9 * やっと開店です
雪が降る、凍える朝。
新築の香りが残る 《レースのフィン》は暗いうちからすでに人が動き出していた。
すでに陳列は完璧。在庫もかなりの数が確保されているし、それこそ日が昇ればこのククマットや周辺の村、地区の誰かが編みはじめる。いつでも、用意してくれる。
今回、口コミで開店に並ぶ人たちと侯爵家が出した開店のお知らせの手紙、つまり開店記念の招待状を受けとる人たちを別の日にそれぞれ迎えることに。
つまり、プレオープンをやってみることに。
一般向けの大々的な宣伝では四日後の開店になってるんだけど、今日から三日間は侯爵家が厳選した人たちだけを受け入れる。
レースを主体としたお店なので価格が高め。故に購入者も高所得者が比率としては高くなるだろうと見越してのこと。
貴族のため、富裕層の為の店ではないけれど、それでも今回そうしたのは、やっぱり周辺に休める、待機できる場所がないから。別棟の完成はもう少し後なので、寛ぐ場所はククマットの市場しかない。
市場周辺なら時間潰しも出来るけどここは無理だから、三日間のプレオープンを組み込んだ。相変わらず市場では露店が出てるし、今日から露店で出すレースは数も種類も大幅に増やした。無理にここに来なくても低価格なものなら露店で買えるように体制を整えてしまったのよ。
これで客層を上手く分散出来れば、《レースのフィン》のコンセプトにも叶う。
ちょっと背伸びして入るお店。
《レースのフィン》はそんな店にしたい。ハイブランドのお店に入るちょっとした緊張感。あれを目指してる。誰でも入れるけど、背伸びして入ってお気に入りを見つけて購入してちょっと優越感に浸る、そんな気分が味わえたらと思う。
今回招待状を送った人たちには『三日間限りの入場制限』ということを明確に記している。貴族の店と勘違いされても困るから。身分で入場を規制することに抵抗がある旨を、私の想いも記している。【彼方からの使い】として、身分で何かを差別することを認めないことをはっきりと示した。それが嫌なら無理に来なくても構わないと。文面は柔らかく丁寧にしたけれど、内容は結構キツいと思う。
こんな招待状を貰ったら怒る人もいる覚悟は出来てる。でも、《ハンドメイド・ジュリ》では未だにごく稀に貴族だからを理由に勝手に行列を無視して入店しようとしたり、庶民と買い物をしたくないと他のお客さんを店から出そうとする人がいる。
それを私は認められないから。
「ジュリ」
「なに?」
「父から伝言を預かっている。今回プレオープンの招待状を送ったすべての家から昨日までに規則やルール、ジュリの販売理念に従う、その上で伺うと返信があったそうだ」
自分のやり方は、決して優しくない。
人によっては窮屈だし、それこそ差別だと言われることもわかってる。
でも、それでも皆が少しでも平等に近い形で買い物を楽しめる環境を提供したい。
色んな販売方法があっていいはず。
特別とか平等って言葉を巧みに利用して、一人でも多く、買い物を楽しんでほしい。
「……少しは、理解されたのかな」
「そうだな」
「これから、だね」
「ああ」
小さな小さな、変化。
それでいい。
《ハンドメイド・ジュリ》は一年、《レースのフィン》はこれから。
まだまだ、始まったばかり。
【変革する力】を発揮する場は、自分で作って行くのだと思うから。
今は、ほんの一握りの人たちに認められただけでも十分。
「お待たせ致しました、ようこそ 《レースのフィン》へ。御来店ありがとうございます」
扉を開けて吹き込む冷たい風が、心地よかった。
フィンは貴族や富裕層の人たちから恭しい挨拶をされて顔をひきつらせてるわ。
ちょっと可哀想だけど、この店の『主宰』だからね。
店長ではなく『主宰』としたのは、店を守るというより、彼女はレースの開発やそれを人に教える事を主な仕事としていくから。
すでに一部の人たちにはフィンはレースの『職人』として見なされている。フィン編みの特別販売占有権を単独で保有する彼女に注目している富裕層の女性は国内に留まらない。凄いのよ、フィンは。本人にその自覚がまったくないけども。
店に縛り付けるより、私のように自由に編み物させてた方が良いものを生み出せるはず。
