17 * 笑っているのはグレイだけなんだけど。
会話一つにも異常に気を遣う雰囲気から解放されて私とローツさんは馬車に乗った途端、脱力して天を仰いで盛大なため息。
「ははは」
笑った! グレイが笑った!! なにその余裕腹立つんだけど!!
「それなりの家だと世代交代時期はこんなものだぞ?」
なにそれ貴族のあるあるなの? 嫌なあるあるだわね。
「今の父には怖いものなんてほとんどないだろう。アストハルア公爵家との和解も進んでいる、それが表沙汰になればなおのこと。ベリアス家を牽制できるだけでなく……抑圧する側にもなれる」
そういうことを面白そうな顔して言うんじゃない。
「ただ、そこに水を差すようなことをしてきたのが兄上だ。兄上はクノーマス家が安定期に入ったのを見計らいハシェッド領、つまりルリアナの実家の領地の建て直しを計画し続けてきた。それは必ず隣接するマーベイン辺境伯爵領に直結する。……以前も話したが、兄上はさらにその先を見据えている」
ネルビアとの停戦協定のことだと直ぐに察することができた。
『平和協定』はまず無理だと誰もが口を揃える。それはこの世界の歴史に疎い私でも理解している。大昔の正式な合意文書の残らない境界線を巡る争い。これが話し合いで解決する目処は全く無く、そして今なお断続的に軍事衝突が繰り返されている。
「ベリアス家との勢力争いなんて無意味だ、そんなのは後回しでいい、兄上はずっとそう思ってきたしその考えは変わらない。兄上がベリアス家を邪魔に思うのは王家を私利私欲に利用して本気で国を守ろうとしていないからだ。クノーマス家を潰せば国防を担う資金提供が出来る家を失うことになるのにベリアス家は単に目障りで勢力拡大されては困るからと手出ししてきたことへの怒りだけ。父上とは違う。……父上にはそれに加えて野心がな。ベリアス家の財政が芳しくない今を狙いとことん叩けば潰れる可能性は高い。そうなればベリアス家は没落、公爵家はアストハルア家だけになる。そして過去を遡ればクノーマス家も王家から王女が嫁いで来たことがあって、歴史の長さ含め公爵家になれる条件は揃ってしまう」
「侯爵様が単に公爵になりたいがために、っていうだけとは思えないんだけど」
「まあ、それはそうだろう。父上なりの正義だと思う。ベリアス家がこのまま公爵家としてこの国を牽引する位なら、多少のリスクを背負ってもクノーマス家が成り代わり国を立て直した方が将来のためになる、それくらいは思ってるだろうな。ただ……」
「ただ、何?」
「根本的な解決にはならない。この国を立て直したいならば、国庫を最も削るネルビア首長国との国境を巡る争いを無くすのが一番だ。兄上はそこに重きを置いている。父上とは違う」
なるほど納得。
最近の侯爵様とエイジェリン様の関係が微妙だという理由がこれでよく分かった。
そして、グレイは間違いなくエイジェリン様よりの考えを持っている。多分それは私がここに召喚されるよりも前、この兄弟が貴族の息子として国の中枢に関わるようになってからすでに出来上がっていた考えなんじゃないの? それをどこまでこの兄弟が腹を割って話し合ってきたか分からないけれど少なくとも同じ方向性であることは確認してきているはず。
そうか、だからか。
グレイが技術の秘匿をすることに全く反対しないのは。
グレイとエイジェリン様は、私がシュイジン・ガラスを『武器』にしたようにクノーマス家が『武器』を持つことを望んでいないのよ。発展するのはいいけれど、資金が潤沢になるのはいいけれど、『武器』によって周囲を抑圧する立場にはなりなくないんだ。国内で敵を増やす訳にはいかないのよ、エイジェリン様がやろうとしていることは。
