20 * 帰還、報告会。
新章開始です。
侯爵様とシルフィ様が王都から帰ってきた。
螺鈿もどき細工の献上、そして万華鏡のお披露目など、万全の体制で挑んだことで大成功だったと聞かされてホッと胸を撫で下ろした。
珍しく一人でこの屋敷に来ている。グレイは最近情報収集で副商長以外のことでも忙しくしていて、今日はローツさんとギルドに行ったり自警団の会合に出席したりと予定が詰まっているので別行動。
ルリアナ様は今日はつわりが酷くて自室でゆっくりしている。顔を見られないのは残念だけど無理はさせたくないので今度調子がいい時お話しましょうと伝言だけお願いしておいた。
「良かったですね、何事もなくて」
「ええ、本当に。ベリアス公爵家の方々が一人もいらっしゃらなくてアストハルア公爵様がその場を取り仕切ってくださったからそれはもう手際よく無駄なく問題事一つ起こらず。いないのを良いことに『毎回こうだといいんですけれど』なんて笑いながら話している夫人たちまでいた程よ」
「あ、そうなんですか」
「……ベリアス家は、フォンロン国の伯爵家に嫁がせたご息女がまだ行方知れずでしょう、あの家の混乱は少なからず強権派に影響を与えていたわ、驚くほど強権派は静かだったの」
シルフィ様と二人きり、暖かな応接室でお茶を飲みながら言葉を交わす。
「良くも悪くも、ベリアス家に強く繋がっているから下手に動けないだけでしょうけれど。それでもグレイセルの叙爵式の日程も延期することなく改めて王家から認めて頂けたから本当にいいタイミングではあったわ」
「それは、良かったです。……グレイの準備ももう万全なので」
「そう、私達が王都に行っている間に準備が整ったのね? もうすぐだものね」
「はい、グレイの叙爵もいいタイミングだと思います。移動販売馬車の件で本格的にバミス法国との交流が始まります。その時にグレイに爵位があればバミス側の対応も大分変わるだろうとアストハルア公爵様からも言われていたので」
「そうね、本当にいいタイミングだったわ。色々と。あなた達の結婚式の準備もね」
「あ、まあ、そうですね」
シルフィ様から今日会うなり私達の結婚式の件でびっくりすることを言われたのよ。
「助かったわっ……」
って。
え、何が???となり。
「あなたのプロデュースしたリンファ礼皇とルフィナの結婚式に負けないものを! と意気込んだのはいいの、でも、迷走に迷走を重ねて、途方にくれていたのよ! ルリアナに任せてしまおうかと思っていたら妊娠したでしょ?! 私と旦那様にかかったプレッシャーと言ったら! 不眠症になりかけたわ!!」
あ、そんなに……。なんかすみません、という状況だったらしく。
で、今はフィンとグレイを筆頭にククマットで私達の結婚式を盛大にやってくれるという事になりプレッシャーから開放されたシルフィ様と侯爵様はそれはもう軽やかに爽やかに清々しい気持ちでその日を楽しみにしてくれている。
まあ、結局は私の案が基になるので私も結婚式の準備で大変ではあるんだけどお二人が胃に穴が空きそうな状況から脱した事は良かったわ、これでホントに倒れられたりしても困るし。
なので、今の侯爵様とシルフィ様の目下の心配事といえば主にルリアナ様が無事に出産する事と、グレイの叙爵が無事に済むこと、私達の結婚式が無事に済むことなど、わりと幸せなお悩みで。
そして今回、献上も無事に済んで本格的に螺鈿もどき細工の生産と販売が始まるし万華鏡も売り出したり慈善活動に役立てたりとクノーマス家とククマットは実に順風満帆。
そんななので心の余裕があるクノーマス家がいま関心を寄せているのはやはり、フォンロン国。
実は、最近フォンロンからの人の流れが落ちている。
そのせいでクノーマス領の税収やうちの店関連の売上が落ちている何てことはなく、他からの流入も増えているので至って問題ない。
問題は、なぜフォンロンからくる人が減ったのか、と言うこと。
それにはやはり最近のフォンロン国内の混乱が関係していた。
