19 * フィン、親として。
今回はフィンの語りです。
「おや、グレイセル様一人ですか?」
「ジュリは今日キリアとシーラとスレインと『朝まで飲み会』をするから」
「……グレイセル様」
「ん?」
「あの子達、限度を知らない飲み方するんですからちょっとは止めて下さい」
「これでも三回分は止めたんだが」
「ああ……」
あたしの口から漏れた諦めのため息に、グレイセル様は笑った。
しかし、ライアスも以前言っていたけれど。
慣れっていうのは恐ろしいものだね。
最近のあたしとライアスはグレイセル様がこうして一人で訪ねて来ても驚きもしなくなってしまった。次期ククマット領主となるこのお人相手に慣れっていうのもいかがなものかとこれでも多少悩んだりしたんだよ。でもね、その悩みが無駄なほどこのお人は我が家にフラリとやって来てあたしとお茶したりライアスと酒を酌み交わしたり。実の息子二人よりも語った時間が長くなったと思うよ。
「ああっ、グレイセル様、なんだってこんな寒い日に手袋無しで!」
「さっきまでハルトと遊んでいたからな、体が熱くて冷ますのにちょうど良かったんだよ」
「全く、丈夫で能力が高いというのも考えものですねぇ、こういうことに無頓着だからジュリは騒ぐんですよ」
雪がちらつく夕方、寒さをものともせず本当に平気そうな顔をしているグレイセル様にジュリがここにいたら『見てる方が寒い!』と文句を言っていただろうね。そんな光景がふと頭に浮かんでつい笑ってしまう。
「ちょうどローストポークが焼き上がったんですよ、召し上がりますか?」
「あ、そのことで」
「はい?」
「『明日食べに行くから私の分も残しておいて』と伝言を預かっている」
「なんであの子は今日ローストポークだってことを知っているんですかね」
グレイセル様とあたしはジュリの妙な勘の良さに首を傾げた。
ローストポークは忘れずジュリの分を確保し、三人で夕飯を食べる。グレイセル様が持ってきてくれた発泡酒にライアスはご機嫌だよ。
「今日は改まってフィンにお願いがあって来たんだよ」
「あたしにですか? どなたかお知り合いから特注のレースでも頼まれましたか」
「いや……ジュリのことで」
姿勢を正したグレイセル様につられ、あたしとライアスも手にしていたグラスをテーブルにおいて背筋を伸ばした。
「ジュリのウェディングドレス、フィンに縫ってもらいたい」
クノーマス侯爵家ともなれば、専属のお針子を数人抱えているのは当たり前。だから当然ジュリとグレイセル様が結婚すると決めて報告してくれたときからあたしはジュリの衣装はクノーマス家のお針子たちが作るものだと思ってきた。
なので、あたしが縫うなんて今まで微塵も考えたことはなかった。
「……あたしが、ですか」
いまいち理解出来ない。
なんで素人のあたしに頼むんだろう。
「クノーマス家のお針子にジュリが渡さなかったデザインだ」
丁寧に折られた紙は上質な封筒に入っていた。グレイセル様からそれを差し出され、あたしはゆっくりとした動きで受け取って、若干の奇妙な躊躇いが自分の中にあることに気づきながら、取り出した紙を広げて、視線を落とした。自分の目が大きく見開かれたのを感じながらそれから目が離せなくなったんだよ。
「おそらく、そのデザインでは『クノーマス家らしくない』と思ったんだろう」
あたしの隣ではライアスもその紙を覗き込んでいる。
「その一枚だけ、見せていないどころか打ち合わせで話題にもしたことがない」
グレイセル様の落ち着いた静かな声が、居間の中でやけに響くような錯覚。
「駄目だ、気に入らない、そんなデザインについては残しておくとそれに引きずられてしまうからといつも直様廃棄するジュリが、それだけは自分の書斎机の引き出しに。……フィン、ジュリのために縫って欲しい」
シンプルなデザインだ。
友人のリンファやルフィナのドレスとは雰囲気が全く違う。あれだけ手の込んだウェディングドレスを試行錯誤してデザインしたジュリがこれをデザインしたのかと疑いたくなるほど、シンプルだ。
けれど。
ジュリ自身は元々身につけるものはシンプルなものが好きだ。
そう考えれば、あの子がこのドレスをデザインしたことは納得出来る。
けれど……。
「……出来ません」
「フィン」
