8 * これも優しさ?
込み上げる怒りを必死に抑える。
私が怒りを露にしても意味はない。私より、ヤゼルさんや職人さんたちが遥かに辛い。
「……ライアス、ヤゼルさん大丈夫だった?」
「ああ、大事に至らなくて良かったよって笑ってたな。まあ、空元気だが」
ライアスは肩を竦めた。
騒然となったけれど、直接の被害があったわけでもないしお客さんも待っているのでお店はいつものように変わりなく開店させる。
すると、最初の五人は入ってくるなりお店の商品に目もくれず接客担当のおばちゃん二人に声をかけた。
「大丈夫だったんですか? なんだか大騒ぎになったんですよね?」
「ここは何もされてねぇだろうな?」
「良かったぁ、外は大騒ぎだから開店しないんじゃないかと思ってた」
開発中の工芸品が盗難にあったことまでは知らなくとも、このククマットが大きく関わっていることは察したり噂を聞いて、心配する声を掛けているのが工房からも聞こえ私は肩の力がいい具合に抜けた。
悪いことより、こうして気遣うやさしい人々の心に触れられる環境がここにはある。
「いいね、こういうの」
「うん?」
「働いてないと、こういうのって体験出来ないことだよね。不謹慎だけど、心配してもらえるって、ちょっと嬉しい」
キリアは照れ臭そうにそう笑った。
うん、そうよ。
友達でも家族でもないのに、心配してくれる人がいる、支えてくれようとする人がいる。
それはここで働いたから気づけたこと。
その気持ちを、大事にしたいし、自分も誰かが同じ思いをしたとき、同じように思えるだけ、大切なものがもっと増えればと思う。
「それにしても、貴族の嫌がらせなんでしょ? たち悪いよね」
「そうだね」
「王家の名前使っちゃって、絶対問題になるでしょ」
彼女は今度は憤慨した様子だった。
私は笑って誤魔化したけど。
ククマットを中心に急成長を始めたクノーマス侯爵家への嫌がらせ。
本当にそれだけなら、対応は単純だった。
万華鏡を世に送り出すのを待ってほしいという侯爵様からのお願い。
螺鈿もどき細工と、万華鏡。私の物を生み出すペース。侯爵家の急成長とそして立ち位置。
これらが重なり合って今回の騒ぎになった。
まず、私が物を作り販売する流れに関係する貴族は実は多い。
侯爵家だけじゃない。
ルリアナ様の実家、ローツさんの実家、どちらも革や白土を通して取引が活発になっている。そしてそれだけじゃない。ネイルアートに必要な爪染めの原料となる樹木の栽培にある子爵家の土地が適応する可能性がありすでに試験栽培が開始されている。他にも螺鈿もどき細工のために職人を引き抜きをした伯爵家、男爵家とも私の店の視察や職人の交流などを含めて活発にやり取りがなされている。
話は少し逸れて、実は職人を引き抜いた伯爵家と男爵家はクノーマス侯爵家とは派閥が違う。
ベイフェルアには王家中心の軍事国家を作ろうとする強権派、王家と議会による分権によって経済発展を優先すべきという穏健派、そしてどちらにも属さず個々に王家に忠誠を誓い静観している中立派の三つに大きく分けられる。
クノーマス家は昔も今も『不動の中立派』と呼ばれる家で、代々騎士や魔導師が生まれれば王家に仕えさせ、王族の命が最優先という職務が多いのであえて政治とは距離を置き続けている。
そして、強権派にベリアス公爵家。度々クノーマス家を取り込もうとしてきたけれどことごとく失敗してきたらしい。そしてグレイが騎士団団長として再任を求められ残留した際、クノーマス家による政治への影響力拡大を懸念した強権派が中心となってクノーマス家に圧力をかけた背景がある。
