16 * 厄介なヤツはどこにでもいるんだね
ククマットを出発して九日。
馬車はひたすら北へと向かっていた。横長の地形をしたクノーマス領は実は王都にいくより北や南にある他領が行きやすく、派閥による摩擦も少なくて交流も盛ん。そのお陰で馬車での移動もその土地の貴族にちょっと伝えておけばすんなり通れるし安全な道を使えるとか。派閥だなんだといいつつも命が大事なのは皆同じ、その辺はお互い緩く融通を利かせ合うんだって。それくらいのことするなら派閥無くせよ、と思うけどね。
とはいえ、魔法付与された魔石で強化されているという謎の馬と馬車は速いけど、それでも整備された道だけ、速く走れるのは。だからクノーマス領を抜け、領土の狭いとある子爵領を抜けて目的の地に踏み入るまで九日も掛かってしまうわけでそれはもうこの世界の交通事情なのでイチイチ文句はいいませんよ、私も。
……グレイの転移で行けよ、と思っちゃいけないのよ? 御者さんに護衛の冒険者パーティーに、途中休む村や泊まる宿、そういうところにお金を落とすのも貴族の務めってやつですよ。
で、馬車の移動も飽きたなぁ、ってころに、ルリアナ様のご実家である伯爵領、ハシェッド領。
すぐ隣、北に接するマーベイン辺境伯爵領が領土を争い未だに不仲の国、ネルビア首長国と接する最も戦況が激しい土地ということもあって、結構物々しい感じの建物が多いのには驚いたけどそれはあえて声には出さなかった。
このハシェッド領からも志願兵は出ていて、むしろそのせいで特産の皮製品が安定した生産にたどり着かない原因で、でも、それを止める程伯爵家だって特産のためだけに私財を投資できない、っていうもどかしさがある。そのことを私がいちいち口に出すのはお門違いだからね。
しかし、確かにいい土地なんだね。
稲が実ってる。広大な、見渡す限りの土地に見事な米が。ククマット周辺にもあるけど、ククマットは野菜や麦畑半々って感じだから、ここまで見事な黄金色一色は見られない。ついでに言うとベイフェルア国でも北に位置するここはかなり寒いし、なんとうっすらと雪が積もっている所もあって、間違いなくこの土地は冬が到来してるんだけど、まだどこも稲を刈っているところがなくて、これからが刈り入れ時なんだそう。初雪が降ってから刈ると美味しい米になるんだとか。こういうのを聞いて見るとやっぱり地球、日本とは何もかも違うんだなぁ、って感じる。
にしても、これを食い荒らす魔物ですか。
それが毛玉。
名前は穀潰し。
どうやって食い荒らすのかむしろ興味あるわ。毛玉っていうくらいだから目とか口とかわからなそうだよね?
他愛もない会話からようやく領土に入った安堵からいつになく饒舌なルリアナ様と同じ馬車に乗っている私。
グレイは、エイジェリン様と朝から同じ馬車に乗ってるわよ、『穀潰し』の対策とか色々議論してるみたいね。
この辺りの米は美味しいと聞かされ、それを食べさせてくれると聞かされ浮かれる私に不意に飛び込んできた音。
カツッ!
しかもなんか、連続で。
何かが馬車の天井に当たったのよ。
「ん?」
「『穀潰し』よ」
「え?」
「馬車を走らせていると何かがぶつかる音はこの時期殆ど『穀潰し』よ」
「え?! いるんですか?!」
「見てみる?」
ルリアナ様が馬車を止める呼び鈴を鳴らすとゆっくりと馬車が止まった。
グレイたちの乗る馬車や、警護に雇った馬で並走する冒険者グループ二組、それから侍女さんたちの乗る馬車も釣られるように止まると、ルリアナ様がドアを開けた。
「まだ少ないわね、でも明日にはすごいことになるわ。ちょうどいい時期に帰って来れたわ」
そして目撃。
目の前を掠めた飛ぶ何かを。
思わず手を出してそれを鷲掴みにしてしまい、ちょうど降りてきていたグレイがそれを見てぎょっとしていたわね。
「ジュリ! お前はどうしてそうすぐ手を!!」
「ミンク」
「は?」
「ミンクファー!!!」
握ったそれは、突き上げて喜びと共に手を開いた私の手から一目散に逃げ去った。
ミンクファーです。
