16 * グレイセル、改めて決意する
この章の最後はグレイセルさんに語って頂きます。長くなりました。
帰りの道中だった。
ハシェッド領を出て二日、隣接するウルドレン子爵領のとある地区の宿に到着する直前のこと。
「なにかあった?」
「どうしたの?」
予定外の所で馬車が止まり、なかなか動き出さないのを不審に思ったのだろう。ジュリとルリアナが窓を開けて顔を出した。そこへ駆け寄り、私は二人に直ぐに窓を閉めて静かにしていてもらうように声を掛けた。
「会わせてください、ハシェッド領で何かしたんですよね? 噂は届いてるんですよ、ここでも何か見つかるかもしれないじゃないですか」
兄上に執拗に食い下がるのは一人の男。ここの地区長だと名乗った。護衛として先導していた冒険者のエンザの前に飛び出して乗っていた馬が驚き暴れ、周囲にいた民間人を巻き込む寸前だった。エンザでなければパニックになった馬から放り投げられ、暴走していただろう。あわや大惨事という事態になりかけた。
にも関わらず、その男はエンザが何とか馬を宥め操っているのを無視し、停止した我々が乗る馬車の扉をドンドンと叩いたのだ。あまりの暴挙に私たちはすぐに降り、その男を引きずり倒して下がらせたのだが、我々を確認した途端、その視線は後ろの馬車に向けられた。
目的は、ジュリか、ルリアナか。
貴族、しかも侯爵家の人間への対応としては最悪だ。
ここの領主である子爵は強権派、クノーマス家とは対立する派閥。これはいただけない。この男の行動でこの領の領主、子爵が派閥の筆頭、ベリアス公爵にこの後どんな目に遭わされるのか想像もしないのだろうか。
ベリアス公爵ならば、この騒ぎを知れば間違いなく子爵家ごと切り捨てる。反対派閥への借りを作るのを極端に嫌がる男だからだ。子爵もこの騒ぎを知った時点で、顔面蒼白になり途方に暮れるのは目に見えている。
この子爵領は重税に苦しみ、各地で暴動が度々起こる財政が逼迫している領だ。しかもその原因がベリアス公爵家。全ての事業が芳しくないあの家は派閥内で立場の弱い家から金を奪い続けている。特にこの子爵領は過去、安易な計画で歓楽地として繁栄させてるため公爵に支援を頼み景気よく投資をしてもらった故に、子爵家はベリアス公爵家から決して逃れられない傀儡の家に成り果てていた。そして、足手まといと分かれば簡単に捨てられてしまうほど、衰退した領でもある。
「教えて下さいよ、なにがお金になるんですか? 【彼方からの使い】は何をお金に変えるんですか?」
ベリアス公爵が率いる強権派の男爵家と伯爵家からクノーマス家が螺鈿もどき細工の開発のために、職人を期間限定で雇い入れ開発に携わらせた話は社交界で瞬く間に話題になった。
話題になったお陰で、その二家はベリアス家からの搾取から逃れられているという。ただ、クノーマス家が支払った莫大な契約金は奪われた、と悔しげに二家の当主が親しい友人に語った話も届いているが。
その話と、そして今回のハシェッド領での穀潰しの件がこの男の耳に入っていたのだろう。
「後ろの馬車ですか? 【彼方からの使い】。会わせて下さいよ、困ってるんですよ、困ってる人を助けてくれるんでしょ、ハシェッド領で何か出来たならこの地区一つくらい簡単でしょ」
薄気味悪い、作り笑顔。ご機嫌取りのつもりだろうか?
