21 * グレイセル、帰還前に《後》
ヤナ殿は取り乱し泣いたことを謝罪してきた。どうしても許せなかった、夫スジャルの最高の友だった、そんなことを何度か繰り返し言葉にして誰かに伝えたことで気持ちが少しだけ楽になったようだ。それに対して私はただ頷き返すに留めた。何を言っても、何となく彼女の慰めにはならない気がしたから。
きっと彼女の憤りや悲しみは夫しか理解できないし、同調し分かち合うことが出来ない。そして、上辺だけの我々の慰めを望むような人ではない、そんな雰囲気がある。彼女をよく知るマイケルが二言三言声をかけたのに対して、涙を拭い頷いたあと、気丈にも顔を上げ込み上げるものを飲み込み抑え込む姿を見れば、私にはこれ以上弱い部分を見られたくないというのも察せられた。
互いに踏み込んではならない境界線がある。
それは酷く辛い状況に共に置かれた人間同士であっても、極限の状態でないかぎり他人が寄り添い支え合うことは難しくさらに望まない人もいるのだと、こんな時だが思い出して納得する。
「会って話しをして欲しい人がいるの」
何とか傾いた心を立て直した彼女からお願いとも頼みとも取れない曖昧なそんな言葉がかけられて私とマイケルは互いに顔を見合わせた。
誰に、というマイケルの問は無視され再び曖昧な笑みを返されただけの彼女の後ろを歩く私達はとある場所に何の躊躇いもなく進んだ彼女とは対象的にピタリと足を止め戸惑う。
「何してるの、こっちよ」
素っ気なく、付いてこいと当然のように指示されても私達は困るだけだ。
何故なら。
フォンロン王宮の地下牢の入り口、明らかにそんな場所に案内されたのだから。
「今の王宮は誰一人ここのことなんて気にかけてられないわ、あなたたちが入った所で咎める人なんていやしないわよ。それにちゃんと許可はスジャルとレイジン殿下から取ってるの、違法でも何でもないわ」
ふと彼女の言葉に引っ掛かりを覚えた。それはマイケルも同じで、我々のことなどきにせず進むヤナ殿を追いかけるため再び歩き出して直ぐにマイケルはその引っ掛かりを彼女に投げかけた。
「何でレイジン殿下? 地下牢に入るには国王の許可がなきゃいけないんじゃなかったかな?」
「レイジン殿下がその権限を奪ったのよ」
「えっ」
「国王じゃ扱いかねて放置してしばらく見て見ぬフリをするんじゃないかってね。放置していい人でもなければ、見て見ぬフリをしていい人でもないのよ。だからといって、有耶無耶な状態のまま生かしておくと都合が悪いからって処刑なんてされちゃ困るわ。今のあの不安定な国王ならやりかねない。だから証人は一人でも多く欲しいっていうのがレイジン殿下と私の気持ちよ」
ヤナ殿とマイケルの会話で、『誰』なのかすぐに分かった。
長く薄暗い螺旋階段を下る三人の足音だけが響く。肌寒く、重い空気、最小限の心許ない灯り。最後の一段を降りた先には真っ直ぐ伸びる石畳とそれに沿って太い鉄格子が填められた、正しく地下牢があった。
その最奥、この空間に不釣り合いな程の煌煌とした明かりが鉄格子の規則的な影を作り出していた。
「殿下、連れてきたわよ」
「ああ!! ヤナ、来てくれたんだ。マイケル殿に、そちらは……記憶に間違いなければ、ベイフェルアの」
私とマイケルはこの状況が理解できないため、呆気にとられて暫くはその場に立ち尽くす。
鉄格子があるが、扉がない。扉がないのでもちろん鍵もない。
罪人としてここに入れられたはずのその人は着ているものこそ囚人服だが手枷も足枷もなく座っていた椅子から立ち上がりにこやかにこちらにやってきた。
最奥の一番広い牢に、本来なら一人しかいないはずなのにこの国の王宮に勤める官僚かそれに準ずる者か、ここに来て何度も見かけた制服姿の男が何故か四人もいる。
五人もいれば流石に狭いそこは紙や羊皮紙、更には至るところに積み上げられた様々な本で埋め尽くされて足の踏み場を探すのも苦労しそうな状態になっている。
一体これはどういうことか。
「全てを残そうと思いまして」
罪人とは思えぬ屈託のない笑顔で、その人は理解が追いつかない私とマイケルにその言葉から説明を始めた。
「自分がどうしてハルト様を排除しようと思ったのか、そこから全て自分のしてきたこと、レイジンのこと、国王のこと、そして国政について、何もかも思い出せる限り、時間の許す限り、残したいと思ったんです。そしてそれがどう『覇王』に繋がったのか、事実と私の感情と、見解を一語一句なるべく多く、この先のフォンロンのために残したいんです」
