20 * 苦しくても
本日よりゴールデンウィークスペシャル、一日目。
内容は本編です。
想像を絶する。
これはひどい。
死ぬかも。と、本気で何度も思ってしまった。たった一日で私は本気でそう思ったのよ。
手に持つだけで、視界が歪む。それだけならまだいい。私は、加工しなくてはならないわけで。
ドラゴンの鱗をカットするために切断機に乗せて刃を当て動かす。たったそれだけの工程で視界は歪に加えて二重に見えた。驚いて顔をそらして視線を完全に鱗から外して手も離したけれど、視界の歪みが消えなかった。数秒待ってようやく視界が正常にもどって、深呼吸をして、一気にカットしてしまおうと気合を入れて鱗と刃を合わせ、さっきよりも僅か一秒、二秒長く。
その瞬間。
ムワッと何か得体の知れないものが顔にかかるような感覚があった。これがグレイも言っていた可視化するほどの濃い不活性魔素なのかと一瞬感動のようなものが心にこみ上げたけれど、そう思った自分をひっぱたき説教したい位には撤回したい感情。
視界が歪むなら、大まかなカットは多少のズレは大丈夫だと自分に言い聞かせて、【技術と知識】を信じて目を閉じてやってしまえと思って実践したけれどまったく無意味。視界は歪まないけど頭の中が揺れるような奇妙な感覚が襲ってきて次第に車酔いのような不快さと吐き気が込み上げ始めた。
休めば治まるものの完全に抜けきるまでは相当な時間を要することは自分の体だからこそ理解できたので、何とか自分を鼓舞して加工に挑む。
魔素や魔力を遮る防具や盾はあるけれど、それを身に着けての加工はまずその重量そのものが私には負荷が大きすぎるし邪魔で仕方ない。しかも、防具で覆われていない部分にまるで魔素が集まって来ているかのように、何かがねっとりと重苦しく纏わりつくような感覚に陥ってしまうため集中力が著しく削がれるし、結局は魔素酔いをする。つまりどうにもならない。
ハルトとマイケルが魔素や魔力を遮蔽する魔法陣を持って来てくれたけれど、何故かそれらは『黄昏』の不活性魔素を遮ってくれなかった。
「おいおい、マジか」
「【全解析】で何が見えた?」
「……『黄昏』の特徴でもある魔法を無力化できる能力が鱗にもあるって出た。だから、魔法陣や魔法によってどんなにジュリの周りに遮蔽魔法を掛けてもそれを無効化すると。しかも、ジュリは『共鳴』するだろ、不活性魔素がジュリに流れ易いらしい。その共鳴で鱗の性質と効果まで高まってるみたいだな。……俺なら無理矢理強力な魔法陣を作れなくもないけど、そうすると、不活性魔素の放射を妨げることになるからな」
「そうなると無意味だね。魔法付与のために魔素を少しでも多く抜きたいんだから。こうなったら魔法陣の配列を一から計算し直してみるかい? 『黄昏』の不活性魔素だけを遮るものに絞り込んで」
「それもアリだな、『黄昏』の鱗を分子レベルで解析して………―――」
新たに『黄昏』の持つ特異性が判明したことでハルトとマイケルは何とか解決策を見出そうとあれこれ頑張ってくれている。
でも、それを待つ時間や余裕はない。
カットのため刃が鱗を削る度、得体の知れない不快な波が押し寄せる。これを連続して受けていると頭痛まで始まり、手が止まってしまう。
鱗一枚を真っ二つにするだけなのに、三時間費やした。
連続した作業は二分も続けられない。そしてすぐに限界が来て手を止めても数分から数十分は目眩と吐き気と頭痛が全く引かない。
極力身を引いて、腕を伸ばして。
一分以内で必ず中断、数分の休憩をとる。
徹底したそんな対策でわずかに緩和する吐き気と頭痛と目眩。
鱗をあらかじめ決めておいたサイズにカットするだけで数日を要した。小さくカットするにはどうしても手元に注意する必要があるから、顔を近づけることになって、視界の歪みがひどくなって、十秒も視点を定められないことも度々あって。
