20 * キリア、その側で。
ゴールデンウィークスペシャルの二日目。
久々キリアさんの語り。
「来年『社員旅行』にいきまーす! 皆楽しみにしてて!」
『覇王』の誕生兆候が発覚する少し前、《ハンドメイド・ジュリ》と 《レースのフィン》で働く、主要メンバーたちを集めて緊急告知があるなんて言うから新店舗を出す気になったのか、それとも何か素材が入手できなくなる対策なのか、そりゃもう私たちは商長と副商長の到着まで皆で異様にざわついて。
「は?」
皆がキョトン、とするなか、私はやたらと意気揚々と宣言したジュリとその隣でニコニコしているグレイセル様を見比べて、変な声を出してしまったのは許してね。
「え? ごめん、なんて言ったの? わからない単語が出てきたでしょ」
私の問いにジュリは満面の笑み
「しゃい、なんとか。何? なんて言ったのよ?」
「キリア、『社員旅行』ね」
「……『しゃいんりょこう』、って、なに」
ジュリのいた異世界で、彼女が働いていた商家で毎年行われていた行事だと説明してくれたのはグレイセル様。
なんでも商家が移動や宿、そしてその宿での夕飯と朝食代を払ってくれる、商家で働く人たちを労うための旅行らしい。
実際ジュリが計画している『社員旅行』は彼女の知識や経験からグレイセル様がこちらに合わせたもの、と前置きもされた。
「ジュリのいた世界とは同じに出来ない部分も多いから私が案を出してそこからジュリが選んで二人で組み立てた計画だ。まず、大筋で決まっているのは移動も考慮して二泊三日、近場の海岸沿いトミレア地区にはなるが食事の美味しい、侯爵家の親族が経営している宿があるからそこになるだろう。移動は馬車を手配するから皆で向かうことになる。家族がいる者が多いから配偶者、未成年の子供までは無料、健康に問題なければ親、成人した子供なども本来の料金の三割で参加可能にする」
信じられない、あり得ない、そんな話だった。
無料で旅行が出来るのよ? お土産とか買い食いするためのお金さえ持っていけば、他必要なのは服とかだけ。なんの心配もいらない旅行なんて、この世の中でなかったわよ。
しかも、毎年は無理だから二年か三年に一回の間隔でさせてね!! って言うけど。え? 定期的に連れていってくれるの? なにそれ、よ。
しかも家族も格安で。うちの父は足に障害が少しあって旅行はしなくなった。長時間同じ姿勢でいると足がさらに動かしにくくなる、つまり固まっちゃうんだよね。それが家族や周囲に迷惑をかけてしまうからって。でも、それを言ったら。
「馬車に乗れるなら問題ないんだけど? 赤ちゃんいる人のためにもこまめに休憩とるし、お手洗い休憩だって必要でしょ、長時間座ってるの辛いから散歩する時間つくるよ、私のために。それで問題のない人なら呼びなよ」
半日で行ける海岸沿いに行くまで数回の休憩を取って客の肉体的負担を減らしてくれる馬車なんて、料金割り増しの馬車だけよ? なのにそれをするだけでなく、侯爵家から使用人さんを二人同行させるから何かあれば手助けも出来るようにするからって。
「人数が人数なので宿は貸しきりにしてもらう予定なのよ、あ、食事は皆でワイワイ食べるから。宴会するわよぉ! 飲み放題イエーイ!」
なんとその宴会で特技を披露したり、面白いことしたら『金一封』くれるとまで言われた。『金一封』ってお金。芸をするだけでお金が貰えるのよ。なんなのそれ。あんたのいた世界はそれが普通なの?! って。
「普通? どうだろう、わかんない。でも私は出すよ。こっちの世界って娯楽が少ないでしょ、せっかく皆で集まるんだから楽しく騒ぎたいし、積極的に面白いことしてくれる人がいればいいなと思って」
それ話したらうちの旦那が『え、なにそれ面白い』ってなんだかこそこそ影で既にやってる気配が。あれは『金一封』狙いだわ。何するのよ、乾いた笑いしか起こらないことだけはやらないでよ?
