21 * グレイセル、謁見そしてその先へ
フォンロン国の王宮で最も格式高いその場所は長い回廊を進んだ先にある。
戴冠式なども執り行われる『聖堂』と呼ばれる場所で、今回私だけでなく各国から派遣された者たちが順にフォンロン国王に謁見する場所となっていた。
控室やそこに行くまでの過程で見知った顔とすれ違ったり居合わせたりし、当たり障りのない会話でその場をしのぎつつも眉間にシワが寄りそうになった。
(こんな場を設ける暇も意味もない。皆そう思っているな、この雰囲気は)
ため息を飲み込み、眉間を指で揉みほぐす。
「グレイセル様、お疲れですか?」
「いや……」
私より先にこの国に入り待機していたククマット自警団団長となったルビンは既に精鋭たちを『現場』に向かわせ魔法付与された宝飾品の配布の指揮を任せてから最新情報収集と私に仕えるため側に控えている。
「既にハルト様が件の場所、ゴアヤムのダンジョンに入っているとマイケル様が」
「そうか……ダンジョン外の様子は?」
「魔素の高濃度化により……普段発生する魔物が凶暴化しているのと数が尋常ではないこと、さらには上位魔物も発生しており既に周囲数キロは人が立ち入ることは不可能とのことです。さらには不活性魔素とは違う人体に悪影響を及ぼす有害な魔素で、ハルト様以外は数分で命の危険に晒されるとの話です」
「そうか、それはまた厄介なことだな……。ハルトのかつての冒険者パーティー仲間も先日から現場に入っていると聞いているがそちらは?」
「避難が遅れている所での活動を優先しているそうです。ハルト様がダンジョンからお戻りになられてからその後どうするのかお決めになられると。マイケル様とケイティ様も本日まで避難誘導に専念すると仰っておりました」
「まだ近隣の避難が完了していなかったのか?」
「残念ながら。情報の錯綜によって『覇王』の発生について懐疑的な意見も未だ一定数いるようです」
「冗談だろ?」
つい、嘲るような言い方になってしまった。ルビンも同意を込めて肩を竦めるしかなかったようだ。
「こちらの調べではヤナ様の鑑定した『覇王』の情報が一時意図的に制限されていたようだぞ」
私達の会話を聞いていたその人物はヌッと顔を近づけて肩を組んできた。
今回、あのネルビア首長国も主に後方支援を目的とした部隊を送り込んできている。
その責任者が、ネルビアでも根強い人気と信頼を得ている大首長の懐刀、ビルダ将軍だ。面識があるこの人物は非常にリラックスしており、気安い様子で巻き込むようにルビンの肩も引き寄せた。
ビルダ将軍はさも当然と言わんばかりに豪快に笑って私の背中を叩く。
「欲しい情報はあるか? 提供された装飾品の代金と思えばここで集める情報を全部渡しても釣りが来そうだからな」
転移後すぐルビンたちと合流したが、クノーマス領、ククマット領から出した少数精鋭たちと一緒にいたのが何故かこのビルダ将軍だった。
この方も魔導師による転移にてこのあと最前線に向かうと聞いて、この国に無償提供する魔法付与された宝飾品からいくつか手渡していた。受取るやいなや目の前から突然消えたので何事かと驚いたが、単に既に現場周辺に向かっている部下に届けていただけだった。魔法付与のレベルが軽微クラスの、一般兵や冒険者たちに既に現場でアストハルア公爵やツィーダム侯爵が送り出してくれた兵や魔導師たちの協力を得て配布しているものとは違い、小クラスや軽微ながらも二種の付与が出来たものなど国王との謁見にて直接渡すものとして分けていたものの一部だ。
「返品は不要です、この地で立ち向かう者の一人でも多くに提供するためのものですから」
渡すときそう添えた言葉にビルダ将軍は甚く感動した様子だった。
ネルビア首長国の方針なのだろう。この地で起こることへの判断はビルダ将軍に一任されているようだから、付与品への代金代わりに情報を私に提供することも問題ないらしい。私もそこはあえて遠慮はせずありがたく情報を貰うことにした。
