11 * リンファの告白
今回のお話しはリンファの視点から後半ジュリ視点に戻る形になっています。
召喚当初から、貴族には特別な感情を抱くこともなく、良くしてくれる人達、という印象しかなかった。
ただ、とある子爵家の跡取り息子は最初から苦手だった。
私のことを崇拝しているようなそんな目で見ていたの。会ったその日からよ。生身の人間を見ている目ではなかった。それが酷く気持ち悪いとさえ感じるものだった。
【彼方からの使い】でありながら、【称号】も【スキル】もない私だけど、魔力だけは豊富で、しかも回復魔法や補助魔法と言ったものは召喚されたときから使えて、攻撃魔法も一回挑戦すれば全てを完璧に使いこなせる。そして、召喚されたとある伯爵領で領民相手にその力を発揮していくうちに、元いた世界で取得した『鍼灸師』と『整体師』の技術も取り入れて、瞬く間に受け入れられて、この世界でも生きていけると思えるようになった頃。
視察に来たのがその男。
子爵家代表としてあの男が挨拶してきたときから嫌だった。
伯爵はいい人だよと紹介してくれたけど、女の勘がそうは言わなかった。生理的に受け付けない、そういう感覚が一瞬も拭えない相手に私は近寄ることなどなかった。
でもその男は毎日毎日、陶酔したような目をして私の後ろを付いて歩いて、何をするわけでもなく私を見ているだけ。さすがに伯爵様も『リンファの仕事の妨げになる』と苦言を呈してくれたけれど効果はなかった。視察の期間が終わっても、帰る気配がなかった。ずっとあの目で私を見ているだけでなにもしない男は伯爵領でも白い目でみられるようになって、周囲も私にその男を近づけないよう配慮してくれるようになっていった程。それだけ不気味な男だった。
そして、そんな日々がしばらく続いてから現れたのは、あの男の婚約者と名乗る女性。
「返して下さいませ!! この方はあなたの奴隷ではありません!!」
なんの脈絡もなく、挨拶もなく、人の顔を見るなりそう罵られ、ポカンとするしかなかったわ。怒りと憎しみが込められた、今にも泣きそうな令嬢のその視線を状況が飲み込めず立ち尽くす私の後ろであの男が言ったの。
「そんな暴言を吐くような女が私の婚約者であるはずがない!! 私の婚約者はこの人だ!! 私はリンファと結婚をするんだ!!」
「目をお覚ましになって! 騙されているんですよ!!」
「女神が私を騙すわけがない! この人は神、そう、神だ! 私は、この人に仕え、そして共に在る運命。この人こそ私の運命の人だ」
「なにを仰っているか理解していますか?!」
「お前こそ何を言っている、無礼だな、リンファと私に謝罪すべきだ!!」
もう、滅茶苦茶すぎて、その場にいた人達は呆気にとられて。
そんな状況のなか。
「行きましょうリンファ、こんな女の言葉に耳を傾ける必要なんてありません」
婚約者の悲痛な説得を無視して、突然笑って私の手を握ってきて。
ゾッとした。
私は、その男の手を全力で、振り払った。
「気持ち悪い、なんなの? 触らないで、二度と近づかないで。勘違いにも程があるわ、私があなたの婚約者? バカ言わないで、あなたみたいな気持ちの悪い男の婚約者になんてなるわけないでしょう。あなたのイカれた頭の妄想に付き合うことはないから。私の前から消えて。二度とその顔見たくないわ」
怒りを通り越して、憎悪のような感情が抑えられなくて、自然と私は、その男を罵っていた。
その日のうちに私は、誰にも何も告げずお世話になっていた伯爵家から飛び出した。当てもないけど、お金を稼ぐ技術はある。ここにきて外の世界をあまり見てない、旅をするのもいいと気持ちはその日のうちにすでに外へ向いていた。
私の家は貧乏で、私が勉強に集中出来る環境を与えてくれる両親はいつもぼろぼろの古着を何度も繕い直して着ていた。どんな状況でも学校でいい成績を残すたびに二人とも喜んでくれて。資格をとって、さらにもっと貪欲にいろんな事を学んだわ。学費はバカにならなかったけど、私が働くようになってからは時々一番近くの大きな町で外食する余裕は出来た。