カットしただけの物でも付与が出来るはずというので、マイケルが付与しようとしたけれど。
「何でだ? 全然魔力を、吸収してくれない」
ほとんど魔力を受け付けてくれなかった。付与できたのはドラゴン『黄昏』のもつ属性の一つである風属性の耐性を上昇させるというもの。しかも効果としては最低レベルの軽微と呼ばれるだけしか付けられなかった。
元々ドラゴンなどの希少な素材には付与が難しいらしい。付与する魔導師と付与する魔法効果との相性が非常に重要なんてことを前に聞いていた。
『黄昏』はいわばこの世界で手に入る最も希少で最も癖のある素材。
私とマイケルという魔法付与に最大の効果をもたらす組み合わせでも、そう簡単にはいかないことを思い知らされた。
だから加工するしかない。
私が加工することで鱗に含まれる不純物とされる不活性魔素をどんどん放射させることができる。鱗がもつこの不活性魔素を取り除くことで、物質が形を保つに必要といわれる魔素と、魔力と結びつきやすい無害らしい魔素だけにすることで、それだけ魔法付与がしやすくなる。
だからただひたすら耐えることになった。
常時キリアに隣にいてもらい、歪む視界で狂いそうになる加工を口頭で常に指示と修正してもらう。そうしないと断面が汚く傷だらけになったり、欠けたりひび割れる。手元が狂いそうになる時はキリアが私の手を支え、誘導する必要も出てきた。
本格的な加工の前段階の大まかなカットでこれ。
何度も心が折れそうになったことは察してほしい。
それでも研磨前の余計な角を落とす作業や荒削りはキリアがしてくれたから気持ちに余裕は持てた。私の恩恵を強く受けているキリアは幸いにも『黄昏』の加工が出来ることが判明、微量だけど不活性魔素が放射されることが分かったし、彼女はどうやら『黄昏』の魔素では酔わないこともわかったので、それだけでも心強い。
でも微量。私が側で見ていても違和感も不快感もほとんど感じない程度。
マイケルの魔法付与を受け入れるパーツにするためには、私が触れないとどうにもならない。
キリアが悔しそうにしてたなぁ。私の負担を減らしてやれないって。でもこればかりは相性の問題だから。その気持ちと、隣でサポートしてくれるだけで百人力。
ちなみに、いつものメンバーはもちろん職人さんや実習棟でキリアの補佐が出来るようになった人たち、そして 《ハンドメイド・ジュリ》で作品を売れるまでに腕を上げた女性陣が手伝うよと声をかけてくれてとても嬉しかったし甘えて頼ろうと思った時もあった。
「ん? なんだこれ、切れねぇじゃねえか」
って。
ギゴギゴと、ドラゴン素材専用の超高額超高性能な糸鋸をあのライアスが目一杯押して引いてをしても切れない。
「なんだいこれ! すぐ割れちゃうよ!」
ってメルサがパニックになった。
切断する側からポロポロ欠けていくんだから。一枚で豪邸が数軒建つ金額の鱗が気持ちいい位欠けていくのには流石に皆が悲鳴を上げて、メルサが糸鋸をぶん投げていた。
要するにほかの人がやるとね。
『黄昏』の癖の強さが出るわ出るわ。フィンに至っては。
「あ」
触っただけでヒビが入った。ヤバいヤバいとこちらも顔面蒼白になって飛び跳ねて離れたフィンがぶん投げた鱗は思いっきり床に転がってそれでもまた皆が悲鳴を上げたんだけど、それでは全く割れないというかヒビすら入らないという訳の分からなさ。
ならばキリア同様大まかな形にする荒削りならどうだ? って嫌がるフィンに糸鋸持たせてやらせてみると今度はなぜか全く削れない。粉一つ出ない。あまりの理不尽で意味不明な素材に頭にきてライアスがハンマーで思いっきり叩き割ってやるというご乱心にも、まったくの無傷で鱗は艶々、凄まじい勢いで叩かれた鱗はバイーンと跳ねて近くの棚にあった完成間近だったランプシェードをいくつかなぎ倒し破壊したため主な作り手のキリアが悲鳴をあげ、ライアスが手が痺れて悶絶するだけだった。
