていたにも関わらず。理由はもっと違う仕事をしたいからって事だけど、華のある仕事をしたいって何度も職を変えたせいでククマットでは雇ってくれるところがなくなって結局両親を手伝うしかなくなったというね。
……石鹸を作れるってお洒落じゃんね? と思うのは私だけじゃなく女性陣が皆思ってるよ?
「要するに、理由をこじつけて冒険者になりたいだけだったんだよ」
と、吐き捨てるように言ったのはナオ。
「あ、そうなの?」
「ああ、一時自警団にいたこともあったんだ。その時うちの息子も同じく訓練生の時だったから結構話をする仲だったんだよ。『冒険者になりたいのに親に反対されてる』って随分愚痴を溢してたらしい。けど、自警団だって訓練についていけなくて半月で辞めちまったよ」
「……自警団の基本である訓練生のメニューに付いていけない人が冒険者になれる気がしないんだけど」
「なれないだろうね、体力作りの基礎にすら付いていけなかったらしいから。冒険者なりたいって言う割にはギルドに足を運んでる姿を見かけたことすらないよ」
ナオの息子さんで自警団に入ってるのは確か私と同じくらいだからアラサー。それで今から冒険者に? ある意味冒険だね、それ。しかも口先だけっぽい。
「石鹸は作れなくても仕入れとか店番はやれてたから夫婦は石鹸作りに専念出来てたんだ。それがいきなりいなくなっちまって、娘がその辺やってあげてたけどあの子も妊娠してるからもうすぐ店に立てなくなるし」
「誰か雇えないの? 店番ならすぐ見付かると思うけど」
誰か雇えば済む話ではなかったわ。
私たちが使っている石鹸の原料は、地球の物と全く違う。そして最大の長所が全てが天然の植物から取れるので大変肌に優しい。その主な原料は二つあって、ひとつは汚れを落としてくれる作用をもつ木の実の果肉部分。完熟のアボカドみたいな質感だそうで、そのままでも石鹸として使うことも出来るけど傷や衝撃に弱く、傷ついた所からまたたく間に変色して匂いも悪くなるんだって。
そしてその劣化や腐敗を防止するのと凝固剤の役目を果たす薬草がある。この二つ目が問題。
この薬草、保存方法が適切でないと有毒化してしまう厄介なもの。なのでそれを薬草店から買うにはその取り扱いを知ってますよ、習いましたよという証明書の提出がクノーマス領では義務化されている。もちろんその領令はククマット領にも引き継がれている。で、この証明書、お店の規模によって取得人数が決められている。薬師や治癒師、学者ではない一般人の所有を制限するための措置。マリ石鹸店は家族経営で、証明書を取得できるのは一人だけ。
その一人だけが、息子さんだったと。石鹸作りが忙しい両親に代わってそれくらいやれよ! と周りから言われて父親が返納し、息子が取得をしてここ二、三年仕入れをしていたと。じゃあまた誰かに取得させれば? とはいかない問題があった。
息子本人が証明書を民事ギルドと領主であるグレイに返納する手続きをしないと、マリ石鹸店はその息子の名前で許可を得ているので買えないことになる。代理による購入を認めていないから、たとえ他の石鹸工房などが近くにあってもそこにお願いして代理で購入してもらうことも出来ない。そのあたり柔軟に対応を、とも思うけれどこの厳しさが石鹸を作って売る工房を無闇矢鱈に増やさない、粗悪品が出回ることを抑制する、というお店と消費者を守る面があるためそう簡単に変えることも出来ない。
今はまだ在庫のある薬草だけど、そう時間をかけずに使いきってしまうという。そして冒険者になると言って飛び出したものの、息子は冒険者登録すら済ませていないようで所在の確認すら出来ない。
救済措置として、その証明を取得した人が死亡した時は発行までに時間のかかる手続きを家族やお店の人が講習を受ければ即日発行してもらえる。
