お花見スペシャル ◇二人の男の見るその花は◇
本日二話更新しています。読み飛ばしにご注意ください。
こちら季節モノ単話です。
―――ハルトの見るサクラ―――
「んーっ! 天気良くて最高!」
ジュリが敷物の上で大の字になってそう声を張り上げた。
その隣、俺も大の字になって空を眺める。
「花見日和だな」
今年もまた花見に来た。
桜そっくりのラシャナという花を見るために。
ジュリと二人だ。
不思議だ。
今年は気持ちが沈まない。
そう思って驚いた。
去年は沈んでいたということだ。
「変な感じ」
「何が?」
「今年はアンニュイな気分になってないんだよね。去年、このラシャナを見た瞬間物凄く気持ちが【この世界】から逃げようとしてたなぁ、って思う」
「逃げる、か」
「そう。……難しいけどね、どう言ったらいいのかわからないんだけど、あの時……この世界のことを忘れたくなったような、見たくなくなったような、逃げたかったような、そんな感じ」
「地球に戻りたいってか?」
「うん。今でも時々そう思うんだけど、なんでだろ、今年はそこまで気持ちが離れてないような気がする。つまり、それだけ慣れたってこと?」
「かもな」
言いたいことが何となく分かる。
確かにあの日の俺たちは、【この世界】から逃げていた。
心が地球を、日本を、真っ直ぐ見つめ恋い焦がれ、求めていた。
そしてそれは、俺とジュリ二人だからだ。
ここにケイティやマイケル、リンファがいたらそうはならなかった。感情に蓋をして、背を向け、『きれいな花だな』と、ラシャナを見て懐かしむフリをしていただろう。
今もまだ、未練がある。
恋い焦がれ、求める。
それでも今年は違う。
なんだろう、この感覚。
去年に比べて、このラシャナを見る覚悟が少なくて済んでいるからなのか。
「大切なものが増えちゃったからね」
「え?」
「今ここで、他にまた転移なんてことになったら未練はとても残るよ。……ここでも、増えたよ、手離せないものが。だから気持ちが留まってるのかも」
「ああ、そうか。そうだな……」
「凄いよね、私たち」
「うん?」
「何とかなってるから」
「まあな」
「異世界だよ? そこで生きてるんだよ? 凄いよね」
「ああ」
「そして、一緒に並んで『桜』を見てるんだよ。地球を懐かしんで恋人でも兄弟でも親子でもない私たちが並んで。これ、奇跡よ」
「はははっ奇跡だな!」
二人で笑う。心から笑う。
ああ、今年は、笑えるのか。
そうか、笑えるようになったのか。
そしてまた、家族の話や思い出話を語る。去年より笑える話が互いに増えた。そこに未練が残っているのに、どちらも悲しみや寂しさが和らいだ口調。無理にそうしているわけじゃない。自然とそうなっていた。
これが、慣れというもか。
それとも、諦めというものか。
それはわからない。
きっと、答えはない。
でも確かなことは、今年は少し気持ちが軽いということ。
去年より、花びらが鮮やかに映るのは、気持ちの問題だ。それだけ、俺の目がラシャナをちゃんと見ているということだ。
綺麗な花だ。
桜に似ていて。
故郷を思いだし、懐かしむ心が膨れ上がる。
帰りたいと願ってしまう。
本物の桜を見たいと願ってしまう。
そう思う心は、穏やかだ。
明らかに、穏やかだ。
ちぐはぐなこの感情を俺はもて余すことになるんだろう。これから一年、次にジュリと二人で桜を見るまで、この変化は一体なんなのか、ちぐはぐな心はどう処理すればいいのか、きっと悩むんだろう。
そして来年、その答えが僅かに見えて、そしてまた別の感情に翻弄されて疑問を抱え、翌年に持ち越すんだ。
俺とジュリはそれを繰り返す。
これから何年も。
生きている限り。
答えはきっと出ないのに。
永遠に。
「お前、グレイに話してるのか?」
「……帰りたいってこと?」
「ああ」
「話さないよ、てか、話せない」
「なんで?」
「ダッパスさんと揉めた時、私あんまり覚えてないけど……何回も帰りたいって言ってたらしいのよ。言った記憶はあるんだけど、そんなに言ってたのかぁってちょっとびっくりするくらいだったらしくて。……それに、グレイが、悲壮な顔してたの、私が帰りたいって言ってることに対して、見たことない顔をしたのよ。あれから、言えなくなった」
「……尋常じゃないからな、ジュリへの執着が」
「あんたもなんだかんだ言ってルフィナへの執着は凄いよ」
「おう、自覚あるぞ」
二人で笑う。笑って、スッとジュリが息を潜めた。
