16 * ルビン、主の表裏を語る
自警団幹部、ルビンさんが語ります。
閑話的なお話として新しい素材の前にこちらをどうぞ。いつもより文字多めです。
「全く、始末に終えぬならさっさと撤退してしまえばいいものを」
グレイセル様は今ご自身の周りに私以外いないせいか、不機嫌さを隠しもせずそう吐き捨てた。
「私は忙しい、こんな馬鹿げた戦のためになぜ私が呼び出される」
「仕方ありませんな、レンディン伯爵領が押されています。これ以上侵攻を許すわけにはいかない土地ですし」
「守るどころか管理出来ぬ土地など手放せと思うがな。レンディン領の一部はマーベイン辺境伯爵領と同じくかつてネルビアの土地だった。国土拡大のためにネルビアと闘って得た土地とは言うがその証拠となる文書一つ残っていない、そしてネルビア首長国は未だ『政治的戦争ならまだしも無慈悲な虐殺で奪われた土地』といい奪還名目での戦争を仕掛けてくる、この国の金が底を尽き身動き取れなくなるまで執拗に消耗戦を繰り返すことは分かりきっている。そのために犠牲になるのは国民だ、それがまだわからないのだから始末に負えんな」
「……正直、グレイセル様はどちらに大義名分があると思われていますか?」
「ネルビアだろう。卑怯極まりない虐殺が起こったのは史実だからな」
はっきりとした淀みない返答に私は苦笑する。
「ルビン、お前は?」
「そうですね……この場ですから言えますが国から受けた教育ならばベイフェルア、侯爵家から受けた教育ならネルビア、といったところでしょうか」
私の答えはこの方を満足させたのか、口許を綻ばせ、息を漏らすような小さな笑みを溢させた。
こうして非公式に、我々『犬』を数人だけ従えて戦場に立つのは一体何度目だろうか。
グレイセル様は王家からの秘密裏な要請の度にこの国とネルビア首長国の国境線に立つ。
数年前、王家や他貴族からの要請でクノーマス領で志願兵を集めそれを最も激しい攻防戦が幾度となく繰り返されているマーベイン辺境伯爵領へ出兵させることになった時、この方だけは最前線に立つことを許されなかった。
あの時のことは今でもはっきり覚えている。
クノーマス家への要請は国内の政治的思惑が全面に押し出されたものだった。
『国政にこれ以上食い込んで来るなら、代償を支払え』という脅迫。
グレイセル様を自分たちの盾として縛り付けたはずの王家が。この方の忠誠を踏みにじる、グレイセル様を根底から愚弄する行いだった。
「そんなに自分が正しいならさっさと先頭に立て。馬鹿が」
あの時。
クノーマス領の志願兵が先発隊の盾となるべくネルビアの屈強な騎馬兵によって瞬く間に命を奪われ踏みにじられたという報告を聞き、王家から任命され指揮を執っていた参謀長がニヤニヤと薄気味悪い笑みを浮かべて満足気にしていた。
権限を制限され、まともに戦況を把握することすら出来なかった領の長であるマーベイン辺境伯爵がその事実を知り、参謀長を無益で無意味、さらには稚拙な戦略だと責め立てた。それに対して参謀長は自分に楯突くのは王家への反逆だと言葉を荒げ、やはりニヤニヤしながら、グレイセル様にマーベイン辺境伯爵を拘束するように命令した。
しかし、グレイセル様は笑って先程の言葉を吐き捨てて。
「参謀長殿は……この戦は確実に勝てると戦況に目がくらみ、自ら最前線に立った。マーベイン辺境伯爵の作戦の大幅な変更か撤退すべきという直訴も、『殺戮の騎士』と呼ばれる私からの休戦申込みすべきという提案も無視して」
「は?」
「優秀だと名高い部下を引き連れ、無謀な突撃により、参謀長殿と部下はネルビア兵にあっけなく討ち取られた、となれば戦死扱いで処理される。家族にも戦死遺族金が支払われるな、よかったな」
「こんな時に、な、何を言っているんだ、グレイセル団長はっ?!」
「非常に残念だ、参謀長殿。もう少し賢く、目先のはした金や利権に目が眩むような狭量でなければ長生き出来ただろうに。そもそも、軍事参謀長など務まる人間ではなかった」
参謀長と彼の腰巾着数名を縛り、口に決して吐き出せぬように布を詰め込み、グレイセル様と我々『犬』は彼らを馬にくくりつけ、最前線に向けてその馬を全速力で走らせた。
「片付ける手間が省けたな」
「そうですね」
「後で遺体を確認しますか?」
同じく『犬』のバールスがそう問いかけるとグレイセル様は軽く首を横に振った。
