20 * それでいいのか叙爵式
「行ってくる」
「行ってらっしゃい」
いつもと変わらない送り出し。グレイの屋敷で一緒に生活するようになってから別件でどちらかが先に家を出るときの挨拶。そうだよね、普通の挨拶だよね。
いや今日はそういうのじゃない。
使用人さんたちも微妙な顔してるじゃん! なんか違うって顔してるじゃん!!
皆で揃ってお見送りする相手は勿論グレイ。
そして今日の彼は所謂正装と呼ばれる姿をしていて、国の行事に参加するときに着る一番上等な白地に金や銀の糸を使った物。胸には騎士団団長だったときの功績で得た勲章とか『伯爵』の紋章のはいったブローチとかがっつり宝石使った宝飾品を身につけて、しかもエンジ色のマントや『クノーマス伯爵』を表す肩から掛けるタスキ型の帯も。
今日ついに叙爵。
ここまでめっちゃ早かったの! え、叙爵ってこんな簡単なの?! なんなの?!
と叫んだら、グレイに言われた。
「叙爵を許可する代わりに入ってくる金欲しさだろう。王家は領地も用意しなくていいんだから急ぐだろうな、本家から一千万、私から二百万リクル入ってくるし、本来なら王家が用意するものも全てこちらで用意して全く懐は傷まず国が国民に栄誉を与える行いだ、対外的なアピールに使える」
という何とも薄っぺらな理由でこんなに早く叙爵をする。
引いたわ、流石に。勿論これにはグレイが言い出す前からエイジェリン様が影で動いていたからというのも大きい。未だ国に顔が利く元宰相補佐官長をしていたナグレイズ子爵家のご隠居に根回しをお願いしていたらしい。そしてこの話が公表されてからアストハルア公爵様も影で暗躍し。暗躍って……。
いや違う! 私が言いたいのは!!
「……王都のクノーマス家の屋敷から馬車で王宮に行くのが慣例だけどな」
ローツさんが私の隣でこんな風に遠い目をするとは思ってなかった。
「夜までに帰ってくるって。叙爵式しかしないってアリなの?」
「男爵ならそれが普通だけど、伯爵だぞ? 晩餐会をしないなんて聞いたことがない。叙爵を祝う晩餐会ともなれば金がかかるからな、王家が出し渋ったんだろ。グレイセル様が『お気遣いのみ頂戴します』って手紙を出したら『はいそうですか』ってすぐ返事が来たし。馬車での送り迎えもしなくていいんだからこれほど楽な叙爵もないってことだ」
「……だからって、転移で行くのはどうなのよ」
「……最近のグレイセル様の転移の範囲広がったなぁ」
「だねぇ」
二人して乾いた笑いしか起こらなかったのは許して。
とにかく異例の早さ。
国にお金が入ってくるだけでなく、新しく貴族が誕生すること自体が久しぶり。
実は男爵はかつて結構な頻度で誕生してたらしい。
その理由は一代限りや領地なしで叙爵可能なのが男爵だから。
国にとって良いことをした人に栄誉として男爵という地位が与えられ、現在男爵を名乗っている人の凡そ半数は豪商としてどこかの貴族の領地に屋敷を構えている人や、神官や修道女として慈善事業に尽力し貢献した人だったりその子孫という。武功を挙げた騎士団団長などもその対象になるね。
ところが、今の国王になってからそれがピタリと無くなった。
栄誉による叙爵が禁止されてしまったから。
その理由は実に簡単。
栄誉による叙爵は国が損をするから。
栄誉による叙爵となると必ず報償金を出す必要がある。
その報償金を出したくないがために法律を変えてまで栄誉による叙爵をベイフェルアはやめてしまった。
