14 * 緩和
初めて 《ハンドメイド・ジュリ》に足を踏み入れたアストハルア公爵様が、瞬きを繰り返し、感嘆の息を漏らした。
「こんな店が、あったのか」
一言、呟いてから、笑顔を見せてくれた。
「娘が気に入る訳だ、侍従する者たちも、足を運びたがる理由がわかる」
「そうですか?」
「ああ。……何もかもが好奇心をくすぐり、目移りして、色んなことを忘れられそうだ」
「え?」
「苦しみ、悲しみ、怒り。それらを一瞬忘れさせてくれる気がする。たとえ一瞬でも、それが叶うことは、人間にとって必要なことだろう。それをここは、提供してくれるのではないかな」
不思議なことを言う人だね。
そんなこと考えたこともない。来た人が楽しんでくれたらそれでいいし、買って満足してくれたらそれでいいから。
「よくわかりませんが、私は私の作ったものを買って喜んでくれたら、それでいいです」
「商売人とは、本来そうあるべきなのだろう。だが、世の中それだけではやっていけないし成り立たないがな」
「では、私は恵まれた環境で商売出来てるんだと思います。皆に感謝ですね」
「は、はははっ叶わないな」
「え?」
「人への感謝をそうして事も無げに言える人間の少なさ、君は知っているか」
きっと、この人は色んな経験をしているんだろう。良いことも悪いことも、私の何倍も。
公爵という立場は、否応なしに色んな物を引き寄せるはず。それに振り回されないように毅然とした態度で、向き合って。
私の言葉に意味があるとは思えない。けれどこの人はそんな私の言葉に笑顔を見せた。
「グレイセル殿」
そして突然、公爵様は振り向いてグレイに向き合った。
「侯爵家との溝は簡単に埋められるものではない。私は公爵として、国内情勢のバランスを崩しかねないものを調整する立場であるのは変わらない。しかし、【彼方からの使い】が召喚されたこの侯爵領には今後余程のことがなければ何もするつもりはない」
虚をつかれた顔をしてグレイは瞬きを繰り返す。
「何より、こうして縁を自ら紡いでくれた彼女の顔に泥を塗るような行いをしたくない」
「公爵様、それは……」
「我々が堂々と並んで歩くことはまだ先になるだろう。そして何か有ればまた対立することもあるだろう。しかしそれでも……侯爵家との繋がりを大切にする彼女をそこに巻き込むことがないよう力を尽くすと約束する」
それは、限定的だとしても『侯爵家と対立しない』ことを意味している。
グレイがぐっと力を込めて拳を握る。
神経を尖らせ、公爵家はどう動くのか、何を仕掛けてくるのかずっと見定めていかなければならないはずだった。急激な成長を始めている侯爵領は今後どんな調整という名の圧力を受けるのか、と。
少なくとも私がここにいるかぎり、《ハンドメイド・ジュリ》を続けていくかぎり、侯爵家はアストハルアという国で最も力のある家に必要以上に警戒しなくても良くなったと捉えられる。
「この事は、今ここにいる我々とクノーマス侯爵だけの話にして貰いたい。今はまだ公表すべきことではないのだ。ベリアス公爵の動きは相変わらずだ、公にするには不都合が生じる可能性もある」
「重々承知しています、だからこそ、このように人数を制限させていただきました」
「今後どのように対応していくのか協議するにも、そちらも君が動くに留まり本家がなるべく関わらぬようにしてもらいたい。侯爵家にとっては不本意かもしれないが、出来れば彼女を介し君と今ここにいる私の部下のやり取りで進められるよう手配は可能だろうか?」
「ジュリの意思が最優先、私が任されていますので如何様な手段も可能でしょう。それについても誓約書の準備はいつでもさせて頂きます」
「そうか、ならばこちらから管財人を定期的に出す、密に話し合い進めてくれるか?」
トントン拍子に話が進む中。
顔色が悪い人がいる。
「あたし、聞いてていい話?」
キリアが顔をひきつらせてる。
