17 * マイケル、憂いを語る。
マイケルさんが語ります。
暗いお話です、ご了承くださいませ。
「酷いものだな」
グレイセルは何に対してそう言ったのか判断に迷った。
目の前の凄惨さにわざわざそんな言葉を吐く男ではないと僕は思っている。だからグレイセルはそれとは別の何かに対してそう言ったんだと思った。
クノーマス領の自警団からこの先グレイセルが領主となる、クノーマス侯爵領から独立するククマット領の自警団へ所属になることが正式に決まった百名にも満たない人員の中から、この場にグレイセルは以前からジュリの警護を任せたり自分の代理を務めさせているルビンと、その補佐をするモルソンという僕と同世代の男のみを従えこの場に立っている。
ベイフェルアの北、ネルビア首長国に接するこの国の貴族領は七つ。唯一の辺境伯爵であるマーベイン家の東側にピゼ子爵、西側に隣接する順にカーマイル伯爵、ロロシェ伯爵、レンディン伯爵、ワイト子爵、チェイザ男爵が国防を担う。
今現在、ロロシェ、レンディン、ワイトの西側三領は混乱している。
防衛ラインを突破され、ベイフェルアが国境だと主張する位置からおよそ二百メートル、レンディン伯爵領側にネルビアの国境壁の建設が始まり、関所とは名ばかりの軍事要塞が完成を間近に控えていた。
大陸中がこれにはかなりザワついた。
だって、事実上国境が変わってしまったんだから。
僕達が所属するテルムス公国のテルム大公も頭を抱えたよ。
何故なら、その国境壁建設に至る原因はレンディン伯爵の無計画極まりない、目先の欲に捕らわれた自滅が招いた事で、負け方はもちろん、少なくともここ三十年で地図が変わることはなかったそうだ。
……地図を書き換えさせるし、ロクでもない負け方を歴史書に載せさせるしで、ホントにどうしようもない救いようのないヤツだったんだなぁ、レンディン伯爵は。
建設開始の前日、ネルビア側の前線の指揮官だったネルビアの首長の一人でもあるビルダ軍将と、ベイフェルア王家から打診され参戦していたグレイセルの間で一時的な休戦交渉がなされ合意された。根本的な解決に至るものではなかったけれど、レンディン伯爵率いるベイフェルアは数日前に始まった本格的な戦で既に七千に達する死傷者を出していた。緊迫した救援要請に王家が派遣したのはグレイセルのみ。
理由は簡単。
この男一人出すだけで相手側が警戒し侵攻を止める可能性が極めて高いから。
ただし、グレイセルは既に軍人ではなくなり、更には伯爵になることは周知の事実、そんな彼を戦場に送り込むこと自体国としての面子がズダボロなわけだけど、それでもグレイセルにレンディン伯爵領に赴いて貰わなくてはならない理由があった。
「私の交渉はなんだったのだろうか?」
ポツリ、感慨もなく目の前の光景への第三者の視点のようなあっさりとした言葉を呟いたことに僕は肩を竦める。
「勝算があり喧嘩を売るなら分かるが、敗北すると分かっていて喧嘩を売る暴挙が全く理解出来ない」
「レンディン伯爵の時に学ばなかったのかなぁ。まさか『国がなんとかしてくれる』って本気で思ってたり?」
僕の疑問が滲む言葉にグレイセルは呆れた様子で一息吐き出した。
レンディン伯爵を攻めるネルビア側の将軍はグレイセルと面識があった。
もちろん、敵として。
ただし、二人には戦に対する共通の己に課した決まりがあった。
それは『自らが先頭に立つこと』。
一対一、剣一本。魔法を使わず。
正々堂々のその戦では命を奪わず。
先に剣を弾き飛ばされるか、喉に突き立てられるか、それにより勝敗を決める。
勝った方はその線を維持し、負ければ下がる。
異質な戦争。
しかし、最も平和な戦争。
二人の対峙で失われるものは、何もない。明日生きるために命をかけて日銭を稼ぐ志願兵も、そんな彼らをまとめて戦場に立たせ走らせる軍人も、その上で戦況を把握し国防に携わる騎士団も、そしてそんな地に住まう人々、領主、土地。何も失われない。
残るのはただ、勝敗による『国境に立つ権利』を得たという事実のみ。
卓上の戦争とも違う、無血の戦争。
この男一人のおかげで、あっという間に数千の命を奪う戦に長けた将軍が動きを止める。だからベイフェルア国として一日でも早く戦場に立ってもらわなければならなかった。
「剣すら握らず済んだというのに、全てぶち壊された気分だ」
「気分じゃないね、実際にぶち壊されたじゃないか。しかも被害が拡大して」
グレイセルをその戦争に立たせるためには国はかなりの依頼料を支払わなければならない。
当然のこと。既に軍人ではないし、王妃は国を代表して『二度と従軍しない』というグレイセルが用意した誓約書にサインさせられている。
それでもなんとかケチって言い訳して引きずりだして。
そこまでして、何度も国民を、国境を守ってきた男の努力を無駄にする能無し達の多さにほとほと呆れる。