なので凡そ十年、爵位を得てそれを名乗る人は出ていない。
あともう一つ。領地を持たない貴族は貴族税を支払う必要がない。そりゃそうでしょう、領地を持たないってことは領民いないんだから個人でやってる商売以外から税が生まれないんだもん。そんなの当たり前、なのにそれが国にとってなんの旨味もないと今の国王とその取り巻きをしている貴族たちが思ったわけ。
……そう思うのは勝手だけど、貴族になるということは、貴族社会に足を踏み入れらるということで、そこはコネクションの宝庫なわけで、それを得たいと頑張る人だっているわけよ、特に豪商と言われる人たちは。名前を、商品を、長所を売り込むためにお金を散財してくれる人たちのチャンスの場を奪った分だけ、お金って回らない気がする。微々たるものだとしても、経済を潤すためにはお金が動かなきゃ意味がないと思うけどね。
程なくして屋敷にグレイへの叙爵を祝う品が次次と届く。
クノーマス家繋がりの貴族はもちろん、《ハンドメイド・ジュリ》で繋がった貴族や商家などなど。
他にはうちがやってる慈善事業の一環で接点のある神殿、修道院からもお祝いの手紙がギルドから侯爵家経由で束で届けられたり、ククマットやトミレアで店を構える店主や工房主たちからもお花が届く。
もうさ、このお祝いの品にかかるお金が動いている分だけ、国に後から税金としてお金が入ってくるよね? 限定的な流れだとしても経済動いてるよね? という言葉は飲み込むしかないらしい。むせそうだわ。
「お金の掛け方が違いますね」
つい私がお礼よりも先にそんな言葉を発してしまったのはアストハルア公爵様自らお出ましで祝い品を届に来てくれたから。
「公爵家ともなれば当然だ、叙爵が久方ぶりだからな、私も張り切ったよ」
本人や側近さんたちはいつものごとく転移で来たけれど祝いの品はちゃんと馬車で護衛も付けてちゃんとタイミング合わせて運んで来てくれた。
「いやぁ、だからといって中身だけじゃなく、馬車牽いてきた馬二頭も一緒にとは思いませんでしたけど」
「グレイセル殿は繁殖施設を新しく作っているではないか。血統のいい二頭でな、馬車を牽かせるのが勿体ない程の軍馬だ。グレイセル殿なら独自の自警団を編成するだろう、そのためにもこの二頭が邪魔になることはない」
血統のいい馬って、間違いなく高い。それも二頭。しかも軍馬。この世界の軍馬ってユニコーンとかファンタジーな生き物との混血だったりする。……いや、混血じゃないねこの二頭は。
「どちらも我が家のユニコーンから生まれた生粋のユニコーンだ」
「ですよね! 角生えてるもんね!」
クノーマス侯爵家ですら、ユニコーンは一頭のみ。繁殖能力が低いので馬と掛け合わせることが多いユニコーン。
……可愛いから許す! 君たちが超高額超希少種だとしても遠慮なく私はそのたてがみ撫で回す! グレイの愛馬黒炎号と仲良くしてくれればそれで良し。
たてがみ綺麗だねー、美人さんだねー、なんて現実逃避した私だけど公爵様がここにクノーマス侯爵家の人たちがいないからこそ出来る話を振ってきた。
「例の件は長引きそうだな」
「……」
「クノーマス侯爵からは『なんとかします』という内容の手紙は来たが実際はどうなんだ?」
「どうなんでしょうね、グレイが伯爵としてククマットの領主になる今日から様子を見るしかないっていうのが私の正直な見立というか。ローツさんとも話はしたんですが、侯爵様とエイジェリン様が最近今後のことで意見が合わないとしてもそこに関与は絶対にしないと決めましたし、グレイも当面クノーマス伯爵として私や侯爵家と契約した内容でしか動かないって宣言したんですよ。なので微妙な空気が流れたままです」