「クノーマス家が既に準備を始めているんです、特に衣装は、シルフィ様もジュリの為にと素材集めから加わって下さっていると聞いています、今さら、そこにあたしが、素人のあたしが、ジュリの大事な門出になるウェディングドレスを作るために割り込むなんてしちゃいけないんですよ」
「……ジュリが結婚するのは、クノーマス家ではなく、私だ」
「え?」
「私とジュリは、クノーマス家のために結婚するわけじゃないよ。結婚したいと思ったからする。それだけだ。そこに、家の都合や立場や体裁なんてものはない、私達の結婚は、そういうものだ」
「グレイセル様……けど、あたしは」
「よく見てくれ」
グレイセル様は、私が両手でしっかり掴む紙を見つめる。
「ジュリがどうしたいのか、読み取れるはずだ」
―――専用のレース希望―――
―――ここに刺繍を入れて貰う―――
―――制作期間は恩恵持ちだから大丈夫なはず―――
―――この部分はルフィナにもアドバイスもらいつつ、フィンに任せる―――
他にも、細々と、『誰か』に指示を出すように。
「そこかしこに書かれていることを見る限り、これを作る人がフィンだと私は思うのだが、フィンの目にはどう映るだろうか」
「今さらっ、準備はもう随分進んでいてっ」
「もう一度言う」
少しだけ、威圧的な声だった。けれど、表情は穏やかでまるであたしを宥めるようなそんな優しささえ伺える。
「ジュリが結婚するのは私であって、侯爵家ではない。そして私は、ジュリの望みを叶えたい。フィンの縫ったドレスを纏い私の隣に立つその日を同じ気持ちで、幸せな気持ちで、二人で迎えたい。これは、私の願いでもある。……ジュリに、フィンが一針一針丹精込めて縫い上げるウェディングドレスを着せてやりたい」
途端に目頭が、鼻がツンとして熱くなる。
娘がいたらこんな感じなのだろうか?
ジュリと日々過ごすうちにそんな事を思うようになるまで時間はかからなかった。
召喚された当初は常に気を張って不安げな顔をして、泣いて、落ち込んでを繰り返していた。痛々しいあの子を見るたびにあたしがその苦しみを背負ってやれたらと何度も何度も思った。
次第に慣れて、笑うことも多くなって、あたしとライアスに甘える事を覚えて、近所の人たちにも馴染んでいつしか当たり前の存在になっていた。息子二人が家を出て独立しライアスと二人になって寂しく広く感じていた家が適度な広さの、丁度いい家になっていった。
グレイセル様と結婚が決まり、この家を出ていったはずなのに、頻繁にこの家に帰ってきて当たり前のようにご飯を食べてベッドに入って朝を迎えて。
「あんたグレイセル様が待ってるんだろう? ちゃんとあっちの屋敷に帰ったらどうだい」
「ん? 今日グレイもこっちに泊まるよ?」
「聞いてないけどね?!」
「えー? ライアスに言ったよぉ。そしたら『おういいぞ』って」
「そのライアスより早く帰ってきてるのは誰!」
「はーい、私でーす」
そんな気の抜ける会話を何度もしてきたし、きっとこれからもしていくんだろう。そんな確信を持たせてくれるあの子が、もし、本当にあたしたちの娘だったらどんなに良かっただろう。
でも。
【彼方からの使い】。
娘ではない。
決して、ありえない。
そう、元は生きる世界すら、違った。
それでも。
あの子の幸せを、誰よりも願っている自負がある。
「ジュリのために、母親としてウェディングドレスを作ってやってくれ」
情けない。自分の息子とそう変わらない、しかも貴族の令息に気を遣わせてしまっている。
「出来るだろう?」
グレイセル様は、少しだけおどけた様子で笑いかけてきた。
「娘から恩恵をもらったんだ。その恩恵を、娘のために使わず誰のためにフィンは使うと?」
涙がポロッと落ちた。
「……ありがとう、ございます。グレイセル様」
声を振り絞って告げる。
「作らせて、下さい」
「ここ、ここだよ? こだわりがあってね、クノーマス伯爵の紋章に使われる花の刺繍、絶対に入れてね」
……なんで、こうなるのか。
「レースの柄は任せるけど鎖骨の辺りにネックレスが掛かることを考えてそこにはあまり柄が入らないようにしてほしいんだよね」
グレイセル様からあたしがドレスを作ると聞いて嬉しそうにやってきたのはいいけどね。
「布の微妙な色の違いで印象変わっちゃうけどフィンなら良いの選ぶから心配してないけど質感は絶対になめらかなのにして。出来れば軽いヤツ」
注文が多い。
デザインの紙には書かれてなかったじゃないか!!
