8 * とあるお偉方、目の当たりにする
モブの語り回です。
あの人の【彼方からの使い】としての役割が垣間見れるかと。
※残酷な表現が含まれます。
ご了承ください。
私は今前方にいるこの男が怖い。
ネルビア首長国の財務部長官という名誉ある役職に就いてから大首長レッツィ様のため、この国のため尽くしてきたしこれからもその気持ちは変わらない。
けれどもし、この男に今すぐその地位を捨てろと言われたならば、レッツィ様への忠誠心が揺らぎ、逆らえない気がしてならない。
初めて会ったとき、【勇者】を一撃で倒した男には見えなかった。人懐っこい笑顔が印象的で実際誰であっても丁寧かつ柔和な対応をし、人受けの良い男で我々は友好的な関係を結べると疑わなかった。
しかし。
「レッツィ、俺、言ったよな? 余計なことはするなよって」
感情の欠落した表情の男は、張り詰めた空気などお構い無しで手に握っていた握り拳大もある美しく鮮やかなオレンジ色の魔石を上へ投げては握り、投げては握りを繰り返している。
「マイケルがこれはダメだって抜いたらしいけど、俺はそもそもジュリに魔石を渡すこと自体がダメだと言ったはずだけどな? 忘れたか?」
レッツィ様はどう答えたものかと、考えているのかそうでないのか、この男の問いかけに答える様子が感じられない。
「ジュリが魔物素材を加工したものは魔法付与がしやすくなるし、物によっては一般常識を大きく外れた付与になる。付与に最適な魔石をどんな理由にせよ渡すなと俺は以前言った。軍事利用に向いた技術だ、否応なしに政に巻き込む火種になるからって。侯爵家やフォンロンだけじゃなく、お前にも間違いなく俺は言ったよな? 結構強めに釘を刺したつもりだったけどなのに……なんでお前はそれを破った?」
やはり、レッツィ様は何も答えない。そして男もそこから沈黙する。
恐ろしい静寂がその場を支配した。
呼吸すら許されないような、静寂。
定例会議で集まっていた首長たちと我々官僚数十名はこの場に居合わせてしまった自分達の不運を恨んでいることだろう。
「おい」
男は再び遊ぶように上へ投げた魔石を握りしめると視線をレッツィ様に向けた。
「なに黙ってんだよ? 誰が黙秘許したよ? ジュリからの献上に興奮して魔石を用意しただと? そんなバカな話があるか。各国のスパイがうじゃうじゃいるククマットでよくそんな浅はかなことが出来たな、と俺が怒鳴るだけで済むと思ったか? ……リスクの高いやり方でジュリの今の現状を少し変えた所までは目を瞑ってやるつもりだった。……その後、万華鏡とジュリの手紙で強引なやり方は止めてほしい事が分かったはずだ。なぁ、レッツィ。……目的はなんだ?」
そして、突然だった。
笑みを浮かべた。
薄い、微笑と呼べる程度の。
背筋が凍った。
足が竦み立っているのが精一杯だった。
喉の奥から出そうになった悲鳴を、必死に飲み込んで耐える、恐怖に。
「いいや、俺が言うわ。なんで、この魔石を俺がわざわざ持ってきたか、お前は分かるよな?」
笑みが深まった。何か期待するような、楽しみを見つけたような、そんな笑みだ。
「これには既に魔法付与がされている。並みの魔導師じゃ気付かなかったし、マイケルも中身を念のためと確認しなかったら気付かなかったかもしれない。表層を覆ってるのは『隠蔽』魔法……その下に結界や魔方陣の働きに影響を与える『魔力弱体化』が付与されてる。……もし、これをジュリが加工したら? ちょっとした加工で表層に貼り付けただけの隠蔽は壊れるだろうな。……けど、その下にしっかり定着している付与は桁外れに向上する可能性がある。ジュリの加工は付与したものを破壊するだけじゃないこともわかっていて、それをお前も既に知っていた。すると、何が起きる? 《ハンドメイド・ジュリ》に施されているマイケルの強力な魔法結界にヒビを入れるかもしれないよな。そして俺やグレイが気づいて転移する前に、自分の付与した魔法の発動を瞬時に感知可能なお前なら、出来るよな? ……ジュリをククマットから連れ出すことが。お前は、極めて低い確率だとしても、不可能ではないことに期待したんだろ? そんなことになったら、面白いよな、お前は。好きだもんな、人を振り回すの。誰にでもそれが許されると思ってるもんな?」
