10 * アイツはフィルム?
こちら本編です。
十章開始です。素材のお話です。
人は誰でも苦手な物があると思う。
「苦手なもの?……苦手な……」
しばし考えてから、グレイは人様には聞かせられない男女共に嫌いなタイプを淡々と語り、最早それはたんなる暴言でしょ、とツッコミを入れ、結果苦手なものがなんだったのか聞きそびれるというおかしな会話を以前したことがある。
これが顕著な人がいる。
ケイティ。
彼女曰く、とにかく嫌いなんだそう。生理的に受け付けないんだそう。
それは魔物。
レイス。
「ダメなんだよねぇ」
旦那のマイケルも困ったように笑い。
「お母さん嫌いだよね、凄く」
と、息子のジェイル君も笑う。
「ジュリ、お母さん凄いんだよ!! レイスが大嫌いだからダンジョンで見かけるとね、魔力全開で矢を放っちゃうんだ」
「魔力全開? ヤバいよね?」
「うん!! 小さいダンジョンだと無くなっちゃうよ!!」
「……ああ、ホントにヤバイやつ」
笑顔で言うジェイル君も若干ヤバい気がするけどそこは、うん、親がそれでいいみたいだからツッコミしないでおく。
本人は。
「名前を聞くのも嫌」
と、ふざけてレイスの話をしたハルトに弓矢を迷うことなく向けるほど、嫌いらしい。
「俺は強い魔物とは思ってないけど」
ローツさんはそう言いつつも何故かケイティに同情したような顔をする。
「ただ、物理と魔法を使い分けてくるから、戦い方に偏りのある初級の冒険者は遭遇したくないだろうな。それと、あの質感は俺も嫌だ」
「質感?」
「見た目は知ってるか?」
「うん、常に浮遊してて、半透明なんだよね? 目と口に当たる部分も黒い穴が空いてるようなホラーな見た目の」
「そうそう。透けてる布に顔っぽいものがあるだけに見えるんだけど」
「ヌルッとする」
え? グレイ、いまなんと?
「レイスは人間側の魔力が多かったり魔法付与された武器を持っていると物理攻撃を仕掛けてくる。魔法付与されたものはレイスが得意とする睡眠効果や呪いの類いを阻害しやすいからな、実体化し接近してきて口や鼻を塞いで窒息させようとしてくる」
それも普通に怖い。
「で、半透明のその実体化したそれ。それがヌルッとする」
ローツさんもそれはさすがに嫌なんだ。顔が怖いよ。
……なんだろう、レイスは。
「しかも生温かい」
……嫌な魔物だわ。
この世界のレイスは実体と非実体を使い分ける能力を持っていることに驚愕。
しかも、実体が嫌。
ヌルッとするのかぁ……。
お化けっぽい見た目で、それ。
やだ。
「だから言ったじゃない!! アイツらは嫌だって!!」
こちらに来て間もない頃、ケイティは実体の方で襲われた経験があるそうで。しかも集団に。
それ以降、この世界で最も苦手なものになったらしい。苦手というか、嫌悪。しかもマイケルいわく。
「顔がね。ムン◯の叫びみたいな顔してるから目の前に突然現れると心臓に悪い」
そしてハルトも。
「それで顔に巻き付いて窒息させようとするからイラッとする」
と。
「あいつら、倒しても死骸と魔石しか残らないから利も少ない」
ローツさんも肩を竦める。
で?
なんでこんなにレイスの話で盛り上がっているかというと。
目の前にあるのはレイスのご遺体。
大量に。ごちゃっと積まれてる。変な液垂れとかは、してない。でも砂利とか土まみれでそれがでっかい木箱からデロンと滑り落ちそうなギリギリに積まれてる。見映えは最悪。
このレイスのご遺体、なんと土に埋めても大地に還元されるまでかなり長い時間を要するんだって。私の知る限り、この世界の魔物って基本土に埋めると早いもので数日、長くても半年くらいで跡形もなく大地に還って消えちゃうと聞いていたからちょっと驚いた。なんとレイスに限り最低でも数年、中には埋めて十年経ってもぼろぼろになって千切れてはいたけど大地に吸収されずに残っていたなんて話もあるらしい。死骸に含まれる魔素が抜けにくく大地に還元されにくいからと言われてるけど実際はよく分からないらしいのよね。
しかも本来なら死んだ魔物の吸収が速いダンジョンでもなかなか吸収されずに残ってしまう厄介ものだとか。
「で、たまたま入ったダンジョンで大量にレイスが発生してて、それに悲鳴を上げてケイティが矢を放ちまくって、ダンジョンの上層階に戻る通路付近を壊滅させて、道塞いじゃってね。自然回復だと数年かかるから人が入って再び冒険者のために貫通させないと。下の層の魔物が凶悪化するのだけは防がなきゃいけないし」
「……だからって、なんでその死骸をうちに持ち込むのよ」
「ジュリならなんとかしてくれると思って」
マイケルがテヘペロした!! 可愛くないからね、そんなことしても!!
