11 * 友のために
私の隣、グレイは酷く落ち着いているように見える。でも、リンファさんの言ったことが少なからず私が経験した『権力』への不快感に繋がると知っているから。太ももの上においていた手をぎゅっと握りしめて、私に視線を一瞬向けた。
私は、本当に恵まれている。グレイの一族、クノーマス侯爵家は私の人権そのものをちゃんと認めてくれている。物が作れなくなってもきっと最後まで面倒を見てくれるつもりなのはこの一族の私との関わりからしっかり感じ取れるから。
でも、世の中そんなに甘くない。それがリンファさんの置かれた環境。
皇族以外では最も高位の礼皇という地位を得ていても、それでも彼女はそれを与えたはずの、敬意を払ってくれるはずの皇族が彼女を苦しめる。
「皇太子はこの際いいや、いないものとして話を進めよ?」
私の投げやりな言葉に、セイレックさんがぎょっとした。
「皇帝陛下は話が通じる人?」
「ジュリ?」
探るような、ハルトの表情。それも無視した。
「通じるなら、直接話そう。何もかも」
「えっ」
リンファさんの顔が強ばった。当然よね。
人殺ししたことを、話せってことだもん。
でもさ。
この世界、自己防衛が認められている。完全に認められている。証拠や証言が揃えば簡単に認められる、裁判なんて必要ないんだから。というか、殺生については法はあってもほぼ機能していない。各国、建前としてあるようなもので、原則命は『自己管理』と『自己責任』。そりゃ、当たり前のように人と人が直接戦う戦争や小競り合いが当たり前のように起こっている世界だし、法なんて各国都合いいように変えられるような、やっぱり未発達な世界らしい曖昧なものになってしまっている。
私だって、万が一一人で出歩くならナイフを持て、扱いを覚えろ、とライアスにここに来たばかりのころに言われて実際に習っている。その後は侯爵家の後ろ楯がついたし、そして今はグレイがいてくれる。だからほとんど持ち歩かなくなった。
でも、それだけこの世界は死が近くて、命の自己管理が求められている。
戦争や殺伐とした世界に無縁だった私がその手の話を酷く嫌うことをこのククマットにいる人達はみんな知っている。戦争で人が死ぬことが当たり前だと笑って言ってたおっさんたちに怒鳴ったことがあって、それ以降私にとっての禁句だと暗黙の了解になっている、それだけ人の命が重んじられた世界で育った。リンファだって同じ。
それでも、人を殺したことを淡々と語ったのも、何か、諦めみたいなものだと思う。この事で心を痛めても何にも救いがない、そういう諦めみたいな。後悔することすら、諦めてる。一度、初めに全てを拒絶した彼女は、この世界の事全てを他人事のように見ているような気がした。深層の心理は私では読み取れない。でも、今目の前にいる美しい凛とした中に純真さを兼ね備えた人を虜にする姿をしている彼女の浮かべる落ち着いた表情は、『諦め』にしかみえない。
「卑怯だよね。こっちの精神的な弱みに漬け込んで。たとえそれが本当にリンファさんが好きだからとしても。……そして、やっぱり権力なんて役に立たないのよ、私達【彼方からの使い】には。私達を道具くらいにしか思ってないんでしょうから。都合いいように解釈して、勝手に決めた幸せを押し付けて、それを愛情とか優しさとか言うの? 権力者が? そんな愛も結婚もいらない、絶対にいらない。人として私たちの心を蔑ろにする人が、女一人を本当の意味で幸せにすることなんて絶対に出来ない。幸せになれないよ、そんなの。こんなこと、絶対に認めない。私は、許さない。あなたが人知れず苦しんで泣いてる姿なんて想像もしたくない」
「ジュリ……」
リンファさんの顔が歪んだ。
「結婚しないで。そんな結婚、幸せになれないから」
「……うん」
「それで立場が悪くなるなら、ここに来ればいいのよ、いつでも人不足、私は、歓迎するからね。一緒に汗水垂らして働いて、お酒飲んで、笑って生きていこうよ」
「……うん」
「私は、何があっても味方だから。女として、同郷の人間として、あと友達として。私は無力だけど、それでもね。味方」
「……うん」
ポロポロと、涙が溢れるリンファさんは、肩を震わせて、身を屈めてしまった。でも、これでいい。
きっと、だれも言ってくれなかったのよ。
結婚するな、って。
ハルト以外、きっと。
だから、この人にも言う。
「セイレックさん」
「は、はい」
突然、声をかけられて彼はとても驚いた顔をした。