「マイケル、伯爵……あなた達の見たものを、彼に話して欲しいの。もちろん話したくないこと、残されては困ることは決して文字にしないし公言もしない。マイケルの魔法誓約書を使ってそれは守るし守らせる。ダメかしら」
「お願いします。聞かせて下さい、お二人の話を」
穏やかな優しい笑顔だが、その瞳は真剣そのもので、そして異常とも思える執着のようなものが見え隠れしていた。
どれくらい話しただろう。
「ああ、これは残せないね、伯爵の名前はもちろん存在を匂わせることすら出来ないから」
「殿下、そうするとハルト様だけと誤解されてしまうかもしれません。ここはもう一人いたということをちゃんと書きませんと」
「だったらあえて同士や仲間が、という曖昧な言葉で表現してはどうてしょう」
「それはいいね、容姿は決して入れてはいけないよ。そうだなぁ、ここは読む人によって人物像が掴めないとてもぼんやりとした表現がいいね。ああそうすると同士や仲間では彼の元パーティーメンバーと誤解されてしまうかもしれない。ここは後で考えよう」
私とマイケルのこのフォンロン国に到着してからの話を目の前の人は時に子供のように目を輝かせ、時に悲しげに俯き、時に必死に怒りを抑え込みながら感情豊かに真剣に聞いた。彼の後ろにいる四人はスジャル・イチトア殿と目の前の人の秘書官であるらしい。彼らは私達の会話を一語一句聞き逃すまいとギラギラした目をしながら紙や羊皮紙に書き殴ってある程度溜まると手早く纏め番号を振り、決まった場所があるのだろう、そこに躊躇いもなく積み重ねていく。
そして。
「え?」
重要であろうことは彼も紙に書き込んでいた。だが、その手が止まった瞬間があった。
「騎士団総長が、死んだ?」
秘書官たちも流石に動揺を隠せないようだった。
「え、なん、で、彼が……」
明らかに動揺しているのが伝わってくる。
今はその位を剥奪され囚人となった人の手が、震えだした。
「そんな、じゃあ誰がこれからの軍の、現場の指揮を執るんだ、彼がいないと、そんなっ、彼だからこそ付いていくという軍人がどれだけいると!」
この人の中でもフォンロン騎士団総長は今後のフォンロン国復興に必要不可欠な人物であったのだと、その受け入れがたい事実に動揺する姿から伝わってくる。
そして、その『死の原因』に繋がった可能性があるあの事実を私とマイケルが互いに伝えるべきかどうか迷っているとヤナ殿はなんの躊躇いもなく伝えた。
聞いたその人と、秘書官達が絶句する。
フォンロン国になくてはならないと各国がその手腕を認めていたその人が狂ったように絶叫した。
「あぁぁぁぁっ!!」
底知れぬ怒りだった。
立ち上がり、周囲の本やせっかく書き綴った物を両手で払い散らかし、秘書官とヤナ殿は悲鳴を上げて後ずさり、私とマイケルが錯乱状態に近いその人を抑え込む。
「落ち着いて、落ち着くんだ!!」
マイケルの宥めようとする言葉を遮るように放たれた言葉。
「あいつっ、あいつこそ死ねばよかったんだ!!」
誰のことを。
誰もそんな問掛けはしない。
その叫びにはどんな感情が含まれているのだろう。
顔を歪めボロボロと涙を流すのは何故だろう。体の力が抜け、私とマイケルが手を緩めるとその場に崩れるように膝をついて、体を丸めて嗚咽し冷たい床を何度も握り拳で叩き涙するその理由を、私達は理解してやれない。
秘書官たちも項垂れ泣いて、悔しそうに握り拳を震わせ俯き泣く姿を私達はただ見ているだけしか出来なかった。
とても人望の厚い、何より必要とされた人の死だったのだろうと痛感することになった。
「ごめんなさいね」
「ヤナが謝ることじゃないよ」
とっくに日付が変わり、空が白み始める時間になっていた。王宮は不安と緊張、そして混乱を引きずったまま沢山の人々が先の見えない復興のために奔走している。この混沌とした状態が暫くこの王宮を支配し続けるだろう。
「彼は、あのままで大丈夫かい?」
「ええ、きっと大丈夫。あの人には死ぬその瞬間まで使命が出来たから」
その人はしばらくの間マイケルやヤナ殿が声をかけても反応がなく困り果てたが、ある時気怠げによろけながら立ち上がると、急に表情を一変させ、小さく粗末な机に向かって筆を握ると一心不乱に文字を綴り始めた。『話しかけるな』という雰囲気があったわけではないが、己の今の感情そのままに書きたい事があるようだった。秘書官たちにその人をまかせ、私達はもう二度と訪れることはない場所をその人に別れの挨拶をすることもなく出ることになっていた。