「必要ない、ネルビアが戦利品として首を欲しがるだろうしな。……ああ、一応遺品は拾ってくるか」
「私とレイドが参りますのでグレイセル様はこちらでお待ち下さい」
「いや、私が最前線に出ればあちらは引いてくれる、戦好きに見えて無駄に兵を削ぐようなことはしないのがネルビアだ。馬の用意を」
「かしこまりました、黒炎号に乗られますか?」
「黒炎を出すと戦意があると勘違いされる。乗れればどれでもいい、他のを」
「かしこまりました」
血や臓物、糞尿の臭いが立ち込める、凄惨な光景の中を泣き叫ぶことも馬から飛び降りることも出来ず死が確定している敵地へ馬たちによって運ばれていく、みるみるうちに小さくなる王宮の人間たちをグレイセル様と我々『犬』は淡々とした口調で語りながら見送った。
その会話を聞き、マーベイン辺境伯爵やその側近はもちろん、本来であればグレイセル様に絶対服従の部下である当時の騎士団団員たちも言葉を失っていた。
「今見たこと、聞いたこと、他言無用。それが今回の戦による損害を最小限にする。ネルビアは私のやったことを真に理解するだろう、これで休戦になる、間違いなくな」
グレイセル様の仰ったように、その後ネルビア側に足を運んで僅か数分の話し合いの後ピタリとネルビアの侵攻は止まった。その代わり、参謀長たちの遺体は翌日、首のない状態でネルビアから引き渡された。
そしていま現在。
騎士団団長という名声も名誉も捨て、領に戻ったグレイセル様。
「早いものですな、あれから数年、未だこんなことを繰り返しているのですねこの国は」
「突然どうした? 老いたかルビン、そんなことを言うとはな」
「歳を取りますよ、当たり前です。私がいくつだと思ってます? 五十六ですよ、孫もいるんですよ」
「なんだ、機嫌が悪いな?」
「悪くもなりますよ、今日一歳になる孫の誕生日なんですから。数日前から盛大に祝おうと準備していたのに。それが何ですか、戦況が芳しくないからと突然呼び出すなんて。王家とレンディン伯爵の共同戦線なら小規模な争いなど本来どうとでもなるではないですか?」
「ないから私に声がかかったんだろう?」
「ふざけてませんか? 今更この程度でグレイセル様を呼ぶなんて」
「極めて真面目に呼び出されたな」
冷めたものだ。
この方はいつもだ。
我々を戦地に運ぶために転移が出来る魔導師を何人も使い、たった数時間、数人の増援のために頭を垂れる王宮からの使いは、この方を見ると竦み上がる。感情のない、冷めた目付きで見下ろされているだけで、言葉を発することも出来なくなる者は少なくない。この人の底知れぬ、読めぬ何かに怯えるため、来る使者は毎回違う。
そうしてここへ我々を運ぶ役割を与えられた魔導師たちは、社交辞令一つなく怯えながら直ぐ様距離を取る。
敵わないと知っているからだ。
そして心の底では、この方と我々が戦死してくれることを望んでいるのだ。
「その辺りはまぁ、どうでもいいな。それより今回は何か入っていたか?」
「ああ、その事ですが確認したところ催淫剤が茶の中に含まれていたそうです」
「……ん? 毒ではなく?」
「はい」
「……意味がわからないが?」
「グレイセル様を毒殺出来ぬと分かったから計画変更、といったところでは? グレイセル様をたらしこめたらそれはそれで利がありますからね」
「毒が効かないなら、催淫剤も効かないと思わないか?」
「普通は思いますね」
「ああ、それで場違いな格好をした女が伯爵の後ろにいたのか」
「はい」
「なるほど、やはり馬鹿が揃っているのか」
「はい」
「……マーベイン辺境伯爵以外の国境貴族は皆馬鹿なのか、王家の傀儡なのか、判断しかねるが……ここの伯爵は飛び抜けて馬鹿なんだな」
「はい」
「馬鹿の尻拭い、か。つまらぬ任務だ」
心底つまらなそうに、グレイセル様はため息をつく。
この後、戦況が芳しくなく、手詰まりになった領主はグレイセル様に媚びへつらった。
君がいれば勝ち戦は間違いないとか、色々、とにかく色々。
「私にそんなことを言っている時間があるのなら、負傷した自領の兵を労ったり国から派遣されている騎士団と今後の処理について話し合うなり我々の後ろでどう動くのか作戦を立てるなりしたらどうです? 今回もずいぶん志願兵が亡くなってますね、志願兵は後方支援に多く振り分けるといいですよ、騎士団が来ているならなおさらね。足手まといです、愚策で騎士団に被害を出したら王家から責められることをお忘れなく。その責任は私が負うことはありません、あくまであなたからの要請で臨時で呼ばれただけですし、すでに私は軍人ではないですから。それも知らずに呼んだわけではないでしょうね?」