「二日目は自由行動中心ね。家族でのんびりしてもよし、仲間と散策もよし、好きにしてって予定。夜は海産物三昧の『食べ放題』にするか、地元オススメのお店『食べ歩きツアー』にするか迷ってる。あとで多数決で決めるかも」
とか。
「お部屋は家族毎になるからね、その方がゆっくり出来るし気を使わなくていいでしょ。そして家族ごとに貸しきり時間を設けるお風呂も用意してもらうからね、これは希望が多ければ抽選することになるかな」
とか、究極は。
「ああ、あとジュリのどうしても、という希望があって。第一回の『社員旅行』記念として『宴会』の余興の一つとして『抽選会』をする。各自ランダムに番号札を渡すんだが、ジュリがそれと同じ番号札が入った箱から札を引いて、同札の者に景品を贈るということもするつもりだ。盛り上がるようにあえてつまらない物もいくつか用意するし良いものも用意する」
なにそれ。
今から楽しみで夜寝れない気がするんだけど。
なんて思ったのは私だけじゃないわよ。
その日の夜、旦那とその事を話して二人で興奮して、息子のイルバが訳がわからないまま一緒に笑ってて。
「凄いなぁ、ジュリは。僕達のためにどうしてそこまで出来るんだろう」
旦那のロビンがしみじみと、呟いた。
私も同じことを思ったのよ。
だから聞いた。
どうしてそこまでするのよ?
って。
「今の私がいるのは皆のおかげだからね。何か恩返ししたいじゃない、自己満足かもしれないけど、皆が楽しそうに笑って喜んでくれるならいっかなぁ、と」
「はっ? それは私たちだって同じでしょ?! あんたがいなかったら皆もっと生活に追われて余裕もなくて」
「違うよ、それは」
「ジュリ、でもさ」
「キリア、皆が、私のやることを受け入れてくれなかったら私は今ここにいないだろうし、ただ何となく生きてて、不安で、【彼方からの使い】ってことを受け入れることが出来なくて息苦しかったと思う。受け入れてくれない人はいるんだよ、確かにいるのよ、でも。ここは違った。それが私には重要なことだからね。だから、皆のために出来ることをしたいんだよね」
―――出来ることをしたいんだよね。―――
その言葉が、ジュリの原動力なのかもしれない。
ジュリがまた嘔吐した。
今日は午前中ですでに二回嘔吐している。
ここ数日、夜以外はジュリは固形物をほとんど口にしていない。嘔吐すると分かっているから恐くて食べられないと言っていた。だから『黄昏』の鱗の加工を始めてから明らかにジュリは痩せてしまった。
グレイセル様のところには帰らず、私と一緒に二階の倉庫を片付けてもらい即席で用意してもらったベッドで夜を過ごす。
幼い子供のいる私がここに寝泊まりするのを断固拒否していたジュリを黙らせたのは他でもないロビンとイルバだ。
「ジュリ、出来ることをさせてほしい。うちは両親も健在で数日息子を預かることなんて全然平気だからね。今回のことは両親も何かお手伝い出来ないかと頭を悩ませてたんだ。だからキリアが息子を預かってほしいと言ったら、絶対にキリアが不安にならないよう息子の面倒を見るし、息子も寂しくならないよういっぱい遊んでくれるとうちの両親が意気込んでたよ。それくらいしかしてやれないけど、君のためになることだからどうかキリアを側においてやってくれ」
「ジュリ、がんばってね! 応援してる!!」
それを聞いて泣きそうになりながら笑顔でジュリが受け入れてくれたことに本当にホッとした。
ジュリの作業を完璧に補佐できるのは私だけ。
ドラゴン『黄昏』の鱗から魔力を削り取れるのはジュリだけ。
ジュリの作業手順を全て把握し、やむを得ず途中で加工を交代する必要があるとき代われるのは私だけ。
国宝すら霞む、神具に匹敵するものを作る未知の領域に踏み込むことを許されているのはジュリだけ。
心身ともにすでにボロボロのジュリ。
そんな彼女にグレイセル様は毎日もう止めてくれと告げる。それをジュリは無理して笑顔を貼り付けて無言で拒絶する。ライアスもフィンももう見ていられないと言いたげに顔を合わせる度に苦しげに顔を歪ませる。それをジュリは笑顔で無言で見てみぬふりをする。
止められることを望まないジュリを、絶対に止めないのは私だけ。
ジュリの覚悟を知ってから、彼女にもう止めようと声をかけることを私は止めた。
私も平気なフリして、背中をさする。
ジュリはまた耐えきれず体を丸め息を詰まらせてからもう胃には何も入っていないのに……。
「少し休もう、今日はもう三回目だよ、こんな早いペースで吐いてたら体が持たないよ」
「うん、そうする……三十分、休むから」
倒れ込むように、ソファーに体を任せ、ジュリはそのまま目を閉じる。