中枢が混乱している現在、庶民の間でも王位継承を巡る争いが実際に起こるのではと不安を募らせる人が増え、そうなれば間違いなくさらなる混乱が引き起こされて経済が麻痺するだろうと保存食や日用品を買いだめし、地方に避難する人達が出始めてしまっているらしい。そんな動きが周辺にも伝わって不安を煽り、地方でも不必要な買いだめが始まってしまっている。そんなことをしても全く意味をなさない地方の人たちまでそんなことをし始めれば、楽観視しながら日常を送る人たちにも不安を覚える人達は出てくるわけで。そうなるともう止まらないよね。フォンロン国内では各地でそうやって買いだめし、万が一に備えて無駄遣いをせずお金を少しでも多く手元に残し地方に逃げて引きこもるような生活を始める人が爆発的に増えているという情報が日々齎される。王宮のある首都から引っ越す人が増えて空き家が目立つようになったと同僚からの手紙で知ったレフォアさんたちが呆れるほど。
「引っ越して身を潜める意味がわかりません。確かに中枢で問題が起きれば、首都はかなり混乱するでしょうが、だからと言っていきなり麻痺して何もかもが停滞するなど有り得ません。そんなこと考えればわかるでしょうに。多少の物価の上昇は避けられないでしょうが、それでも一時的なものでしょう」
目頭を押さえてため息をついたレフォアさん、最近の混乱はギルドにもそこそこ影響を与えているとかで心配事が尽きない様子でお疲れ気味。
そんな状況によっていわゆる無駄遣いに当たる旅行や嗜好品の購入をやめる人たちが続出して、それでフォンロンからの人の流れが減っていることに繋がっている。
「拍車をかけているのが、魔物の氾濫よ」
「やっぱり、増えているんですね」
「ええ、特に首都がある中央と南部に跨がる一帯が。王宮で開かれた王女のデビュタントを祝う晩餐会での夫人たちの話はそれでもちきりだったわ」
あ。
そうだ。
王女のデビュタントもやったんだった。
てことはちゃんと真珠のカトラリー、皆さんに配られたんだね!! 良かったわ。
「もちろんよ、大反響だったわ。王妃殿下もそれはもうお喜びになっていたわ、晩餐会に出席した夫人全員から称賛されたんだもの。あなたの代わりに説明をした私までも称賛されたのよ、普段なら絶対に声を掛けてこない他の派閥の夫人まで私に挨拶に来たほど、間違いなくあのカトラリーは夫人たちの心を鷲掴みよ! さすがねジュリ!!」
おおっ、力強くシルフィ様に言われると何だが理屈抜きで『そうなんだ!!』って自信持てちゃう。
良かったわ、マジで。いい仕事したよ、私。
ずっと放置されてる感が否めなかったカトラリーが日の目を見て評判良かったならそれでいいわ、もう。文句はない、任務完了、以上。
あ、話がそれてしまった。
「それにしても、魔物の氾濫がここ十年近く収まらなくて断続的に続いてるのってその中央と南部に跨がる一帯では、異例のことなんですよね?」
「そうなのよ。ハルト達がフォンロンの魔物氾濫の鎮圧に動いたとき、最も酷い被害を出していたのは南部ではあったのよ、あれは毎日のように情報が齎されるくらい酷い氾濫だったから今でもはっきりと覚えているわ。でも、フォンロンという国全体で見ると氾濫の起きる場所が多いのは通常北部で、元々魔素の放出が多い地域が複数あって氾濫の周期も短くてそこなら氾濫が続いても気にする人は少ないそうなの。でも、あの氾濫以降断続的に小規模な氾濫が起こっているのは中央と南部に跨がる一帯に集中している。……フォンロンの歴史を遡っても、その一帯で氾濫が収まらず頻発していたことはないそうよ。だから皆が不安がっているのかもしれないわ。国の中枢が混乱しているのに、断続的に、しかも少しずつ増え続けている小規模な氾濫。……今のフォンロンは、纏まるには相当な労力を必要とするでしょうね」
「……そのフォンロンの氾濫を鎮圧出来ないんでしょうか」
「……私はね、ハルトはそのために一人フォンロンに行っているんだと思っているの」
どうやら、同じことを考えていたみたい。
シルフィ様は憂いを含んだ瞳をティーカップに向けて、伏し目がちにその揺れる面を見つめる。
「それでも、氾濫が収まらない」
「……それって、常識から外れてますよね」
「ええ」
一言、小さくシルフィ様が呟いた。
