12 * 修道院の片隅で
前話に引き続き閑話的なお話です。
ここに来るのは今日で三度目。
クノーマス領しかもククマットを滅多に出ない、数少ない私のお出かけ先の一つ。
トミレア地区の港から、魔石の力で一定のスピードで快調に進む船で数十分分北上した先にある伯爵領の港。領の端、しかも王家御用達の港の手前にある小さな港でトミレアから出る船が寄るのも1日往復各二便ずつ、しかも週に三日と商家の積み荷の関係に合わせたもの。
だから港はとても小さく、長閑な所。乗り降りの手続きも直ぐに済んでしまうようなそんな港に着いたら、馬車を走らせることまた三十分。港のあるその地区を出て、道の凸凹が気になり始める頃に位置するところにそれはある。
キャナ修道院。
男子禁制の、厳かで清貧の象徴。
「ようこそお出で下さいましたジュリ様」
修道院院長である初老の女性が穏やかで優しい声で挨拶をしてくれる。
「お久しぶりです、皆さん元気にしてますか?」
「はい、お陰さまで皆健やかに過ごすことが叶っております」
今日はグレイは隣にいない。男子禁制のこの場所には侯爵家の侍女さん二人が付き添ってくれている。
聞こえるのは長い廊下を歩く私たちの足音と、離れた庭で遊ぶ、ここに住まう孤児たちの笑い声。
世間の喧騒とは無縁の世界。
慎ましく日々を過ごす修道女たちも今日だけは私の意向で本来の気持ち、性格そのままに過ごす時間を設ける。
キャナ修道院で一番広い談話室は周辺の修道院から人が集まる場合にも利用されることからこの修道院にいる修道女たち二十人が入っても余裕がある。
そこに交代でいつも六人から七人ずつ、三十分交代で来てもらう。
その前に私と侍女さん二人はそれぞれ両手をプルプルさせながら抱えてきた重い荷物を事前に用意してもらっていたテーブルに置き、包みを開けて並べていく。
それを見守る院長は。
「三度目だというのに、年甲斐もなく浮かれてしまいます」
と照れ臭そうに言ったので私たちは遠慮もなく笑う。
このキャナ修道院ではこうして私が訪れて、修道女さんたちに毎回好きなものを二点選んで貰っている。
価格的には全て十リクル以下のもので、アクセサリーなどはない。それは修道院のほとんどが設けている決まりごとで、修道院ではなく修道女たち個人への寄付や見舞金などは決められた額の上限を越えてはならない、換金性の高い貴金属を譲渡してはならない、という理由から。
毎回持ってくるのはそれらの条件を満たした四作品、それぞれ選ぶ楽しみを感じてもらうために色違いなどを三種ずつ、万が一全員が同じものを選んでも大丈夫なように二十ずつ。
結構な量だわ、うん、並べるとよく分かる。そりゃ重いよね。
「三十分、じっくり選んでくださいねぇ。商品で質問があれば何でも遠慮なくきいてくださーい」
私の軽い様子に、今日ばかりは修道女さんたちも笑い声をたてて、感情豊か。あれこれ迷って皆で何を選ぶか確認しあったり、見せ合ったり、時間ギリギリまで悩んでしまって勢いで選んでみたり。
楽しみにしてるんです、と声を掛けられたりして来てよかったと思ったり。
そんなことを二度繰り返して、三組目、最後の修道女さんたちが入ってくる。
その一人、いつも一番最後に入ってくる人。私は侍女さん二人にその場を任せて一人入口付近で佇むその人に近づく。
「ようこそお越しくださいました、ジュリ様」
「お久しぶりですセティアさん」
その人は穏やかでとても優しい笑顔をしながら深々と頭を下げてくる。
「頭を上げてください、お元気でしたか?」
「はい、お陰さまで」
ゆっくりと頭を上げたその人は、やはり笑顔。
そして私たちは院長の許可を得て、すぐ隣の狭い面会室へ向かう。
「まあ! 綺麗!!」