「あんな顔をさせたくて一緒にいるわけじゃないから。言わないで済むなら、それでいいかなと思ってる」
「無理だぞ」
「え?」
「少なくとも、俺は無理だった。隠せなかった。それでルフィナ泣かせてる」
「そう、なの?」
「あぁ」
―――帰りたいなら帰りたいって言えばいいじゃない! 言ってくれなきゃ、何も言えないし、一緒に悩めないし、一緒に苦しめないじゃない! 一人でどうにかならないなら、せめて話してよ、教えてよ、辛いの、ハルトだけじゃないんだよ、私も、辛いんだよ……―――
「もう、出会って十年になるからな。そんな思いさせてたのかって、俺、死ぬほど辛くなったよ」
ジュリは黙り込んだ。目を伏せて、静かに呼吸するだけだ。
「言えよ、必ず」
「……言える、かな」
「たぶんな」
ジュリと話すと、自分がよく見える。
本当だ。大切なものが増えた。
ここにも『未練』の礎が沢山出来た。
今さらもうどこへも行けない、しがみついて守りたい大切なものが。
ああ、ほら、まただ。
矛盾してる。
『桜』の花びらが風に舞って視界を掠める度に、日本への、家族への未練が沸き起こるのに、帰りたいと思うのに。
ここにいたい。
そう、思うもう一人の自分の姿が見える。
そして時々思うこと。
俺はジュリと会うべきではない。
こいつといると、未練が沸き起こるから。
同郷の人間を前にするとどうしても過去を振り返ってしまう。ジュリがこの世界に来てからだ、俺の『帰りたい』がはっきりと形になってしまったのは。
でも。
もう会わないという選択肢はない。
今さら、なかったことにできない。
できないんだ。
去年も感じた。恋人でもましてや家族でもないジュリへのこの感情。
一体、何なのか、わからない。
きっとジュリもふとそんなことを思ったことがあるはずだ。
矛盾と分からないことだらけの俺とジュリ。
まあ、そういうのも悪くない。
『桜』を見ながら俺は今年の少しだけ穏やかな感情で、ルフィナと二人で見れそうだ、なんて考える。
そう想えるようになった俺がいる。いつの間にか何かが昇華されてたんだな。
ジュリ、おまえもいつか。
グレイと二人で。
その話をいつか。
二人で話そうな。
―――グレイセルの見るラシャナ―――
なんと百人。
花見と言う名の飲み会に参加した人数だ。
「んふー! 美味しいわぁ」
「これもいいね、どこで買えるかな?」
ラシャナなんて見もしない酒に夢中のケイティとマイケルは放っておく。
いつもの面子にその家族。それに便乗した人々。賑やかだ。
お花見弁当と名付けた大量の箱詰め料理を敷物の上に置き、それを囲み、ラシャナを見ながら酒を飲み、会話を楽しみ、子供たちはラシャナの木の間を駆け回る。こういう集まりも悪くないと思える、春らしい宴だ。
「ジュリー! 『にほんご』でラシャナってなんていうの?」
「……『桜』」
「『さくら』ね」
「そっくりなだけだよ。私にはそっちがしっくりくるけど、ラシャナでいいんじゃない?」
「ああ、確かに」
他愛もない質問だった。けれど。
クイッと、服を引っ張られた。
いや。
ジュリが遠慮がちに私の服の裾を掴んでいた。
笑顔で答え、笑顔で笑う。
なのに手が、『助け』を求めているのが分かった。
「ジュリ」
「え、あ、なに?」
「散歩しようか、酔い醒ましに」
「あ、うん」
周りのどこにいくの? という質問に笑って答えるジュリの手を握る。
「ちょっと散歩」
また、笑って。そう、笑って。
それなのに、握る手は、力んでいた。
「どうした?」
手を引き、賑やかな皆の声を微かに聞き取れる場所まで歩いた。その間無言でジュリは私に引かれるままに後ろを歩いていた。
一瞬強い風が吹き、ラシャナが花びらを華やかに散らした。向こうからそれを見て歓声が上がったのを背中で聞きながら問いかけた。
「ごめん、なんか、緊張して」
どういう意味なのか分からない。なぜ今さらあの面子相手に緊張するのか。
「『桜』って言葉にしたら、泣きたくなって、あれ以上話したら、泣いてた、ごめん」
振り向いて、私は体が強ばった。
なんて、顔をしているんだ。
悲愴感漂う、そんな顔だった。
「なんで? ハルトとは、こんなことなかったのに、平気だったのに」
自問自答するジュリは、私の手を強く握った。
「なんで、今さらっ」
「ジュリ」
「グレイ、ごめん、こんなはずじゃ、気持ちの整理はついたって、思ってたの」
「『今さら』なんて言うな、まだジュリは何かを抱えている、無理に過去にしなくていい」