しかし、今回のような場合は、本人の身勝手、不手際として救済措置がなされない。
まあねぇ、それを簡単に許していたらなんの為の証明書か、手続きか、義務か、って話だもんね。
「なんとかしてやりたいか?」
私がなんとかならないかと唸っていたのを見て、旦那がそう声をかけてきたわよ? うっすらと笑みを浮かべて。
「なんとかなる方法があるの?」
「ある」
「え、うそ!! あるの?!」
「マリ石鹸店の買収をすればいい」
「……私に買えってこと?」
「ジュリに買えと言ってるわけではないよ。しかし資金的に余力のある誰かが買収し、新しく店主となり、単純に雇用を増やせば増えた人数によって証明書の取得が複数人可能になる仕組みだ。従業員が多ければ今回のような不測の事態にことあるごとに慌てることもなくなる」
「その証明書って、何人以上だと複数の人が持てるの?」
「七名以上で二人、以降五人ずつ増える毎に一人増やせる」
「なるほど」
ここでふと、彼の薄い笑いが引っ掛かる。この言い方、私以外の誰かに買収させたいのかな? と。
「……誰に買わせたいの?」
「ははっ!」
軽やかに笑いグレイは一枚の紙を渡してきた。
「なにこれ?」
「読めばわかる。ジュリが買収してもいいのだろうが……似たような経営困難な店や工房が出てくるたびにそうするわけにはいかないだろう? なによりジュリに丸投げして楽ができるかもしれないと自ら店を買ってくれと言い出す者が出てくるかもしれない。そういうのを防ぐためにもジュリ以外が望ましいと思っている」
「……」
そこには個人資産の項目とその価値、つまり金額がかかれている。……地球だったら個人情報ですけど!! って間違いなく訴えられるよ、というツッコミは飲み込んで、チラッと視線をグレイに戻す。
「カイくんに買わせたいわけね」
「ジュリが言っていただろう? いずれはカイに……ネイリスト専門学校を侯爵家から買い戻したら領民講座と合わせて任せたい、と」
そこに書かれていた名前は。
カイ・セーム。
グレイとローツさんに振り回されてる感が否めない領民講座講師のカイ君だけど、よく彼を観察するとただの一講師としておくには勿体無いことはよくわかる。
『狂犬』とかいう理由を知りたくない呼び名はその辺にぶん投げておくとして、カイくんの『人心掌握』能力が非常に長けている点は無視できない。
若い女の子たちが黄色い声で『先生!』と呼ぶ、見た目の良さプラスワンコ系の人懐っこさを敬遠する男の子が多そうだな、と心配したことがあるんだけど、それ以上に男の子たちから『兄貴』的扱いで非常に頼られ好かれている。自警団でも上層部だけでなく一般登録しているおじさん達にも気に入られているし、若者たちは当然、先輩として敬い憧れ頼る存在として非常に中枢に食い込んでいる。
明るくて人懐っこいからみんなから好かれる、では済まされないと思うのよあれは。カリスマ性に似た不思議な魅力がある男なんだよね。
なんというか……女だったら『あざとい』と言われる、そんな部分もあるし。言葉巧みで顔の表情も使い分けて、人の機微を見逃さず人の懐に入り込むタイミングを見計らうのが上手い。
そんな人を使わないのって、勿体無いよね? 学長とかさせたら面白そうだよね? とグレイに言ったことがある、うん、確かに言った。
―――王家の干渉を極力かわすためにいずれは侯爵家からネイリスト専門学校の権利を買い戻したい―――
とも。
「私とローツでもいいんだが、ローツはそのうち完全に 《ハンドメイド・ジュリ》の事業に専念してもらいたいというのが本音だ」
「それは思ってた。私とグレイが不在の時はローツさんが一番責任者として適任なんだよね、というかローツさんしか出来ないことが多い、多すぎる」