一方、侯爵様は違う。私の提案や開発で色々なものが『武器』になり、資金を得る手段が増えていく中で、さらに望んでいる。でも私がグレイと共に技術を秘匿してしまったら、それは永遠に侯爵家の武器にはならない。『クノーマス伯爵』の武器にはなるけれど、『クノーマス侯爵』の武器には絶対に出来ない。登り詰めることで国の安定を望む侯爵様にとって、グレイの言動は『抵抗勢力』がしていること。
そりゃあ、あれだけ不服そうな顔をするわ。息子が敵対してきたようなものだもんね。
ちなみに、会館を借りるのに王妃を介さなくても良かったという話をグレイは最近、ほんの数日前に移動販売馬車のことでグレイと打ち合わせをするために訪れたアストハルア公爵様から偶然聞いていたんだって。談笑中ネイリストの話になって抽選会が王都で話題になった話に繋がって、あの時直接声を掛けてくれていればもっと早く君たちとこうして話せる仲になっていたのに、と言われたそう。それに疑問を持ったグレイが問いかけて、実は……みたいな。
私に黙っていたのは、その件は解決済みで今更なことだし余計な情報で私が悩んだり憤るのは望むところではなかったとのこと。ただでさえ忙しい商長なんだから余計な話を吹き込んで立ち止まられても困るな、と思ったそうな。確かにね、さっきはびっくりしたし何となくモヤッとした感情が表に出ていたけど今はね、解決したことだし振り返る意味も時間もないことだと思ってる。
うん、この人私をよく理解している。さすが。
「まあ、兄がそれを暴露してしまったがな」
と、苦笑もしてたけど。
シュイジン・ガラスのことをハルトたちに話して公開した。
見たときの反応が『あ、確かにクリスタルガラスだ』という、驚きよりも久しぶりに見たなぁ、みたいな雰囲気だったのが何となく新鮮に感じてしまった。
そして。
「当分、数十年は追随どころか足元にも及ばない。隔絶した技術の品として君臨するだろうな」
とハルトは言った。
永遠ではない。
数十年、数百年先には、必ず現れる。
秘匿していても必ず、と。
一つでも世に送り出せば必ず。
私が生きている間の武器でしかない。
「でもこれ、確かにあなた以外の人が武器にするのは危険よね」
ケイティはそう前置きした。
「だってそうでしょう? 作れる訳じゃないんだもの。『こいつさえいなければ』って、簡単に命を狙われるじゃない。これはあなたとアンデルが開発し、完成させて秘匿するからいいのよ、作った本人とその知識の源。二人に何かあれば失われる技術だから。でももしこれが候爵なら、候爵殺してその立場に立てばいいんだもの。これの権利を巡った殺し合い。冷静に考えればジュリとアンデルが秘匿するのが一番安全で、後世に技術を継承出来る正しい道よね。グレイセルには悪いけど、候爵は少し焦りすぎじゃない?」
グレイは肩を竦める。
「そうだな、焦っている」
「何が?」
「私の叙爵で、候爵家の存在が薄れることだ」
「んな馬鹿な。薄れるなんてありえないでしょ」
「そうか? 現に目に見えていることがある」
「え」
「アストハルア公爵が会いに来るのは父ではなく私だ」
あ。
そうだった。
グレイの叙爵、これに少なからず私の人間関係が関わっている。
クノーマス家、ルリアナ様の実家ハシェッド伯爵家が推薦家として名乗り出てくれたことは周知の事実。でも他にも表立っては推薦していないけれど、『いいよ』という意思表示をしてくれた人たちがいる。
ご隠居のナグレイズ子爵家、ローツさんの実家フォルテ子爵家、中立派のもう一つの筆頭家であるツィーダム候爵家、そして、この国で絶対的な地位に君臨する穏健派筆頭のアストハルア家。