その代わり、私の周りには最強のおばちゃん集団がいるので、レースに精通してるのと私のやり方を把握してくれてるので店は彼女達に任せておく。
そしてローツさんや交流がある貴族の方に相談し、お店には店員兼貴族対応可能な元執事さんや侍女さんを紹介してもらい、ククマットに移住してもらい、そして雇った。
その人たちが今後はおばちゃんたちからシフトしてお店の経営と運営の中心になってくれることも決まっている。
「本当にここは職が次々生まれるな」
ローツさんは面白そうに笑ってた。
しかし、この 《レースのフィン》は企画した当初からある程度の富裕層をターゲットにしてもいいと思って『背伸びして入るお店』を目指して計画を進めたけど、うん、間違ってなかった。
お店の外観はククマット市場の規格の決まっている建物と同じ色で統一してあるんだけど、中はククマットにはないかなり高級な雰囲気。
艶やかな深い焦げ茶色の棚やテーブルが並び、落ち着いた内装で、商品であるレースが花瓶の下に、カウンターにと実際に使われていてかなり贅沢。
陳列も小さいものはいくつか見本が手前に置かれて、その後ろのカゴに値段の同じものが整然と畳まれ納められて並べられていて、それだけで壁一面を占拠しているスペースはなかなかに見ごたえがある。このスペースのレースの柄を一つ一つ確認するだけでもかなり時間かかるよこれ。
そして、店内にはテーブルと椅子が設置された。
大物で気に入ったレースがあり、その色違い、大きさ違いなどが欲しければそれを編んだフィンの直属である『副主宰』たちに注文できるのでその商談が出来るスペースを設けた。
その時雇った元執事さんや侍女さんたちが活躍する。
貴族の礼儀やルールを知らない作り手とセットで主に会話を担当してもらうの。そうすることで極力失礼がないように対応できるし、何よりスムーズな対話は時間の無駄を無くせる。
領民講座の講師を担当してくれている元侯爵家執事エリオンさんにはその人たちの纏め役をお願いした。
「まさか、こんな働き方があったとは思いもよらず。妻まで勤め先を斡旋していただき本当に感謝しかありません」
そうそう、エリオンさんの奥さんには 《ハンドメイド・ジュリ》のすぐ裏に住んでるご夫婦に任せてる託児所の保母さんを最近やってもらってる。
今結構な人数の子供が預けられてて、ご夫婦とアルバイトさんだけでは大変になってきたからね。それでお子さん全員成人して子育て終わってるし、何より四人も育てたお母さん。頼もしい人だよと目をつけ声をかけたわけ。
「いやいや、そのうちさらに開設する託児所の所長になってもらうつもりだから感謝なんてそんな!」
「……え? それ、冗談ではなかったのですか?」
「え? 冗談でそんなこと言わないよ私」
「それ、妻に話は通ってますか?」
「え? まだ言ってないよ? 計画がある程度進んだら言うつもりだったから」
「……」
ははは、エリオンさん。私はね、使えるものは使う主義。そして外堀から埋めてくのが得意なグレイとローツさんがいるからね、たぶん奥さん所長になるよ (笑)。
話がそれた。
とにかく、富裕層が《ハンドメイド・ジュリ》よりも多く来店する対策は店内だけでもそれなりに出来てると思う。
この対策はフィンたちから提案されたことがきっかけだった。
自分達では対応出来ないことも多いのだろうから何とかならないか、と。
《ハンドメイド・ジュリ》を開店した頃には考えられないこと。当時はみんな適当になんとかなるって気楽な心構えで。
でも、物を作り売るうちに、たくさんの人と関わるようになって、『それじゃダメ』と気づいて。
庶民の私たちでは出来ることは限られているけど、それでも『何とかならないか』と考えるようになったことは大きな進歩。
そういう心が一人に生まれれば周囲も影響を受ける。それが、徐々に広まって、こうして 《レースのフィン》が出来た。
どうせ富裕層とは縁がない、と割りきるんじゃなく、避けるのではなく、歩み寄ることでこの店が出来た。
長閑な農村。
ポツンと、ちょっと異質な大きな新築の建物。
合わせて拡張と整備をした道には、何台も馬車が停まっている。
「寒いなかご苦労様です、これ飲んでください」
「えっ?! いいんですか?!」