グレイセル様の言葉に青ざめ震えるレンディン伯爵は、ひきつり笑顔でなんとか謝罪して、貴殿はどうするのか、とようやく本題に触れた。
「今から交渉してきます」
「こ、交渉?!」
「戦況が芳しくありません、このまま続ければ」
「貴殿がいるなら」
「話を聞いてもらいたい」
「うっ」
「今回あちらで出兵してきているのは騎馬に定評のある軍です。率いる将軍は非常に狡猾です、こちらを消耗させ、隙をみて一気にこの本陣を落としに来ますよ。あなたは騎士団と共にここで待機、くれぐれも欲を出して私の後を付けてくるなんてことはしないように。私はあなたの護衛を任命されていませんので一切責任を負いません」
グレイセル様は抑揚のない声でそこまで言うと今度は少し離れたところから様子を伺っていた今回派遣されている騎士団団長のイルサム殿に視線を向けると、彼は目を細めてグレイセル様と視線を合わせる。
「私に命令されるのは嫌だろうが、本陣の守りを頼んで構わないか?」
「はいはい、おおせのままに。ただ、報告をしなくてはならないのでこちらの間者を一人か二人同行させても?」
「邪魔さえしなければ好きにしろ」
「本当に交渉だけですか?」
「そのつもりだ」
「万が一、決裂した場合は?」
「すべて片付ける。他にあるか?」
「……いえ、ないでしょうね」
微妙な空気が流れた時、馬が用意できたとの知らせが入り、グレイセル様は側の椅子にかけていたマントを手に歩き出す。
結論から言えば、交渉はあっけないものだった。
相手はネルビアはもちろん各国がその手腕に唸るほどの傑物。そしてなにより自国の民の命を無駄にしたくないと自ら先頭に立ち、盾になるという男だ。
「その様子だと、交渉といったところか。貴殿が出て来たならばここは、互いに引くべき、と捉えていいのだろうな?」
「私としてはそのように望みます。今回この地の領主の愚策により志願兵が前線に極めて多く、死者が増えるばかり。このような戦は私は好みません、出来ればあなたのような方を相手にするだけの戦場であれば勇み参戦致しますが」
「はははっ! 冗談を! 今回は主からも貴殿の姿を見たならば撤退して構わぬと指示を受けているほどだ。となれば答えは一つ、今回は引き下がるのが得策よ」
「ご配慮痛み入ります。ただ、この領の領主には私を呼び出す権力も財力もすでにあまりありません、次はこうして私が出てくるとも限りませんので、その際はどうぞご自由に」
「自国が荒らされようと、貴殿は変わらぬな」
その男は何故かこの場に不釣り合いな軽やかな声だ。
「己の役目を全うするだけです。それ以上も以下もありません、正しく役目を全うするということがいかに大変なことか、そして不要な欲や善意がいかに周囲を乱すのか、そういったことが分からぬ者が多い世です。ですからせめて、私のような異端な存在がそれを守らなければ、誰も見向きもせず疑問にも思わない。私は、ただただ、今の生き方を貫くだけです」
「貴殿がそうだからこそ、この国の貴族が生き長らえていることを知らぬ者が多いことに、私は些か不快な想いが募る。この国は、相変わらずだな。……いつか、貴殿とは酒を酌み交わしたいものだ」
「あなたの主から正式にお許し頂き我々の行く末に陰りが差さぬのであれば」
「たしかに! それを密かに願おうではないか、グレイセル・クノーマス」
「私も少しは願っておきましょう」
「少しか! 若造がよく言う!!」
実に愉快そうに男は笑った。
「では、ビルダ将軍」
「ん? なんだ?」
「その若造から一つ図々しいお願いが」
「……聞こうか」
「この領とは無関係のことです。……マーベイン辺境伯爵は、戦を望んでいません。可能な限り、血を流さぬ解決策を模索しておられる。停戦のため、領の一部を売却し、得た資金でネルビアとの山越えの道の整備を行い、外交特区の資格を取得、不作の続くそちらの土地へ物資支援を申し出て停戦に持ち込みたいとお考えです」
「!! それは、事実か?」
ビルダ将軍と呼ばれた男は、その剛毅な姿には些か不釣り合いな驚いた顔をした。
