15 * グレイセル、誓う。
ブクマ&評価、感想と誤字報告ありがとうございます。
ちょうど昨日梅雨明けしましたね、なのでここで暑中見舞い申し上げます。
これから暑さ厳しい夏本番、コロナの影響もまだまだありますので、エアコンの効いた室内でのんびりゆったり快適にこちらの作品を読んでお過ごしください(笑)。
いてもたってもいられない。
そんな気分だ。
こんな子供のように抑制の効かないどうしようもない感情に駆り立てられることは久しい。
あの時以来だ。
ジュリが店を立ち上げて間もなく忙しくて限界になって不意に涙をこぼしたとき。
あの時もいてもたってもいられなくなって、気づけば強引に彼女を自分のものにした。
この人を守ろう。
この手で守ろう。
好きだから。
愛しているから。
溢れる思いを必死で抑えて、冷静に話し合って、彼女を手に入れた。
あの日を思い出す。
あの額縁は末永くクノーマス侯爵家の象徴として飾られるだろう。今この時、あの額縁に並ぶものはないと確信がある。金額だけならはるか上をいくものがあるだろう、貴重な素材だけを使ったものと比べれば希少性は低いだろう。
しかし。
あれは、そのどちらにも当てはまらないにも関わらず、唯一無二なのだ。
いずれその意味が世に知られる時。
真の価値を知らしめるだろう。
クノーマス家はそれをこれから守っていく。受け継いでいく。
父と母は【彼方からの使い】を丁重にもてなし、親交を深め、そして家を繁栄させたとして長く子孫に語り継がれるだろう。
兄夫婦はそれを引き継ぎ、繁栄するこの領地を正しく導き、領民を守り、そして【彼方からの使い】と共にあらゆる分野で成功を重ねていくだろう。
自分は? その中に、含まれるのか?
そんなことはどうでもよかった。
そう、どうでもいい。
私にとってあの額縁そのものではなく、完成に導いたジュリにこそ、意味があるのだから。
そして私は、込み上げて抑えの効かない溢れんばかりの想いを、ただ、この気持ちを【彼方からの使い】ではなく、ジュリに伝えたかった。
共に生涯を歩みたい。
私に、家族に、これほどまでの幸福を与えてくれるジュリに、愛され愛する男としてこれからも共にありたい、と。
けれど。
ジュリの望む未来に結婚の文字はない。いや、正確にはそこに重きを置いていないといった感じだろうか。
冷静な部分の自分がそれを囁いた気がする。だから不安が過る。
この想いを伝えたら、私から離れてしまうのではと。
握り合ってきた手が、抱き合ってきた体が、二度と触れることがなくなるのではと。
(……愚問だ、そして恐れるな)
自分を叱咤した。
どうせ気持ちを抑えるなどできない。そんなことをしたら抑えが効かずむしろジュリを傷つけてしまう。
そんなことになったら、自分が許せない。
だから伝えたい。
私が傷つくことは些末なことだから。
この想いを、いつ、どう伝えよう。
工房に明かりがついている。
いつものこと。
閉店後、皆が帰宅した後も、いつもジュリは工房で何かを作ったり、考えたりしている。私がやって来たのを確認し、さりげなくジュリの護衛の任に就いていた自警団の幹部の一人レイドが黙礼し姿を消した。
彼女はなんでも全力で楽しみたい性格でそういう所も好きだ。けれどそれよりもハンドメイドにのめり込むその姿は、私の最も愛する姿かもしれない。あの手が生み出すものは、いつでも私に新しい発見をくれる。笑って、『どう?』と問われるあの瞬間に立ち会えることに、幸せを感じている。
「ジュリ」
「グレイ、早いね? もう少し遅くなると思ってたのに」
私が来て驚いて、でも嬉しそうに笑ってくれる。
「新しい物を思い付いたか?」
「うん、みて」
そういって、彼女はデザインを書き込んでいたらしい紙を私に渡してくれる。さっきとは裏腹の真剣な落ち着いた表情で細かく説明をしてくれる。この私に対し、些細なことでも仕事は仕事だからと決して妥協しない姿勢、そしてなんでも相談してくれる所も私は好きだ。
自分のすることに責任をもち、そして誇りをもっているジュリのちょっと頑固で融通が利かなくなる性格が、好きだ。
この心地よい時間が、今日は少しだけもどかしい。
早く、伝えたい。
「ジュリは、プロポーズをされるなら下手に演出されるのは好きではないと思うがどうだろう?」
「は?」
ちょっと間抜けな顔。これが可愛い。いつもキリッと仕事に打ち込んで喜怒哀楽激しく仕事を存分に満喫する時はなかなか見られない。
