17 * 公爵、後悔先に立たず?
この章最後は、初登場の『なんでコイツ?』と思われれてしまう人かもしれません。
悪い事が続いている。
『こんなはずではなかった』と何度思ったことか。
直近では娘が学園の寮から無断で抜け出し、クノーマス領でトラブルを起こし、挙げ句それをロビエラム国の影の側近に窘められその場で謝罪もせず帰ってきたことだ。私に内緒で魔導師を雇ったつもりらしいが、帰り際の様子のおかしさから魔導師が直様私に報告を上げてきたから良かったものの、あれが少しでも遅れていたら、クノーマス家だけでなく、ロビエラム国からも『どういうことだ』と手紙が来ていただろう。即座にどちらにも謝罪の手紙を送り、特にロビエラムには妃候補辞退を申し入れ、恥の上塗りだけは避けられたものの、これで娘を介してロビエラム王家、繋がりの強いテルムス公国とギルドへの当家のさらなる干渉が不可能になった。
まあ、その代わり以前から我が家との繫がりを得たいと望んでいたフォンロン国の貴族であり政治家の家に娘を嫁がせる事になり、その家からはフォンロンで色々と融通を利かせてもらえる約束を取り付けられたのでそれは不幸中の幸いだった。
そしてギルドによる内部の粛清。
私の親族、息のかかった者の殆どがその対象となった。粛清や処罰から逃れ残っている者は監視対象となり最早私の思い通りには動かせないだろう、息子も切り捨てるべきだと言っているからそのように動いている。そしてその者たちもあらゆる手段で口止めし、我が家とベイフェルア王家が今までベイフェルア内のギルドで犯してきた違反や犯罪に関与していたことを決して口に出さず墓場まで持って行って貰わなくてはならない。
あれ以降、アストハルア公爵家が巨額の投資を背景にジワリジワリとギルドでの存在感を増し始めた。 《ギルド・タワー》で力のある上層部には殆どその勢力はいないがそれでも今後確実に影響力を増してくる。何とか食い止めなければ我が家の盤石な地位の維持は困難を極める。
そして、痺れ松。
失敗だ。
あらゆるものに使われている魔性植物の痺れ松。大生産地を抱えるからこそ出来た、計画のはずだった。
初めは良かった。無理矢理乾燥させた不良品を市場に出し、良品を出し渋り、ある程度不良品を買わせそして間を置き良品を後から買わせることでどちらからもかなりの利益が出ていた。しかし、ある時からどちらも全く売れなくなった。
クノーマス家が独自の伝で自領と近隣にほぼ相場で痺れ松をこちらの予想を遥かに上回る速さで流通させたことが発端だ。そして同時期にアストハルア家や穏健派、中立派の有力家が同じように痺れ松を確保、流通させてしまった。一番の痛手はツィーダム侯爵が同派閥のクノーマス家はもちろん対立派閥であるアストハルア家からの要請で自領で抱える痺れ松の在庫の半分を王都に通常価格より割安で流通させたことだ。王都に近い所に位置するツィーダム領なので対応も早いことから痺れ松を必要とする者達が例外なくツィーダム家関連の店で買うようになってしまった。
大量に積み上げられた不良品は、行き場を失っただけでなく少しずつ腐食が始まった。無理に乾燥させたものは自然乾燥させたものと違い雨風に弱く外で積み重ね保管すること自体難しいのだ。その処理に人手が取られ、良品の生産すら滞り始めている。
おまけに散々私が庇護してやった貴族がクノーマス家から仕入れていた。これには怒りが治まらず、そいつらの税収を支える有名な職人に罪を擦り付け我が領に連行し監禁してやった。私のプライドを傷つけた領主の代わりに暫く強制労働させてやることにしたのだ。これであいつらも少しは反省するだろう。
これらの『悪い事』に見え隠れする存在。
【彼方からの使い】ジュリ。
なんだというのだ、【スキル】【称号】魔力なしの女が一体何をすれば手広く周りに影響を与えるのだ。
調べて気づいた。あの女が手掛ける混ぜもの無しの魔物素材は魔法付与が出来るのだと。あれを知った時は流石に金が掛かろうと我が家で保護しておけばと後悔した。今更な後悔だ、だが息子の助言もありすぐさま気持ちを切り替えあの女を取り込むことは諦め冒険者やギルドを少しばかり操り利用してやろうとしたら。
抵抗したのだ。
ギルドに。
余りの浅はかさに、無知さに、ああ、我が家で保護しなくて正解だと胸を撫で下ろした。あの女の傍若無人ぶりにクノーマス家が振り回されて苦労するのだろうと笑いがこみ上げた。
しかし。
そんな私の考えを木っ端微塵にする存在だと気づくまでそう時間はかからなかった。
想定していなかったことが目の前で起きている。
なんだ、この招待客数は。
なんで、こんなに。
それに、どうして……。
「ご無沙汰しています公爵」
にこやかにそう声を掛けてきたのはバミス法国で『法の番人』と呼ばれる最も重要な地位に就任した大枢機卿アベル・ミシュレイ。
「先の外交以来ですな、お会いするのは」
落ち着いた様子で声を掛けてきたのはフォンロン国宰相で【彼方からの使い:ヤナ】の夫、スジャル・イチトア。
何故。
何故、この大物達がたかが侯爵家の結婚記念祝賀の夜会にいる?