その情報はマイケルから既に聞かされていたことに詳細を添える内容だった。
ハルトに対し、ここ数ヶ月頻繁に暗殺者を送り込んでおり、ロビエラム国が今回フォンロン国へ金銭的な支援以外を一切行わない背景はそれがあること。
その首謀者が、フォンロン国王実弟の一人、ミライド王弟殿下だったこと。
ハルトと因縁があるエイワース伯爵がそのミライド王弟殿下に加担し、さらにもうひとりの王弟レイジン殿下なども巻き込み問題を大きくしていたがそのレイジン殿下に阻止されたこと。
それらに伴いミライド殿下とエイワース伯爵は拘束され現在王宮地下の牢獄に入れられているということ。
この未曾有の危機を前にこの国は別の大きな問題を抱えていることに最早ため息しか出てこない。
「二人の共通点だがな。……ハルト様をフォンロンに関与させたくないの一点に尽きる。しかも、厄介なことにそんな状況を引っかき回したのがもう一人の王弟レイジン殿下ということで奇妙な事態になってしまったらしい」
「……愚者のフリをなさっていたようですね。そして集まった膿を纏めて始末しようとしていたと。それが上手くいかなかったようですが」
「国王陛下の失態だ、全てを放任……いや、見てみぬフリをしてきたツケだろう」
ビルダ将軍はそれはそれは馬鹿にするように鼻で笑って見せた。誰に対し? とは敢えて考えないことにする。
「それを踏まえてな、レッツィ様が仰っていた。『覇王』誕生は……」
―――ハルトを、最も神に近いあの男を傷つけようとした者たちへの【神の裁き】だろう―――
「とな。伯爵よ、ジュリ様と一緒におられるならば理解があるはずだ。【彼方からの使い】には我ら人間が決して得られない神からの祝福があることを。神を拒絶したとされるあのリンファ様ですら、あのお方をお守りするためにと神は膨大な魔力をお与えになった。何らかの理由で【スキル】【称号】そして魔力を得られなかったジュリ様は【神の守護】を得られた。……全てを受け入れたハルト様ならば? 驚いたよ、人間が崇めてはならない至高神ライブライト様のご加護を授かっていると言う話ではないか。ジュリ様とリンファ様ですら、私は決して刃を向けようとは思わん、なのに、この国の王族と貴族はハルト様に刃を向けた。ハルト様が黙っていようとも、至高神が黙っていようか?」
背中に冷たいものが走るような感覚。
そうだ。
なぜ、そのことに思い至らなかったのだろう。
ハルトの最近の行動を見ていれば気づくことは出来たはずなのに。
おかしい。
まるで、今のこの瞬間まで私は。
『気付かないように』させられていたかのようだ。
私に力を授けて下さったサフォーニ様。あのお方が知らないはずがない。
知っていたが、伝えることが出来なかったか許されなかったか。
そんなことを神に強いる事が出来るのはさらに上の存在しかいない。
【至高神全の神:ライブライト】
その万物の頂点が力を授けたのが、ハルト。
事ここに至ってようやく。
『ああ、なるほど』と妙な納得をしている自分がいた。
謁見のその時がようやくやって来た。
入城してから既に五時間が経過している。
先に謁見を済ませたビルダ将軍が去り際に。
「代理を立てればよかったと後悔するぞ」
と、豪快に笑いながら声を掛けて来た時点で嫌な予感しかしなかった。
「……―――以上、ベイフェルア国クノーマス侯爵家及びクノーマス伯爵家から献上させて頂きたく存じます」
今回一般に無料配布するものとは別の国王陛下への献上品である魔法付与された宝飾品と目録を一連の作法に従い受け取るために近づいてきた者に渡し、膝を付き改めてフォンロン国王に頭を下げた瞬間だった。
「誠に感謝する、そして爵位を賜ったクノーマス伯爵のためにささやかながら祝いと感謝を込めて王城に部屋を用意し、本日の晩餐に招こうと思う」
高揚した声でそう言われた。
不本意ながら、固まってしまった。
何を言っているのか。
国の一大事に、目の前に迫る未曾有の危機に、祝い?
冗談だろう?