ミニミンクファーとか、ファーボンボン、ファーボール、色んな言い方はあるけれど。
黄金色の景色にちらほら見える、飛び交うそれは、まさしくそれ。
「あっはははははは!! うっそ!! なにこれ!!うはは!! ミンクファーだ!! いやっはははは! ふひゃひゃひゃひゃ!! ふぁー!!」
久しぶりに出た、奇っ怪な私の笑いに、護衛をしてくれている冒険者パーティー二組がドン引き。ちなみに侯爵家が懇意にしているエンザさんたちとその後輩であるセルディアさんたちで私の笑いを知ってるはずなんだけど、引いてるよ。気にしない。
あ、うん、ドン引きしたのはルリアナ様のご家族もです。
なにせ、到着した私は、小さな麻袋に捕まえられるだけ捕まえてもらった『穀潰し』を片手に馬車から降りて満面の笑み。麻袋がカサコソ動いてるからね、結構激しくね。怖いよね、そんなの待ってる女が笑ってたら。
でもね。
ここで出来る女のルリアナ様ですよ。
「この笑みは、幸福をもたらす笑みですよお父様お母様。すでにジュリには、何か思い描くものがある様子ですから」
と笑顔で私の隣で言ってくれました。
それを聞いた伯爵様たちは挨拶もまだなのにそりゃもう大喜びで。
「そうですかそうですか!! さすがはジュリ様!!」
って言われた。
初めて会うんだけどね。挨拶もしてないけどね。
いいのか、これで。
いいことにしておこう。
「初めまして、ジュリです。マナーは今勉強中でこのような不躾な挨拶で失礼します」
貴族の令嬢のような挨拶とか礼は出来ないので苦笑しつつそういうと、ルリアナ様のお兄さんである伯爵夫妻はもちろんご両親の大旦那様と大奥様も快く受け入れてくれてホッとしたわ。
グレイとの婚約の話で一通りお祝いの言葉をもらいつつ、『侯爵家に比べたら粗末よ』というルリアナ様に『嘘つき!!』といってやりたくなるような立派な屋敷に案内されて、気づいたこと。
私の作品が至るところに。
これ、嬉しいなぁ。
つい、顔が綻ぶ。
「飾ってくれてるんですね。凄くうれしいです」
そういうと、お兄さんの奥様であるメイフェ夫人が
「当然よ、この辺りではまだあなたの作品は手に入りにくいからルリアナに送ってもらうのを本当に心待ちにしているのよ?」
って。凄い笑顔で言ってくれた。そして大奥様ユリア夫人も。
「友人の子爵夫人に一番大きなハーバリウムを譲ってくれっていまでも言われるのよ? 私のお気に入りだからダメよって断るのに苦労するの」
って、こちらもお茶目な笑顔で。
いやぁ、嬉しいなぁ、ほんと。
作ってよかったなぁ、って。
この辺りでも擬似レジンや螺鈿もどき、それからククマット編みにフィン編みレースは流行の最先端として人気みたいで、その最先端にいるルリアナ様のご実家の伯爵家は今や周辺の爵位のある家の羨望の的になってるみたい。
特にコースターはね。
やっぱりグラスを置くための新しいカトラリーとしてとても話題になったとかで、こぞって周囲は真似をしてるみたい。
でもスライム様とかかじり貝様の扱いがよく分からないし、押し花とかパーツもこの辺は技術が昔のままだから、質は劣る。レースだって編み方分からないとねぇ。
結局、伯爵家のものが群を抜いて上質なものだから、今皆が私の店に行くための予定を立てたりしてるんだって。
すごいね、嬉しいわ。
そして、歓迎と長旅を癒すお茶の時間。
一通り私たちがお茶で喉を潤し会話に話が弾みそうになったその時。
ルリアナ様が、御両親と伯爵夫妻以外の人たちを下がらせるようにお願いした。何も聞かされていない私とグレイは顔を見合わせ、口をつぐみ、戸惑いつつも執事さんや侍女さんを下がらせる伯爵様や困惑を隠せない御両親を見守る。
侯爵家から連れてきた侍女さん四人が残っている。これにグレイが呟いた。
「……謝罪か?」
「え? なんで」
「格下の家の従者を下がらせた。こういう場合謝罪が多い。高位の人間が謝罪する姿を極力晒さないための配慮として社交界ではよくあることだ」
小声でそんな話をしていて、ルリアナ様が私に向かって微笑んだ。
え、なに?