また、笑顔が変化した。
とても楽しそうに。
無邪気な害意のないような笑顔なのに、それなのに。
目の前の命を渇望する殺気が詰まった目をしている。
「なぁ、レッツィ。ジュリに会いたいと思っているお偉方は山ほどいる。お前が興味本位で、おふざけで、笑ってやったらどうなる? 皆同じことするとは思わなかったのか? あいつがやったなら俺だってって、皆思わないか? だから、抜け駆けは絶対に許さないって、俺言ったんだけど? 全部ジュリ次第、ジュリの気の赴くまま、それ以外認めないと言ったはずだけど?」
笑みを顔に貼り付けたままコツ、コツ、とゆっくり男はレッツィ様のいる玉座へと歩き出した。
「バレなきゃいいってか? それくらい何とかなるってか? なぁレッツィ? 前も言ったけど俺は、お前が嫌いだよ。【彼方からの使い】を神様のように敬って人間扱いしない態度も、そのくせ面白そうだと思えばおもちゃみたいに扱ってやっぱり人間扱いしない、都合のいいように俺たちを見ているお前が、嫌いだ」
ただひたすらに沈黙を貫くレッツィ様は玉座から立ち上がる。
その瞬間、男はピタッと歩を止めた。
「過ぎた事を、悔やむつもりはない。だが、謝罪くらいはすべきだろうな」
レッツィ様の落ち着いた声に我々は安堵した。この状況を打開して下さるだろうという思いに疑いなど微塵もなかった。
しかし。
「いや、謝罪いらねぇわ」
男は笑っている。
「俺今回マジでイラついてんのわかるだろ? 許す気なんてねぇの」
やはり笑っている。
私は、恐怖というものを、人生で初めて味わっている。後にも先にも、これ以上のものなどこの世にないと思える恐怖を。
「お前ちょっとしばらく寝てろな」
そして、魔石を握っていた手を突き出すとその掌にある魔石がパン!! と甲高い破裂音を立てて砕けて飛び散る。
「これと同じように、ちょっと吹き飛ばされとけな、痛いぞ?」
「ハルト!! 話を!」
刹那。何が起きたのか、分からない。
ドオォォォン!! という地響きに似た轟音。プツリと切れるように緊迫した空気が霧散すると同時に我々は戦慄する。
「……ぐふっ……あ、う、……わ、悪か、った」
「謝るくらいなら最初から大人しくしてろよ」
何が起きたのか、それを目で追って確認できた者はいない。
玉座へ向かう階段手前は破壊され陥没し、敷き詰められていた大理石が飛び散り、運悪くそれが直撃した何人かはその場で悲鳴を上げ倒れた。我々はその悲鳴に促されるように出した情けないほど怯えた声でレッツィ様の名を叫び、そして倒れた仲間を介抱するので精一杯だった。
誰もレッツィ様を救いだすことは出来ない。
いや、許されなかった。
「や、めて、くれっ……、俺以外に、手をだ、すなっハルト……!」
「殺さないだけありがたいと思えよ」
陥没した床の上で仰向けで手足を痙攣させるレッツィ様を男は見下ろしている。
どういった【力】を使用しているのか、我々はその場から動く事が出来なくなった。結界でもなければ、魔法でもない。男の異常さとは真逆の、清廉な青白い炎のような揺らぎが辺り一面を覆い尽くしている。そして、言葉を発することさえ出来なくなって、頂点に達したと確信していた筈の恐怖が増幅し、思考を鈍らせる。
今この場を支配しているのは間違いなくこの男だ。
それだけしか、考えることができなくなった。
「お前も殺さないよ? 殺すとさぁ、お前に【称号】と【スキル】与えた神が怒って襲ってくるからさ。放っておくとオレが死ぬまでしつこく襲ってくるから殺さないと厄介。『神殺し』って面倒なんだよ、『神器』纏わないと殺すの手間かかるし、一回身につけると神化して一週間は戻れないから」
男は右足でレッツィ様の頭を蹴った。
嫌な音がして、鮮血が飛び散るのが見えた。何をするんだと叫びたくても、声が出ない。
「お前、……神殺、しの【スキル】持ち、かっ?」
「え? 言ってなかったっけ? 俺の守護神、【全の神:ライブライト】って。あはは、言ってなかったか」
「!!」