クリスタルガラスことシュイジン・ガラスを持ってグレイが『私のやることに干渉しないでほしい』という
交渉をするために侯爵家を訪問した日、露呈したクノーマス家の内情。
領地経営含めた方向性の違いで度々エイジェリン様と侯爵様が衝突している話はグレイとお付き合いが始まった頃から把握はしていた。でもそれは貴族あるあるなので気にするものではないとグレイから言われていたし、ローツさんにも侯爵家クラスにもなれば多方面に手を伸ばしているんだから全ての意見が一致するなんてことはあり得ないから仕方ないとも言われていた。
でも、想像以上に二人の方向性が違っていて流石のローツさんも驚いてた。
その二人の溝は侯爵夫妻の結婚三十五年記念の夜会で見る人が見れば気づくものだった、とアストハルア公爵様がグレイに後日聞き出すために言葉をかけた。こういったことに口出しは本来タブー。でも公爵様には見逃せないものだった。
クノーマス家と私は切り離せないから。
グレイと結婚すれば身内になるんだから尚の事。
クノーマス家のトラブルは伯爵として独立したとしてもグレイに、私に影響する可能性は極めて高い。それはグレイの右腕であるローツさんにも、なにより 《ハンドメイド・ジュリ》にも大なり小なり影響する。
アストハルア公爵様は移動販売馬車の件でバミス法国との交渉等を引き受けてくれている。国を相手にするには私ではまだ力不足、アベルさんのように手放しで私に協力してくれる人ばかりではないからと難しい役割を担ってくれた。
その理由はアストハルア公爵様も移動販売馬車に期待しているから、成功させたいから。
そこに、私との繋がりが強いクノーマス家のトラブルが絡んで立ち行かなくなる事をアストハルア公爵様は酷く心配している。私がいてこその移動販売馬車による新しい販売方法、私が動けなくなれば移動販売馬車の稼働はもちろんお披露目すら暗礁に乗り上げると懸念している。
それで公爵様は手紙を出した。
『何か問題があるようだが速やかな解決は可能だろうか? ジュリに影響を及ぼす事だけは断じて認められないからご子息とよく話し合い解決に動いてほしい』
って。
『なんとかします』と返事を出したらしい侯爵様だけど。
……なんとかなるかね?
侯爵様もだけど、エイジェリン様もちょっと頑なな気もするし。グレイも『お互い焦りすぎている、冷静になってもらわない限り当分はあのままだな』と呆れていたくらいには、直近で解決は無理じゃない?
「挨拶のついでにそのあたりを聞ければと思ったが、どちらも来ていないか」
「家の中でも気まずい空気らしいので、お互いそれは自覚があるようでめでたい席に水を差すような事はしたくないらしく侯爵様は昨日いらっしゃって、エイジェリン様は明日お祝いに来る事に。アストハルア公爵様が来るのは知ってましたからね、お互い回避した感じです」
「なるほど……平行線のままか。気まずい雰囲気を見られたくないのだろうな」
アストハルア公爵様が零したため息は思いの外大きかった。
と、その時。
「ただいま」
「はや!!」
帰ってきた!!
グレイが転移でポンッ! と帰ってきた!!
え、ちょっと、家を出て半日も経ってないよ。
叙爵式ってそんなに簡単なの?!
「早すぎるではないか」
ほら公爵様もちょっとびっくりしてるじゃん!
