88.決行前日
「おはよう、リサ」
「おはようございます」
眩い光に目を覚ますと、リサが爽やかに声を返してくれる。空は青い。きらきらとした光が、窓に映っている。
「明日も良い天気になるかしら」
「きっと、絶好の日和ですよ」
「よかった」
明日は、いよいよ、ミア達の結婚式である。今日中に、セドリックから、ドレスとタキシードが運び込まれる予定だ。私が倉庫をあまり出入りすると目立つので、到着の有無は、リサが確認してくれることになっている。
空は晴れ、雲ひとつない。明日もこんな風に、ミア達の結婚を祝福するような天気だと良いなと思う。
「ただいまー! おねえさま!」
「おかえり、リアン。……に、シャルロット様」
「えへへ。来ちゃった」
週末。相変わらずの勢いで帰宅するリアンを出迎えていると、その背後からシャルロットも現れて飛びついてきた。
「また、我が家の馬車に乗り込んできたのですね」
「うん。今日は、リアンも良いって言ったの!」
「あら、そうなの?」
意気揚々と宣言するシャルロットの言葉を受け、リアンに聞くと、どこか気まずそうに視線を逸らした。
「うん。言ってもどうせ乗ってくるし……学園でも、あんまり話せないし」
「馬車の中でリアンと久々に話せて、楽しかったー!」
「まったく、やっぱりシャルは相変わらずだな!」
悪態をつきつつ、どこか嬉しそうなリアン。その顔つきに、何となく淡い好意を感じて、私はほんわかした気持ちになった。
「ねえお姉様、学園でね」
「僕の話を先に聞いてよ!」
リアンとシャルロットに両脇を挟まれ、左右から今週の報告を受ける。幸せな時間だ。こんな時間が、ずっと続けばいいのに、と思う。
シャルロットは王女。オーウェンの身に何かあったら、こんな風には振る舞えないだろう。だからやっぱり、私は、タマロ王国の企みを阻止しなければならないのだ。
「あたし、これから騎士団に行く! リアンも来るでしょ?」
「決めつけるなよ! まあ、行くけど」
息のあったふたりの会話に、思わず顔が綻ぶ。
「なら、行きましょうか」
父も母も仕事や社交で忙しいから、わがままなふたりの子守は、私の役目。とはいえ、それを嫌だとも思わない。ふたりを連れ、私はいつものように鍛錬場へ向かった。
「こんにちはー!」
元気よく、騎士に挨拶をするふたり。学園で教育されているということが、こんなことからもよくわかる。
すっかり顔馴染みとなった騎士達に迎えられ、ふたりは集団に混ざって体を動かし始める。シャルロットの動きのキレの良さは言うまでもないが、近頃はリアンの動きも、かなり鍛えられて来た。
「王女様もリアン様も、鍛錬に精が出ますね」
「楽しいみたいね。充実した表情をしているから、こっちまで元気を貰えるわ」
暫くすると、私の隣には、すっとエリックが並んで来る。同じ方向に視線を向け、穏やかな表情でふたりの鍛錬を見ている。優しげな目つきだ。
「あのふたりが安心して過ごすためには、危険を背負っても構わない、って思わない?」
「それは……キャサリン様はお優しいのですね」
「そんなことないわ。自分勝手よ」
ただ、私がふたりに挟まれて、ずっと彼らを愛でていたいだけかもしれない。私が未来を変えたいのは、彼らのためでもあるが、自分のためなのだ。
「それにしても……なんだか以前と比べると、人数が少ない気がするわ。あの一角とか」
「あれが、先日の騒動に関係していた者達の場所でした」
鍛錬に励む騎士の雰囲気は変わらないが、その一角に、隊列の乱れがある。エリックによると、やはりそれは、ヘラン入りのお菓子を口にし、虜になっていた騎士達のもの。こうして見ると、多少とはいえ、人数が減ったのがわかる。
「やっぱり、状況は変わらないのよね」
「はい。隙はあります」
減った分、警備の配置を変更しなければならないはずなのに、此の期に及んでその決定がなされていない。些細なことかもしれないが、違和感がある。その違和感こそが、続編に向かうために強制的な力が働いている、ということなのだろう。
「……いよいよですね」
「そちらは大丈夫?」
「ええ。俺の穴は、カミーユに埋めてもらうよう頼みました」
準備は着々と整った。あとは明日を待つばかりである。
「……本当に、キャサリン様の仰るようなことが、起こるのでしょうか」
飛び回るシャルロット達を眺めたまま、エリックが呟く。
「起こるわ。きっと」
私には、確信に近い予感がある。だけどそれは、予感でしかない。
「もし何も起こらなかったら、国外追放もあり得るわね」
「その時は、ふたりで遠くの国へ行きましょう」
「素敵だわ」
僅かな懸念も、エリックの軽い口調によって払拭される。もし何も起こらなくて、重い罰を与えられることになったとしても、エリックとふたりなら構わない。そう思えるくらいには、私も、彼のことを慕っているようだった。
これを恋と呼ぶのだろうか? それはわからないけれど、やはりエリックは、私にとって最良のパートナーだ。
「明日は、日が昇る頃に、倉庫へ向かいます」
「ええ。また明日」
「失礼致します」
明日が王太子の結婚式ということで、騎士達の鍛錬にも気合が感じられる。そう長く抜けてはいられないのだろう。エリックはそう簡単に挨拶をして、また集団に戻っていった。
額に汗をかきながら、鍛錬に打ち込むエリック。大人っぽい表情で、騎士達についていこうと必死なリアン。ひらりひらりと、信じられないほどの軽やかさで身をこなすシャルロット。いつまでも見ていられそうな光景である。
徐々に日が傾き始め、西日が眩しくなってきた。幸せな休日も、そろそろ終わる。私はシャルロットとリアンを呼び戻した。
「良い運動になったわ!」
「やっぱり、シャルにはまだ敵わないや」
さっぱりとした表情のふたりを連れ、ローレンス公爵家へ向かう。
「シャルロット様をお連れしましたわ」
「ありがとうございます。お帰りなさいませ、王女様」
ローレンス公爵家の使用人が、丁重に出迎えてくれる。汗だくのシャルロットを引き渡し、私は直ぐに屋敷を後にしようとした。何しろ、明日はミアの結婚式。押しかけて、準備の迷惑になっても困る。
「キャサリン、待って! いつもありがとう、シャルロット様を送ってくれて」
「ミア。いいの? 明日は結婚式なのに」
「いろいろ……お肌のお手入れとか、準備はあるけど、ちょっとなら大丈夫。何も言わずに帰るなんて、寂しいじゃない」
ミアの肌は、これ以上の手入れなんて必要ないと思えるくらいに磨き上げられている。髪もふんわりとし、毛先まで艶々だ。結婚式を控えた彼女は、これ以上ないほどに美しい。
「ねえキャサリン、明日ーーありがとうね」
言葉の合間にあった、ほんの少しの躊躇い。それは、私たちの間でだけ、わかるもの。
「ふたりのためでもあるけど……でも、私のためでもあるから」
オーウェンが命を狙われているならば、それを助けるのは、続編への展開を阻止することに他ならない。
ふたりを助けたい気持ちはある。だけどそれだけではなくて、私はタマロ王国に狙われたこの国を守り、そしてシャルロットやリアン達と一緒に、平穏な未来を送りたいだけなのだ。
「また明日、ね」
「うん」
ミアが柔らかく微笑む。私も笑顔を返す。手を振りあって、ローレンス公爵家を後にした。
これが最後ではない。だから感傷もいらない。私は、この平穏な毎日を守るために、行動を起こすのだ。