レンディン伯爵領での交渉は、呆気ないほど簡単に合意に至ったと聞かされている。それには辺境伯爵などの思惑も絡んで、ネルビアにとっても悪い話しではない密談があったからだ。最も重要な位置付けのマーベイン辺境伯爵領に次ぐレンディン伯爵領が休戦となり、辺境伯爵が武力衝突以外の解決策を望んでいることを非公式とはいえグレイセルを通して意向を伝えたことでネルビア首長国も慎重に動くことになる。
そんな水面下での動きを国やレンディン伯爵が把握していなかったとしても、それに伴いレンディン伯爵領は戦死者をこれ以上増やさず、ネルビアからの度重なる圧力から暫し解放される筈だった。
それをレンディン伯爵がダメにした。
休戦に合意し撤退作業に入っていたネルビアに奇襲をかけたそうだ。
グレイセルがせっかくまとめた合意を無視した、勝手極まりない暴走。
撤退作業に入っているならばそこを襲えば勝てるという、何の根拠もない自信のみで、伯爵本人がグレイセルが去った後に国から正式に派遣されていた騎士団に、領主という立場と国王の勅命による軍事行動というのを盾に無理やりやらせたらしい。
グレイセルと一騎討ちをするような、しかも華々しい戦歴をもつネルビアトップクラスの将軍相手に、その場で思い付いた、なんの計画性もない奇襲など効く筈がない。
国から派遣されていた騎士団団長ですら恐れる将軍に、なぜそんな事を仕掛けようと思えたのか。
結果は酷いものだ。
騎士団のこれからが期待されていた若い騎士と魔導師が、将軍に斬られ命を落とし、たった数十分で奇襲組が全滅した。
休戦合意の破棄と見なし、ビルダ将軍はレンディン領にすぐさま侵攻、一帯を焼き払いながら炎の向こう、大規模な森林火災で混乱に陥っているベイフェルアを嘲笑うように、練度の高い土木に特化した後方支援部隊と魔導師を駆使し、レンディン領の森林火災が鎮火すると同時に、国境壁の建設を開始していた。
このネルビアの侵略に焦ったのは国境に接する貴族たちだ。
明日は我が身と立て続けに王家に騎士団を国境防衛に出してください、と要請してしまう。
これがネルビアに筒抜けだったのは、僕からしたらもう笑うしかないレベルのお粗末さ。
既に国境付近にはマーベイン領に接する領以外にはネルビアのスパイだらけだった。
何をしたって、タイムラグ無しにネルビアに知られているわけだから、ネルビアはそれに合わせて随時行動すればいい。元々ネルビアは長引く戦争をしかけていた。余計なことをすればするほど、疲弊するように。
「それで? ワイト子爵は今何してるんだい?」
「さあな、今回は第一騎士団……国王直属の近衛騎士団が来ている。あそこの騎士団団長は頭の硬い男だ、しかも王妃の覚えも良い、ワイトにお小言を言うことくらい平気で出来る」
「今ごろ絞られてるってところかな?」
「生温いな、やるなら腕の骨一本でも折ってひれ伏して許しを請うくらいしないと割には合わないだろう。ましてや、『あれ』をやるとはな」
「ホントだよ、なんでやったのかな?」
このワイト領がここ数年、西側でレンディン領についでネルビアとの小競り合いが頻発していた土地だ。
レンディン伯爵は先日の失態で爵位をまだ幼い息子に譲るよう国から言い渡された。事実上伯爵としての権限を全て奪われ、息子が成人するまで国の管理下に置かれることになり、何をするにも国王の許しが必要になった。今まで当たり前に享受していた贅沢も利権も何もかも、奪われた。
ワイト子爵は現状から次は自分がと焦ったのだろう。
分かる、分かるよその焦りは。
だからと言って、何故こんなことをしたんだ。
立ち込める鼻を突くような異臭は子爵が『先手必勝』と称して行ったネルビア軍に対する攻撃の名残だ。
「グレイセル様」
自警団の幹部でありクノーマス家の『犬』でもあるルビンは数メートル先に倒れている一人の兵士に駆け寄ると、その兵士を抱き上げ振り向いてグレイセルを呼ぶ。グレイセルと僕、そしてもう一人の『犬』であるモルソンは二人に近づき膝を地面についてルビンの抱える兵士の顔を覗き込む。
「……彼が?」
僕の問いにグレイセルはただ一言『ああ』
と答えた。
ルビンとモルソンは険しい顔をして既に息絶えたまだ幼さの残る若い兵士を見つめる。
よくある話だ。
貴族が望まぬ結婚を強いられ、国や家の為に築く家庭とは別に外に愛人を囲うなんてことは。
それが良いか悪いか他人がどうこう言う権利はない。この世界はそれが当たり前のことだから。
ルビンに抱えられる兵士は貴族によくあるそんな当たり前の環境から生まれた青年だ。
父親は、侯爵を名乗る男だ。グレイセルも立場上何度も顔を合わせ話をしたことがあるし、おまけに 《ハンドメイド・ジュリ》にこの青年と共にお忍びで来店経験があるという。家を継がせるどころか姓を名乗らせることも出来ないこの青年と侯爵はジュリと共に他の一般客と何ら変わらず談笑していたという。