「はい、お望みであれば正式な文書を後日私が自らビルダ将軍にお届け致します。それをマーベイン領と長らく争う地の首長殿、そして国主であらせられるレッツィ大首長に直接お渡し願いたい。現在マーベイン辺境伯爵は表立って動けぬ状況にあります、そのため私が以前から仲介を承っていた次第です。そして本日王家からの依頼でこの地に……。これを好機と私は捉え、ビルダ将軍へこの話しをさせて頂きました」
「……いいだろう、そのように取り計らう。あそこの首長とは馴染みだ」
「ありがとうございます」
グレイセル様は深々と頭を下げ、それに習い我々『犬』も頭を下げる。
「今回のこちらの目的は達成した。あちらもこれ以上侵攻してこないだろう、しばらくはこの地も静かになる」
「レンディン伯爵は大人しく引き下がりますか?」
「そんなこと知るか。交渉で穏便に済ませたこちらの策を無駄にするかどうかはあの愚図次第。余計なことをして惨敗し国境ギリギリにネルビアに砦の建築を許す羽目になっても私の責任ではないし興味もない。……それより、騎士団の間者はどうした?」
「少し眠って頂いています」
「別に辺境伯爵のことは聞かれても問題ないし、何よりあのビルダ将軍は交渉しだいで一時的とは言え休戦可能な事を把握させてもよかったが?」
「それを国が自力で探れなければ騎士団も間者も何のために我々の税金でご飯を食べているのですか? 私はそこまで優しくはありませんよ」
「はあ、なるほど」
気の抜けるグレイセル様の相づちに、我々は笑って返す。
そうして、我々の国からの要請によるレンディン伯爵領での任務を終えた。
翌日、レンディン伯爵は交渉によってネルビアの侵攻が止まったことをチャンスと捉え、難色を示すイルサム騎士団団長を言いくるめ、騎士団と自領の兵の合同作戦として国境付近で撤退準備を行っていたネルビア軍に奇襲をかける。
しかし、交渉による休戦を無視したとしてビルダ将軍は休戦合意の破棄を大義名分に、温存していた軍でもって奇襲隊を直ぐ様包囲、徹底的に潰しにかかった。投降が一切認められず、レンディン伯爵の奇襲隊が全滅、そして騎士団団員二人の死亡という貴重な戦力を失う痛手を被った。
これによりレンディン伯爵は完全撤退を余儀なくされ、監視の目も弱まった国境線ギリギリに、ネルビアの国境砦の礎が出来、資材が運び込まれ、強固な要塞建設が始まることになる。
監視する人員の確保すら困難になっていたレンディン伯爵は、自警団の建て直しと資金調達のためにすぐさま領民に重税を課す。
反面、屋敷で夜会を開くなど、相変わらずの贅沢三昧なその様相に、不満を募らせた者は少なくない。誰が言い出したのか、主導したのか。ある日の夜会で、訪れる招待客の馬車に動物の死体が投げつけられたり糞尿が撒かれたり、もっと悪質なものだと、御者がいるにも関わらずそこに火を放つという事件が次々起こり、レンディン伯爵はその対応に振り回され夜会は散々な結果となったそうだ。
こちらの調べでは、重税に不満を募らせた領民が集団で計画的に行ったことだと判明したが、それをわざわざ教えてやる理由も義理もないのでその報告書はその場でグレイセル様が暖炉に放り投げ、瞬く間に燃え盛り灰となっていた。
「あそこは、後継者が少しはまともに育っていると聞いているが」
「ええ、私の調べてもそのように」
「ふぅん……なら、なんとか生き残りそうか」
「おそらくは」
「大変だな、父親の負の財産がどれだけ膨れ上がった状態で継ぐことになるかわからないが……後始末に一生を縛られる、か。憐れだな」
感情の欠片もない、おそらく一般論や蓄積した知識から導きだしたグレイセル様の言葉。
「ネルビア、か」
そして、表情が変わる。思慮深げに伏し目がちにグレイセル様は窓の外を見つめた。
「ジュリの後ろ楯としてはこれ以上ない政の抑止力となる国だが、この国といがみ合う間はどうにもならんな……。マーベイン辺境伯爵の停戦を望む姿勢が転機となってくれればいいが」
自警団のトップから降りてジュリさんの右腕として活躍しているが、この方が暗躍する日々はまだまだ続きそうである。
なんか、こういうの書くとややこしくなるかもと思われるでしょうが、そんなにややこしくはしませんのでご安心ください。そもそもあんまりややこしくしてしまうと作者が、辛いです。