その気持ちが本当にあったとしても社交辞令だとしても、今は無理だから後日そのような席を設けたいがどうか? と問うべき所だ。そしてそれを私が、気持ちだけ頂戴し丁重にお断りする、という流れだ。
宰相のスジャル・イチトア殿も知らなかったようだ。困惑した表情を隠しもせず、若干怒りが滲む目をしながら国王陛下の耳元何か言っている。
「なに、今日くらいいいではないか」
イチトア殿が諌める事を言ったのか。国王陛下からそんな言葉が飛び出した。
申し訳ないが、困る。
一秒でも早く現場に向かいたいのだ。
こんなところで時間を無駄にはしたくない。
「クノーマス伯爵」
丁重にお断りしたら何となく不安そうな揺らぐ目をした国王のその姿に違和感を覚えつつ、聖堂を後にしルビンと共に逃げるように城を出ようとしていたのを追いかけて来たのはイチトア殿だった。
「このような事態なので挨拶や叙爵への祝いの言葉は省かせて貰いたい」
「もちろんです」
社交辞令など求めていない事を理解しているこの方は私の返事とほぼ同時に頭を下げてきた。
「国王陛下に代わり謝罪させていただきたい。先程は失礼した、このような状況であなたを引き留めるような事などあなた自身が望んでいないことは国王も重々承知なのだが……」
「頭をお上げくださいイチトア殿」
ゆっくりと姿勢を戻したイチトア殿の表情は疲労と苦労が浮かんでいる。
「何か事情がある様子、謝罪されることではありません」
「そう言って頂けるとありがたい。……覇王が現れることに酷く怯えておられるのだ、それで一人でも多く城に滞在させ守りを強化したいとお考えのようでな。主だった戦力は皆覇王対策のために出してしまっているから城は手薄だ。五人目の御子が生まれたばかりで尚のこと、ここ数日は落ち着かず不安をしきりに吐露している」
「そういうことでしたか。致し方ありません、国王陛下も人間です、不安や恐れで過剰な反応をしてしまうでしょうから。謝罪されることではありません、どうかお気になさらずに」
「痛み入る……」
イチトア殿の弁明に一理あるとは思いつつ、それでもこの状況下でささやかだとしても祝の席を用意すると発言した姿を思い浮かべると、呆れたため息が出てしまいそうになり慌てて息を止める。
その後イチトア殿とは私の行動について確認するような会話をするに留め、私はルビンと共に城を出た。これ以上ここにいる意味はなく、なにより、早くこの場から離れたかった。
振り向いて、フォンロン国王宮を見上げる。
緊張と不安、そして混乱が入り交じる場所だった。
この国の王家の問題が絡み合った事で、『覇王』討伐が成功したとしても復興だけをしていればいいというわけにも行かず、フォンロン国は今後長きに渡り混迷するだろう。
それを一瞬でも忘れたかったのか、本当に不安故か、私を引き留めた国王。
私が『覇王』に正面から挑むと、ハルトと共に並び立ちその脅威と対峙すると分かっていて。
所詮、フォンロン国王も、『同類』か。
頭の中で思考を僅かに掠めた人物と重なった。
国王とて人の子。
分かっている。
完璧な人間などいない。
人は人。
分かっているのだ。
しかし。
「グレイセル様、どうされましたか?」
「……なんでもない。行こう、ギリギリまで私も逃げ遅れた者たちの避難誘導に当たる」
「かしこまりました、先に宿に戻りましょう。マントや仮面を忘れずに」
「ああ、そうだな」
フォンロン王宮に背を向ける。
『覇王』誕生まで、もうすぐ。
マイケルとケイティの魔力を頼りにルビンを従え転移で降り立ったその土地は。
目視で確認できる、ずっと向こうにある連なる山々まで、遮るもの一つない、荒れ果てた、いや、生命全てが死滅した大地が広がっていた。
時折吹き付ける風は腐敗臭を運んでくる。土は乾き、ひび割れ、空の青さがやけに目に鮮やかに映る。空には雲が流れ雄大な自然を感じさせるというのに、ここには何一つ自然を感じられるものは残っていなかった。
体を撫でる不気味な気配が、『覇王』のものだろう。
生命の営みを拒絶する、死の大地。
ここは確かに豊かな大地であったはずなのに。
これが、『覇王』ということか。
「これは……」
「ここはさ」
マイケルだった。
「あの山々と中央の首都を繋ぐ中継地の一つだった。こんなふうにあの山を見ることなんて出来ないくらい、建物が密集して賑わっていた土地だった。こうなったのは一週間前だって。みなよ、『覇王』を生み出す魔核から滲み出る魔素のせいで至るところで魔物が発生してたった数分で廃墟になったらしい。……余程悪影響な魔素なんだね。川の水は濁ってすでに腐敗して魚の一匹もいなくなった。畑も草原も焼き払われたみたいに全部が枯れて自然発火して焦げ臭い匂いがずっと立ち込めてる。そして」
私の隣に立ち、マイケルは指で指し示す。
「あの山々の、ちょうど正面。ハルトがあそこに今入っている。……見えるだろ?」
「ああ」
「黒い煙のようなあれ、『覇王』の魔素だよ。ハルトが入ってからどんどん濃くなって。……ハルトが【スキル】をいくつも試してるのを感じるけれど」
「全部、無駄か」
「無駄というより……跳ね返されているみたいだよ」
ハルトの全てを跳ね返す。
この世界の理から外れることだ。
この世界最強。
それが【英雄剣士】ハルトなのだから。
「まるで、『覇王』を何が何でも誕生させたいっていう意志みたいなものを感じるのは、僕の気のせいかな……そんなことできる存在って、限られるよね」
マイケルの意味深な呟き。
【彼方からの使い】と、『覇王』。
繋がる何かを確かに感じた。
ハルトと、神と。
そして、悪意を
ようやくここまで来ました……。