彼女には選ぶ権利はない。ないというか、プレゼントするものが決まってるから。それでも彼女がこうして頬を紅潮させてさっきの大人びた笑顔とは違う無邪気な笑顔を見せてくれるのは、決まっているからこそだと思う。
「レターセットです、すみません、一つは別なのにしたら? って言ったんですけどね。頑として譲らなくて喧嘩になりかけました」
「ええっ、そんなにですか?」
「スイーツデコの可愛いの新作で出たんですけど、それは自分で『作れる』から後で死ぬほど作ればいいとか言って。なのでそれ使って手紙書いてあげて下さい、それ、お気に入りみたいですから」
「……もったいなくて、使いたくないです。こんなに綺麗なレターセット」
「ああ、じゃあ無地でいいんじゃないでしょうか? 少しはヘコたれたらいいんですよ、『ほら見ろ私の言った通りでしょ!』と言い返してやりたいので」
「言った通り?」
「うちのお客さんでレターセットを買う女性の方って同じものを三つ以上買うんですよ、五点までっていう制限があるのに。それ何でかな? と思って聞いてみたら、自分用に手元に残すために余分に買うんですよね。二つだと心許なくて使えない気がするからって」
「そうですね、失敗したくありませんし、残しておきたいですからちょっと……使いたくないです」
「だから言ったんですよ、『使いたくないって言ったらどうすんのよ』って」
「それで、なんて答えました?」
「『レターセットなんだから手紙を書いて出すものだ、使うに決まってる』だそうです」
「……まあ、そうなんですけれど」
「女と男では考え方が違うんですけどね。しかも金額に制限があって枚数も減らしてるから余計に使いたくないって考えるよって言ったんですけどね。その辺、見事に噛み合いませんでした」
「なんだか、わかる気がします……」
一瞬微妙な空気になって、そして二人で吹き出すように笑った。
「ふっ、ふふふっ! 無地で出します」
「あはは!! 是非とも!」
「手紙には書いておきますね、ジュリ様の意見に賛成ですって。あなたのためであってももったいないものはもったいなくて使えませんって」
「その手紙を読んだ後の様子を私が手紙で報告します」
「楽しみにしてます」
「ふ、くふふふっ! ヘコたれる姿、観察させてもらうわよ、ローツさん!!」
かつてこの世界の修道院は望まぬ結婚を強いられる貴族女性の駆け込み寺のような場所になってしまったことがあるらしい。
修道院は大陸全体での共通認識として『不可侵』な場所であると言われてて。神様にお仕えする人のための場所だからね、当たり前なんだけど。だからたとえ貴族でも、王族でも、どんなにみすぼらしい小さな修道院であっても勝手に踏み入ることは神への冒涜となり許されざる行為と見なされ断罪される。実際の罰則はないに等しいんだけど、世間から断罪されちゃうわけ。『非常識な人』『頭の悪い人』ならまだ可愛いのよ、『人間じゃない』『精神異常者』とか言われることもあるらしいから。
それを逆手に取って、貴族令嬢たちが逃げ込んだ。家族が逃がした。
ほとぼりが冷めるまで隠れる場所程度にしか思わない令嬢たちが神に仕えて慎ましく清貧な生活など出来る筈もなく。
やれ部屋が狭いだの食事が不味いだのと迷惑をかけまくるわけよ。これが普通だと宥めればやれイジメだの嫌がらせだのと騒いで実家に泣きついて修道院にクレームが入る。そして寄付金が来なくなる。
それでどんどん修道院は苦境に立たされ、ある高名な修道女が院長をする修道院がある日宣言するわけ。
『当修道院は三十年神にお仕えする誓約が出来ない者を修道女として受け入れない』
って。そして次々修道院はそれに便乗していったらしい。
その誓約も魔法紙と呼ばれる非常に拘束力のあるとんでもないファンタジーな紙を使ってさせられるから、令嬢たちは一目散に修道院を出て行った。
