17 * エイジェリン、馴れ初めを語る
この人に語ってもらう機会がなかったせいか、ちょっと嬉しかったりします。
ネルビアとの国境に接するマーベイン伯爵領はこの国で唯一『辺境伯』を名乗ることを許された、国の防衛の要ともなっている。辺境伯は侯爵家に匹敵する権限、そして有事の際に国からの支援が最優先される土地として長らく軍事に関わる産業を中心に栄えてきたが。
「お父様からの手紙にはマーベインの叔父様……辺境伯爵様が王家からの勅命で国境関所に再び駐屯なさることが書かれていました。すでに雪で覆われてネルビアも主要な要塞以外からは撤退し冬を越すんです。軍行すら困難なこの時期に駐屯自体意味を為さないというのに。孫娘が生まれたばかり、せめてもう少しゆっくりご家族とお過ごしになってほしかったのですが………」
「そうか……」
ルリアナの生まれた伯爵家はそのマーベイン領に隣接し、肥沃で平坦な土地が互いに跨いでいることから古くからマーベイン領との付き合いが深く、共闘しながら発展をし互いを守ってきた家だ。『隣のことだから』と他の令嬢ならその一言で済ませるだろうが、古くからのその繋がりありきで育った彼女の口からそんな言葉が出ることは今後もないだろう。
私たちの結婚はマーベイン伯爵領と彼女の実家であるハシェッド伯爵領の財政難を立て直す意味があった正真正銘の政略結婚だった。王族のように好きな年齢でデビュタントが出来ない貴族の令嬢、しかも財政が厳しいともなれば、十六歳のデビュタントを前に茶会や夜会に『社会勉強』を理由に連れまわされる。例に漏れずルリアナもそうなる予定だったらしいのだが、私の父がマーベイン辺境伯爵を介してハシェッド家に打診をしていた。
――息子の嫁に来る?―――
その時かなり砕けた言葉のメッセージカードをルリアナに渡るようにしていたと知った時はさすがに父を殴った。殴って大乱闘になり怒り狂った母に父と共に家を閉め出され三日間ほど夜営する事態にもなった。
のらりくらりと結婚どころか婚約なども避け続けていた私には寝耳に水。しかも弟グレイセルは騎士になるためとっくに王都に逃げていたから、父の結婚を迫るあの圧が二倍になり私にのし掛かったと同時にすでにほぼ決定的事項にまで話が進んでいたときは目眩がした。
しかも相手はそのメモのようなメッセージカードの打診を返事一つで了承したと。
幼く、頭の悪い令嬢だと思った。私と結婚すれば贅沢が出来、一生を保証されると喜んでいるのだろうと。
しかし。
挨拶を交わすよりも前、ハシェッド家の応接室に入り目があった瞬間。
(あ、ナメてかかると痛い目を見るな)
私の第一印象はそれだった。
社交界でも噂になっていた美少女。確かに、これはそうそうお目にかかることが難しい、家族が必死に隠し守ってきただけのことはあるその浮き世離れした人形のような非の打ち所がない容姿をしていた。しかしそんなルリアナを一体どうやって父は知り得たのかと、未だに疑問である。
だがそれよりも私は彼女のその醸し出す雰囲気につい頬が緩んだのだ。
真っ直ぐな瞳はその年頃には似つかわしくない覚悟が既に備わっていた。
「なにを求めてるのかな?」
彼女への挨拶をすっ飛ばした私のその問いかけに、父からは色んな意味が込められた蹴りを食らったが、彼女は表情一つ変えずそれを見終わった後にすうっと息を吸い込んだ。
「マーベイン領と当伯爵領をつなぐ大道の整備、特産である革製品の流通のための事業見直し、そして昨年の不作に伴う税収減にて先送りもしくは休止になった数ヵ所の土木事業の再開。それらの支援をお願いしたいと」
「概算もなくここでその返事は」
