21 * ハルト、帰る。
… ずっと頭の中に響いていた声は、あれは俺だったのかそれとも『覇王』だったのか。
―――滅ぼせ、滅ぼせ、怒りのままに、憎しみのままに、滅ぼせ……―――
ヤナが『覇王』の発生を感じ取った日の二日前だった。
最近あまりにも周囲がうるさくルフィナを王宮で預ってもらい、彼女の家族のことも気づかれないように周囲を警戒させていた矢先のことだった。
ルフィナの叔父家族が誘拐され、俺に指定された場所に来いという脅迫文が届いた。
ルフィナには隠し、事の解決に挑もうと思ったのに。
指定された場所にいた叔父家族。
一人足りなかった。
猿轡をされながらも声にならない声で泣き叫ぶ家族の異様さは今でも忘れられない。俺が来たことなんて気づかないままただひたすらに叫び、憎悪塗れの目で自分たちを誘拐した奴らを睨むその目には恐怖なんてこれっぽっちもなくて。
(ああ、なるほど、そういうことか)
心の中で理解してそんな事を呟いた。
人質を取っているくせに誘拐をした奴らが明らかに俺に対して怯えていること、何回確認しても、ルフィナにとって従兄妹の小さな女の子の気配が、ないこと。
「殺したのか」
俺の問に、誘拐犯のリーダーと思われる男が丁寧に説明してきた。機嫌を取るつもりか薄気味悪く笑みまで浮かべて。
煩かったからついカッとなり黙らせようとして蹴ったとか、殺すつもりはなかったとか、言い訳をしてきた。子供ならこんな目に合って泣いて当たり前だろう、大人だって泣くやつだっているんだぞと感情の籠もらない声で言い返した覚えがある。それに対してやっぱり心底怒りがこみ上げる、苛つく笑みを浮かべて言い訳をしてきた。殺すつもりはなかったと、罪を軽くするために必死に媚びへつらってきた。
ルフィナの叔父家族を【スキル】で眠らせ、直後、誘拐犯全員を拘束した。
拘束して、報復した。
感情任せの身勝手な報復を。
絶望と恐怖と後悔で男たちが絶叫していたけど、それを見てもそいつらには同情も憐れみも欠片も感じなかったな。
一人残らず、待機させていたロビエラム国王宮近衛隊に死体にしてから引き渡して、叔父達家族も丁重に王宮へ運んで貰った。
すっかり冷たくなって硬直したその体は一人だけ真っ暗な倉庫に打ち捨てられていた。
小さくて、軽くて。
抱き上げたら、涙が込み上げた。
訳の分からないグチャグチャな感情が押し寄せた。
冷たい床に膝を付いて、きつく抱きしめた。
抱きしめても、冷たいまま。
しばらく、そのまま動けなかった。
俺とルフィナには子供が出来ない。
結婚前から分かっていた。
だからずっと話し合って、結婚を機に養子を迎えようかという話になっていた。この世界では当たり前のことで子供がいなければ、それでも子供のいる家庭を築きたければ養子を迎えるのが一般的だ。だからその話をしているときのルフィナはとても嬉しそうだった。
女の子はその候補だった。ルフィナと俺が養子に迎えれば叔父家族は遠慮せず会うこともできるし五歳なら俺の莫大な遺産を相続したときに夫となる男を権力者や貴族から迎え入れるために有利な社交界にも出入りさせられるための必要な教育をゆっくりと確実に施してやれる年齢。ルフィナは俺が何度も『まだ候補だぞ』と言っても『分かってるわよ』と、本当に分かってるのかどうか怪しい生返事を返すだけで、女の子を養子に迎える気満々だった。ルフィナの家族はもちろん叔父夫妻にも既に話を通していたので、後は時間を掛けて、もっとしっかり話し合いそして女の子と距離を縮めようとしていた矢先の事だった。
「ルフィナは?」