何より、どうしてお前がいる。
ルニアス・アストハルア!!
「大きな夜会は出席するべし。それが社交界での人脈開拓の基本ですからね、当然では?」
馬鹿な、どうして。ここ数年は王家主催でなければ出席していなかっただろう、我が家の夜会にすら出席していなかっただろう。
「いや、君がこういう場にいるのが珍しくてね」
「そうですね、確かに、妻と違いこういう場は苦手ですので」
冷めたこの口調がいつになく苛立たせる。
「ただ、気になりましたから」
無表情で、感情の読めない私より十歳以上も年下の生意気な男が目を細め、視線をとある方向に向けた。
「額縁が」
結婚五年毎に夫婦の絵を描かせるのが力ある、財力ある貴族の嗜みだ。それに合わせて額縁も新調することが多いし、もしくは代々受け継がれる名匠によるものか貴重な素材が使用されたものを使う。
後者の場合、過去にお披露目済となるため会場に入れば直ぐに目につく所に飾られている。
しかし今回は重厚な色合いの布で覆われている。つまり新調したということだ。
何故アストハルアが気にするのだ。たかが額縁を気にするような男ではないのだが。
「気にならないのですか? 王都はもちろんベイフェルアで名のしれた職人誰一人、この額縁について知らないことを」
「なに?」
「おや、知りませんでしたか? 招待状が届いてすぐ私は調べましたがね。ベリアス公は気になりませんでしたか。私は成長著しいクノーマス領の領主が名だたる名匠に依頼せず誰に依頼しどのような額縁を作らせたのか気になり調べましたが、どこをどう調べても依頼された名匠も工房も見当たらない。分かったのは材料をクノーマス家とフォルテ子爵家の名前で集めたということ、そして制作された期間が非常に短いということ。異例づくしと言っても過言ではない、興味深いと思いませんか」
いちいち気に障る。この男、いやこの家もいずれは何とか潰してやりたい。公爵家は我が家だけで十分だ。
「ああ、知人がいました。挨拶してきます、では失礼」
何事も無かったように去っていく。本当に憎たらしい男だ。
目を奪われた。
立ち尽くし、ただ、それを眺めた。
言葉が、出ない。
「綺麗……」
どこかの夫人だろう。その呟きが、合図だった。
会場が震えんばかりの喝采が起きた。
己の言動を恥じた。
布で覆われた額縁近くに奇妙な配置がされたランプが何とも滑稽で『これは装飾としてはいささかセンスがないのではないか?』と侯爵に大声で問いかけ恥をかかせたつもりだった。布の形から額縁が妙に整った箱を連想させたので『大丈夫かね、箱に入れたままではないのかね? 確認したらどうだ』とその形を笑ってからかえば困ったような笑顔を向けてきたので更に笑ってやった。
「お、おおおおっ!」
隣に立つ同派の子爵が高揚した唸り声のような声を出し、それが腹立たしくて睨めばぐっと唇を噛んだがそれでもその視線は額縁に釘付けで私の存在など邪魔に思っているかもしれない。私がいなければ社交界に顔すら出せないような卑しい出のくせに。
ランプの光の効果で見る角度から輝きが、雰囲気が変わるその額縁の前では皆が立つ場所を移動しながらその変化を楽しんでいる。
私は、足を踏み出せず、しばしその場に留まって、そして誰も私に見向きもしないことがいたたまれず、額縁と有象無象の群衆に背を向けいつでも使えるようにと用意された休憩用サロンに向かう。そこで酒を飲み落ち着こうと。
「ジュリは出席させなかったのだな」
「はい、正式に私の叙爵と婚約は発表になりましたが本人がこういう場を好みませんし、ジュリを社交界に出すのは私と結婚してからでも遅くはありません、私自身この世界にあまり身を置いているとは言えませんしこれからもそう簡単には顔を出せると思いませんので……」
「そうだな、色々と優先すべきことがジュリにはある。君は夫になる身であることよりもジュリの右腕であることに重きを置きたいだろう」
「出来ればそうでありたいと」
「それでいいのではないか? 私も陰ながらにはなってしまうが助力は惜しまないつもりだ、君にはジュリの隣で彼女と共に今後もククマットを盛り立てて貰いたい」
「ありがとうございます。公爵にそうおっしゃって頂けたことが今日の一番の土産になります」
「そう思うならもう少し新作などを融通して欲しい所だが?」
「あー……そればかりは、ジュリの気分次第です、私には権限が全くなく」
「せめて返信をくれればいいのだが、それすらない時もあり妻に私の公爵としての立場や地位は何のためだと責められる」
「……てます」
「何?」
「燃やしてます」
「何を」
「手紙を、ジュリが」
「……」
「機嫌が悪いときにクノーマス家から束で、いや、箱で手紙が届くと新作の催促の手紙は、微塵の躊躇いもなく、燃やします」
「……流石だな」
「キリアから『見てると胃に穴があきそうだからあれを止めさせて下さいよ!』と苦情がくるほどです。直接公爵からおっしゃって頂けませんか。手紙を燃やすとき必ず私がいないときなので、説教しても止めようがないのと本人がその説教を全く聞いていません」
「そんなの私が止められる訳がないだろう」
親しげに、会場の隅で話すのはアストハルアの若造と、グレイセル・クノーマス。
いつからだ。
いつから人を間に入れず会話を交わす仲になった?