たとえ侯爵家の一員になることが許されない庶子であっても、侯爵と青年の間には決して仄暗いものはない幸せそうな親子に見えたという。
そんな青年は。
この子爵領の戦況を憂いる一人だった。
この子爵領は青年の恋人の故郷だった。
そして青年は、参戦した。
何故参戦することになったのか定かではない。おそらく、複雑な要素が絡み合い、青年を駆り立てたのだと思う。
侯爵がそんな息子の行動に気づいた時には既にこの子爵領にいて、七千に及ぶ志願兵に埋もれ、最前線に立っていた。
グレイセルに個人的に莫大な依頼料を支払うから息子を連れ戻してほしいと侯爵から連絡が入ったのは今朝のこと。
「顔が綺麗なのは、救いだな」
「そうだね……何が起きたのか分からず、苦しまず死ねた事も、良かったかもね」
「ルビンとモルソンはここに残り騎士団に報告してくれ、こちらは依頼が済んだ、直ちに離脱すると」
「かしこまりました」
「私は直ぐにこの男を連れ帰る。この場の処理に騎士団が当たるはずだ、多少は手を貸してやっていいが、遅くとも夜までには迎えにくる、本陣周辺での活動に留めてくれ」
「情報収集などはいかがなさいますか?」
「必要ない、ネルビアのスパイに既に撹乱された情報を集めた所で何の意味もない」
グレイセルはルビンと入れ替わり青年を抱き抱えた。
二人はグレイセルに一礼すると背を向け本陣のある方へ歩き出した。
僕とグレイセルは青年の顔を見つめる。
「……十七になったばかりだそうだ」
「僕の半分も生きてないよ……」
「不思議だな」
「え?」
「先が楽しみな青年が死に、領地にも領民にも毒でしかない愚図は生きている。国のために必死な人間が死んでいくのに、国を腐らせる人間はしぶとく生きて増えていく」
「……」
「不思議だよ、その事を正そうとしないのだから」
『誰のこと』を言っているのかは察しがつく。
かつては主として仕えた筈の……。
「グレイセル殿、少しよろしいでしょうか」
近づいてくる気配を無視して僕たちは青年の顔を眺めていた。やって来たのはこの国の近衛騎士団団長とその部下である騎士団団員だ。
「そしてご無沙汰しております、マイケル様」
僕はあえて無視した。
話すことはないし、話す気にもなれないし。代わりにグレイセルが口を開いた。
「私たちは話すことはない。こちらの用は済んだ、帰らせてもらう」
「その兵士をどうなさるおつもりですか?」
「家族の元へ連れ帰る」
「その者を連れ帰る、それが依頼だったと?」
「何か問題か?」
「国の一大事に参戦しようとは思いませんでしたか」
「思わない」
「かつて騎士団団長を務めたあなたが」
「責任転嫁か?」
「そういうことでは」
「なら黙っていろ、子爵の無知が招いたこの有り様を察知出来ないどころか止められもしないお前らにとやかく言われる筋合いはないし虫酸が走る。国防を担う騎士団が貴族一人押さえ込めず何が守りの要だ。ネルビアに楔を打つならまだしも、味方を何人殺した? ネルビアに全てを読まれ、逃げられた挙げ句、マトモな交戦に発展する間もなく仲間を一瞬で殺しておいて私が何をしているのか確認に来て私に参戦しなかった事を問う意味は? 他にやることがあるだろう、お前たちがすることは、私のすることを確認することではない」
グレイセルの声には怒気が滲んでいる。
圧倒的な彼の放つその雰囲気に気圧されて体を強ばらせる騎士もいた。
「不思議だよ」
さっきと同じセリフだ。
「国を守ると言いながら、次々国民を犠牲にしておきながら、何も得られていないことを疑問に思わず、原因も探らず、私に気を取られているお前たちが不思議でならない。いや、理解出来ない」
グレイセルは青年を抱き抱え直して立ち上がった。
僕は近衛騎士団を眺める。
ホント、不思議だよ。
グレイセルに言われたことを理解出来ないのか、受け入れられないのか分からないけれど、全員が困惑している。
なんで困惑するんだろう。
僕たちの動向を気にする暇があったら。
生存者がいないか確認しなよ。
犠牲になった人たちをどうするか考えなよ。
この後どうするのか話し合いなよ。
そもそも僕たちはここにいる筈のない人間なんだから。
なんで僕たちに『参戦しようと思わなかったのか』なんて聞けるんだろう。
僕たちがここに転移してきた時には既に全てが終わっていたのに。
不思議だよ。
理解出来ないよ。
この国は歪だ。
今日、その縮図をここで見た、そんな気がした。
暗いお話で、次話に繋がっています。
主人公出てこないしハンドメイドしてないし人が死んでるしと、重たい話が苦手な方もいらっしゃるかと思いますが、この辺もっと簡単でいいだろと思う方もいるでしょうが、作者的にこのお話と次話はどこかにテキトーにぶっ込むというのが抵抗ありできませんでした、ご了承ください。
今後もこんなお話時々出てきますが変わらず読んで下さるとありがたいです。