これらの家の意思表示が、グレイの叙爵を加速させた。その日に向けての準備が驚くほど順調に進んでいる。
「ジュリと私をセットとして扱い、侯爵家とは切り離して見ている人たちばかりだ」
「そうだね、これからの将来性を考えればグレイセルを優遇したほうがいいって思う人は少なくないね」
マイケルは頷きながらそう言った。
「ククマットはクノーマス領内のごく一部、クノーマス家の影響力は計り知れないと誰もが思う。思うけど、実の所、グレイセルとジュリが『独立したい』と考えて実行に移すだけの資金力がここには出来上がりつつあって、それに気づいている人は多い。何より、ジュリがここに永住する構えで、グレイセルがここでそのジュリを守る。それはつまり、ここはこれからも何かが生み出され続けることを示唆していて、その『可能性と将来性』を天秤にかけたとき、みんなはどっちを選ぶだろうね? って話だよ。公爵という地位を得るかもしれないクノーマス家か、それとも地位を無視してお金や物を生み出す力のあるクノーマス家か。『公爵』は、唯一無二じゃない、でも『ジュリとグレイセルがいるククマット』は唯一無二。それが分かっているから、グレイセルの叙爵に意思表示を示したと思うよ。それこそ、クノーマス候爵家のことは無視してね」
あ、うん、重い話になってきた。
「でも、だよ? そう聞くとツィーダム候爵家はちょっと違う気がするけど」
「いや、むしろあの候爵は完全にお前ら寄りだからな? 移動販売馬車のこと、クノーマス家が打診した時点ですでにグレイに傾倒したはずだ」
ハルトがそんなこと言い出した。
「なんで? 打診したのは候爵様だよ? 候爵様が打診しなかったら私はあまり関わる人じゃないと思ってた人だし」
「でもグレイの叙爵の話と移動販売馬車の話は同時進行だったろ。どう考えても侯爵家じゃなくグレイ中心に展開されることは予測できたはずだ。しかも個人的にツィーダム候爵はグレイのことを高く評価してる人物で、その証拠がこの前の国境線への緊急派遣依頼だ、普通どんな理由にせよあんなに簡単にグレイに依頼したりしない。それだけグレイが元々評価されていて、ジュリとの繋がりの強さを理解もしてる。そしてこのククマットの状況。冷静に分析すれば、本家と分家、程よい距離を保ちつつも、ツィーダム候爵が裏でグレイに肩入れするのは分かりきっている。候爵が恐れるのは当然だろ、いつか本家を追い越して伯爵家がククマットからクノーマス領の実権を握るかもしれないからな。エイジェリンの性格だとそういうの気にしないだろ? あいつが見てる世界はそもそも貴族がどうのこうのじゃねぇんだから。そりゃ焦るよ、候爵も。今より盤石な地位なり何なり得ないと脅かされるって」
そう言われると……否定出来ない。
シュイジン・ガラス恐るべし。
ここまで話が重たくなるとは。
いや、なるかな? とは頭を過ぎったよ? でも最初からここまでなるとは思わないわよ!!
というか、候爵様とエイジェリン様の溝の深さが見えてしまった……。そして、基本私は候爵様が候爵である限り、他のどの貴族よりも優先するって気持ちは変わらない。変わらないんだけど……。
グレイと結婚したらグレイが一番だよね。うん、奥さんになるから当たり前。
うーん、そのことも考慮して、クノーマス候爵家との付き合いを改めて考える必要が出てきたと思って行動開始したのに。
シュイジン・ガラスのキラキラした透明感とは真逆の重たいどんより系のこの現実。
……後で考える!! 後回し!!