穏健派の代表はアストハルア公爵家。この家も昔から『究極の穏健派』と呼ばれる程一貫して立場を変えていない。究極の、と言われる所以はその立場を脅かす者は徹底的に潰しにかかる、というもの。それが強権派だろうが中立派だろうが、仲間であるはずの穏健派だろうが、容赦なく潰すらしい。ちなみに数十年前に、ある侯爵家がアストハルア家を貶めようとして僅か一ヶ月で没落、一家離散するはめになったそう。
今回、この国に存在する三つの勢力を無視して、侯爵家は強権派に属する伯爵家と男爵家から職人を引き抜いた。それは意図してしたわけではなく、螺鈿もどき細工を任せられる、ヤゼルさんに匹敵する彫刻技術を持っていたからに他ならない。
そのため、侯爵家は権力争いとは無関係であること、純粋な取引であることを証明するために職人を期間限定で借りるための莫大なお金、レンタル料のようなものを支払って、しかも技術が確立されて物が王家に献上され次第、伯爵家と男爵家も職人の育成と共にククマットとは別の螺鈿もどき細工の加工販売が出来る体制を整えるため今も活発な話し合いをしている。水面下での交渉は一切せずに、やましいことはないと証明するために。
それでも。
「面白く思わない貴族は多いわよね。……派閥間の摩擦問題もそうだけど、儲け話があるのにそこに加われるのは侯爵家から打診した家だけだし」
ついそう愚痴を溢してしまった。グレイも同じ気持ちらしい。
「面白くはないだろうな。爪染めの樹木の栽培契約も穏健派の子爵家。権力に直接食い込む公爵、侯爵クラスはジュリの開発するものに現状関われていない。少しでもこちらを混乱させ力を削ぎたいと考える家が多いのは事実だ」
そこでグレイの言葉がピタリと止まった。
今回の件は、それだけじゃなかったのよ。
クノーマス家の動きを面白く思わない貴族を焚き付けた力が存在する。この存在にさすがのグレイも困り果てている。
カイくんが『ベイフェルア王家』の関与を示す証拠を今回の職人の裏切りを手助けした男三人から見つけた。
でもそれは『あり得ない』ことよ。
それは私もすぐに、あれ? と思って。
まるで王家の主導、もしくは王家が手を貸している、それがすぐに分かるような事を普通する? いくら国王が問題のある人だとしてもそんなに分かりやすいことする?
「そういうことする人、一人知ってるわ。暗躍大好き人間を」
差し入れを持って来てくれたケイティが昨晩の騒ぎ、そしてカイくんや自警団、そして侯爵家が調べた、集めた情報を一通り聞いて困った顔をして私に教えてくれた人物。
「レッツィでしょ、間違いなく。ジュリが関わってるんだから」
その名前を聞いて、グレイが珍しく動揺して。
「は?」
って、目を丸くして一瞬呆けた顔をしたんだから。
ネルビア首長国大首長。
レッツィ・エダ・ネルビア。
国境に接する七つの領があって、そのうち主だった三領に沿った地域を『奪還』と称して脅かす大陸有数の軍事国であり、正常な国交がなされている国が極端に少なくほぼ鎖国状態と言ってもいい、情勢を知るには諜報活動が必須の北に位置する国。
「……えーっと、なんでそんな国が?」
私が首を傾げるのは仕方ない。
だって、そもそもクノーマス領はネルビアから遠い。
グレイが騎士団団長をしていたとき、国境防衛で剣を向けた国ではあるけれど、それは歴代のクノーマス家の騎士や魔導師もやってきたことでグレイだけが今さら恨まれるようなことでもないらしいし。
しかも私は一度として関わったことがない。
「あの国は特殊なのよ。【彼方からの使い】に対する思い入れが尋常ではないから」
ケイティ曰く、今回のことは、そのレッツィ大首長なる人物の『おふざけと忠告』ではないか、と。
……おふざけですることかな?!