私の突然の問いに、頭が仕事で一杯だった彼女はどうやらついてこれないらしい。
「たがらこういう場で、日常のありふれた場面で、プロポーズされたなら喜んでくれるのではと思う。正に今」
「え? グレイ、なに?」
「プロポーズをしに来た」
ベッドの中で、濃密に愛し合う時だって、彼女はここまで恥じらったりしない。むしろ共に楽しんで乱れて、そして満足げな笑みを溢して私と余韻に浸る。
そんな彼女が。
赤面している。
困惑なのか、照れているのかよく分からない顔をして、耳まで真っ赤にしている。
「あの、え、急に、その」
しどろもどろとなる彼女もなかなかに珍しい。
「どうしたの?」
その問いにどう答えていいのか、私がよく分からない。
だから、思い付くままに。
「ここ最近の私はずっと悩んでいた。……改めて、ジュリの凄さに私は驚いて、そんなジュリの隣にいられる幸運に感謝した。あの額縁を見て、確かに私は、そんな風に感じたんだ。反面、別の感情にも揺さぶられた。……これからもたくさんの人を幸せにするんだろう、その手で、想像を遥かに越える人々を。ジュリは私の手など必要とせずにそれを成し遂げてしまう、私がいなくても、ジュリはこれからも自分で自分の道を開拓し歩くだろう。私は、必要ない」
「えっ?」
私はジュリの手を握る。
「だが。私は、この手を離せない。今さら、離せない。この手に必要とされなくても、私は、離せない。神にすら嫉妬しそうになるんだ。私には触れることが出来ない不可触なジュリと神のつながりにすら私は、嫉妬している。私はジュリを……この世界で、この私が、世界一幸せにしたい。共に歩んで共に幸せになりたい」
数秒の、沈黙。
そして。
ああ、泣かせてしまった。
わかっている。
その表情から、もう読み取れるようになった。
その涙の意味を。
わかっている。
だから。
強く、強く、抱き合った。
子供のように、顔を歪ませて泣く彼女が伸ばしたその細い腕は、私の首に絡み付く。
これ以上強く抱き締めたら骨を折ってしまいそうだと何度もベッドの中で思ってきた。
感情任せの、そんな私の腕の力を、いつも受け止めて。そして彼女は私を包むように、甘やかすように抱き締める。
今この瞬間も受け止めて。私を抱き締める。
でも、今日は彼女のしがみつくその腕がいつもより強く感じる。
震える息が、耳にかかって心地よい。
「いいの?」
「ああ」
「本当に私を選ぶの?」
「ああ」
「きっと、泣いたり、困らせるよ? きっとね、嫌な思い、させちゃうよ」
「わかっている。それも全部含めてジュリだと思っている。そんなジュリを愛したのは私だ」
堰を切ったように泣き出した彼女。
彼女が、私にギリギリのところで踏み込めなかったその理由は今でもはっきりしない。
元の世界が関わっている。それだけはわかっている。
わかっていて、好きなのだ。
生きることに必死で、幸せになろうと必死で、そしてなによりこの世界に馴染もうと必死で模索するのを私は、私なりに支えてきたつもりだ。
それでも『一人』立ち止まることをひどく恐れている彼女を、どうしたらいいのか、私はどうしてやることも出来ず悩んできた。
その恐れを私なら共に背負うのに、と。その言葉をジュリはどこか避けているような雰囲気があって、私は未だに言えずにいる。臆病で卑怯だ、向き合うべきことから逃げているのだから。いつか、このことが私を、ジュリを苦しめるだろう。
だからせめて、共に幸せを。
幸せを共に分かち合いたい。
時の流れと共に、いつかジュリが私にその恐れを背負わせてくれる日が来るだろう。
そんな私の気持ちが抑えられないところまで来ていた時に。
あの額縁。
もはや彼女は【こちらの人間】だと思った。
私たち家族にとって、かけがえのない存在となりこの領地に必要不可欠な人間となり、それが当たり前の存在となっていると思い知らされた。
恐れ、悩みがあっていいじゃないか。
【彼方からの使い】なのだから。
元は別の世界の人間だったのだ、そういったものがないことこそ不自然なはずだ。
ならばいっそ。
彼女はそのままでいい。
そのままを私が愛しているのだから。
居場所はここだ。元の世界じゃない。
私の隣は、ジュリのためにある。
何を抱えていてもいい。
隣にいてくれ。
そして私も隣がいい。
隣に、いさせてくれ。
「だから、結婚してくれ。私の全てを捧げるから、一生に一度の愛を全部、贈るから。全ての神に、この世の全てに、私は、ジュリに愛を捧げると誓う」