だって魔法紙って、マジですごいのよ。
誓約を勝手に破棄すると呪われるんだから。しかも簡単には解呪できないやつね。
流石に何十年は、という各国の王家や重鎮からの声もあり引き下げられたけれど、それでも最短で五年、長ければやっぱり十年以上というところも結構あるらしい。
セティアさんがいるこのキャナ修道院は一度誓約を交わしたら七年出られない。この七年という年数は、結婚が許される十六歳で入っても、出るとき二十三歳。貴族の場合これはかなりのリスクになる。貴族令嬢で二十歳を越えて婚約していないと『曰く付き』扱いとなってしまう可能性が。問題があるから婚約すら決まらない、って疑われるわけ。なので修道院から出たらすでに婚期を逃してるし、何より好いた男も大概他の女と結婚をしてて、さらには貰い手がいてもそれこそ相手が『曰く付き』という確率が高まってしまう。
だから今の修道院はかつての慎ましく清貧な、神に仕えるに相応しい場所に戻った。
セティアさんは、元伯爵令嬢。
この修道院に逃げ込んだ時点で伯爵から絶縁され、除籍までされてしまった。
今は、その覚悟がなければならない場所。
何故彼女はその道を選んだのか。
「ローツ様はやはり白土を扱うのがお好きですか?」
「好きですねぇ、この前勝手に小物入れ量産してて研修棟の作業台が占拠されました。あれ、固まるまであまり動かせないので他の従業員が移動のために神経すり減らしてました」
「……なんだか、申し訳ありません」
ローツさんとセティアさんの出会いは貴族によくある親の決めた政略婚目的の、見合い。ローツさんが二十八歳、セティアさんが十八歳の時で、ローツさんが頭角を現し始めていた時だった。騎士団の中でも王族の護衛が主な任務である近衛騎士団に抜擢されたローツさん。次男で実家の子爵家を継ぐことはなくても将来を約束されたような才能をもち、何よりグレイセル・クノーマスに気に入られているというステータスを持っているローツさんは貴族の間でもかなりの優良物件として人気があったらしい。
なかなか結婚をしようとしないローツさんを心配するご両親と、長男の妻は伯爵家から嫁いで来たけれど実家の財力が乏しい、長女は男爵家の男と恋愛結婚で家を出てしまった、だからせめて伯爵家の将来のためにも二女のセティアさんを条件のいい男に嫁がせたい伯爵家。結婚させたいという、それだけの思惑が一致した親による見合いだった。
端的にいえば、稼ぎのよいローツさんからお金を搾取出来ればそれでいいわけ。そして万が一死んだ場合、その財産はセティアさんのものになる。
セティアさんはそれを知っていたからローツさんと会ったその日、二人きりになると『ローツ様からお断りしてください』と、申し出た。
でもそれにストップをかけたのがローツさん。彼女のその行動がどうやらローツさんを惹き付けたらしい。うん、何よりセティアさん綺麗な人だしね、雰囲気が良い。それも大きな要因だったかと。渋る彼女とは裏腹にローツさんの方が乗り気になって。
そして、愛を育んだ。意気投合してみるみるうちに惹かれ合って、もう少しでローツさんが昇格するからその後結婚しようと、両家の合意も得た実に順風満帆なそんな政略婚。
でも。
ローツさんが騎士団を辞めた。
致命的な怪我によって失った出世。
一方的な婚約破棄だったらしい。
伯爵家からの。
そしてセティアさんには数日後また結婚前提のお見合いが舞い込んだ。
「見たらびっくりしますよ、あんまりにも可愛いもの作るから」
「想像、つかないんです。何度手紙を見てもジュリ様のお話を伺っても」
「白土部門主任のおばちゃんと張り合ってますよ、どっちがカラフルでキラキラしたのを作れるか」
「ますます想像できません」