「落ち着いてるよ、叔父家族の方が辛いんだからって。『覇王』のこともあったからまだ店は休業してるけど数日すればまた開くんじゃないかな、そのほうが気が紛れていいだろうし」
「そうか」
何とも表現し難い重さのある声色でマイケルが相づちして。
グレイはただ黙って聞いていて。
グレイとマイケルに話した。フォンロン国のヤナから借りたイチトア家の別荘に再生中のグレイを運び込んで二時間後、何事もなかったかのように目覚めたグレイとそれを見て心底ホッとした様子のマイケルに。
三人だけしかいないその別荘はシン、としていてさっきまで直面していた危機が嘘のように思える静寂が支配していた。
「あのとき、かな。フォンロンいらねぇやって思ったの。あんな国滅びろって心底思った」
あれが、『起動』だったと今なら分かる。
それまでも俺を邪魔に思う奴らがフォンロンには多くてちょっかい出されていたけど、でも痛くも痒くもない手応えのまるでないことしかされてこなかったから来るなら始末する、それだけだった。俺にとって日常のごく当たり前のルーティンになっていてロビエラム国もルフィナの周りもそれが常態化していて、他所から見たらかなり異常な事だったとしても俺たちはそれで構わないと思うくらいのことだった。
それがおかしなことになりはじめたのが、フォンロン国王の実弟による『【彼方からの使い】の国有化』発言。
あの頃からだ。
フォンロン国のゴアヤムにあるダンジョンの、かつて魔物の氾濫を鎮圧したにも関わらずずっと小規模ながらも氾濫が収まらないダンジョンがさらにその頻度を増して急に魔物が強くなり始めたんだ。
ゴアヤムの氾濫鎮圧が出来ない。
大陸の七不思議なんて馬鹿にするやつもいた。
俺もなんでだろうと何度か思ったけれど、あの程度の氾濫は正直、強い魔物が多くしかも国の狭さに対してちょっと多くないか? と思うくらいダンジョンが多いロビエラム国だと氾濫とは言わない。それに慣れきっていたんだ。
だから気づいた時には、遅かった。
俺を守護する【全の神:ライブライト】
俺の感情をそのまま受け止めた。
そして、起動した。
『覇王』の誕生、そのスイッチを押したんだ。
いや、スイッチがあるかどうかは不明。けれど、確かに、ライブライトが決断した瞬間だった。
「もう、十年になるんだね。ゴアヤムの大規模氾濫から」
マイケルは深くて長いため息の後にそう続けた。
「『覇王』誕生の可能性は、あの氾濫のときに既にあったと言うことか」
グレイが久方ぶりに言葉を発した。
十年以上前、あの頃。フォンロンは魔物の氾濫が各地で起こり国全体が混乱していた。
【英雄剣士】として役目を果たせるようになっていた俺に要請が来るのは必然だった。何せ【勇者】が全く使い物にならなくてロビエラムから逃げ出して行方知らずになっていたし、ちょうどその頃に俺が単独でドラゴンを数体まとめて討伐した話で世論が一気に俺に味方を始めていたこともあってフォンロンは俺に大規模討伐隊に参加してほしいとロビエラム国王のダルちゃんに頼んできた。
冒険者としてパーティーを組んでいた仲間とフォンロンに入って驚かされた。
王宮が氾濫への対応で意見が割れて議会が紛糾していたんだ。
え、今更?! って、俺も仲間も呆れて。
その理由がさらに酷かった。
俺たちの後方支援をする部隊をどこにするかって揉めていたんだから。
氾濫を一つでも鎮圧出来たら報奨を出す、成果を出した分だけ昇格や貴族なら領地を増やすのはどうか、そんな事を国王が言い出したせいで。そのせいで私利私欲が先行した計画ばかりが上がって来ていて宰相のスジャル・イチトアたち側近が振り回されていた。
そこは国一丸となるところだろう、と一喝して黙らせるとフォンロン国王の俺への親近感が一気に加速して。
