16 * 令嬢、大丈夫ですか?
工房で作業していたら。
「ジュリ」
グレイが小さな声で私を呼ぶ。店とは反対、二階に昇る階段がある方へ手招きされてそこに行くと耳打ちされた。
「公爵家の令嬢が来ている」
はて?
公爵家ってどっち?
この国の公爵家は二つ
一つは、私を放り出した家です。一つは最近良いお付き合いさせて頂いてますね。
「ベリアス公爵家の令嬢だ」
あ、放り出した家のね。
「そのご令嬢がなに?」
「ジュリを出せと言っている」
「え」
「雰囲気が、あまりよろしくない」
会いたくないね! それ!!
「なにそれ、どういうこと?」
グレイが困った顔をしている。
「なんというか、ある意味公爵令嬢らしいといえばらしいんだが。『顔を見てやる』と」
……。
なぜにそんなに上から目線。公爵令嬢ってそういものなの? まあ、別に上から目線でも構わない人なんだろうけど。
あれ、でもおかしいな?
この前、額縁の完成を待ってお披露目会兼結婚記念日祝いのパーティーへの招待状を候爵家が慣例に則って知人友人の他、社交界で無視できない家々に送ったら、もちろんその中に関わりたくないけどベリアス家の名前もあり、そしてあっちも完全に社交辞令だろうけど出席すると返事が来たらしい。てことは、父親の公爵はクノーマス家の顔を立てることにしたわけで、少なくともパーティーが終わるまでは問題を起こさないだろうとグレイから聞いてるんだけど、そういうのは娘である令嬢は知らないの? それともその話は別って言いたいの?
うーん? なんだろう、噛み合ってない気がする。
「会っても、いいけど……気のせいかな、【選択の自由】が発動しそうな気がする」
グレイが遠い目をした。だよね、グレイもそう思ったよね。
グレイが同席すれば、【スキル:強制調停】の発動が可能だけど相手は女でしょ? グレイが口出しはすべきじゃないよねぇ。一応相手はグレイよりも格上の公爵家の娘なわけで、下手に関わると面倒そうよ。
「あなたが、【彼方からの使い】?」
「はい、ジュリです。ようこそ《ハンドメイド・ジュリ》へ」
「ふーん、それで?」
「はい?」
それで? と問われるほど会話してないよ。
「この店の物はいくらだせば買い占め出来るの?」
あ、これ……。父親の出席の話を知らないし、情報収集せず勢いで来てるわね。
そして店の外で出してる看板見てないし注意事項も自警団の人から聞いてないっぽい。
既視感半端ないわね。
こういうやり取りは危険でしょ。
発動するから、【選択の自由】が。
王家の【隠密】相手に簡単に発動したんだよ? 最近は他所の国の王家に嫁ぐことになったラステアさんって人にも発動しかけた。それくらい簡単にセラスーン様は気に入らない人に発動しちゃうんだから……。
グレイには後ろに控えて貰ってる。一応ね、【選択の自由】が発動するよりは【調停者】のグレイが動いたほうがいいだろうから。でも私に会いに来たのに出ないわけにはいかないし。
「買い占めは禁止していますが」
「私がすると言ったらするよの、馬車を待たせてるからそれに積んでちょうだい」
「出来ません」
「しなさいよ」
……あれ?
この状況で、グレイが妙に落ち着いてる?
【選択の自由】の発動兆候なし?
てことは?
つまり?