「俺は【英雄剣士】って気に入ってるんだけど、『神界』ではもう一つの【称号】で呼ぶ神が多いらしい。神殺しの【スキル】なんて必要ない【称号】だな。守護神が誰か無闇に話すものじゃねえけど、俺の場合今さらだよな。隠すの止めるわ。お前みたいな奴を黙らせるにはうってつけの【称号】だし『世界の成長』の為に付けられたわけだし」
『世界の成長』のための【称号】。
何を言っているのか理解したくなかった。
それは過去にたった一度だけ、たった一人に与えられた【称号】という伝承がある。
この世界の秩序と混沌を自在に操り、文明の誕生と発展を促すために神がこの地上に遣わした存在。
「俺、【神の代行者】なんだよね」
笑みの質が変わった。悪戯が成功した子供のような、満足げな軽やかな笑い声を立てながらの笑顔に。
「ばか、なっ、……あれは、ゴホッ……!世界創世の、為の、【称号】の、はず!」
「ああ、うん、そうらしいんだけど、俺に適合するって分かったライブライトが付けちゃったんだよ。ま、文化の発展すらなかなか進まないこの世界だから必要な措置ってわけだ。今までは滅多に使わない【称号】だったけど、ジュリの件を皮切りにもしかして色々俺が変えなきゃいけない時期に突入したかな? マイケルとケイティに相談してみるさ、一人でやるの面倒だし」
「な、なぜそれを、言わなかった! お前は、……何を、考え」
「レッツィ」
男は上半身を折るようにして、レッツィ様の顔を覗き込む。
「お前はこの体でよく喋れるなぁ?」
そして、男はレッツィ様の肩を蹴る。
「あがぁっ?!」
「もうちょっと、潰しても平気そう」
そう言って、既に肉がこそげ落ち肋骨が露になり、内臓が飛び出し夥しい血が流れ、人間の胴体の原型を留めていないレッツィ様を一瞥してから突然、左腕を掴んだ。さらに、足裏を胸に掛けて踏みつけた。
そして次の瞬間。表現しがたい、耳障りな音を立て、レッツィ様の左腕が肘の辺りからひねりちぎられた。
「ぐあぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「はい、もう一本いっとこうか?」
ちぎられたレッツィ様の腕をごみのように男は放り投げ、それが血肉を撒き散らし壁にぶつかり床に転がるのを確認すると、今度は握り拳を掲げ、それを左足めがけて振り下ろす。レッツィ様の左足膝下は床の大理石ごと男の拳の威力で潰れ肉片となり散乱する。
「どうせお前は【スキル:超再生】で元通りになるんだから平気平気」
飛び散った血肉で濡れた男は立ち上がり、レッツィ様を見下ろす。
口角を上げ目を細め笑った。
「俺の言いたいこと理解したよな? 【称号】と【スキル】持ってるからって、調子に乗るなってことだ。ジュリが無力なのをいいことに、お前が力を使うなら、俺はジュリの代わりにこうして力を使って何度でもお前を止める。俺たち【彼方からの使い】はこの世界で必死に生きてる奴等のための存在であって、お前みたいに遊びや自己満足の為にちょっかいを出してくるような奴等の為じゃない」
男は、再びレッツィ様の頭を蹴った。また、嫌な音がして、血が飛び散るのが見えた。
「俺たちは俺たちなりに必死に生きてる、それを邪魔するんじゃねえよ」
そして、笑顔はまだ崩れない。
「あ、そうそう、お前がナメてかかってるグレイセル・クノーマス。あいつ最近、神に興味持たれてっから。お前に【称号】と【スキル】を与えた神より格上に。あいつにも手ぇ出すなよ? 後悔してもいいなら好きにしろ」
強力な魔物を数多倒し、ロビエラム国の人々に安寧をもたらした【英雄剣士】。大陸中の冒険者が憧れ、大陸中の人々が敬意を払いそして称賛する男。
しかし。
今ここにいるのは。
『神殺し』さえ許された、神々の頂き【全の神】の寵愛を受ける【神の代行者】。
その男は、我々凡人には到底理解できない、したくもない狂気を嬉々として受け入れ常軌を逸脱した生き方に身を委ねる異質な存在なのかもしれない。そうでなければならないのかもしれないが。
「この件、世の中に知らせてもいいけど、ジュリにこいつが魔石を渡したことだけは他言無用だからな? お前ら、その辺わかってるよな?」
男は誰と言うわけでもなく、視線を誰かと合わせるわけでもなく、ただレッツィ様を見下ろして我々全員に問いかける。