「あのことも、書くかな」
「さっき書き始めたのはそのこと以外にないと思うわ」
「そう、だね。……それを含めて、世に出すつもりかい?」
「さあ。それは私が決める事ではないわ。ただ、『覇王』のことを後世に残すためには、都合の悪いことも残さないと。伝承や昔話のように不都合が全て消されたら、意味ないじゃない」
「……確かに」
そして王宮内の状況を再度確認して、首都で数日情報収集するためにマイケルと共にここを出たら王宮にはもう戻らない、とヤナ殿へ告げれば彼女から今日までの協力に感謝を伝えられた。
「本当に今までありがとう。……あなた達へお礼を伝えることすら忘れているなんて、恥ずかしい限りだわ」
そういえば、そうだな。なんて事を思ったけれどどうでもよかった。
こうして済んでしまえば私の心にあるのは。
やるべきことを済ませたら、帰ろう。
ただそれに尽きる。
ジュリの所に帰ろう。
そう、どんな賛辞や感謝より。
『おかえり』
彼女の口からその一言が欲しい。
「出来ることなんて限られているけれど、今後もし、私の力が必要なときは遠慮なく声をかけて」
ヤナ殿からその言葉と共に渡されたもの。
「これを、ジュリに」
「これは?」
「イチトア家の正紋章よ。スジャルから預かっていたの。これがあればスジャルが宰相でいる限りはうるさい貴族共を抑えられるわ。お金も物も人も今後不足するフォンロンにとってジュリのように物を生み出す技術は今まで以上に欲しい力になるわ。でも、もうこの国はそれに縋ってはならないの、許されないの。彼女は【彼方からの使い】だから。決して、利用してはならないから。……これを見せれば、フォンロンの貴族は黙るから、好きなように使ってと、彼女に渡して。……本当に、ありがとう、心から感謝するわ」
その時、初めて彼女の笑顔を見た。
受け取り、私は一礼した。
―――後日譚―――
その人の処遇についてフォンロン国議会は約三ヶ月も紛糾。
しかし、その人は地下牢を訪ねてくる弟や信頼している親しい人々に言い続けたそうだ。
「【彼方からの使い】を殺そうとした。国が滅びる危機を引き寄せた。この首一つで国民の怒りが少しでも収まるのなら今すぐに持っていって欲しい」
と。
そして【彼方からの使い】を殺そうと暗躍したエイワース伯爵がロビエラム国からの厳しい追及に応える形で『覇王』討伐から一ヶ月後の絞首刑が決まったが、それを待たず毒殺された。その犯人として数多の有力者の名前が上がる中。
「私だよ」
穏やかな笑みを浮かべその人はそう告げたという。
けれど、一歩も地下牢から出なかった、出ようとしなかったその人では不可能だということを誰もが知っていた。結局、エイワース伯爵を殺した犯人がわからないまま、その人の刑の執行が行われたのは、『覇王』討伐から四ヶ月後だった。
その人の望みで、公開処刑となった。
斬首刑により切り落とされた首は首都の外れの小高い丘に晒され、腐り、朽ち果て、骨が砕け風に吹かれ散るその時まで放置されることになる。
一方、首を失った体については『処分』されたとだけ公表されたが、マイケルやハルトから代々の王族が眠る墓に丁寧に埋葬されたのではないか、という推測のみ聞かされる。
この『覇王』という災いがフォンロンを襲ってから約二年後。
【厄災の『覇王』】という分厚い本が出版される。その人の遺言から、その本はロビエラム国ダルジー国王の許可を得てハルトが出版、ハルトが経営する 《本喫茶:暇潰し》から大陸中に広まってゆく。
著者、ミライド。
王籍から外されたため、姓を失った罪人。
しかし。
その名前は後世に長く長く、語り継がれることとなる。
兄である当代の国王よりも、大陸全土がその名を覚え、記憶に残し、語る。
『フォンロンにこの人あり。国のために己を犠牲にした罪深き王家の者』として。
「さあ、帰ろう」
「ああ」
「疲れたねぇ」
「そうだな、とても、疲れた」
マイケルと共に、フォンロンを去る。
ジュリ、帰るよ。
フォンロン国からようやく脱出!
次回ジュリ復活!!&覇王編締め!!
この章終わりましたら、ハンドメイドとか、ワチャワチャ騒がしい面子復活です。