色んな意味で貴重な体験させてもらったわ。
癖があるにも程がある素材、それが『黄昏』。
アストハルア公爵様が購入したにも関わらず全く手を付けず研究材料にしていなかったのも頷ける。
……加工できなかったんだなぁ、きっと。
こうなると、私とキリア以外の人は役に立たない。
極論、私たち二人の邪魔にならないように工房には一切近づかないことが最大の助けに。
でも、むしろそれで良かった。ちょっと人には見せられない状況になってしまったから。
研磨する作業が、私をさらに苦しめた。
大まかな形にする切り出す加工が楽に思えたのよ。
研磨機の動力部にあたる場所に上質な魔石を嵌め込んで、研磨に必要な砥石の役割を果たす円形の板を回転させる。目眩と頭痛と吐き気を覚悟して、鱗の一つをそっと回転する研磨板に接触させた瞬間。
「ジュリ?!」
キリアの声が聞こえたけれど。
私は胸を圧迫されるような息苦しさに突然襲われたことで鱗を投げ捨て、足で椅子を下がらせ、そのまま椅子の上で前屈みになり胸を両手で押さえることになった。
「大丈夫?! どうしたのよ?!」
「……息が、苦し、い」
「ええっ?!」
研磨することで、それだけ細かな粒子ができる。それから溢れる魔素の量は想像を絶するものらしい。視界が歪む、吐き気が込み上げる、頭痛が起こる、それに加えて研磨機に鱗を接触させて磨いている間は胸をずっと圧迫されているかのように呼吸がまともに出来ない。
キリアには止めるべきだと強く説得されたけれど、止めたらそれまで。マイケルの魔法付与も大したものは出来ない。
ハルトが『覇王』対策に有効かつ必須だと提示してきた魔法付与をドラゴン素材に自由に出来る魔導師にハルトはもちろん、アストハルア公爵ですら知り合いはおらず、いたとしても探している間に『覇王』誕生を迎えてしまう。それでは意味がない。
お店を長期休業し、『覇王』のせいでお客さんにはいつ再開できるかちゃんと予告も出来ない状況。それでも『頑張って、待ってるよ』とお店のドアに手紙を挟んで行ってくれる人や自警団やギルドに手紙を託してくれる人は後を立たない。
クノーマス侯爵様とアストハルア公爵様はなんの得にもならない支援で国益や私財が減るのを恐れて黙りを決め込んだ貴族や有力者、そして王家に対して可能な限りの支援をするよう説得するのに奔走している。
ルリアナさまのご実家の伯爵領と隣国との小競り合いを長年強いられている国境の伯爵領ではフォンロンに向けて『覇王』討伐に集められる冒険者や兵のためにベルトや手袋、帽子にマントなど、汚れや破損で消耗するであろう革製品を、販売を停止させ職人総出で可能な限り製作している。
フォンロンに支援すると署名してくれた貴族の人たちも兵を集め、物資を集め、出国にむけての手続きはもちろん必要なものはいつでも用意するからとわざわざ使者をククマットに寄越してくれて、彼らにいつでも大金を動かせる手筈まで整えてくれている。
皆が、すでに必死に戦っている。そんな動きを非難する声もそれなりにあるらしい。偽善だ、売名行為だ、と。
それがなんだ。
行動の先に利益や栄誉、名声が付いてきていいじゃないの。誉められることをしてるんだから。
こんな状況で国が一つ滅ぶかもしれない危機を前にしてなにもしないで逃げて知らないふりをするやつらなんて顔向けできないくらいに偉い人間だよ、尊い人間だよ。
逃げて目の前の金や地位にしがみついて何にもしない奴はそれでいい、今後関わることもないような人たちだ、勝手にしろ、勝手に言ってろ。そう思う。
やれることをやらなかったら後悔すると思ってる人たちが確かにいる。
同じ方向を向いている人間がいる。
頑張ってる。
だから。
私も。
やるよ。
やり遂げて見せる。
どんなに苦しくても。
ジュリが、しんどい。