「え?」
「ラシャナに特別な想いがあるのではなく、『桜』に特別な想いがある、それを、今さらなんて言葉で誤魔化さないでくれ」
「グレイ……」
「いつか、その不安定な気持ちが何なのか教えてくれ。今じゃなくていい。ジュリがいいと思うその時に。今は、私しかいない。好きにしてくれ」
俯いたジュリは、額を私の胸に押し当てた。
泣いている。
泣くほど、何がジュリを悲しませたのか聞き出すべきなのかもしれない。けれど、何故か今ではないと思った。声を殺して泣いている。私以外に気づかれたくないのだろう。今聞き出したら、その声が皆の所に届くかもしれない。気づかれるかもしれない。彼女の矜持が、それを許さない。
だからこうして泣くのだ。
自分でもて余す何かを僅かでも昇華するために。
私の前でしか、出来ないのだ。
フィンやライアスの前で泣いたことがある。それを今でもジュリは後悔している。
もう泣くまいと、心を奮い立たせて生きている。
ただ包むように抱き締める。
ギュウッとジュリの手が背中の服を強く握る。
偽りの笑顔で『桜』と言っている自分に苦しいのかもしれない。
『桜』はハルトとジュリのものなのだ。
誰かに好奇心や話のネタに笑って使われるのがまだ許せないのだ。
そこにはまだ、私たちは入り込めない。
それがいつになるのかわからない。
一生、そんな日は来ないかもしれない。
だから私は。
『桜』とは呼ばない。
「ラシャナは綺麗か?」
「……うん」
「そうか」
ラシャナの花が散り、新芽が次々現れ、間もなくその木は緑に覆われるだろう。
「また来年、花見に来たいね!」
「いいねぇ、酒と共に!」
午後の風が少し冷たくなった頃、皆が帰る準備をしていた。
「ごめん! ちょっとゆっくり散歩しすぎた!」
ジュリが慌てて駆け寄ると、それぞれがジュリに商長は今日くらい皆にやらせとけばいいんだよと言ったり、お弁当全部食べちゃったよと声を掛けたり。
それに笑顔で答えるジュリ。
それを離れた所で見ているのはハルトとルフィナだ。二人はそんなジュリを見てから二人で平坦な顔で何かを話している。周りに聞かれないよう、少し距離を取り。
あの二人は、乗り越えたのだろう。
私たちがまだ乗り越えていない何かを。
だからああしてジュリを見守ってくれる。
きっと少し目が赤いことに気づいてもなにも問わないでくれるだろう。そしてルフィナがジュリを呼んだ。
三人、皆から離れた所で片付けをする。
ほら、やはり。二人は何も問わない。
気づいているのに、問わないでくれる。
また、風が少し強く吹いた。花びらが皆の視界を彩り、また歓声が上がった。
ジュリはただそれを見つめている。
ルフィナとハルトも。
私も、ただ見つめる。
歓声を上げる気には、なれない。
この気持ちは、これから毎年変化を遂げるだろうか?
いつか、私と二人で笑って『桜』を見る日は来るだろうか。
いつか。
ハルトと並んで笑って『桜』を眺めたジュリが私にその事を話してくれる日が来るだろうか。
そう、いつか。
ずっと先だとしても。
待つのだ、ずっと私は。
その日が来るのを。
私は『桜』を知らないから。
ジュリが二人で見ながら教えてくれたら初めて『桜』を知る。
だから今目の前で散る花は。
ラシャナのままだ。
ジュリが笑った。
ラシャナの花びらがハルトの口に入ったらしい。奇妙な顔で口から花びらを吐き出したそれを見てルフィナと笑う。
それを見て、凪いだ心にほんのりと熱が帯びた私がいる。
よかった、笑えるんだな。少しは落ち着くことが出来たんだな。
今はそれでいい。
「グレイはラシャナを食べたことある?」
「食べるものではないだろう」
「今ハルトが食べたわよ」
「マズ! すげぇ不味い!!」
「グレイも食べてみる?」
「なぜ勧めてくるのか分からない」
ほら、笑っている。
傾いだ心が立ち直り本心から笑えている。
だから私も笑うのだ。
そしてまた、風がラシャナの花びらを雅に私たちの視界を彩った。
「綺麗だね、ラシャナ」
「ああ、そうだな」
「来年も、一緒に見たいね」
「そうだな」
手を繋ぎ、共に微笑む。
ラシャナの季節が過ぎ去ろうとしている今を眺めながら。
ブクマ&評価ありがとうございます。
この後本編のお休みいただきます。そして変則になりますが4月4日日曜日に季節モノ単話の更新となりますのでご注意くださいませ。
本編再開は4月13日(新章)となります、よろしくお願いします。