うん、聞いておいて。重役でしょ。そしてローツさんは他人事なので笑いを堪えて沈黙中。
彼女の発言に、そんなローツさん以外全員がキョトン、として。
「すまないな」
「え?!」
「つまらぬ話を聞かせてしまった、ここですることではなかった」
「いや、あの」
「キリア、と言ったかな? 今後会うことも多いだろう、よろしくな」
「……謝罪とか、挨拶とか、勘弁してください、胃に穴空きそうです……」
「普段グレイとローツさんのこと足蹴にしてるくせに今さらじゃない?」
「してないけど?!」
「『どいて!!』って、荷物持ったまま体当たりしてるのは足蹴とほぼ一緒」
「だって二人が工房いると邪魔でしょ?! 二人で話をしてるとなかなか動かないんだよ?! 家具じゃないんだからどいてよって感じでしょ!」
「私とローツは家具扱いなのか」
「しかもおっきいヤツですから!」
「ということで、キリアはこういう人ですのでそのうち足蹴にされても怒らないで下さいね」
「しないわよ!!」
彼女は無視。
「そして、誰よりも私の恩恵を受けています」
その発言に、公爵様たちは息を飲んだ。
「【技術と知識】をダイレクトに、しかも強く影響を受けています。《ハンドメイド・ジュリ》の今後を間違いなく左右します」
視線が自分に集中したキリアが固まってしまったけどそれも無視。
「それは、本当か?」
「公爵様なら既に鑑定などでご存知かと思いますが、私の作るものを完全再現できますので普通に見ただけでは判別出来ないかと。そして……魔物素材への魔法付与の効果が向上しますよ、これは私以外ではキリアだけです」
公爵様が口を手で覆う。
「ハルト、【英雄剣士】曰くそれは間違いなく恩恵で、そして多大な影響力が今後あるだろうと」
「そうか……君の恩恵は、そんな力まで」
「ええ、ですから。キリアのことをご承知頂ければと」
「わかった。となると、侯爵家もなかなかに心休まらんな」
え、何が?
「……どうしてこうなった」
キリアが放心してる (笑)!! ウケる。
いやね、なんでかって言うと。
私の身辺を守るのに侯爵家が尽力しているのは公爵様も知ってたわけよ当然。でもここにきてキリアが強く恩恵を受けてると知って、しかも影響力が凄まじいと知って、公爵様も『ん?』 と思ったのよ。
「キリアの身辺警護はどうなってる?」
って。
侯爵家が影ながらキリアの身辺は警戒していたけど、それには限度があったの。なにせ私がね。魔力がないので自衛能力ゼロだから私を守るのに手がかかるんですよ! ごめんなさい。
で。
「うちから出そう。何かあっては困るしな」
って公爵様の一言で、キリアに護衛がつけられることになった。タダでやってくれるそうです。
しかも、公爵家お抱えの手練れのスパイだよ、グレイ曰く。
「暗殺も請け負ってるはずだな」
と。そんなのがキリアの護衛。
「大丈夫だ、普段は絶対姿を見せないし気配も感じさせない。君の邪魔になることは決してない。うちの 《影》は優秀だ」
って公爵様が無表情で事も無げに言い放ったのでキリアがこうなった。
翌日その 《影》なる五人が菓子持って笑顔で挨拶に来た時。
「あたしは『日本人』じゃないわ!!」
ってキリアがキレてた。
うん、その挨拶通用するのこの世界だと私とハルトだけだわ (笑)。
「美味しそうだからもらっとくけど!!」
半分貰った。美味しかったよ。それより 《影》なのに挨拶来ていいの? 顔バレアリなの? 公爵様がそうしろって言った? あ、そう。まあ、公爵家がそれでいいならいいんだけども。
しかし、接点を持った瞬間から公爵家の激変ぶりはすごかった。
何がというとね。
買い方。
一般人装ってやってくる公爵家のお使い一人一人が高額商品ばかり五点きっかり買っていく。どうやら長期休業中の 《レースのフィン》でもそうしたかったらしい。ちょっと不満げに『なんとかならないのか?』的なことを言われたわ。もちろん断ったけどね!!