本当はローツさんとの見合いの時点でセティアさんは修道院に行く覚悟をしていたそう。相手の資産を知って直ぐに見合い相手を変える両親や恋愛結婚したはずの姉からの資産家との結婚をしろという再三の要求に辟易していたセティアさん。
両親の身勝手、姉のご都合主義にもう耐えられなくなっていた。
ローツさんと一目会うことも、手紙を送ることも許されず。
笑って簡単に忘れろと言われて。
着の身着のまま家を飛び出し、心がボロボロになってたどり着いたのが、キャナ修道院。
泣きながら、けれど迷いを見せず力強い筆圧でセティアさんは魔法紙の誓約書にサインしたと院長が教えてくれた。
それが原因でセティアさんは伯爵家から除籍という、名字を失うだけでなく血縁すら否定されこの国の貴族にとって最も屈辱な罰だと噂の『名下がり』と呼ばれる身分が庶民になるという罰を受けた。
そして全てを失なったセティアさんの元に届いた一通の手紙。
―――七年後迎えに行く―――
ローツさんからだった。
子爵領にも帰らず侯爵領に腰を据えたのは、自分を見いだしてくれたグレイのためにということもあるけど、それよりも彼女がいるキャナ修道院が近いことも要因かもしれないと最近思う。
モテるくせに女性と二人きりで食事すらしないローツさん。今の状況からもう子爵家を継ぐことはない立場で柵もなく地位とか爵位とかそんなのもう気にしなくていい彼の心を捕らえようと何人もの女たちが挑むのを私は作品を作りながら眺める日々。
「無駄なことを」
キリアやおばちゃんたちのの冷ややかなそんな呟きも何度も聞いた。
ローツさんはこの人を待っている。
ククマットに買った屋敷が広いのは彼女のため。偏食のローツさんに両親が送り込んだ子爵家の料理人を力ずくで追い出さないのも彼女のため。《ハンドメイド・ジュリ》の新作が出る度必ず買ってくれるのも彼女のため。
ぜんぶ、セティアさんのため。
「……あの」
「はい?」
「あと、一年と少しです。その、もし、ジュリ様さえよければ、なんでも致します。ここでたくさんのことを学び、最低限のことを出来るようになりました、ですから……ここを出ましたらジュリ様のお側でお役に立たせていたたげませんか?」
「うーん? 働くってことですか? それはローツさんが絶対許さないと思いますよ。なにせ私と一部の人間は自主ブラックしてますからね」
「……じしゅぶらっく。『ブラック』と同じような意味ですか?」
「……ローツさんといったいどんな手紙のやり取りしてるんですか」
そしてこの人も、信じている。
ローツさんを。
「構いませんよ、私は。働くことはここでしっかりと身につけました」
「ローツさんの説得に成功したらですね。無理だと思いますけど?」
貴族令嬢として育った彼女にとってここの生活はさぞ辛かったはず。それでも彼女は幸せそう。
あと何回ここを訪れるだろう。
また皆に喜んで貰えるように、厳選したものを抱えてくる。
そのあとは、きっとセティアさんが来ることになるんだと思ってる。
お世話になったこの修道院のために、寄付と物資を届けるため。
彼女のためにずっと寄付と物資を送っているローツさんからその役目をきっと彼女が自ら進んで引き継ぐ気がする。
その時。
彼女の傍らにはローツさんがいる。
今日外の馬車で私たちが修道院から出てくるのを本を読みながらゆっくりのんびり待つグレイのように、ローツさんが。
「説得、ですか。何とかしてみせます」
「それで起こる痴話喧嘩には巻き込まないでくださいね?」
「ふふっ、努力します」
あと少し。
気のいい仲間が増えるその日は、そう遠くない未来。
ローツに関してはモテる設定していたのにそのモテ話を敢えて物語に出さないでいたのはこの話があったからでした。ローツとセティアは作者の脳内でとても美化されていまして、単にそれを崩せなかったというだけかもしれませんが。