ただ、一言。
「うん」
はにかんだ、涙がこぼれるその顔は美しくて、世界が色褪せて見えるほど美しくて、私は、やはり離れることはできないと悟った。
ああ、手離せない、絶対に。
「一緒にいよう」
「ずっと?」
「ああ」
「……私、グレイを幸せにするからね。老後は心配しないで」
「頼もしいというかなんというか」
ふっ、と二人で笑い声を漏らす。
「ワガママ、言っていい?」
「あぁ」
「私の生まれた日本は、一夫一妻だった」
「わかっている。妻はジュリだけだ。他はいらない」
「ホントに?」
「マイケルに魔法誓約書を作って貰おう、そこにサインする」
「そこまでしなくていいわよ、それとね。グレイは伯爵になるでしょ? ……少し、結婚まで待って欲しい、せめて、出来ることを覚えてからじゃないと、恥かかせるし」
「そんなこと、気にしなくて良い」
「気にするわよ、出来ることは限られてるけど、それでも、ちゃんとしたいから。グレイが私のために沢山してくれるように」
「そうか……でも、ジュリはジュリのままでいてくれ。本当に出来ることでいい。避けられない大事な夜会などの出席以外は、どうせ今までのように私も出ないしな。その代わり、パートナーとしてエスコートさせてくれ、ジュリをエスコートするのが夢だった」
「そう? じゃあ頑張ってみるわ。エスコートは私だけね?」
「ああ、ジュリだけだ」
互いに耳にかかる息がくすぐったくて、僅かに首を動かす。
「……あれ?」
「うん?」
「てゆーことは? 私って伯爵夫人?」
「ん? そうだな?」
「……間違いなく社交界で最も粗暴な夫人だわ」
「別に私はそれでいいんだが」
「あ、否定しないんだ」
「私が『殺戮の騎士』と呼ばれるんだぞ? もっと凶悪でも構わない。むしろ凶悪な二つ名があれば男を牽制できる」
「世界最弱の私には無理だから」
また、笑う。
抱き合ったまま。
「幸せにするから」
「私も幸せにするからね、グレイ、愛してる」
『あなたに、【称号】を与えます』
突然の声だった。
ジュリも幸せな触れあう時間が突如終わるその声に目を見開いた。
『グレイセル・クノーマス。あなたに【称号】を』
いつもの、声ではない。ジュリを守護する、我クノーマス家が崇めるセラスーン様ではない?!
これは。
「だれ?」
問いかけたのはジュリだった。しかし。
『たった今、グレイセルの中に【核】の受け入れが可能な『空間』が生まれました』
なんだ、なんの話をしている?
そう思うのはジュリも一緒らしい。訳がわからないといいたげな目を私に向けてきた。
『本来、【核】は【彼方からの使い】ジュリが持つものですが、ジュリにはそれを受け入れる空間が生まれないままにこの世界へ召喚されました。そのため、ジュリに使うべき【核】はそのままに残っていたのです』
衝撃の事実。
いや、その前に。
神よ、せめてこの幸せな余韻がおさまるまで待っては貰えなかったのだろうか。
『我は【滅の神】』
え?
『サフォーニ。そちらでは【破滅の神】とも呼ばれています』
その名を聞いて私たちは顔を見合わせた。
「最上位四大神の一柱?!」
ジュリが叫んだ。
唯一無二の至高神、【全の神:ライブライト】。その御柱を除き人間が崇拝、信仰することを許された神々の中で最も崇高な存在である四大神の登場に、幸せで甘ったるい余韻は綺麗さっぱり吹き飛んだ。
なぜ、四大神の一柱【滅の神:サフォーニ】なのだろうか?
ジュリならばセラスーン様だ。そして我が家が信仰するのもまたセラスーン様なのだから。
こうして信仰のない神との干渉はあり得ないという教えを受けて久しいし、それがこの世界の常識であるにも関わらず。
なぜ、一体。
そして、この私に。
確かに仰った。
神、サフォーニ様が。
私に【スキル】と【称号】を与えると。
いや、それよりも。
……やはりもう少し、タイミングというものに配慮して欲しかったと思う。
侯爵家の額縁とグレイセルのプロポーズは執筆開始当初から決まっていたことでした。
貴族社会を敬遠するジュリがクノーマス伯爵を名乗ることになるグレイセルと結婚するのってどうなんだろう? と悩んだ時期もありましたが、まあ、今後は結婚してようがしてなかろうが紆余曲折あるのは当然、致し方なしということで変更しないことにしました。
というか、そもそも変更してしまうと大幅に流れが変わり、一部の重要な設定が破綻する可能性もあったので、変更を回避した形です。