「買いすぎじゃないですか?」
「金には困っていない。高額商品を買いすぎるのは問題か?」
「いや、そういうことではなくてですね、うちの小金持ちババア及び候補たちが『アストハルア家から金をむしり取ってやろうじゃないか!』と意気込んでしまいまして」
「……」
「ある程度彼女たちに丸投げしてることが多いのも原因ですが、魔法付与できる糸を仕入れてそれにマイケルが魔法付与したのを編み込んだレースを売り付けようと今猛然と編んでます」
「……自由だな」
「ええ、自由です」
「いいではないか、買い取ろう。興味ある」
「ええぇぇ……」
「マイケルの魔法付与ならはいい付与が出来るし、なにより研究材料として非常に貴重だ」
「ああ、止められる要素が見当たらない……」
この流れに乗っかって、 《ハンドメイド・ジュリ》でもキリア含めて小金持ちババアたちと候補たちが高額商品の開発するとか高価な素材仕入れるとか言い出してるんだけど。
「大丈夫だ、妻も娘も喜ぶ」
「買う気満々ですね、いいですけどね、売れるなら。ただ、大変なんですよ、女の集団をコントロールするのは」
「苦労してるな、君も」
「本心で言って貰えてないように聞こえるのは気のせいでしょうか?」
「そうだな、気のせいだな」
……この公爵、結構面白い。
いや、今はそこじゃない。
小金持ちババアたちの暴走を上手くコントロールする方法を考えなくては。こういう時はおばちゃんトリオのストッパーも役目を放棄しがちだし。
ああ、でもターゲットにされてる人が全然困ってないから止められない。
もういいや、好きにして。
そしてちょっと気になることが。
公爵様が『相変わらず』と評価したベリアス公爵家。
以前ライアスやヤゼルさんたち職人さんたちが市場の集会場に侯爵家からの召集があって集まり語られたという話を聞いていたから頭を過ったこと。
職人の道具のほとんどに使われる木材の粗悪品が出回り、ベリアス家の影響であること、そしてそこがベイフェルア国内のその材木の販売などを独占しているため、今後その木材の良品が入手困難になるからその対策のための話し合いがされた。
ベリアス公爵家は国内外への影響力を持っている。けれど、現在その財政は芳しくない。その影響が多方面に出てくると聞かされてたけど。
「こちらで手配するわよ」
と、この話をどこから聞き付けたのかリンファがふらりとやって来てそう言ってくれたのをありがたく受け入れ、数年分クノーマス領全土を賄える痺れ松の契約が出来たので侯爵様から感謝されつつひと安心しつつも、私はその気になることを公爵様にぶつけてみる。
「答えにくいかもしれませんが」
「なんだ?」
「ベリアス公爵家のことで。問題を起こしてる事業がありますよね? 王家も利権に絡んでて。……粗悪品はこれからも出回るんですか?」
「止めろ、と私に言っているのか?」
「あ、そういうことではなくてですね、王家は、それでいいと思ってるのかな、と思いまして」
「……さあ、どうかな」
「え?」
「私の話を聞くようなお方ではないからな。粗悪品も結局懇意にしている工房などに無理を言って買わせている、だとすると『売れています』の一言で納得されてしまうだろうし、私のお小言など余計に聞きたくはないだろう」
「……つまり、公爵家でも王家との関わりに差があるってことですか?」
「それが広がらないよう努めるのも私の役目だ、君が案ずることではない」
「この国、大丈夫ですか?」
私の一言に公爵様は神経質そうな顔をしかめてこちらに向けた。
「それだけ巨大な権力が国の根底にいる沢山の私たち庶民の生活に悪影響を与えるようなことをしているのを見逃し続けたら、国、駄目になりませんか?」
「そうだな、駄目になるな」
分かっていて、この人は、何もしないの?
そんな思いが一瞬過った。
「だからこそ、腐敗しているものは根こそぎ取り除かなければならない」
「え?」
「根こそぎだ。少しも残せない。多少の犠牲は覚悟しなくてはならない、半端な正義感で対処しなんとかなる相手ではない。時間はかかるだろう、この国が失うものも多いだろう、その覚悟でもって、今私は静観しているつもりだ。それは恐らく君と関わることになった侯爵家も同じこと。いずれこの国には大きな転換期が来る。その時に他所の国から侵略されるのを防がなくてはならない。国家再建に介入してくる力をはね除けなくてはならない。腐敗を正義感で取り除くだけが我々貴族のすることではない」
すごい覚悟だな、と心から素直に思った。
「先を、見据えてのことですか?」
「それが上手くいくかどうかも分からないがな」
「そうですか……では」
「なんだ?」
「その時に、私にも出来ることがあれば言って下さい」
「!!」
「今の私では何の力もありません。でもいつか、何か発言してもそれを頭ごなしに否定されることがないくらいには今の事業を成功させて、潤沢な資金を得て、ささやかでも公爵様や侯爵様の手助けが出来る人間になろうと思います」
「……そうか」
「私の個人的な欲望です。平和に生きたいじゃないですか、少しでも楽しく。だから、その時がきたら、私にもお手伝いさせてください」
「では、私も」
隣で黙っていたグレイが真っ直ぐ公爵様を見つめた。
「出来ることを然るべき時に、全力で。ジュリの隣でしようと思います」
公爵様が笑った。
「頼もしい協力者を得られて私は幸せ者なのかな?」
少しだけ砕けた気安い表情だった。