「私の見積りでは総額千七百万リクルです。クノーマス侯爵家の資産総額にご負担を掛ける額ではありません。しかし、ご存知のようにそれに利子が加算された返済計画を立てるだけの余裕が現在の当家にはありません。ですから半分、いえ、三分の一をまずは支援していただければと考えています」
「なぜ三分の一かな?」
「大道の整備に掛かる額です、軍行にも使用されることから王家よりさらなる整備を求められています。それに着手するまでの期限がおよそ一年、それまでに開始されなければ領地を一部没収すると」
「なるほど、それをなんとかしたいのか」
「なんとか、ではありません。そうでなければ領民が住む場所を、田畑を奪われます。その規模は我が家が保証し、支援し、生活再建を手助けすることが不可能なほど。ですので、私の結婚のための支度金は不要です。その代わり直ぐ様動かせる資金を。三分の一、即金で」
あの時、ルリアナのご両親が顔面蒼白で倒れそうな顔をしていたのを今でも忘れない。
「「はははっ!」」
父と二人、大いに笑った。なるほどこれは父が気に入るわけだと納得した。
「ならば、婚約者殿へ婚約の証として私から一千万リクルはすぐに用意させよう」
「……ということは、侯爵家からのものとは別、ということですか?」
「ん? ああ、そうなるね」
「ではそれとは別に一千万リク―――」
まで言って、両親に口を塞がれていた。どうやら口がかなり達者らしいということもこの時知ったのである。
ルリアナ十五歳、私が二十二歳。その場で婚約が成立、父は満足げ、私は笑顔、そして彼女のご両親は娘をこの後説教する気満々な顔。
当の本人は達観したような、やけに冷めた顔をしていたのがなんとも印象的だった。
母がその人形のような見た目を一目で気に入ったのはもちろんだが、それよりも気に入ったのは頭の回転の速さだ。
金貸しで財を成した豪バニア家の娘であった母は『数字はお友だち』というような人で、金勘定に長けた人だ。その母が気に入ったのである。
ロクなことにならないとは思っていたが、ルリアナが王都の学園を卒業後すぐに私と結婚し十八歳で侯爵家に入ってから、本当に、ロクなことになっていない。私と父の自由に使える金の管理をルリアナがしているのだから。
「そのようなものを買うのであればこちらに投資を」
「それは無駄ですから売ってもっと良いものに変えましょう」
「先日のあの出金はなんですか? 必要でしたか?」
「自由になると言っても使えば減るのです、わかりますね?」
凄まじい管理能力で小遣いを増やしてもらえるのはありがたいが、無駄遣いをたまにはしたくなる男としては、うん、ヘソクリ、作ろうかな……とちょっとだけ切ない考えをするくらいには立場がなかったりする。
しかし、それで救われた。
グレイセルの騎士団団長の任期延長が波紋を呼び、それから発生した様々な思惑で我が家はトミレア地区同様に重要な西部の地区を莫大な戦争支援金がわりに失う所だった。
「何度でも言います。手放してはなりません。手放したら最後、二度と戻りません、土地も、人も、そしてその土地の人々からの信用も」
決断を迫られていた私たちに、真っ直ぐな目を向けて語ったのはルリアナだった。
「王家が納得する、すぐにマーベイン領に送金できる現金をまず用意してください。そして先程出ていた案の、船の入港税と重量級積載物の預り金、団体入港料といった領民の税に直結しない、外部からの収入に絞りすぐ様徴収出来る体制を整えましょう。限定的なものです、それでもって一時的に収入を上げ補てんする案に私は賛成です。外部からの批判は致し方ありません。表だってそのことを批判してくる所は『ならば支援をお願いします』と強引に巻き込む姿勢を見せればすぐさま身を引きます。そして、侯爵家の宝物庫を明日から徹底的に整理しましょう。売れるもの、売ってはいけないもの、それらにまず分けて、その売れるものをさらに歴史的価値などで階級を分け、直近のオークションへ出すべきです。土地を売るのは最後です。その切り札を戦争のために簡単に使ってはダメです。一度でもしてしまえば、同じ理由で何度も要求されます」