苦しい生活だったけど、それでも、愛情一杯に私を育ててくれた両親にはとても感謝している。田舎も田舎、山奥と言ってもいいくらいの寂れた農村での暮らし、物がなくても代用品を見つけ、作り出す知恵を与えてくれた。食べれる野草、獣の処理も習ったわ。お洒落にいえばジビエ料理、香草さえ揃ってれば結構贅沢だったかも、なんて冗談に出来るくらいに楽しく逞しく生きる術を教えてくれた。
そんな私にも大人になって恋人が出来て、そろそろ結婚かも? という雰囲気にもなっていた。
ああ、両親に、恋人に愛されてなんて幸せなんだろう。
そう思った幸せな日々。
それがある日突然、終わった。
すべてを否定された絶望。
「明日死ぬ運命です。このままでは必ず。しかし、私の手を取るのであれば、この世界であなたは無かったことにされますが、新しい世界できっと素晴らしい人生が待っていることでしょう」
私は、地球での存在意義を奪われ、否定されたの。幸せなその瞬間は些細なものだと嘲笑されたの。これからの新しい世界での幸せこそ私の本当の幸せだと、そいつはあの時の私の全てを卑下して否定した。
押し寄せる強烈な憎悪は迎えに来たというそいつが逃げだし私を選んだ神の名前を叫んで助けを求めるほどのものだったらしい。
そして、そんな私は、召喚されるその瞬間すら憎悪に支配されていた。その憎悪は今いる異世界すべてを拒絶した。
そう、神も。
だから、半端な【彼方からの使い】になった。全てを否定した故に、神が干渉できなくなったから。ハルト曰く魔力は馴染んだし【技術と知識】は元々備わっていたものだから使えるけれど、凄まじい拒絶はこの世界で生きる【彼方からの使い】が得られる【スキル】と【称号】を拒絶する器になってしまったんだ、と随分経ってから聞かされた。でもそれでよかったと今でも思っている。
そして。
人間は浅ましいと思い知らされた。
生きたいと願ってしまったの。死んでたまるかと心が叫んだの。生への人間としての根本的な欲望は私の中に根強く残っていたみたい。全てを否定したくせに、私は、生きたいと。
そして必死に生きるために模索することにした。
模索してようやく、ここは落ち着ける場所かもしれないと気持ちが落ち着いたときの不愉快極まりない出来事だったから、混乱と怒りが入り交じって初めは思考が鈍っていたと思う。常に知らずに気を張り詰めていたのかもしれない。
そして伯爵家を飛び出して一人になって、誰もいない、魔物が蔓延る森のなか、私は、深呼吸をしていたわ。その瞬間、鈍っていた思考がクリアになったの。
「ああ、自由に、なった」
この世界に来て、初めて呼吸をしていると実感した瞬間だった。
どうしてか、笑いが込み上げて。
吹っ切れたのか、諦めなのか、分からないわ。でも好きに生きよう、そう決めたの。
どうせ初めから『神を拒絶した』私は、神が干渉してくることは本当になかった。ハルトには神がいつもリンファのことを心配して見ているって何度も言われたけれど、心配してくれてるならどんな手段を取ってでもあんな下らない不快になる出来事から助け出せたんじゃないの? って、ハルトに言っても仕方ない嫌みをぶつけたりもしたわ。
そして笑ったわ。自嘲気味に。【彼方からの使い】なんて、人を狂わすだけじゃないの? って。あんな私の人格を無視した目で見ているような人間ばかり増えるなら私たちなんていらないでしょって。
ハルトは困った顔して笑ってたわね。
それからしばらく放浪したの。
楽しかった、貴族の付き合いも必要としない、好きなときに好きなだけ人の役に立つ、気ままな放浪。極寒の地はどこまでも綺麗で、どこまでも空気が澄んでいて、嫌いじゃなかった。故郷の冬の森の空気に似ていたのかもしれない。だから、バールスレイドは嫌いじゃないわ。
でもね。
放って置いてくれなかった。
強い魔物が多いダンジョン側のギルドに場所を借りて回復師として日雇いで働いていたある日、来たのよ。
「お迎えに上がりました、リンファ様」
って。
誰が。
何で?
そうひきつった顔で言ったの。
その男は笑ってたわ。きっと私に不安を与えないように、のつもりでしょうけど。私には不愉快だった。心底、不愉快な笑顔だった。
「子爵様が、ぜひ謝りたいと。一度、話し合いをしたいとおっしゃっております。ご子息様も誠心誠意でもってリンファ様に寄り添いたいと仰せでした」
って。
話し合い?
何言ってるの?