いや、ちょっとは考えよう、私。
グレイの叙爵について公表、移動販売馬車の計画にアストハルア公爵様を巻き込んでから変化があったことは事実。
今更、ホントに今更だけど、エイジェリン様が移動販売馬車の先行公開と実演販売の候補からご自分の友人である男爵が外されても特に反応が無かったの。ちょっとは悔しがるとか、食い下がるくらいはするかなって言う私の予想を裏切り、『あそこなら構わないよ』とあっさりと了承していた。あれには裏があったんだと気づいたわ。
それが、ツィーダム候爵家。中立派でクノーマス家に継ぐ歴史もあり、中立派は事実上この二家による統制が取られている。波風を立てない意味でこのツィーダム候爵が選ばれるのは予想の範疇だったことはこの手のことに疎い私でも『ま、だよね』くらいの感覚だったけど。
もしかすると、エイジェリン様は違っていたかも。
ツィーダム候爵家が直接グレイに近い存在になることを望んでいた可能性はある。
移動販売馬車の先行公開先の件で最初は躍起になっていたエイジェリン様はグレイの話ではすぐに落ち着き、私に話を持ちかけたことを反省している様子だったらしい。で、その後候爵様が私が指定したバミス法国、アストハルア家の他もう一箇所やるとしたら、に指定してきたのがツィーダム家だった。それを知ったエイジェリン様は移動販売馬車のことは後回しにしてもいい程『今後のクノーマス家』に都合がいい何かを見出したんだと思う。
もしも、エイジェリン様が話していたように候爵様が爵位に執着してさらに上を目指すというなら、間違いなく、同じ派閥のツィーダム候爵家の後押しが必要になる。でもここでグレイとツィーダム家が近づいたら? それを次期候爵のエイジェリン様が後押しするなら? 些細なことでも状況は一変する可能性が極めて高い。
そしてアストハルア家。
これから関係を再構築していくならばその主軸は長い目で見るとエイジェリン様になるのは間違いない。アストハルア家には王都の学園に通う息子がいるらしいからその子が次期公爵になり、エイジェリン様と懇意にしていく事になるはず。世代交代は絶対に来る。
「質問」
「ん?」
「グレイは、アストハルア公爵とツィーダム候爵どっちが私達にとっていい関係を築けたらいいなと思ってるの?」
「ジュリ、私はワガママで欲張りだ」
「……どっちもかい!」
「ははは」
「そりゃあ、私としてもそれは助かるけど、候爵様とエイジェリン様のことを考えると舵取り難しくない?」
「本家は本家でどうにかしてもらう」
「え、そういうもの?」
「本家だぞ? それくらい何とかする力がなければ困るし、爵位とはそれだけ独立したものだ、たとえ親兄弟であっても『踏み込まない』『踏み込ませない』が明確にされている事が多い。逆に言えば何かあった時に簡単に切り捨てられる覚悟を私の立場上していく必要がある。血筋だ、家系だと貴族は言いがちだが、それに拘る家ほど衰退や没落をしやすい。私はそうなるつもりはないからな、ツィーダム家とアストハルア家とは本家と違う独自の関係を築きたい」
笑顔だ。
この笑顔本気だ。
グレイのこういうところ、厄介なんだよね。
兄弟仲はいいんだけど、いざ家の事になるとこの人は本当に驚くほど冷めた態度で。なのにクノーマス領や住む人たちのことを大事にして、関わることを全く苦にしない。それが常なるこの人の動き。
そして叙爵が決定してからその傾向は強まっている。
これ、いいの?
そりゃ候爵家から独立する伯爵として、ちゃんと狭いながらも領地を得るから他の貴族と同じで程よい距離を保つっていうのは分からなくもないけど、そもそも、クノーマス領の中にある小さな土地で近くに本家があって親兄弟がいる。
……グレイがあからさまな距離を取るのって、候爵様はいい顔しないよね。
いずれ今回のこと、そしてシュイジン・ガラスが私達に良くも悪くも影響するんだろうな、と予感めいたものを感じちょっとだけアンニュイな気分になったことは、内緒。
そして。
「せっかくかわいいガラス製品増えたのになんでお前は未だに文鎮使ってるんだよ?」
「便利で手に馴染むから」
ハルトは私の拘りが理解出来ないらしく、真顔。
「せめてかわいいデザインとか」
「え、デザインこれでいいよシンプルで無駄がない、デザイン大賞あげてもいい。洗練された一品でしょ」
「お前のたまに押し出される妙なこだわりが理解できない!!」
シュイジン・ガラスの話はとりあえずここまでです。
この後、いつ出てくるのかわかりませんが重要な場面で出てくるので気長にお待ち下さい。