「あくまで、仮定での話よ。……あのハルトが鎮圧に出るならば、経験豊かで実力のある冒険者百人集めて送り込むよりも確実な成果を上げるはず。けれど、その成果が見られない。魔物を殲滅し、ダンジョンや土地の形を変え、魔素の流れを変えてしまえば魔物の発生が抑えられて安定期に入るのに。その常識が通用しないなんてあるのかしら。【彼方からの使い】最強と言われ、万物をも支配するとさえ言われる彼が、小規模な氾濫を抑えられないなんてあり得るのかしら。それとも、思い違いで彼は氾濫を見てみぬふりをしているのかしら」
ハルトの妙な価値観を知る私達にとって、氾濫をそのままにしているという考えには決して至らない。
あの男はとにかく正義感が強い。ちょっと歪んだ正義感。
多分、貴族とか王族は平気で殺すけど、無害な庶民は何が何でも助けるし救い出す。全身全霊で、全力で、弱き者に救いの手を差し伸べる。そのためには貴族や王族は平気で見捨てるし蹴落とすし殺すし。……本当に、偏った価値観で、グレイのこと『おかしい』『ヤバい』なんて言えないじゃんと何度も思わされた。
「フォンロン王家と距離を置くと宣言したのにそれでも周りに何も言わずフォンロンにいく理由など限られている。ヤナ様の安否を確認したり、自分の力を本当に必要としている人々に手を貸すためだ。小規模な氾濫は私なら怯えるような事ではないが、一般的には脅威、数多の命が奪われることもある。富裕層が厚く高い壁の中で眠っている側で何の罪もない人々が氾濫に飲まれていくのをハルトが黙って見過ごすことはない。自分の力を必要とする人たちのために使う、それがハルトが【英雄剣士】として初めて魔物を殺したときに己に課した責務だ」
「責務、かぁ。何となくわかるかな、ハルトならそう言いそう」
「実際に言ったそうだ。辛い時期をずっと支えてくれたロビエラム国王への恩返しの意味もあるだろうが、それでも国一つに納まるような器ではないだろう? あの男はそれを自分でしっかり理解しているから大陸を隅々まで駆け巡り魔物を屠る。人々のためにな」
「……そんなハルトが、氾濫を見てみぬふりなんてありえないよね」
「ありえない」
夜、グレイとふたりきり。
いつもの晩酌。
きっぱり断言して、グレイは俯いた。
「だからこそ、フォンロンがおかしいとしか言いようがない。ハルトが抑えられない氾濫、しかも小規模な氾濫などあるわけがないのに、何故か一向に収まらずそれどころか氾濫の回数も場所も徐々に増えていて。そしてハルトも何故一言も我々に相談をしてくれないのか」
「うーん、ハルトがどうにも出来ない事をどうにかできる人って、いる?」
「いないな」
「……」
「ああ、そういうことか。それはそれで頼られていない事を自覚させられて少々落ち込むな」
「落ち込まなくていいわよ、あの男はね規格外じゃ済まないの、もはや非常識の塊」
「それは褒めているのか?」
「褒めてはない。常識に当てはめることが出来ないから評価のしようがないでしょ。ハルトはハルト、それ以外の表現がない、人の物差しでは測れない男」
「それは人間なのか?」
「寿命あるから人間」
「寿命だけの問題なのか?」
「多分」
二人で、『ハルトはハルト』というどうしようもない結論であの男を纏めて話をもとに戻した。
「とにかくハルトは今、一人フォンロンで何とかしようと模索してくれていることは確かだ。私達では何の役にも立たないのだろうが、それでもいずれあいつの助けになれる事が一つくらいは出てくるだろう」
「だよねぇ。このまま何事もなく終息なんてちょっと考えられないし」
「その時のためにも、警戒は怠らず最新の情報を集めるしかないか」
「私みたいに嫌気がさして燃やしてたら意味ないけどね」
「……前日の情報が無駄になる情報が届いたりするんだぞ、燃やしたくもなる」
「ということで、私が偉い人たちからの新作作ってーとか融通してーって手紙を燃やすのに対して文句は言わないでね」
「なにがということで、だ。私とジュリの燃やす意味が全く違うだろ」
「違わない!」
この後、小一時間喧嘩した。
「分かった分かった、私が悪かった」
「わかればよろしい」
「と言う事で、この後久しぶりに朝まで頑張ろう」
「なにがと言う事で、よ。人の事言えないからそれ。そして久しぶりでもないから。足腰ガクガクで仕事に支障きたすから遠慮して」