「リンファがこのまま結婚を強引に進められるなら、私がリンファを貰っていいですか? バールスレイドでリンファは幸せになれません。絶対不幸になります。私が侯爵家に話します、リンファのこと。ここで一緒に働き手としていてくれるかもしれないって。だから、保護下に置いてくれって、私が責任もって話します。最悪マイケルやケイティも巻き込んで他の国へ保護を要請するのもアリだと思ってます。だから、あなたが守れないならリンファを下さい」
あ、いつの間にかリンファって呼び捨てにしてた、まあ、いっか。
「あなた、リンファのこと好きでしょ?」
「え?」
「え? 気づかないと思ってた?!」
「えっ?!」
「え? いや、丸わかりだからね?!」
グレイとハルトの視線が、セイレックさんに。
みるみる真っ赤になって、狼狽えて、ソワソワしてるぞ? ……面白いわね。
「で、リンファはそれ聞いて狼狽えないところを見ると」
「告白は私からだもの、返事をまだ貰っていないけど」
それを聞いた私達。
「「「はぁ?!」」」
いやー、声が揃った (笑)。
「元々私付きの護衛の一人でもあるから、立場上、答えを出せないのよ」
「いや、そうじゃなくて」
「何が?」
「だって、この美人に告白されて両思いで、手を出さない男がいるの?!」
「そこ?!」
いや、リンファ驚いてるけどそうでしょうが。
「しかも好きな女が他の男に取られるのを見送るの?! ヘタレなの?! それともまさかドMなの?!」
そして私は、自分の彼氏に質問。
「グレイはそんなの許さないよね?」
「というか、告白された時点で」
「手を出すよね?」
「ジュリ、そうじゃないだろ……」
あ、彼氏が頭抱えた。そういう問題でしょ。好きな相手に理性を保ち続けろ! という方が酷だし無理でしょ。
「告白されたら、その時点で覚悟を決める、と言いたかったんだよ。どんな権力でも敵に回すと」
あら、そうでしたか。申し訳ございません。
で。グレイのその言葉に、セイレックさんは何かに弾かれたような、ばちん! と音でも出そうな瞬きを一度して、グレイを見つめた。その視線に気づいて、グレイは鋭い目を向ける。
「守る気がないなら、さっさと護衛の役目を辞任しろ」
「!!」
「邪魔だろう、返事一つ返せない弱い男など。他の男にその地位を譲ればいい」
……随分言うわね。
「愛していても諦めなくてはならない、なんて言葉は美談でもなんでもない。ただの臆病な奴の言い訳だ。本気でそう思っているならとっくに側を離れていたはずだ。それこそ潔く、相手の幸せを信じて。でも、違うだろう? 未練と弱さがそこにしがみつかせているだけ。苦しんでいる相手を見ながら、悲劇の男を演じて陶酔しているだけだ」
辛辣! 彼氏、自分のことじゃないから超辛辣だぁ!!
さて。あのあとセイレックさんが何か意を決した顔をしたから、私たちは二人だけにしてあげて二階から工房に場所を移す。
「で、皇帝陛下って会えるものなの?」
私の気軽な問いにいともあっさりと。
「余裕。俺が言えば重要な会談でもしてなければ必ず会える」
とハルトが言ってくれた。だからこいつは何者なんだろうね? 皇帝陛下に会えるかどうかの問いに余裕とか言えちゃうんだよ? 流石にグレイも一瞬顔をひきつらせたから。こうなると【英雄剣士】なんて格好いい【称号】が嘘臭くなるよね、いっそのこと『支配者』とか言われた方がまだ納得できる。
「ハルトがオッケーなら、あの二人が話し合って何らかの答を出したらすぐ行っちゃう? 先延ばしはすべきじゃないよね? 国民に向けて結婚宣言をされる前に止めないと」
「ならば」
するとグレイが私を制するように手を上げる。
「父に、この話をしてきていいだろうか? 万が一……話が拗れた場合、リンファが本当にここに来るとなると立場上少々問題がある。ハルトがいたとしても、バールスレイド国内のことになると口出しできる範囲は限られるはずだ、移住や亡命は大袈裟だとしても、一時的に身を寄せるにしても、必ず政治的なことが絡む。私はジュリの安全を優先したい。そのためにもなるべく穏便に済ませたい」
「あ、そっか」
「それに、あの様子なら……セイレックもリンファに一生ついていく覚悟があるはずだ、となるとあの男も貴族で魔導院のトップの地位を得ている。あの男が動くだけでも問題になるだろう。ジュリとハルトが皇帝陛下に謁見している間に最悪の事態に備えて受け入れる体勢を整えたい。ナグレイズ家のご隠居にも通信具で手紙を出す、あの方は各国との交渉を何度も経験している方だ、何かいい対応策を伺えるはずだ」
「うん、ありがと。凄く助かる」
なんて素敵な彼!!