このレイス、倒されると目や口は自然と消えるらしく、どこにそれがあったのか全くわからない。
そして、ご遺体になると一枚の半透明な実体のある物になる。目の前にあるのは平均で直径一メートルってところかな。大きいものはさすがに置いてきたって。そして形は歪で、ぶよぶよとした決して綺麗なものではなく。
「触って大丈夫?」
「大丈夫だよ」
「どれどれ?……うおぅ、これは」
顔がひきつる。厚みは一センチくらい。
そして触感。
「生きてるともっとヌルッとするよ」
「あ、あー……そうなんだ? それが顔に? うん、超嫌だね」
弾力は、寒天。でも、撫でるとヌルッとする。なんでこんなに嫌なヌメリがあるのかわからない。
「しかも、ダンジョンですら吸収が遅いだろう? 光源を持って入っても薄暗いから足元が良く見えなくて運悪く踏むと大変なんだ」
「そうなの?」
「滑って転ぶ」
「ああ、なるほど」
「しかも洞窟が狭いと運良く転ばず体勢整えても手を突いたり顔面を側面に強打したりすることもある」
「うわぁ」
「僕も滑って転びそうになって勢い余って前に倒れて顔面からいったよ」
「えぇ……」
「その時初めて両方の鼻から鼻血を出した。貴重な経験だった」
「……嬉しくない経験」
笑顔で言うの止めて、マイケル。
「だからそのまま放置しておけないんだよ。そういう訳でなるべく回収してくるのはダンジョン破壊してレイスをそこら中に散らかしたケイティの夫である僕の責任だよね」
ちなみにダンジョンを破壊した本人は気分を変えるためにネイルアートをしてもらう! とすでに工房から逃げた。死んでいても近くにあるだけで嫌みたい。
「これをどうしろっていうの。とりあえず、洗うけども……」
拾ってきたそれは土や砂利がついていてまあ見事に汚い。
とりあえず一枚、水を張った流し台に放り込んで撫でるようにしながら汚れを落とし始めると。
「……ん? んん?」
あれ? 水の中で擦ると寒天質のものがポロポロ砕けて水のなかにそれが沈んでいく。結構簡単に剥がれてる。真水に弱い? しかも、その下からは明らかに違う質感のものが。
「え、なにこれ」
皆が私の後ろに集まってきて、手元を覗き込む。
「は? え? すっごい綺麗に落ちていくんだけど。なにこれ、中に、別の層があるの?」
「え、マジで?」
ハルトが手を伸ばして来た。そして手のひらでそれを撫でて。
「うおっ?!」
「びっくりだよね?」
「マジか?! これって」
そして、洗い終えたそれを両手で私は水が大量に滴るのも気にせず持ち上げた。
「……これは、予想外」
これ、知ってる。
ビニール。
更に十枚洗浄して。
全部綺麗に汚れと共にあの気味悪いヌメリの寒天質がなくなり透明で極薄のものが出てきた。
元々かそれとも洗ったせいか判断付かないけれど、それはしわくちゃだけど間違いなく透明な薄いビニール。
「いやぁ、びっくりだわ、これ」
グレイ、ローツさん、そしてジェイル君は何がなんだか分からない顔をしているけれど、私とハルト、そしてマイケルは呆気に取られている。
当然よ、だってこの世界でビニールやそれに似た物を見たことがない。つまり存在しない。
「これシワがなければラッピングに使えるかも。柔らかいけど使える気がする」
「シワか、乾かすついでに少し熱を加えてみようか?」
「いやぁ、これ魔物だからな。熱で変な反応起きても困るぞ?」
マイケルの提案にハルトは首を傾げ難色を示した。
うん、変な反応、つまりは『不和反応』なる魔物素材特有のワケのわからない理不尽な反応が起きるのは嫌だ。
そしてさらなる驚愕。
「透明フィルムだわ!」
テンション上がったわよ。
物干しに吊るして、マイケルが魔法で熱を加えず風だけ起こして乾かしたらみるみるうちにシワが伸びて、しかも質が変化して風に揺られてカサカサ、と音を立て始め。
なんなの、レイス。
乾かすとビニールからフィルムになるの?
意味不明。
でも!
フィルムならラッピングが!!