いや、お前の後先考えないその発言をそのまま実行したせいだろ、とツッコミをしたくなったけど止めておいた。
国王の説教は後回しに、とにかく氾濫をどうにかしてやりたかった。
力のない、逃げることもままならない奴らを助けるのが最優先だと思ったし、何より俺自身あの時やる気に満ちていてそれ以外を考えることもなかった。
だから起きた。
あれはある意味必然的なものだった。
しつこく俺の後方支援をさせてくれと訴えて来た貴族や王宮勤めの奴らをあしらうのも面倒になって何が起きても『自己責任』として付いてくる事を許した。
「死ぬよ、あいつら。誰一人戦う能力ないよ」
仲間の魔導師の言葉に俺はびっくりして素っ頓狂な声を出したことを今でもはっきりと覚えている。
「そうね、無いわね。冒険者登録しているって話も嘘よ、きっと。だって魔力すら一般人と変わらないし」
「おまけに手を見て見ろよ、生っちょろい白くて柔かそうな皮だぜ。剣なんて握った事もなさそうだな」
仲間の言葉でようやく、俺は付いてきた奴らを【スキル】で解析して、あ然としたんだ。本当に戦いはもちろん魔物討伐の経験すら皆無の奴ばかりだったから。俺たちに付いてくるというくらいだ、自己責任だと約束したくらいだ、だからそれなりに実力があるんだろうと俺は思い込んでいた。そんなの気配で分かるだろって呆れられたけどな、正直意識しなくても気配を感じることが出来るのはごく一部、それこそグレイや各国の名の知れた奴らくらいだ、他は俺にとってはみんな一様の、比べる意味もない位の、その程度だから。
追い返そうとしたとき。
「ダンジョン近くの土地が裂けて魔物が溢れたんだっけ」
「しかも町の直ぐ側でな。一瞬で魔物がなだれ込んで避難誘導なんて悠長なことしてる場合じゃなかったな」
「……それで、転移で住人を優先して安全な場所に移動したとき、か」
「ああ、後方支援で付いてきてた奴らの所にも魔物が押流れて。弱い魔物もまともに討てねぇなら建物にでも逃げ込んで息を潜めてくれてれば良かったのに、俺たちがいることで気が大きくなったんだろ」
「ホント、馬鹿だよ。……慣れない剣を振り回して、倒そうとして、仕損じたんだよね。それで殺気立った魔物が仲間を呼び寄せて」
「あっという間だったなぁ……叫び声が聞こえて駆けつけた時には、もうグチャグチャだった」
どこにでもいる、卑怯で平気で人を裏切れる奴。その時は王宮勤めの若い書記官。
そいつは魔物に喰われる仲間を見捨てて隠れ生き延びて。
責任逃れのつもりだろう。
「【英雄剣士】ハルトのパーティーは私達を見捨てた」
そう、王宮で発言した。貴族や有力者が集まる場で堂々と。
魔物に喰われた奴らの家族の怒りは当然俺たちに向けられて。
その筆頭が、エイワース伯爵だった。
後方支援の責任者として俺につきまとっていたのが伯爵の息子。ロクに剣を握ったことすらないのに魔物に斬りかかって仕損じて、真っ先に食われたのもそいつだった。
『自己責任』なんて言われていないだの、助けを求めたのに無視されただの、書記官が国王もいる大勢の前で嘘をツラツラと言い放ったあの時から、エイワース伯爵の憎悪が俺に向けられた。
書記官は自分たちの失態を、恥を、そして無力と無知を知られるのを恐れてつい嘘を言ってしまったと泣いて泣いて許してくれと縋ってきたが俺の仲間がそれを許すはずもなく、その場で切り刻まれて焼かれて跡形もなく消されていた。
それからかなりの時間が経っても俺への憎悪が消えない理由は単純だった。