買い物に夢中の主たちをただひたすらにパラパラ雪が降る中待つ御者さんたちに、お店の作品を作ってくれている、店頭には立たない女性陣が熱々のお茶や焼きたてホカホカのパンを差し入れる。
これも皆が話し合ってせめてもう一棟、待合喫茶室が入る建物が出来るまでは交代で待機してやろうと決めたこと。
私が『こんなのどうかな?』と言わなくても自然と『気配り』や『サービス』に通ずるものを考案出来るようになってきている。
凄いこと。
この変化は凄いことなのよ。
こうして、発展の礎が出来ていくのだと思う。
【変革】とは別の、必要な力。
それはやっぱり、この地に元々いる人たちが得て使いこなしていくべきもの。
その一端に私が関わっていると思うと感慨深いものがある。
「あ、ご隠居!! 来てくれたんですね!!」
「……ジュリよ」
「はい?」
「その『ご隠居』という呼称はすでに定着したのか」
「え、だってご隠居が笑って『構わない』って言ってくれたじゃないですか」
プレオープンの三日間、私も顔を出すことが決まっていたから顔馴染みの人たちが重ならないよう侯爵様が配慮して来店時間を大まかに指定してくれていた。
そんな中、昼過ぎ現れたこの人。
ご隠居。
マニキュアこと爪染めの原料となる木の栽培に適した土地の可能性があるベイフェルアで唯一の領地の先代子爵。現在は息子に爵位を譲ってのんびり隠居している人なんだけど。
なんでご隠居と呼んでいるかって?
だってね。
初めて会ったとき、息子さん二人が彼の後ろに付き従って現れてね。
白髪白髭、しかもその白髭の形といい、ちょっと小柄なお爺ちゃん然とした雰囲気といい。ついでに付き従う息子二人のちょっと只者では無さそうな雰囲気といい。
日本全国旅をして、悪者退治をする、先の副将軍様が思い出されまして。
ナグレイズ子爵家の影の権力者。通称ご隠居。
私のいた世界にある娯楽を観賞出来る物に登場する人がご隠居って呼ばれてたんですよ、悪者退治のプロなんですよ、って話したら笑って許してくれたから私はご隠居呼びしてる。
今日は息子さん一人だけだ、長男の子爵様だ。うん、後ろで声を殺して笑ってる。
「いい店ではないか」
「ありがとうございます、その言葉はフィンにもお願いします」
「ああ、先ほど挨拶した。以前会ったときより今日は随分緊張していたな」
「貴族や豪商の方々が挨拶してくるので。これからは避けられないのでいい機会だと思って今日から三日間は頑張ってもらいます」
「……貴族が庶民のご機嫌伺いをする世になるか」
「え?」
「見たか? ジュリ。己の欲のために、フィンに頭を下げる貴族や豪商。もはや『貴族だから』の一言で生きていける世が終わるのは目に見えている。それを見越した先見性のある者は喜んで今日から三日間、フィンに頭を下げるのだろう。それが例えプライドを傷つけ、不満を抱えていようとも、生き残るための手段として受け入れた者が勝者となると知っていてな」
ご隠居は、面白そうに笑ってエリオンさんに付いてもらいながら商人と談笑するフィンを見つめる。
「ジュリよ、勝者を味方につけるのを忘れるなよ? それはフィンのやることではない。お前がやることだ。侯爵家とは別の、信用を手にするためにな。信頼まで得る必要はない、商売人として信用されればいい」
「出来る範囲で努力だけはさせていただきます、とだけ」
私の返しに満足したのか、ニッと笑って背を向けご隠居が歩き出した。
「今はその答えを及第点としておこう」
「手厳しいですよ」
「ははは。そのくらいの方が気も引き締まるというものだ」
家族からいいのを買ってこいと言われた、ゆっくり見させてもらうとご機嫌な様子で息子さんと店内を巡りだしたご隠居。
最近こうしてその人なりに私を心配して言葉をくれる人が増えた。
これも《ハンドメイド・ジュリ》を開店して日々働いていなければ得られなかった。
(頑張ろう……)
《レースのフィン》のプレオープン初日。
色んな感情が沸き起こった一日。
ブクマ&評価、誤字報告ありがとうございます。
開店前に入れた 《本喫茶暇潰し》やレターセット、そしてグレイセルの誕生日ネタがどれも一話で終わらずまさかの九章後半での登場になってしまいました。