「てか、お前ジュリを止めないんだな?!」
ハルトが驚いてる。
「止める必要があるか?」
「はっ?!」
「私はな、これでも怒っているんだよ」
笑顔が怖いよ?
「リンファを崇拝した子爵といい、皇太子といい、愚かにも程がある。これがもしジュリ相手だったら、私がセイレックの立場なら、間違いなく二人とも殺す」
「うわ、ヤバいのがここにいた。平気で殺す宣言したよこいつ……」
ハルトドン引き。
うん、私も引いた。
でも本人平然としてるー。
「そんな愚行を犯す人間が子爵という地位を守れるか? 国という立場を守れるか? いない方がいいだろう」
それはね。私も思った。子爵はまだいい。でも、皇太子が人を脅して結婚を強要、しかもなんだか勝手に惚れて勝手にリンファもそれに従うと決めつけてる思い込み激しいタイプ? そんな人が次の皇帝? マジで? 絶対やだよ。
「いっそのことハルトかジュリの【神の守護】が発動すればいいと私は本気で思っている。身の程知らずなことをしたと反省するだろう」
「お前怖い!!」
「そんなことはない。そうなれば間違いなく皇帝にはなれない。あの国にはまだ皇子が二人もいる、一人脱落しても問題ない」
「いやいやいや、グレイ? 一応皇帝が直々に次は長男に、って公言したからこその皇太子だろ」
「そんなもの後からどうにでもなるし、それも随分前の話で魔物討伐に繰り出し呪いを掛けられる前のことだぞ? むしろ今のうちに能無しと分かったなら変更はしやすいだろう? だいたい、魔物から呪いを受け長いこと床に伏せることになったのも実力が全く伴わないと知ってたのに無謀にも魔物に手を出したからだ」
「えっ?! そうなの?!」
「ああ、どの国でも王宮勤め経験者の間では有名な話だ、元々秀でた話の一つもない皇太子で手柄欲しさに無謀な計画をしたそうだ。そのせいで優秀な人材も多数失ったと聞いている、その事実をバールスレイドは揉み消そうとしたらしいが、全くその情報操作が出来ず瞬く間に広まったことを考えれば恨みを買ってネタとして噂にされてしまうような人間ということだし、それなりに皇太子を次期皇帝の座から引きずり下ろしたい人間が多い証拠だろう」
……。これこそ、不敬罪で訴えられそう。
でもいいのか、ここではそれを訴えるような人いないし。うん、お口にチャックで解決!
とにかく。
リンファのために動く。
平民風情が皇帝に会うなんて頭のおかしな奴の妄言だと言われても仕方ない。それくらい天と地の身分差がある。でもやる。
必ず、リンファを救い出す。
「会っていきなり怖じけつくなよ? あの皇帝なかなかに迫力ある」
「ならないよ、絶対に」
「なんだその自信」
「殴ってやると決めたから」
「んん? ……皇太子をだよな?」
「リンファを苦しめる全員。ハルトはその押さえ係してよね」
「え、やだ」
殴るは冗談として、それでもそんな気持ちで挑む私をハルトは笑うだけで止めない。だから迷わないし、怯まない。殴るというのは冗談としても、それくらいの気迫で対峙してみせる。
……隙をみて、せめて皇太子は殴りたい。
セラスーン様に怒られるか。ま、いっか。
困ったときのハルト様、頼りにしてるよ!!
ジュリとグレイセルにボロクソ言われてヘタレな感じになってしまっているセイレックですが、ヘタレではありません。どこかのパンダ耳の人と違って残念なキャラ扱いされる人でもありません。
色々突き抜けてる人が多いこの世界で、常識ある素敵な人の一人としてなんとか守り抜きたいキャラの代表です。