「当店はお一人様五点までとさせて頂いてます、それが守れませんでしたらお帰りになってください」
「わ、私を誰だと思ってるの?!」
「公爵令嬢ですよね?」
「そうよ! 私はね!! ベリアス公爵令嬢よ! クノーマス侯爵領で店を開いているだけの女にそんな軽口叩かれる身分ではなくてよ!!」
あー……。うん。
大変申し訳ないけど。
小者感が。
もう一家ある公爵家のご令嬢、アストハルア家セレーナ嬢はもっと年下。十二歳って言ってたかな? そっちのほうが貫禄あるし、聡いわね。私に会うなり親から聞かされていたのか物凄く丁寧な物腰で接してきてたし、お店の約束も守っていつも五個だけ買って帰る。当初わざわざ並んで買ってたのには驚かされたけど、『こういう経験も人生の糧になりますから。楽しんでいますのでご心配には及びません』って大人顔負けのこと言ってたわよ。まあいわゆる常連さんになってくれたご令嬢の一人で、 品行方正、淑女、そして絶対将来大物、王太子に嫁いでも問題ない絶対的な存在感。ぶっちゃけ『この子に媚び売っておくのアリだな!』と思ったからね (笑)。
しかし。
こちらの令嬢はねぇ。
なんだろう、確かに雰囲気から地位の高い家のお嬢さんってことは分かるんだけど。なんだろう……最初の印象が悪いせいかな? こう、品位に欠けるしあまり聡いようにも見えなくて。綺麗な子なだけに残念な感じが半端ない。
そして。
最近感覚が優れてきたのかセラスーン様が干渉してくるときの前兆を私もなんとなく察知できるようになったんだけど、今全然その前兆すらないです、はい。
「ほら、早くなさい!」
あ、うん、ちょっと黙ってて欲しいな。あるのかどうかもわからない第六感をなんとか呼び起こそうとしてるから。
セラスーンさまー。聞こえますかー?
……。
反応なし!! そしてそのグレイの顔は何、微笑を浮かべて、公爵令嬢を温かい眼差しで見てるんだけど。
うーん、こんなことで呼ばないでってこと? そして【選択の自由】も発動しないってことよね? これって。
その必要がないくらい影響がないってことだ。そしてグレイのその顔は『子犬が鳴いてるなぁ』的なヤツだね、理解した。
どのみち、他のお客さんが不躾なくらい迷惑そうな顔して令嬢を見てる。ドレスヒラヒラしてて邪魔だからね。しかも文句付けるなら出てけってことよね。
これは帰っていただきましょう。
「何を黙っているの?! 今更公爵家の名前に驚いたところで遅いわよ、あなたのその態度は」
「お帰りになってください」
「は?」
「そういうお話しをされたければ、改めて公爵様とおいでください、いくらでもお話しを伺います。しかしここは店です、ほかのお客様もいます。そういう話をする場ではないと思われますが?」
「なんですって?」
「令嬢ならば、令嬢らしくなさってください。他の私の知るご令嬢は皆様非常に礼儀正しく優雅です、あなたのような態度の方はいませんよ」
「私に向かってそんな口を聞いていいと思ってるの?!」
グレイが後ろから出てくる気配。私は、それを手で制す。
「グレイ、大丈夫だから」
「しかし」
「侯爵家の次男がでしゃばる場面ではなくてよ」
その令嬢が蔑むような目でグレイを眺める。
「躾がなってないわよ、野蛮な女ね」
「私のことですか?」
「他に誰がいるの?」
「そうですか。ではやはりお帰りになってください」
「え?」
「野蛮な人間から物など買いたくもないでしょう。そのように卑下する相手の店の物など買い占めても無意味ですよね? 公爵令嬢ならばいくらでもそれに相応しい店があるでしょうからそちらでお買い求め下さい」
「わ、私が買うと言ったら買うのよあなたに口出しされるようなことではないわ」
「いえ、結構です。お帰りになってください。野蛮と蔑む方に買って欲しいと懇願するほど店は困ってもいませんし、私にもプライドがあります。丹精込めて物を生み出しているつもりです、私そのものが気に入らない、お店の方針が気に入らない、そうおっしゃるのであれば、御縁はそれまでということにさせていただきたいんです」
「なっ……」