「伯爵の勲章を授かり、クノーマス家の分家として伯爵家の新興を認める文言を神官が読み上げ、その文言に陛下と妃殿下、そして宰相が認証印を捺す、それが叙爵式だ。しかもグレイセル殿の場合晩餐会もしないから招待客もいない、会場の準備や警備も不要だが……それでも早すぎる」
「式自体は二十分程で終わりましたのですぐに出てきました」
淡々と言われても。
「その後王都の知人と会っていて遅くなりました」
「ちょっと待って、にしたって入城手続きとか控室で待つ時間とか普通あるでしょ?!」
「うん? 勝手知ったる王城だからな、門番や付き人も知り合いでスムーズだったし、何も用意しなくていいと事前に伝えていたから控室も用意されていない状態で、大聖堂の扉前で待機することになってな、それを見かねた神官が陛下と妃殿下に願い出てくれて三十分前倒しになった」
「なんと……」
公爵様が頭を抱えた。
「本当に、何も用意しなかったのか、王宮は」
「そう申し出たのは私ですからね、特に問題ありません」
「だからと言って控室さえも用意しないなど、叙爵式だぞ。……まさかと、思うが、『身支度金』は」
「ないです、控室がありませんでしたからそれを置くテーブルもありませんからね、『置けないから仕方ない』ということでは?」
あ、公爵様が硬直しちゃった……。
『身支度金』というのは、叙爵式までの身支度準備で大変だったね、という労いを込めて王家が出す祝い金みたいなもの。これで後で城下や帰り道にお酒飲んだり美味しいもの食べてね、服の仕立ての支払いに使ってね、というものらしい。叙爵に必要なお金とは別に叙爵を認めてくれてありがとうという感謝の意味があるお金を財力がある人は個人で出すんだけど、グレイはそれを二百万リクル(価値としては約二億円かな)出している。で、その『身支度金』は本来、名誉による叙爵だと一律一万リクル貰えて、グレイのように個人でもお金を出した人は出した金額の三割が、当日控え室などに用意されているものらしい。謎の返金制度? 保険払い戻し? みたいなそれ、グレイなら六十万リクル戻って来るはずが。
「こんなこと、他国に知られたら……」
「私しかいませんでしたから他に漏れることはないですよ」
「そういう問題ではない……」
公爵様、眉間のシワが凄いっす!
こんなもの?
叙爵式って、こんなものなの?!
「これが、常識とは決して思わないでくれ」
私に向き直った公爵様に怖い顔していわれた。
「グレイセル殿」
「はい」
「ジュリとの結婚式で改めて叙爵祝いもしなさい、私から王家にその際祝いの品を出すよう話しておく、あれは必ず文化省を通るものだから少しは王家が叙爵を祝っていると示すものになる。叙爵とは授ければいいというものではない、国の面子や貴族との向き合い方を他国に示すもの、金を貰うだけ貰って何もしないなど……」
また、公爵様のため息。
「宰相も、王妃も、何をしているのか……」
グレイと私。お互い目配せ。
「お気遣いだけ、ありがたく頂戴します」
グレイは軽く頭を下げて、私も合わせて頭をさげたけれど。
「ああ、止めてくれ、礼を言われる事ではない」
顔が、頭痛いですー、って感じになっちゃったアストハルア公爵様。
「先日の螺鈿もどき細工の献上と後先考えず豪華に執り行われた王女のデビュタントからまだ日が浅い。そんな時に伯爵位の叙爵で身支度金の用意すらないなど侯爵家と君からの金目当てだと言っているようなものだ。こんなことはあってはならない恥ずべきこと、せめて君たちはそのことを心に留めておいてほしい。いずれ、然るべき時に王宮が正しく機能した時のためにも」
と淡々と語ったアストハルア公爵様が印象的だった。
「ところで」
グレイが私を凝視する。
「帰ってきてからユニコーンがずっとジュリの髪の毛を喰んでいるのを見せられているんだが……ジュリは平気なのか?」
「平気っていうか、グレイの黒炎号もそうだけど毛づくろいしてくれてるつもりなんでしょ」
「まあ、そうだが」
「それにね、この世界の馬たちは強い。私が敵うわけがない。ましてやユニコーンなんて拒否ったら何をされるかわかったもんじゃない、だから飽きるまでさせるしかないでしょ」
そして。
「黒髪が好きなのかもしれんな」
公爵様、真顔で言わないでくれます?
「ああ、そうだ」
公爵様が何かを思い出したらしい。
「叙爵おめでとう、クノーマス伯爵」
……。
忘れてた。
これにてグレイセル・クノーマス、晴れて伯爵になりました!!
……全く実感がわかない。
すみません、もう読んで下さった方には後からご指摘を受けるかもしれませんが、叙爵に必要なお金など金額一部間違ったままになっていたのを修正(10時頃)しました。
物語に何らかの影響を与える、なんてことではないのでご安心ください。
ブクマ、評価、感想&誤字報告といいね。いつもいつもありがとうございます。これらはいつでも大歓迎です。