国王と俺が接近するのを危惧した奴らが意図して情報を操作して嘘も本当も都合の良いことだけを広めてエイワース伯爵たちの憎悪を煽り利用していたからだ。
あの頃から、俺の中ではフォンロンへの不信感はずっと燻っていたんだと今なら分かる。
ヤナにもずっと『信用しすぎるな、用心しろ』と何度も何度も言ってきた。経験から簡単に掌を返す奴らが多すぎるから。俺の言葉なんて必要ないくらい、ヤナも理解していた。だから俺たちはフォンロンの中枢の人間とはあまり接点は持たなかった。それも亀裂を深くする原因ではあった。リンファに以前言われたな。やってることが半端だと。ホントだ、俺のやることは半端だった。
……今更だ。
今更、過去を振り返っても遅い。
何もかも。
『覇王』は俺の感情そのもの。
ライブライトはそれを具現化しただけ。俺に同調して、怒りを顕にしただけ。
マイケルも、ケイティも、ジュリもグレイも、誰が神に祈っても止められなかった。祈りを受け止めたセラスーンやサフォーニ、他の神も止められなかった。
【全の神】の決定を覆せる神は、存在しない。
思考すら制限され、為すすべなく、迎えた。
フォンロンは、『覇王』のたった一度の攻撃で、広大な国土の五分の一を滅茶苦茶にされ、有害な魔素で覆われた。
その周囲、影響を受けて今後植物が育たない、人が住めない土地を含めれば、国土の四分の一がこれから数十年、いや、百年は人間が干渉出来ないまま放置される。
いずれフォンロンはその空白地帯が原因で分断される。それは近い未来、間違いなく。
国家の分裂。
繫がるだろう、それに。
今の王家に、阻止する力は、ない。
「王宮に行かないのか」
すっかり汚れた服を脱ぎ捨てて身綺麗にしたグレイとマイケル。一方俺は汚れたまま。
グレイの問に迷いなく答える。
「行かねぇよ」
驚くほど、あっさりと口からその言葉が出た。
「もう、フォンロンに興味ねぇもん」
俺を必要としないというなら、もう、お節介はやめた。
「ま、一般人が困ってるのを助けるのは吝かではない、とだけ言っとくかな。王家や貴族は知らね」
「そうか」
「ヤナとその家族とか、仲良くしてる奴らは別だけど、それでも……もう堂々とフォンロンを闊歩することはねえかな。また何か仕掛けてくるなら大手振ってその喧嘩買うけどさ!!」
「僕とグレイセルは王宮に行くよ、ヤナやスジャルが心配だしね。少し情報を得ておきたいし。それからククマットに戻るよ」
「ああ、じゃあそれに合わせて俺もククマットに行くよ、今は……ロビエラムに帰りてぇや。ルフィナの側にいてやりたい」
「そうだね、それがいい」
二人を見送ると、シン、とした静寂が訪れた。
天を仰いで見た。
「長かったなぁ」
もう夕方、冴え冴えとした晴天の青空は朱色に染まり始めていた。
「マジで長い一日だった、な」
帰ろ。
ようやく、終わったよ。
なあルフィナ。
やっと二人で泣けるな。
ちょっとくらい、泣いて、落ち込んで、怠惰に過ごしても誰も文句は言わないよ。
『覇王』誕生についての経緯を、本人に語って貰ったお話でした。時系列が分かりにくかったかもしれませんがご了承ください。
そして覇王編、もう少しお付き合い下さいませ。
そして、ククマットでは。
「私は充電中、まだまだ充電期間」
「じゅうでんってなに」
「美味しいものを好きなだけ手当り次第に食べること」
「へー」
「キリア、ジュリの言ってることが正しいとは限らないわよ」
「え、違うの? じゃあケイティ本当の意味は?」
「ハンドマッサージのあと自分好みのネイルアートをしてもらうこと」
「私と言ってる事が変わらない」
「……何となく、わかったような?」
キリアはまた一つ異世界用語を覚えた……?