と、しかめっ面になった私に、ケイティがグレイと私しかいないからこそ話せる、という前提で話してくれた内容に驚愕。
「あの人、楽しんではいるだろうけど至って真面目にやったと思うわよ」
「はぁ?」
「そして、ジュリを守ってるつもりよ、これで」
今回、この極めて不愉快なおふざけをしたと思われるレッツィ大首長なる人物。
この人がしたかったことは私を守ること。
そのためには侯爵家がてんてこ舞いになろうと、職人が一人罪人となろうと、この国の貴族たちの仲に亀裂が入ろうと、この国に罪を擦り付けようと全く問題ないと。
クノーマス領を出ることなく、どんどん物を作り、そして思い付きで事業を立ち上げる私を心配しているからこその、嫌がらせ。
「全く、意味がわからないんだけど?」
私の素直な気持ちにグレイもただ頷くばかり。それでもケイティは苦笑しつつその雰囲気はいつも通り。
「正攻法でやっても周囲が納得しなかったり無視すると思ってるんじゃない? 例えば、ジュリを心配して『新作を出すのを一時止めろ』と大首長がジュリに言ったとするでしょ? その時、この国の貴族はどう思うかしら? 少なくとも、税収が上がって国庫を支える中心を担いつつあるクノーマス家はジュリの意向に従う。そうなると甘い蜜を吸って生きるしかない能無し貴族たちは困るわけ。ましてベリアス公爵に同調してジュリを放逐した貴族たちは口出しなんて出来ないでしょ……フォンロンだけでなく、ネルビアまでもが直接ジュリに接触となったら?」
グレイはその『危険性』に気がついたみたい。
「……ジュリが、これ以上の国家クラスの後ろ楯を得るには早すぎる」
「そういうこと。黙っちゃいないわよ? ベイフェルア王家が。ジュリを無理矢理にでも支配しようとするかもしれないし、影響を受けやすいクノーマス領に何か負荷をかけるような理不尽な要求をするかもしれないわ」
ケイティはだからこそ、と呆れたような声で呟いた。
「裏で暗躍しまくって今回の騒ぎを起こした。ここで一旦ジュリの動きが鈍ればククマットはもちろんクノーマス家も慎重に動く。更には協力体勢にある貴族もそれに歩調を合わせてくる。しかもこの騒ぎに関係した、敵対する貴族のあぶり出しも時間が掛からず出来るわね。ヤゼルには悪いけど、裏切った弟子も所詮その程度の人間だったってこと、遅かれ早かれ問題を起こしてたわよ。そういうのを早期で発見出来たことは長期的に見れば、ジュリもクノーマス家も悪いことではないわ」
ケイティの持論を支持するかどうかは別として、ヤゼルさんの弟子のことは確かにと思う節がある。
その人はヤゼルさんが私や侯爵家から絶大な信頼を寄せられていることが納得出来ずにいたらしい。
取り調べで、現役を引退すべき年齢のヤゼルさんより自分が螺鈿もどきの開発の先頭に立つべきなのに、と話したそう。
『特漆黒』の開発も他所から招かれた職人や調合師が我が物顔で工房に居るのが時間と共に段々と許せなくなっていったとか。
しかも。
私の事も良く思ってはいなかった。
職人でもなんでもない私が【彼方からの使い】というだけでククマット中の職人から素材やその扱い、仕入れ先など簡単に聞き出せることに不満を持っていた。その職人から見たら私は何の苦労もせずクノーマス家の権力で好きなものを好きなだけ得ているように見えるらしい。
そんな時、声をかけられたと。
ベイフェルア貴族たちの代表を名乗る男から螺鈿もどき細工の先駆者として名前を世に出さないか、と。
師匠やククマットの職人たちを出し抜き見返してやらないか、と。
そんな口車に乗せられた職人がいたことにショックを受けたけれど、螺鈿もどきを世に出す前に、今後もっとたくさんの物を開発する前に裏切りが発覚して良かったという気持ちはある。
グレイは。
「クノーマス領からの永久追放となる。職人としてやっていきたければ国外に出るしかないだろう。しかも、今回は情報を持って逃亡をしようとした、そういう職人を受け入れる所など国外でもそうそう見つからないがな」
と言った。
「それと……ネルビアが裏で操っていたというなら、王家や関わったであろう貴族に抗議しても無意味だ。無意味だし、ネルビアに操られていたことを表沙汰にする訳にはいかない。知らずに利用されていただけとは言え、この国の貴族がネルビアに加担し自国の貴族を貶めるつもりだったなどと公になれば国逆罪で複数の貴族とその一家が斬首刑になる。それだけで国はたちまち混乱し立ち行かなくなる」
グレイは険しい顔をしている。
私にはわからない世界で、グレイやクノーマス家が戦っていることは知っている。それが今回私の目にもはっきりと映る形で起こった。
悪だからと断罪できるわけではないものがあることを思い知らされて、そしてそれに私も関わっていることも嫌と言うほど。
もう見て見ぬフリは出来ないところまで来ちゃったな。
これからは避けては通れないのかも。【彼方からの使い】だから。
にしても。
こんな展開になるとは。ちょっと頭が追い付かない。
少し、勉強すべきだね。色々。