吐き戻したものはすでに胃液だけ。吐くものがない、入れられないジュリは、それだけ栄養が取れていないから、顔色もあまりよくない。
「……」
桶を手に、工房を出るとハルトがいた。
「ジュリは大丈夫なのか」
「大丈夫に見える?」
「なぁ、もう」
私は、ハルトの言葉を聞くつもりはないから無言で横を通りすぎる。
「そこでただ心配して立ってるだけならリンファからポーション買ってきて。リンファの作ったものなら飲めるし魔力がなくて殆ど効果が得られないジュリでも多少なら回復するし体力維持できるみたいだから。この辺で手に入るものじゃ今のジュリには飲み込めないの、あんまり味が良くないし、そもそも効かない」
ハルトが私の横に並ぶと、私から桶を少し乱暴に奪った。
「オレが片付けておく。ポーション何本あればいい?」
「良いのなら一日一本で大丈夫みたい。それでもツライのが続くなら、そのあとは……本人と相談して休ませるから、心配しないで。それと、『黄昏』の加工、ジュリの納得いく数用意出来たら、何があっても何が起こっても、無理矢理にでもゆっくりさせるから……今は、黙って見守って」
「分かった。……頼むな、ジュリのこと」
「うん」
そう。
出来ることをする。
それだけだ。
それが、大切だ。
どうやらハルトはリンファからポーションを譲り受けて来たらしい。
いくらしたのかと聞いても答えないけれどただ『なにも心配ない』とだけ返されることを考えれば、リンファが無償で提供してくれたんだと思う。
彼女の作るポーションは豪邸が建つ程の価値が付くことは当たり前。多分私が渡されたのもその類い。
何故なら、ジュリはポーションを飲んでも私たちと比べるとその効果が半分以下しか得られないから。魔力が無いことで、魔力が練り込まれているポーションはジュリの体に作用しにくいんだって。なので一番安い素級ポーションという擦り傷や軽度の痛み止めとして出回っているものだとジュリにとってはただの水と何ら変わらない。その上の低級も同じだし、中級でようやく素級のような効果を得られるかどうか。
今回のような嘔吐を抑え、体力回復や傷んだ喉や胃を回復させるには上級もしくはさらに上、特級でなければ無理。
ポーションがよく効いたのか、一本飲んで半刻もするとジュリの顔色が良くなり、表情も柔らかくなった。
そしてまた、ジュリは研磨機の前椅子に腰掛け、躊躇いと覚悟の入り交じる険しい顔をして手に『黄昏』を握る。
ポーションがいくら効いても、加工が始まると同時に体力を削られみるみるうちに集中力も奪われていく。
それでもジュリがその作業を続けられるのは、単なる気力だ。
何度も何度も手を止め苦痛に顔を歪めて、深呼吸を繰り返して、天を仰いで気合を入れて、『黄昏』と向き合う。
「キリア」
呼ばれ、あたしは直ぐに後ろから両手をジュリの手もとに伸ばす。先を言われなくても分かる。
「支えるよ、しんどくなったらすぐに言って」
「手が、震えやすくなってきた。……今日は、これの研磨で限界かも」
「分かった。まだ台座の納品まで余裕あるから今日はこれで終わりでも問題ないよ。細かい修正はあたしもできるから任せて」
私は、呼吸を整えることすら難しい酷く弱った彼女を無理矢理椅子に座らせている。
こんなこと、したくない。
苦痛だ。
それでも彼女がその手に『黄昏』を握り続ける間はその苦痛を心の奥底に押し込んで、蓋をして、鍵をいくつも取り付けて、閉じ込める。
そうして出来上がっていく『黄昏』のパーツたち。
艷やかに、滑らかに。
美しく、歪み一つない。
その輝きはその存在に相応しく神秘的で蠱惑的。
側にジュリがいなければ時間を忘れてそれをただ見つめ続けてしまいそうな、惹き込まれる魅力を放つ。
ああ、なんて綺麗なんだろう。
これがジュリだ。
素材を際限なく輝かせる。
これこそが【技術と知識】の証なのだと。
彼女しか、できない。
だから私は言わない。
もう止めてと。
彼女に加工させることを待っていたのかもしれない。
美しさも、何もかもを最大限に発揮してくれるジュリを『黄昏』が待っていたと思うのはあたしだけかな。
昨今、社員旅行を大々的にしている会社ってあるんでしょうか?
上司のセクハラがあったり、泥酔した同僚のお世話したり、社内恋愛してる人たちの微妙な空気を察したり、喜怒哀楽入り交じるあの良くも悪くも思い出が残りやすい行事。
ちなみにジュリとグレイセルが率いる社員旅行は宿の酒が飲み尽くされる光景しか浮かびません。
そして次回(明日)から新章です。
覇王編、長くてすみません。
まだまだ続きます。