イライラする、それに妙な感情も湧き上がる。正体不明の感情が何なのか分からないまま、静かなサロンで侍女の用意した酒の入ったグラスを手にして驚いて硬直した。
手が、震えている。
微かに、グラスの中の酒が揺れている。
「はっ!」
吐き出した息が思いの外強く声になっていた。
恐怖だ。
私は、怯えている。
何に?
この私が何を恐れている。
このままでは駄目だ。
ベリアス家が生き残るためには、邪魔なものは全て潰し、消し、そして生まれぬようにしなければ。
何をすべきだ、考えろ、これから私がすることは何だ。
「ああ、いたいた」
私の顔を見て子供のような無邪気な笑顔を向けてきた男と目が合った瞬間、ゾワリと体を不快な冷たい物に撫でられるような感覚に襲われた。
「よ、公爵。元気そうじゃん?」
馴れ馴れしい口調は初めて会った時から変わらない。
「俺さ、あんたに謝っておこうと思って」
謝罪をするにはあまりにも不躾な態度。
「あんたのとこのスパイ、三人帰って来てないだろ? あれ、ククマットで彷徨くだけならまだしもライアスとフィンの家に侵入してジュリの作業部屋荒そうとしてたから始末したぞ」
ひゅっ、と声にならない声が出てしまった。
「大人しく帰るから見逃してくれって言われたんだけどさ。ジュリと一緒に召喚された地球のビーズとかこっちじゃ手に入らない物を隠し持ってて。それにちょっとカッとなっちゃってさ!」
不気味なほど邪気のない笑顔。
「殺っちゃった」
何がそんなに楽しいのか理解できない。
「それに……たかがスパイ如きが、この俺から逃げようとナイフを向けてきたんだ、盗もうとしたビーズを返そうともせずに。謝罪もなく、見逃してくれと言っておいて嘘をついて、挙げ句俺にナイフを向けるとか、殺されて当然だよな?」
目だけは笑っていない。底冷えを誘う冷ややかな、刺すような視線。
「死体はこっちで処理してやったから。というか放置しておくと勝手に処理する奴がいるから正確には処理された、なんだけど」
微かに顎を上げ、見下してくる。
「スパイができるやつは貴重だぜ? ククマットに送り込んで無駄死にさせるくらいならもっと有効活用しとけよ。じゃ、言いたいことはそれだけ」
【英雄剣士】ハルト。
邪魔だ、こいつも、邪魔だ!!
どうして今の時代、まともな【彼方からの使い】がいないんだ。
背を向け颯爽とあるき出した男の背中に杖を投げつけたい衝動を抑え、そのやり場のない怒りを杖を床に叩きつけて僅かに解消する。
ベイフェルアを、そして近隣諸国を手中に収めるには。
障害が、異物が多すぎる。
どうにかしなければ。
何から、何処から、潰すべきか。
何を、どう、消すべきか。
考えなくては。
侯爵家の額縁披露は明るく賑やかな話にしようと考えた時期もあるのですが、そうすると『あれ、この人いつまでたっても出てこれない』という問題にぶち当たりまして。
それとジュリの暴挙(手紙を燃やす)をアストハルア公爵とグレイセルが語り合うシーンが親交の深さをベリアス公爵に見せつけるには効果的かな? という思いもありこんな感じになりました。
次回から新章です、クリスマススペシャルに繋がるお話から。