兄上はただ黙ってそんな男を見下ろしている。
「なんの話してるの?」
「彼はなにを訴えているのかしら?」
どうしても気になったのだろう、二人は閉めた筈の窓をほんの少し開けて顔を寄せあって私に問いかけてきた。
馬の前に飛び出してきたところから男が兄に一生懸命語っていることを聞かせたら、ジュリが真顔でいい放つ。
「ああ、じゃあ、私が直接話すよ」
「は?」
男はジュリが馬車を降りてくるなり、体を勢いよく起こしたが、それを兄上が手にしていた貴族紳士の嗜み品である杖で制した。その行動と冷ややかな表情に、びくりとなった男は再びその場に膝をつく。
ジュリはそんな光景を淡々とした表情で見ているだけで、ゆっくりと近づくと、その男の前に杖越しに向かい合ってしゃがみこむ。
「事情は聞いたわ」
「あなたが! 【彼方からの使い】ですか!」
「助けないよ、あんたのことなんて」
宿は急遽変えることにした。エンザに頼み、この先にある別の地区の外れに宿があった筈だからそこを借りられるかどうか確認に先行させ、無かったとしてもその時は私の転移で最悪ジュリとルリアナを伯爵家に戻すくらいは出来るだろうとあの場は直ぐに立ち去った。
宿は幸いいくつか空いており、兄夫婦と我々、他四人分なら同じ宿でベッドが確保でき、あとは別宿に分散、今日はそこで休むことになった。
「ふ、ふはは」
宿で少し遅めの夕食を食べているとき、急に兄上が笑いだし、私たちは首を傾げる。
「爽快だったなぁ、あのジュリは」
愉快そうに、兄上はグラスのワインを一気に煽った。
「そうですか? 当たり前のこと言っただけですよ」
ジュリは何故兄上がそんなに上機嫌なのかわからない様子で首を傾げる。
―――時は少し遡る―――
「……え?」
「あのね、皆似たようなこと言ってくるんだけど、少なくともあんたみたいなやり方はしないわよ。皆、手紙で事情を説明、必ず私の予定を確認、その上でわざわざ私の予定に合わせて会いにくるの。お金に限りがあるから乗り合い馬車を乗り継いでくるから一ヶ月かかるとか、そういう人もいるの」
「いや、でもそれは、差し迫った状況じゃないんじゃ」
「私が見る限り、あんたは差し迫ってないよね? 着てる服、着けてるアクセサリー、良いものだよね?」
「あ、いえ、これは」
「商長でも地区長でも質素な服装の人がほとんど。でもさ、あんたはそんな努力や手間をかけてないでしょ? 私たちがハシェッド領から帰るのを聞いて、ここに宿を取ってると知って、それでようやく動いただけ」
「そ、それはタイミングが。チャンスが」
「私から見たらチャンスじゃないから。エンザさんの前に飛び出したのわざとでしょ? そんなことしなくていいよね、だって宿を訪ねてくればいいし。あんたは騒ぎにして私たちをここに留めさせようとしたのよ、なんとかして私を留めたかったんだよね? 明日早朝にはここを立つから」
「そ、そういうわけでは」
「え、違うの? じゃあなんで迷惑行為で私達を引き留めたの? 正直ものすごく心証悪い」
「あの、私はっ」
「ここの地区が財政難なのは私のせいじゃないよ? その責任、押し付けないでくれる?」
「そんなつもりはないんですよ、ただ私は」
「押し付けようとしてたでしょ? あんたはいい生活してるもん、身なりもそうだけど雰囲気から分かるわ。他力本願でしょ、自分を追い込みもしてないのに私に何かさせようとしたんだから。それを責任を押し付けてるって言わない?」
悔しげな、若干の苛立ちを滲ませつつも押し黙る男の顔を見れば一目瞭然だった。ジュリの言う通りなのだろう。
「聞いてるよ、この辺一帯年々税が上がってるって。辛いよね、でもそれはあんたのところの領主の責任だよね。まずあんたがすることは問うこと、領主にどうにかならないかって。あんたの立場なら最低限の問は許されるはずでしょ。それと同時に、何をすべきか考えること。少なくとも、ハシェッド領は領主が家族皆で悩んでもがいて、そして私に相談してきた。相談してもいい状況をしっかり整えて私を招いた。まあ、それもクノーマス家の協力あってのことだけど、こんなふうに不躾で不愉快な方法は取ってないよ。もし、あんたを助けるとしても、私からの返事をじっと待ち続ける人たち全員の相談に乗ってから。絶対今じゃない。あんたのために時間を取ってる暇、私ないから」
「あれは、爽快だったよ」
「あれは単にイラッとしただけですよ」
「ふふふ、でもスッキリはしたわよ?」
「ええっ? ルリアナ様もそれ言っちゃいます?」
困った顔をしたジュリを二人が軽やかな声で笑った。