「ああ、しかも今後も事業拡大していくならば、なおのこと。速やかに不測の事態に対応できる重役としての役割もあるし、叙爵が滞りなく進めば男爵として社交界も自由に動けるようになるからローツにはこちらに専念してもらいたいというのが本心だ」
そしてグレイはさらに続ける。
「そこでカイだ。騎士としての能力もだが学問でも優秀な成績を修めている、そしてジュリの言う『人心掌握』能力は私も保証する。格差や身分で理不尽な思いをしてきたからその理不尽に対して容赦ないが、逆に言えばそのことで機嫌を損ねなければ害は全くない。平等を謳う学校でならその価値観もいい方向に発揮されるはずだ。まあ、危険な男であることには変わらないが、アレの制御は私とローツがすることだ。ジュリたちが気にするところではない」
「と、実に優秀な人材なのに欠点があるわけね?」
「欠点というか……今のままでは得られないもの、だな。カイに必要なのは『貴族に信頼される資産の保有』だ」
庶民が貴族に階級や身分を超えて信頼してもらえる要素はたったひとつ。
お金があるかどうか。
逆を言えばお金を持っていると貴族であっても無視できない存在になれるってこと。
良い例がシルフィ様の実家である豪商バニア家。貴族の後ろ楯を必要としない資産を保有しているため、安易にこの家を貶めるなんてことをする人は貴族にもいない。下手に手を出すとバニア家だけでなくバニア家と懇意にしている貴族や商家を敵に回す可能性があるくらいの信用と実積、そして擁護してくれる家に対してその見返りの大きさが伺える資産があるから。
今のカイくんにはないものだわ、確かに。
それを持たせたいわけね、グレイは。
いずれ領民講座と専門学校どちらも経営するに相応しい、資産と信用があることを示して外部からの『庶民のくせに』という理不尽な難癖をはね除けるために。
「そのために、今から商売に関わらせたい。経営者としてな」
「そこでマリ石鹸店が出てくるのね?」
「手持ちを全部つぎ込めばマリ石鹸店の経営権を取得するのに誰も文句は言わないだけの金はある」
「……カイ君をスッカラカンにさせるのに躊躇いがないグレイはどうかと思うけど」
「若いんだから稼げばいいだろ」
鬼畜だぁ。この人伯爵になってから容赦ない、いや、元々か。
「心配なら、ジュリが手を貸せば良い」
「ん? 私?」
「石鹸も、ジュリにかかれば何か面白いものになりそうだが?」
……。
見透かされてる。全部見透かされてるわこれ。
カイくんが経営者になるなら、ちょっとお節介ババアになって、可愛い石鹸作って売らない?って口出ししちゃおうかなぁ、なんて考え出してた私の心が完全にこの男には見えているらしい。
「石鹸店の夫婦だってあんな形で休業など不本意だろう。ククマットならあの店で、と皆が買ってくれる良いものを作っていた自負はあったはずだしな。ジュリがカイを紹介すればジュリの実積から間違いなくあの夫婦も前向きに検討してくれるはずだ」
「……そうかな?」
「ああ」
「せっかく何代にも渡ってククマットに良いものを提供してきた老舗を無くしたくはないよね。私もあそこの石鹸気に入ってるし」
「ならば、力を貸してやるといい」
「……やりますか」
グレイが今度はしっかりと微笑んだ。
老舗を守る会発足。
そしてカイくんを経営者として育てる会も発足してしまった。
頑張れ、カイくん!
たぶん今まで以上にグレイとローツさんにコキ使われる。
二人に憧れ尻尾を振ってるあんたが悪い。
存分に振り回されなさい!! あはははは!!
この石鹸ネタ、もっと前に予定していたのですが如何せん『覇王編』が長引きまして。
おのれ覇王め、作者にまで迷惑を、と割と本気で思ったりしました(笑)。
元々あるものを進化(改良)させるお話って実は少ないので楽しんで描かせていただきました。
石鹸ネタ、お楽しみください。