「ジュリ! あんたはちょっと黙って!」
「なんでよ!!」
「布の見本が届くまでにその刺繍とレースのデザイン考えなきゃいけないんだよ、それなのにあんたずっと、さっきからずっと隣で喋ってて気が散る!」
「恩恵でなんとかなるっしょ! はははは!」
こういうときだけ都合よく恩恵というんじゃないよ。
浮かれているジュリの姿を見て、ホッとする。
グレイセル様の言った通りだ。
この子はクノーマス家に嫁ぐんじゃない。
グレイセル様と結婚するんだなぁって。
「なんか、リンファのドレスの印象が強すぎたみたいでシルフィ様は最初から私のドレスもあんな感じをイメージしたらしい。最初に出したデザインはこれに近いものだったんだけど、それを見て納得してないのははっきりわかったから。だからなおさら、これ出せなくなっちゃって」
「そうだったの……」
「凄く大事にされている自覚はあるよ、それに感謝もしてる。でも、やっぱり『クノーマス』『伯爵夫人』て言葉がついて回るんだなってドレスの話を出しただけで嫌というほど思い知らされたんだよね……。ちょっとね、結婚式への期待とか理想が、自分の中で薄れちゃってた」
ああ、分かった。
ジュリが自分の結婚式の準備を驚くほど冷静に合理的に進めていてそして侯爵家に任せているか。
きっとグレイセル様はジュリの望む結婚式を最初からするつもりだった。それは近くで見ていればあたしじゃなくてもわかること。でも、『そこ』に持っていくまで苦労しているはず。だってグレイセル様は侯爵家令息で、結婚となれば本家の侯爵家はもちろん貴族社会を無視できなくなる。今後の ≪ハンドメイド・ジュリ≫のことを考えて伯爵になるのならなおのこと。
グレイセル様も葛藤と苦悩を抱えている。それに気づかないようなバカな子じゃないんだジュリは。
だから、妥協した。
諦めた。
そうすればもめ事を引き起こさず、円満に結婚式のその日を迎えられるから。
メルサの家を訪ねる。
デリアの家を訪ねる。
ナオの家を訪ねる。
翌日、キリアの家を訪ねる。
さらに翌日、ローツ様の屋敷を。
他にもジュリに振り回されつつもまんざらでもない顔をする職人たちのところ、託児所、運送部門、領民講座とネイリスト育成専門学校、内職をしてくれている人たち。
回って、あたしの思いを伝えて。
そして。
クノーマス侯爵家、次期当主エイジェリン様に手紙を出した。侯爵様たちがまだ王都から帰ってきていない今、伝えるにはこの方を通すしかない。
面会してほしいと。
お願いがあると。
以前のあたしなら、環境なら考えられないことをしようとしている。
クノーマス家の門の前に立ち、あたしは深呼吸をした。
「よし」
小さく気合を入れる。
血は繋がらない。
所詮赤の他人。
それでも図々しくあの子の母親になったつもりだ。
あの子があたしたちに与えてくれたものに比べたらちっぽけで大したことのない、意味のないことかもしれない。それでも動かずにはいられない。いろんなものを諦めて、それでも一生懸命生きるあの子のためにほんの少しでも喜びを与えられるなら。
顔を上げて背筋を伸ばして堂々と足を踏み入れよう。
娘のために、あたしができることはこれくらいしかないから。
これを書いているとき「あれ、フィンってこれが語りデビューじゃん!」と作者が驚いたことを白状します。
ジュリを結婚させる流れにするなら必ずこの人に語らせないと、と初期のころから考えていたら、そこに作者が固執しすぎて割と重要なポジにもかかわらず今まで語れずじまいという結果に。
こういう扱いになってる方が少なからずいるので何とか語らせたいところです。