「善人でも聖人でもないんですよ、私。来る人の殆どを助けられてないのがいい証拠じゃないですか。しかも私 《ハンドメイド》に関連してないと頭働きませんからね? 自分が楽する為じゃないと脳が活性化しないんですよ」
そう。
決してジュリは自分を訪ねてくる必死に生きている人間を救えてなどいない。
時々訪ねてくる切羽詰まった者たちがジュリと話し、金策に成りうるヒントを得られて帰っていった者は片手で数えられるだけだ。中には沢山の魔物素材を持ち込んだ者もいる。だが一つとして見いだされることはなかった。
出来ることが限られていると事前に強調して連絡しておいても、ジュリの目の前で落胆しジュリのせいにしようとする者までいる。
「だが、それでもジュリは救済措置を講じているだろう?」
私の問にそれほど納得していない、曖昧な頷きを返してきた。
「まぁねぇ、それくらいはしておくでしょ、理不尽に恨まれるのだけは嫌だし腹立つし。約束を守ってちゃんと礼儀正しくしてくれる人にはお土産くらいは渡すわよ」
その土産というのが、現在クノーマス領で生産拠点の拡大にも力を入れている『算盤』だ。その算盤でもジュリが価格と使いやすさに拘り珠を大きくし、十列のみの、色合いも優しいものだ。
この算盤を『完成品』と組み立て前の『部品のままのもの』二組を相談に訪れた者たちにほぼ原価で売り、さらに占有権の版権が最も低い価格に設定されていることをわざわざ教えてやるのだ。
決してタダで譲ったりしないのがポイントだ。『せっかく来て頂いたのでお安くしますよ』が、彼らの心を掴む。聡い者ならその場で組み立て前の部品と完成品を参考に、領主や店主に直ぐ様版権を取得してもらい販売して利益を得られる可能性があることを進言出来ると気づくのだ。
未だ高額な算盤が、大きさなどを変えるだけで原価を抑えられる。そしてそれが浸透すれば飛躍的に金銭管理が土地全体で高まる。商売をやっている者は例外なく、その利点に気付く。
そしてジュリに感謝して、心から感謝して帰っていく。
「あの算盤、既存の算盤があるのに用途が別に出来るからって占有権登録出来たしね。お陰で算盤御殿が建てられそう」
わざとらしく言ったジュリを私たちが笑う。
算盤がすでに登録されているので無理だろうと思っていたのだが、後日『できるんじゃないか?』となったのだ。
既存の算盤は管財人や富裕層が使っているが一般にはほぼ流通していない。しかし、ジュリの考えた算盤はプロが使いこなすことが目的ではなくその前段階、『覚える』目的で作られた。
つまり、『業務用』『教育用』と同じ算盤でも役割が分けられたのだ。勿論、素材に拘り使いやすさに拘り高級に仕上がった方も、大きく安く簡単な足し算引き算が目的の方も、どう使うのか個人の自由だ。単に売り方と素材の違いなのだが、既存の算盤を生産する工房がこれらの使い分けを歓迎したのだ。
簡単な算盤が既存の高級算盤の宣伝となり売れるからだ。
ジュリの考案した算盤が、富裕層以外にも『高いだけではなく有益である』ことを宣伝するのに一役買っている。各部位の名称の説明と、足し算引き算をジュリの算盤で実演する。『ほら、そんなに難しくないでしょ?』と、取っ付きにくさを緩和するのだ。
そしてそれを大々的に国家プロジェクトとしたのがロビエラム国。
「ハルトのそういうとこ、いやらしいわぁ」
「いやらしい言うな、けど認めざるを得ない」
「神殿、修道院、孤児院のみ無償提供。そこに学校を含めないって所がね」
「我ながら悪どいこと考えた、ははは!」
その意味、最初は分からなかった。だか説明されなるほど、とローツと二人やけに感心したものだ。
「神殿、修道院、孤児院にいる子供の場合学校に通わずそこで勉強するのがこっちの世界の常識。で、学校に通ったってだけで孤児より頭がいいって決めつけられやすい。けど、これから神殿、修道院、孤児院を出た子供は算盤が出来るようになったら?」
「学校に通ってる子供はもちろん、親も『学校では習えないの?』って思うよね。しかも神殿とかは支援ありきの場所だから算盤を無償提供されることに皆が違和感を覚えない。反面、私だったらこう思うよ? 『学校は勉強する場所なのに、算盤だけないの?』って」
「そういうこと。そういう声って広まりやすいからなぁ。領主は焦るわな、『教育を疎かにしている領主に思われるかもしれない』って。実際にそう気づいた奴は何人かいたぞ? そうなると既に社会に出て働いている大人たちも焦る。自分より計算出来るヤツが今後入ってくることになる、その前に、出来るようにならないとって」
「ほぼ原価や無償提供をするとこっちは損しかしないんだけど、教育への先行投資はお金じゃ買えない信頼っていう後からの見返りが大きいよね、うん、上手く人の心理を利用してるわ」