「この国がジュリに関わるのはまだ早い。ジュリ自身がそう結論付けたし俺たち【彼方からの使い】もそう思ってる。いいか? これ以上何かするなら、それなりに覚悟を決めてからにしろ。こいつの独断と偏見でやったことだと逃げるんじゃねえぞ、お前ら。この国は独裁政権じゃねぇんだから秩序を乱す頭を諌めるのはお前らがやることだ。どんなに【称号】【スキル】が圧倒的でも、手綱握ってろ。出来ないなんて言わせねぇぞ、必ずやれ」
男の顔から、笑顔が消えた。
感情の読み取れない無表情へ。
「国ごと灰になりたいヤツなんて、いないだろ?」
脅しでもなんでもなく。
男を裏切ればこの国に起こる事実を、事も無げに言い放った。
「レッツィ様、ご無理はいけません」
「……大丈夫だ、肉体の再生はもう済んでいる」
「しかし」
「まあ、当分は痛みで動けない。大人しくしてるさ」
無惨な姿は嘘のように半日もかからず再生されたが、それでも顔色は優れない。受けた傷の痛みまでは消せないらしい。それでも神がかりな肉体再生が可能だからこそ、この方はこうして笑っていられる。
「……ハルトはどうした」
「あの後直ぐに転移で去りました」
「そうか……今回はやり過ぎたか。マイケルとケイティが何も言わないから許容範囲かと思ったが、それなりに警戒はしていたということか。やはり、マイケルの目は誤魔化せんな。俺の隠蔽魔法でも見破るとなると、マイケルの目を欺ける【称号:魔導師】は事実上ハルトだけ、か。いや、あいつは【魔導師】ではないな」
レッツィ様はベッドの上で残念そうに息を吐き出すと、目を閉じた。
「……どうされますか? 【彼方からの使い】ジュリ様をこの国へ一度お招きしたいことには変わりありません、レッツィ様だけではなく、それは我々の総意でもあります」
「ふーむ、どうするか。ハルトにはすっかり嫌われたからな」
「やはり、クノーマス家へ直接打診すべきでは?」
「それはない。クノーマス家を巻き込むとあの家がベイフェルア王家から何をされるかわからないからな。それこそあの家に何かあってみろ、『ジュリ様』を巡り国が荒れる。あの国にはまだ生き残ってもらわないとな、あの方はクノーマス領に好んで腰を据えているんだ、それを維持するためにはあの王家もクノーマス家も関わる時期ではない」
「我々で、今後の方針を話し合っておきます。そして各首長様たちからも意見を頂戴する許可を頂けますでしょうか」
「そうだな、そうしてくれ」
そして、レッツィ様はうっすらと目を開け苦笑した。
「やはり、同じく【称号】や【スキル】を与えられた人間だからといって、理解し合うには、ほど遠い存在ということか、ハルトという男は」
「レッツィ様……」
「しばらくは大人しくしていよう、お前たちにまで手を出されては敵わない。ハルトを刺激せず交流する機会はまだ先、それまで監視だけは怠るな、そして今まで通り何があってもククマット、侯爵家、ジュリ様に関与させるな。ただ情報だけを得ることに徹しろと」
「承知いたしました」
「関与するのは俺以外はダメだ。ハルトの相手をすることになる、今日のことでハルトが世界最強であることがはっきりしたからな、逆鱗に触れた瞬間、消されるだけだ。……その情報も周知させろ」
我々はもちろん、レッツィ様とてジュリ様を無理矢理このネルビアに連れて来たいわけではないし、むしろ友好的に信頼関係を結びたいと思っている。
しかし。
我々にも事情というものはあり、なるべく早く難しい問題は解決してしまいたい。
そのためには、ジュリ様の【技術と知識】がきっと……。
いや、今はよそう。
余計な希望や欲は、持つものではない。
レッツィ様に従い、我々は己のすべきことをするだけだ。
生き長らえるために。
ようやく八章終わりです。
九章、《レースのフィン》開店させる予定です。
その前に入れなきゃならない話があるので、九章も長くなる予感しかしません。
ハルトですが。
この男の人物像は初期の設定決め時点でほぼ出来上がっていたので、この話も必ず入ることが決まっていました。
今後もハルトのヤバい言動出てくる予定です。グレイセルとは違うヤバさを表現出来ればと思ってます。