「二度と会わないわ、そして気持ち悪い。本当に気持ち悪い。あんたのその笑顔吐き気がするから止めて」
そう言ったら、その人が顔をひきつらせて、そして私は、魔力を垂れ流す腕に自信があると顔に書いてあるような不気味な奴等に囲まれていて。
「来て頂かないと困ります。お互いに譲歩なさればいいんですよ。【彼方からの使い】なんですよ、放浪なんてしていいわけないでしょう。子爵家でその力を使えばいいんです、大切にしてもらえるんですよ、何が不満ですか。【称号】も【スキル】もない半端なあなたがいられる場所なんて限られてるでしょう」
腕を掴まれた。
そのとき、人生で初めて『殺意』が、芽生えた。
―――私の生きる道を邪魔するヤツなんて、死ねばいい、と―――
そして初めて人を傷つける目的で魔法を使った瞬間になった。
極寒の乾いた空気で私の放った炎は一瞬で私ごと周囲を飲み込み、断末魔の叫びがいくつも聞こえた。それを聞いて私は心底ほっとしていることに驚いたものの、それだけだった。燃え盛る炎の中ですぐ近く、足元から聞こえる助けを乞う声を聞いても、何も感じなかった。
「静かになるかしら」
ぽつり、そう呟いて、業火のその中心から私が悠然と何事も無かったように歩いて出てくるのに偶然居合わせた人々がどんな顔をしてその光景を見ていたのか、それすらもどうでもよくて私はその場を後にしたわ。
「それで、殺したかどうかの事実確認は?」
ハルトの問いに。
「してないわ」
と、間髪入れずに答えていた。
『そのまま放置してきたから』と、淡々と答えたリンファさんの顔は、ここまで到達する会話の最中には見せなかったとても平坦な感情のない顔だった。
たぶん、本物だ、戸惑うように話していた顔も、この無関心な顔も。口調も変化してこちらが本来のリンファさんなのだろう。
「死んでいようが、生きていようが、私は構わないの。とにかく、二度と関わりたくない人達だから。いいじゃない、私が【彼方からの使い】と知っていてあからさまに結界で囲って拘束魔法をかけようとしてきたのよ。抵抗されると予測してなかったわけじゃないでしょ? 当時既に私の魔力は国一番だと噂は流れていたのよ、それを分かっていて真っ向から来たんだから覚悟あっての行動をしてたんじゃないの?」
そこまで言って、沈黙が流れた。重苦しい空気がしばし流れて、ある瞬間冷めたお茶を飲み干した後ようやくまたリンファさんが口を開いた。
「そのあとね、ハルトに『皇帝陛下に会ってみるか?』って言われて。そして実際に、とても良くしてもらったわ、感謝してもしきれないくらい。私の知識を取り入れて、『鍼灸』と『整体』の学校もやることになって、私のバールスレイドでの地位はみるみる向上して、ついには礼皇というところまで。ここまでくれば、私に何か出来る人間なんてそういない、窮屈な生活にはなったけど、煩わしい下らない不愉快な問題からは解放されるとやっと肩の力がぬけた……はずだった」
「ようやく得た平穏を壊したのが皇太子、ですね」
「……ええ。体調がほぼ元に戻った頃。急に呼び出されたの。話がある、確認したいって」
「何を、ですか?」
「……『子爵家の使者を殺したのは本当か?』とね。知っていたの、私が子爵家の人間と接触があったこと、そして、あの時本当に私は人を殺していたんですって。誰から得た情報なのか確認してないけれど皇太子にその情報を与えた人がいるのは確かよ」
なんと言えばいいんだろう。
私には、この世界でのこと、無知で未熟な私がリンファさんの告白に、どうこう言えるものではないと思って言葉が出てこなかった。
「殺す気で魔法を放ったわ。死んでいて当然ね。それを私は、確認もしなかった。だって、本当にホッとしたから。その人達が動かなくなったのを見て、ホッとしたのよ……」
そして、なぜが、彼女は微笑んだ。
「そして……人を殺したことを『私なら隠蔽できる、まかせろ』と、その言葉をその時鵜呑みにしたの。知られていたとその場で動揺した私にはその一言は蜜だったのかも。毅然とした態度で『必要ありません』と言っていたらまた結果は違っていたのかしら。それとも、結局は言いくるめられてこうなってたかしら?」
卑下したような笑みは、自分へか、それとも皇太子にか、わからない。
―――人殺しは罪、まして複数を殺したリンファ
は、重罪となるそうだな―――
「そう言われて……地球の、その価値観を知っていた皇太子に、付け込まれたのよ。『人殺し』っていう単語に、私そのとき確かに動揺したの。平穏だった環境に慣れて気が緩んでた。バカよね、私。……その時に、全部話したの。子爵家のことを。そして一通り聞いた皇太子に言われたわ」
『人殺しと言われて生きるのは辛いだろう。しかし私なら、どんな君でも愛しているよ。だから私が生きやすいようにその場所を与えてあげよう』
「って。なんで、私の周りはこんな男しかいないのかしらね? あの言葉で我に返ったけれど、遅かった」
その言葉に、胸が痛んだ。
「人殺し、そう言われて生きるなんて、私は耐えられるの? って……迷いが生じて、誰かに相談すべきか悩んでいたら、翌日には議会で宣言されてしまったの。逃げ場を奪われた気分だった、ここでも『死ぬことと逃げること』を許されないのか、って。救われた命なんだから、この世界の為に全てを捧げろ、恋も愛もプライドも捨てて、道具でいろと、そう言われた気がしたわ。……私には、人として生きる自由はないのかしら。神を拒絶した罰かしら。……それともとことん私にこの世界を拒絶させるための神からの試練かしら。いっそのこと、殺してくれればいいのに」
《闇》を見た気がした。
【彼方からの使い】なら全員が抱える 《闇》が、見えた。
私も抱える、この世界への疑問と理不尽が、リンファさんを通して露呈したような、そんな気分だった。
この話を書いていて常々考えるのが『価値観の違い』です。
難しいので極端な方法に走りたくなるんですよね。気をつけねば、と思いつつ今回の話になってしまいました。賛否両論あるかと思いますがご了承ください。