ハシェッド領も、辺境伯に隣接しているということでかつて莫大な支援金を王家から命ぜられ土地を売却した。その土地は、王家からの褒賞がわりに商いで財を成した家が叙爵したのに合わせて、男爵領として下賜された。男爵家が没落でもしなければ、永遠に戻らない。
その過去を、『過ち』をハシェッド家は代々子供たちに刷り込みのように教え込んで来たのだ。そして性別で差別することなくお金の管理の大切さを同時に徹底して教えてきた。
「もう一度、言います。土地を売るということは、その地に住まう者を売ることになるのです。人身売買となんら変わらないのです。戦争に領民を送り出す上に、領民を売るなど、してはなりません。クノーマス家が少し大変なだけです、乗り越えましょう」
彼女のその真っ直ぐな瞳に。
「惚れ惚れする」
と、場違いな事を言って父に蹴られ、母には盛大なため息をつかれ、そして彼女はキョトンとしたあと顔を赤らめつつも嬉しそうにしていた。
―――そして、今。―――
「先日の支援金が裏目に出たかな」
「そうかもしれません。余裕があるなら最前線に出てネルビアの前線基地を攻めよということかと」
「……うちの最近の資金力がネックになるとはな。少し支援について辺境伯爵と話し合う必要があるかもしれない。そうなるとハシェッド領へも少なからず影響してしまうが……」
「自領での資金調達が可能であればまた違うのですけれど」
ルリアナは苦笑し父親からの手紙を折り畳んだ。
「ハシェッド領はジュリとの取引以降、少しずつ他との取引も増えていますが、それでもまだまだ資金調達としては弱すぎます。何か他に産業が生まれれば、志願兵への領民の志願も減り、王家も別の手を打つ方向に動くでしょうし、マーベイン領も同じです、資金調達能力が弱まっているのを理由に国庫からの資金援助でもって優位な立場に立たれてしまっています。叔父様はそれに従わざるを得ない……」
「国境に軍力は必要だと思うが、度重なる戦は不必要だ。強力な軍事力はマーベインの産業そのものだが、それでも限界はある。王家も騎士団を出し渋るようになったからな」
「そうなのですか?」
「王都から国境までの軍行に掛かる費用が用意できない」
「えっ?」
「ネルビアと接する全ての領から要請がずっと出ているが、それを長期的に賄える金がすでに用意できない。うちはマーベインに資金提供し続けているからいいが、近々他の内陸部にある侯爵家、伯爵家で余力のある家に前のうちのような資金提供を課せられるのではという話しも出ている」
「……エッジ様からご覧になって、あのときに匹敵するお金を出せる家はどれ程と?」
「穏健派トルファ侯爵家と、中立派ツィーダム侯爵家、伯爵家となると難しいな」
「……公爵家二家はやはりそこには含まれないのですね」
「あそこに手を出すときは、既に国庫が空になった時だ。それでもまだ国土だなんだと隣国と争うなら国としてすでに機能していないことを意味する。何れにせよ、ネルビアはこちらが体制を整え直す前に何度も小競り合いで力を削ぎ、慢性的な弱体化を引き起こしてくる。こちらに戦争以外の取り引き材料が無いことをよく理解しているから……。それをせめて抑制する材料があれば、な」
最近の私たちはこうして何でも話し合う。
専門学校の件で、泣いたと聞かされて私が泣きたくなった。
ルリアナは私の前で弱音を吐くことも愚痴を溢すこともなく、まして泣いたこともない。
それなのに。
泣いたのだ。ジュリとケイティの前で。
『気が緩んで』泣ける相手は、泣き顔をみせる相手は、私ではなかったのだ。
