87.彼女も共犯
頬を撫でる、春の風。屋敷から出て少し歩くと、倉庫からは、明るい話し声が洩れてくる。
「こんにちは」
「……! お嬢様、ご無沙汰しております!」
ハーバリウムの製作所を覗くと、そこでは数人の男女が、山と積んだドライフラワーを瓶に入れつつ、談笑に興じていた。
色とりどりの花が広がっている様は、なかなかの見ものだ。
「どうされましたか?」
私に質問してくるのは、使用人として我が家で働いている男性。昼休みや休日に、こうして働いて小遣い稼ぎをするという使用人も、中にはいるそうだ。
ニックは今はリアンと一緒に学園にいるから、ここにはいない。ハンナやアンナも厨房での修行が忙しくなったそうで、ここには来ない。ハーバリウムの製作は軌道に乗り、元々の目的は、もう完遂されたようだった。
「アダムス商会の方は、近々いらっしゃるかしらね」
「ああ、今日来るかもしれません」
「もしお会いしたら、会長の息子であるセドリックという人を私が呼んでるって、伝えてもらっていい?」
「セドリック様、ですか。畏まりました」
そう言付けて、屋敷に帰る。あのセドリックをわざわざ呼びつけるのは、他でもない。
「セドリックが来たら、私のところにこっそり案内してもらえるよう、伝えておいて」
「あの、アダムス商会のですか? キャサリン様が担当を外したのかと思っていました」
「そうなんだけど……事情があってね」
リサに頼むと、彼女は眉尻を下げ、不審そうな顔つきをした。
「何か隠してらっしゃいますよね?」
「隠してなんかいないわ」
「いいえ。最近のキャサリン様は、明らかに何か企んでいらっしゃいます」
彼女の見る目は、相変わらず鋭い。嘘はつけない。
そもそもこれからしようとすることを達成するには、リサの助力は必要不可欠なのだ。私は諦めて、パレードでオーウェン達の命が狙われるであろうこと、そのために代理としてパレードに立つつもりであることを白状した。
「だから、ミアと同じドレスがいるのよ。だけど、そんなものを秘密裏に作ってくれそうな人なんて、セドリックくらいしかいないじゃない」
「なんてことを、お考えになっていらっしゃるのですか!」
頬に手を当てるリサの声は、半ば悲鳴じみている。
「内緒なのよ。大きな声を出さないで」
「危険です。命を狙われているのがわかっていて、代わりになろうだなんて」
「危険だから、エリック様にも同乗してもらうのよ」
「そうですが……でも、わかりました。ご相談いただけて良かったです。何も知らないで、いつの間にかキャサリン様が危険に身を投じているよりも、ずっとましです」
リサは、深く一度、頷いた。
「ドレスの着付けは、お任せください」
「それをあなたに頼むつもりだったのよ、リサ」
「私は……私は、キャサリン様のちゃんとした結婚式で、そのドレスをお着せしたかったです」
悲痛な表情で言うリサの肩に、私はそっと触れた。
「もちろん、自分の結婚式のドレスだって、あなたに頼むわ」
「ですが」
「大丈夫。エリック様が守ってくれるから、心配しないで」
可能性としてはあるけれど、私はこんなところで死んでしまうつもりはない。自分の望む平穏が訪れるのなら、自分もそこにいたいからだ。
「では、先ほどのように、伝えて参ります」
「お願い」
リサはひらりと身を翻し、部屋を出た。私は、リサに淹れてもらった紅茶を飲む。花の香りがする、温かい紅茶。心が落ち着く。
もし、タマロ王国がこのまま魔の手を伸ばして来たら、こんな時間もなくなってしまうのだろうか。もしオーウェンが襲われ、ミアが傷つけられるとしたら。幼馴染のふたりにそんなことがあったら、私は落ち着いてはいられないだろう。
だから、いいのだ。この選択は、間違っていない。
それから、数日後。いつものようにリサと一緒に紅茶を飲んでいる私の、部屋の扉がノックされた。
「アダムス商会の者です」
「どうぞ」
直ぐに部屋へ招き入れる。私が彼とやりとりをしていることを、家族に見られては困る。
「今回は、お呼び頂き、ありがとうございます」
入ってきたのは、セドリックである。相変わらずの美貌に、良い声。彼は洗練された動作で、深々と頭を下げた。
「御目通りすることをお許し頂けて、何よりの幸せに御座います」
「あなたを許したわけじゃないわ。だけど、あなた以外に、頼めないことなの」
私は彼のしたことを、忘れた訳ではない。寧ろ、忘れていないからこそ、今回セドリックを呼んだのだ。
「これと全く同じものを、作って欲しいの」
私は、衣装の製作図を差し出す。ミアに聞いた王家の衣装を元にして、私とエリックの体型に合わせたもの。採寸はリサが、こっそりとしてくれた。
「これは……」
「何、とは聞かないで。あなたのためよ」
製作図をまじまじと見つめ、目を見開くセドリック。見る人が見れば、それが王家の結婚式で用いられるもの、それも過去のものではなく今回お披露目されるものだと、直ぐ分かるはずだ。
だから私は、彼にそれ以上の感想を禁じた。
「私がそれを頼んだことは、誰にも知られないで。お願い」
彼は私に負い目がある。だからこそ、本当に秘密裏に、事を進めてくれるだろうと思ったのだ。
「……畏まりました」
「お代は、これで」
私の側には、警戒心を剥き出しにしたリサが控えている。彼女に手渡し、それをセドリックに渡してもらう。
「これは……」
「私のアクセサリーよ。申し訳ないけど、それを代金代わりとして受け取って」
「いえ、こんなに受け取れません」
「余ったぶんは、あなたへの口止め料よ」
ネックレスや、イヤリング。最近付けていなくて、無くなっても気づかれないだろう私物を、セドリックへ渡した。
セドリックはそのひとつを手に取り、明かりに透かして見る。
「これは、数年前に見たような……」
「ええ。以前付けていたわ。よく覚えているわね」
私の返答を聞いて、彼はふっと笑みを零した。
「身につけていたものを寄越すなんて、相変わらず無防備ですね」
「えっ?」
「いえ、何でも御座いません。ご希望に添えるよう、全力を尽くします故」
やはりセドリックは、商人としては素晴らしい。彼はアクセサリーと製作図を、鞄深くに仕舞い込んだ。
「お届けは」
「王太子様の結婚式の、前日。ハーバリウムの倉庫の方へ、運んでいただける?」
「承りました。そのように」
屋敷に届けたら父に勘づかれるが、倉庫ならば、ハーバリウム用の荷物と紛れて気付かれにくいだろう。セドリックへの注文を終え、その無駄のない一礼を見守って、彼を送り出した。
「巻き込んでごめんなさいね、リサ」
「いえ……キャサリン様は、それが最善の手とお思いなのですよね?」
「ええ」
リサの問いに、肯定で返す。少なくとも私は、自分の望む平穏な未来のためには、オーウェンとミアをパレードに出してはいけないと予感している。
「なら私は、キャサリン様に着いて行くだけです」
「ありがとう」
エリックに、リサ。私の思いを尊重し、共に歩んでくれる人の存在は、何よりもありがたい。口から出る感謝の言葉は、心からのものだった。