「富裕層の見栄を利用させていただきました!! お陰でどっちの算盤も大変売れております!! ロビエラムでの俺の発言力また上がっております!!」
「あははは! 悪どいぞハルトさんや!」
「ジュリさんや!! あんたなんて算盤御殿たちそうじゃないですか!!」
「うはははは!!」
「ああ、そんなこともあったわねぇ」
しみじみと、単なる過去の事として算盤についての私たちの語りを聞くだけだ。
ジュリにとって、算盤はその程度。
通過点。
未来ヘの布石の一つ。
重要なことではないのだ。
格安で算盤を渡す先にあるのはその者たちが商いを建て直したとき、新しいことを始めたとき、『ジュリからもらった算盤』がジュリへの恩になるということ。
それが巡り巡って、時間をかけてジュリに返ってくる。
「こっちは必死に生きてるんですよ? 私の所を訪ねて来る人たちだってそうです。でも今日の男は違います。全部他人任せ、地区長やってるのに最低限の責任すら持つ気ないですよね、あの態度。困ってるって言ってる割にはギラギラした貴金属身につけて。必死な者同士助け合いはしますけど、そこに努力もしないヘラヘラ笑って入って来るような奴に優しくする理由なんてありません」
普段は平等を理念に掲げている。それこそがジュリの究極の理想の未来だ。
けれど知っている。そんな世界は決して存在しないし、これから生まれることもないと。彼女はしっかりとそれを理解している。
だから言うのだ。
「平等を掲げてないと、ちょっとした油断でよからぬ権力に巻き込まれますからね。私はこういう人間だ! って言い張ってるお陰で後ろ楯になってくれる人たちありきの商売なんですよ、私の場合。まあ、でも、それだけじゃどうにもならないので偽善者ぶって頭フル回転させて利用出来ることは利用してるつもりです」
と。
「出来るようでできないよ、そんなこと」
兄上の言葉にジュリは肩を竦めた。
「地球の知識があるからですよ、なかったら今こんなに饒舌に自信満々で喋ったりなんかしてませんよ」
理知的、利己的、そして打算的。
酸いも甘いも、受け止める。
利用し、利用され、そして利用し返す。
全ては未来、自分が幸せであるために。それでいて、それ以上に周りを幸せにしてくれる。
面白い。
だから私はジュリでなければならないのだ。
こんなに面白く、惹き付ける女はジュリだけだ。
「なによ?」
「うん?」
「ニヤニヤしてるから」
「ジュリは面白いなぁと思って」
「別に今面白い話なんてしてないよね?」
「そんなことはない」
「グレイも大概変な価値観よね」
「……普通だと思うが」
「んなバカな。グレイが普通なら世の中の人たちは皆が聖人よ」
「……軽くディスられた気がする」
「軽くじゃないよ、おもいっきり。そして最近グレイは異世界用語に慣れすぎ」
「便利だからな」
「グレイでしょ、おばちゃんたちに異世界用語広めてるの」
「面白いくらい早く広まり定着するからな」
「言葉で遊ぶんじゃない」
こんなどうしようもない会話ですら、大切だと思えてしまう。
ジュリが相手だから。
私の感情そのもの。
守ろう。
これからも、ずっと。
この素晴らしい明るく色鮮やかな世界を見せてくれるジュリを。
「お土産は?」
「見よ! 新素材穀潰し様!!」
「うん、それは聞いた、うんざりするくらいの量もこの目で見た。他には?」
「馬車限界まで穀潰し様を積んだから他はないわ」
「せめて小さな置物とかなかったの?」
「キリアは、厳つい顔したオオカミが鳥を咥えた置物とか、上下どっちか分からない奇抜で呪われそうなお面とか欲しい?」
「……」
「……」
「うちの旦那とイルバも一緒に夕飯奢ってくれるので手を打つわ」
「奢らせて頂きます」
こういう会話も、守って行きたいものだ。
キリア、恨めしそうに私を見るんじゃない。私からも後で侯爵家のワインを差し入れするから。
ブクマ&評価、感想と誤字報告ありがとうございます。
次話、イベント単話のハロウィンスペシャルの更新となります。日付もちょうど良きタイミングだったので土曜日の通常更新とさせて頂きます。
特にこれと言って新しいことをするわけではないのですがワチャワチャした感じを楽しんでください。
ようやくコロナも落ち着いてきましたが、第六波があるとかないとか、インフルエンザが流行るとかなんとか言われていますので、全てが元通りというわけにはいかないでしょう。自粛するところは自粛する、それが当たり前になった昨今ですから、せめて小説の中ではワチャワチャを体感して頂ければなぁなんて思います。