なかなか子どもに恵まれず影で色々言われていても『授かっていないのは事実、侯爵家に嫁いだ私の責務が果たせていないことを責められて言い返すほど愚かではありません』と毅然としているルリアナ。
その重責に耐えている彼女が泣いた。
知らなかった。
知ろうとしなかった。
彼女を。
「……早く穀潰しを産業として軌道に乗せてもらわないと」
「はははっ、そうだな、マーベイン領とハシェッド領どちらにも都合のいいものだからな」
「……」
「……」
「まさか本当に新しい財源になるとは思いませんでした」
「名前が不穏なのにな」
ふっと吹き出すように笑い、肩を寄せ合う。
少しは、寄り添えるようになっただろうか。
「ひゃーははははっ! だはははっ!」
ジュリの奇っ怪な笑い声を前にルリアナがニコニコしながらお茶を飲んでいる。
「面白い色だ、上質な革で水色やピンクというのは確かになかったな。パステルカラーと言ったか?」
「うほほほほ! そう、これは正しくパステル!」
「素敵でしょ? ジュリのいた世界では『合成革』という人工的に作られた革もあったし着色したものもあったと聞いて兄様に試作するようお願いしていたのよ」
グレイセルも満足げだ。
「着色できるその白い革はちょっと高めで着色も手間が掛かるそうなの。高級志向はジュリの方向性とはズレてしまうけれど、良い出来だったからどうしても見せたくて」
「主に女性向け、ベルト、ポーション入れは即商品化! ひっ、ひひひひっ、鞄と帽子も! ブーツもアリじゃないですか?! ケイティを広告塔にして冒険者向けに先行して売り出せばあっという間に広まりますよ! 自然な色味の革と組み合わせてバイカラーの商品も面白そうですね!」
「その案頂くわ、提案料の支払い契約を結びましょう」
「はははは、あははは! グレイ契約書!」
「はいはい」
「うちでも少し仕入れても?!」
「ええもちろん。あ、これはサンプルだからジュリにあげるわ」
「ふあっははは! ありがとうございます! フィンとキリアと明日は新商品会議!! 予定変更! 女性の嗜み品専門店に卸す商品としてアリじゃない? くふふふっ、もちろんうちでも扱うけどね、契約書もちゃちゃっと用意しないとね?」
「はいはい」
「ひゃははは!! ちょっとどうしよう?! めっちゃテンションあがる! かはは!」
この笑い、なんとかならないのかと私は思うのだが。
「ジュリの笑い声は幸せとお金を呼び込みますよ?」
と、ルリアナが言うのでそういうことにしておこうと思う。
「くはははは! いい色! はーははは!!」
……ちょっとうるさい。
ルリアナが笑っている。あまり見せない無邪気な笑顔。
少しだけ、ジュリに嫉妬する。
「エッジ様はどのお色がお好きですか?」
「そうだなぁ、この若草色なんて落ち着きがあっていいな」
「あ、私と一緒ですね」
ふわりと嬉しそうな笑みを溢し、私を見る。途端に嫉妬心は霧散する。
私という男は単純だな、と笑いが込み上げる。
「うはははははっ!! お揃いでなにかつくりましょうか?! へへへ、えへへへ! 何がいいですかね?! ぐふふふっ!!」
まだ笑っている。ジュリ、やっぱりうるさいぞ。
だが。
つられて笑ってしまった。
それを見たルリアナが面白そうに笑った。
これからもこうして笑い合えるように。
やるべき事をやる。
それだけだ。
エイジェリンとルリアナの馴れ初めですが当初は社交界で出会って恋に落ちる、というのを考えていたのですが。
ルリアナの才女っぷりを耳にした侯爵が妻のシルフィが気に入りそうという理由で飛びつき、息子の意志など完全に無視した政略婚を画策したという裏設定のほうがクノーマス家らしいかなぁと思い、こんな話になりました。