「ネイリスト育成専門学校の補助員の件で大変不快な思いをさせてしまった。この場にいないクノーマス侯爵に代わり私が謝罪させて頂く。どうか私の謝罪で侯爵のものと受けとってほしい。本当に、申し訳なかった。深くお詫び申し上げる」
エイジェリン様が、ルリアナ様のお兄さん、ルドルフ様に頭を下げると、その隣でルリアナ様が、そして後ろに控える侍女さん四人も共に頭を下げた。
ガタリと派手な音を立てて御両親と伯爵夫妻が立ち上がる。
私も立ち上がろうとした。それを止めたのはグレイだった。
「ダメだ、これは兄のケジメだ」
「でも」
「頼む、口を挟まないでやってくれ。私とジュリは聞かされていなかった。つまり、そこに干渉しないで欲しいということだ。……ジュリの中ではもう済んだことでも、父と兄にとっては違う。今、当事者同士があれ以降初めて顔を合わせたんだ。今しかない」
「でも、ルリアナ様が」
「あれが侯爵家に嫁いだルリアナの覚悟の一つだと思う。共に罪を背負うというな」
頭を下げるエイジェリン様に混乱する四人はちょっと憐れなほど取り乱し、伯爵夫人なんて泣きそうな顔をしていた。それを笑顔でなだめたのはルリアナ様だった。
「謝罪が遅れ申し訳ありませんでした、お義姉様。次の補助員の受け入れまで今暫くお待ちくださいね?」
穏やかで落ち着いた、その笑顔にぴったりな声。
「お父様、お母様、エイジェリン様の謝罪、受け入れて下さいますよね。この場で受けて下さらないと私も含めてこれから毎日何度でも頭を下げなくてはなりませんから」
凛とした真っ直ぐ前を見つめる笑顔だった。
そんなルリアナ様にエイジェリン様が手を差し出すとその手をルリアナ様が握る。二人は見つめ合い、微笑み合って四人に再び向き直る。
「……分かりました。その謝罪、受け入れます」
ルドルフ様が、ぐっと息を飲み込んだあと、ちょっと辛そうに、でも笑顔でそう答えながら、エイジェリン様に手を差し伸べた。
「義兄上、もうあなたから謝罪などされたくはありません。どうか、もう二度とお止めください、そのようなことをなさるお方ではないのですから」
「肝に命じる。ありがとう」
なんか、ちょっと感動してしまった。
エイジェリン様がすっきりした顔をしていて、それをとても嬉しそうに、優しい目でルリアナ様が見つめていて。手を握り合ったまま離すことがなくて。
いつも品行方正、次期侯爵夫妻としての振る舞いを求められる二人だからこんな風に手を握るなんてしない。決まった姿勢、決まった位置で腕を組むのが貴族の夫婦。社交界ならこの手の繋ぎ方をしたらきっと『無作法だ』『子供じみている』と批判の対象に。
でもさ。こういうのを見ると、二人の間にあった隔たりが一つ消えて近づいたんだろうなと実感できる。
よかった、うん。
やっぱり二人には笑顔でいて欲しい。こんな風にね。
昼間の驚きとは真逆で。
夜は歓迎会。
いやぁ、飲んだ飲んだ(笑)!!
だって米で出来たお酒よ? わかる? 飲んだ時の衝撃! 日本酒じゃーん!!
こっちのワイン美味しいけど、日本酒! 体にしみる……。
雑味? みたいなのがちょっとあったけど、わたし好みの辛口でして。
その飲みっぷりでひくかな? と思ったら逆だった。メイフェ夫人もよく飲む方でした。はい、仲間。
定期的に送って頂く約束取り付けました、私の作品と引き換えに。
お酒の席で色々話したけれど、終始『穀潰し』の話だったのはいうまでもない。ユリア夫人とメイフェ夫人、そして後ろに控える侍女さんたちは『ネイルアート』が美しいルリアナ様の指に釘付けでその話をしたそうだったけど、ここは私とルドルフ様が中心となって話をさせてもらった。
ルドルフ様が話をしたくて仕方なさそうだったしね。
「実は殺すのは簡単なんですよ、水に数分沈めればそのまま息絶えるので。しかし、なにぶん数が多い、一度大繁殖してしまうと捕まえて水に沈めてを繰り返す手間が全然追い付かなくなるんです」
稲刈り時期は水路に水はない。『穀潰し』対策のためにと水路に水を流したこともあったけど、既に雪が降る気温、凍るよね。水使いたいのに凍ってたら意味ないわ。だから水路に頼らず『穀潰し』を捕らえて集めて近くの川まで運んで沈める……けど、その間に大繁殖を続ける。
「すごい繁殖力ですよね?」
「そう、すごいんですよ。とにかく一度繁殖が始まるとこの辺りではその時期に学校を休ませて総出で捕獲作業しなくてはならないんですから」
ルドルフ様が苦笑。
学校を休校してまで。
事前の対策とか出来ないのかな?
「その時期は必ず刈り入れに重なります、つまり対策のために人員を割くわけにはいかないんです、それに結局は『人間には害はない』となってしまい、後回しにしてしまう」
確かに、『穀潰し』と呼ばれるくらいだから凄い被害をもたらすらしい。けど、ほとんどがとても小さな『穀潰し』。直接人間の命を危険に晒すことはないんだろうね。
「しかも、一週間から十日くらいで自然と力尽きて終息するんですよ」
「え? そうなんですか?」
「はい、ただ、それにも問題が」
「終息後に問題があるんですか?」
「そこらじゅうに死骸が散乱するのよ、時には道を覆ってしまって馬車を走らせられないこともあるわ」
ルリアナ様が呆れたような声。
「毛の塊でしょう? 放っておくと魔物だから大地への還元が進んでしまってその毛が抜けやすくなって風で舞ってあらゆるものに絡み付いてしまうの。回収も広範囲だからすぐに終わるわけではないし」
うん、厄介。引くわそれ。しかもよく考えると、直接命を奪うような力はなくても、間接的に人間を殺すよね? 穀物を喰らい尽くすんだもん。
こりゃぁなかなか厄介なヤツ、と改めて思ったわ。
ルリアナの家族、ようやく出せました。