グレイの妹、シャーメイン様と同じくらいの年齢。女子高生くらいよね。そんな若い子に厳しいこと言うのも気が引けるけど、少なくとも私が聞く限り、こちらの世界の令嬢はこういった礼儀に関しては厳しく躾られると聞いている。そうしないと嫁の貰い手が少ないんだそう。社交場でどんなに持て囃されても、ダメなものはダメ、妻には向かない、嫁にはほしくないってレッテルを貼られるのは本人どころか家の格まで下げることになりかねないからって。だから上学所(高校のようなもの)や王都にあるいくつかの相応の学校でも女性は淑女としての振る舞いを学ぶ時間が設けられているわけで。
目の前の彼女の態度から、正直それを感じない。きっと、淑女としての教育は受けてるんだろうとは思うけど、姿勢がいただけない。庶民と貴族に線引きをしているし、少なくともグレイはこの女の子にタメ口を叩かれるような立場ではないと思う。まず、父親の公爵が公の場で侯爵家の人たちにこんな態度をとるとは聞いたことはないし、この世界に召喚され面会したときだって父親はちゃんと礼儀をわきまえていた記憶がある。それがたとえ表面だけだとしても、ルールとマナーは守っていた。
しかもグレイが叙爵の手続きに入ったことは公にされた。今はまだ『侯爵家の次男』でも数ヶ月後には彼は彼女も頭を下げる相手『伯爵』になる。男だろうと女だろうと爵位があるかないか、それは隔絶した差があるのが貴族の社会。
つまり、この子は勝手にここに来て、私のことをよく調べず、グレイのことも知らずこの態度を取っていることになるのよね。
さらに問題なのは、彼女はベリアス公爵家の令嬢ってこと。
今まで名だたる名家の令嬢たちのほとんどは自分たちと私との距離をしっかり把握して接触してきた。それはクノーマス家とは派閥の違う家の令嬢も例外ではない。敵情視察を兼ねての社交辞令は、少なくとも決して悪い印象を与えないようにという配慮がそこかしこにあるものばかりだった。ま、例外もいたけどそれでも間違いなく私の背後に見え隠れする【彼方からの使い】たちの存在や他国との関係をしっかり習って来ている現れで、クノーマス家の立ち位置とは別に見なくてはならないということを徹底して教え込まれているものだった。それはアストハルア公爵の令嬢の態度からもはっきりしている。彼女程の家柄ならば私に敬語を使う必要なんてない。それでも私を敬うその言動は私の背後関係を知れる範囲で熟知しているから。
目の前の令嬢からはそれが全く見受けられない。ベリアス家の令嬢という立場が全てだと『勘違い』しているし、このククマットが私を含めてベイフェルア貴族にとって非常に微妙で厄介な位置付けということを知らない。これは令嬢として致命傷だと思う。
「申し訳なく思いますがこのままお帰りになってください」
「失礼な!!」
「お嬢様……」
後ろに控えていた侍女さんが、たまらず令嬢に声をかける。
「お帰りください」
「あなたね!!」
「父親の公爵様にこの件、お話しください」
「いいのね?! お父様に言いつけるわよ!」
「はい」
「っ! その態度」
令嬢がその後何をいいかけたのか、私にはわからない。確かなのは、店内にいたお客さんの一人が私の前にスッと割って入ってきたことだ。
「な、なにあなたは!!」
「差し出がましいとは思いましたが、申し上げなければならないことがありまして」
その人は、初めて来店する人だ。グレイに視線を移すとグレイも知らない、そんな表情が見て取れた。でも、公爵令嬢に対して割って入るくらいだからそれなりの地位にいそうな気がする。でも、グレイは王族の護衛をした経験もあるし、貴族として主だった大規模な国王主催の夜会などにも呼ばれた経験がある。だから大抵のお偉いさんやその側近、そして執事や侍女を知っている。なのに知らないってどういうこと?
「この方にそのような態度は今後のあなたのお立場を考えますとあまりよろしくありませんね。《ハンドメイド・ジュリ》はこの国だけではなく、今や大陸中の名だたる方々が興味をお持ちです。この方に自国の埋もれた素材を世に送り出してもらえたらと望む国は多いのです。それを、ベリアス公爵家のご令嬢がご存知ないというのはいささか信じられませんし残念に思います」
人の良さげなおじさんかと思いきや。
「本当に、残念なことです」
念を押すその言い方が妙に怖い。
ここにもいた。
笑顔が怖い人が。
明らかにタダ者じゃない人が。
あんた、誰よ。
そしてこの状況、どうにかなるの?