その質感は間違いなく透明フィルム。
触るとパリパリ音がする、極薄で透明なアレ。
よく『ラッピングフィルム』という名前で売られていたと思う。百円ショップでもだいたい二枚入りで、かなり気軽に購入できた。
贈り物の花束、花カゴには欠かせないラッピング素材。袋状なら見映えのいい物はそれに入れて口を縛りリボンで飾るだけで立派なプレゼントになった。
何より、包むことで中身は汚れないから見映えと保護、どちらも叶う。
「ええぇぇ……これ大量に欲しい……」
グレイとローツさんは、何でそんなものを? と首をかしげた。
この反応は当然で、この世界の一般常識のプレゼントと言ったらケーキかお花。なので物をラッピングして贈る習慣がないしフィルムすら存在しないからこの価値が分からない。うちの店でラッピングを始めたときはそりゃもう物珍しさから皆がラッピングのためにお金を出して、今ではすっかりククマットで定着し他の商店から真似してもいいかと言われてすぐに快諾し広めた程。
それくらい、ラッピングは受け入れれたからこれだって受け入れられるはず。
口で言っても分からないならやって見せるが早いわ。
フィルムに変質したレイスは歪なのでそれから最小限の切り落としで正方形、もしくは長方形にする。さらにそれを適度にカットして、様々な大きさに。
そして在庫からピックアップした商品を作業台に並べる。
並べたのは、レターセット、メッセージカード、シュシュ。使い道を分かりやすく見せるにはもってこい。
レターセットは見本を壁に画鋲で留めて見せて、商品は薄い紙に包んで販売している。このレイスを使えば文具店でよく見る透明な袋に入ったレターセットのように中身が確認出来るよね。完全に包み込める大きさのレイスで綺麗に包み接着剤で軽く留めるだけ。
メッセージカードも同じ要領で、一枚ずつ包んで裏側で軽く接着剤で留めれば見た目の確認が出来る上に今後は専用の封筒も一緒に包んで売ることが出来るようになるね。
シュシュはちょっと趣向を凝らす。ふんわりと筒状になるようにクルっと巻いたら両側を適度に絞って、絞った所にどちらもリボンを結んでキャンディ型に。
薄くパリッとしたフィルムだからこそ出来るのよね、きっちりと包むことも立体感を出すことも。
「え、ちょっ、なにこれ?! 凄い、凄いよこれなによこれ!!」
途中現れたキリアがテンション爆上がりでレイスで包んだそれらを見ながら騒いだので存在が薄れたけれどグレイとローツさんもかなり驚いたらしくて『ほう』とか『へえ』を連発してるわよ。
「これはいいね」
マイケルが笑顔。
「いいよね、ラッピングだけじゃなく汚れを防止する役割を果たすから紙製品は特に重宝するかも。それに見せるラッピングには透明フィルムは欠かせないからこれは良かったわ」
「ああ、じゃあまだまだ散乱してるレイスを回収してきても大丈夫だね」
マイケル、あからさまにホッとしない。一体どれだけケイティはレイスをダンジョンごと吹き飛ばしたのか考えると怖くなるから。
グレイは初めての質感に非常に興味深げで、ずっと指で撫でている。
そういえばこの人は穴開けパンチの時も初めてのその感触を確かめるようにずっと紙に穴を開けてた。この人は未知なるものに遭遇すると夢中でそれを体感したくなる質らしい。
「包み方によるけど、他のも結構いけるかな? でも乾燥させたあとは私の知る透明フィルムと同じで一度ついたシワは消えないから扱いに慣れるまでは大変だろうし、何より洗浄して乾かしてカットしての手間があるからラッピング袋と同じで使う場合はその分含めた価格にしないと。必ず使う商品は価格改定確定だね」
と、現実的なことを真面目に商長らしく語ったのに誰も聞いてくれてない。
キリアとグレイ、そしてローツさんのめっちゃ盛り上がってる様子から採用は確実だ、これ。
いいけどね。原価の計算、よろしくね。
レイス君。
うちの店ではあなたはラッピング素材として歓迎されることになりました。
「私のはラッピングしないでね」
真顔、しかも目が怖いケイティにいつもよりちょっと低めの声でそう言われた。
魔力全開で弓矢を構えられるのも嫌なのでケイティのものは決してレイス君を使わないと心に決めた 《ハンドメイド・ジュリ》の従業員たちは、口を揃えてマイケルに。
「買うときレイスを使うな、って必ず一言よろしく」
と伝えることになった。
あ、ちなみにヌメリと寒天質、そしてビニール? に分離した状態で土に埋めると大地に還元されるのがとても速まることがレフォアさんの実験で発覚し、その功績を認められてレフォアさんは後日昇格することになる。
「これでククマットに居座るためにギルドに物申す権力が強まりましたよ!」
って、昇格後に嬉しそうに言っちゃうんだけど、居座るって……。
本人がいいから、いいのか。
ジュリとグレイの会話。
「地球だとフィルムでお菓子も包装してたわね。パウンドケーキなんてそれにリボン掛けたら立派なプレゼントになってたし」
「それならこちらでも」
「元を知ってると嫌かな!!」
その辺は気にする主人公 (笑)。




